演奏会は講堂で行われ、開演前に音楽担当のI先生が演奏会を聴くに当たっての注意事項を簡単に説明した。そして、開演。拍手に導かれるように巖本さんがステージに現れた。クラシック音楽に少なからぬ関心があるとはいえ、はじめはこの演奏会をそれほど楽しみにしていたわけではなく、むしろ、退屈な時間を過ごすことになると思っていた。しかし、その気持ちは演奏が始まると同時に消えた。巖本さんのバイオリンの弦に弓が触れた瞬間、かすかに残るざわめきの余韻がすーっと消え、静寂と音楽のみが存在する世界に変わった。バイオリンがどのような音がするかはもちろん知っているが、「ああ、バイオリンはほんとうはこういう音がするのか」と驚いた。豊かな音量と、時にはっとするほどの美しい音色。巖本さんがバイオリンを弾いている、のではなく、巖本さんとバイオリンがひとつになって「うたっている」ようにさえ思えた。そして、重奏の時はまだしも、独奏の時にはステージを直視することができなかった。渾身の力を込めて演奏する巖本さんが、今にも力尽きて倒れてしまうように見えたのである。

すべての演奏が終わり、全校生徒で埋まった講堂が拍手に包まれた。開演時のような儀礼的な拍手ではなく、感動の拍手であった。メンバーが一度舞台のそでに下がった後も拍手はやまなかった。アンコールを求める拍手だ。そして、巖本さんが現れ、ほほえんでアンコールの曲名を告げる。その声は小さくて聞き取れないが、男子生徒の「ウォー」と女子生徒の「ワァー」とが入り交じった歓声があがり、ひときわ大きな拍手。そしてアンコール曲の演奏。
多くの人が2度目のアンコールを期待した。拍手は続くが、なかなか姿を見せてくれない。もうおしまいなのかと拍手が小さくなりかけた瞬間であった。他学年の不心得な男子生徒が「終わったぞ!」と叫んだ。拍手がやみ、失望と非難のざわめきに変わった。何とも後味の悪い終演だった。巖本さんはじめ、メンバーの方々には申し訳なかったと思う。
そして、気になることがあった。気迫に満ちた力強い演奏とは対照的な、凛としているものの、つらさを押し隠しているような立ち姿。笑顔で拍手に応えながらも、どこか遠くを見つめるような眉根のかげり。
この日は、午後から父兄と一般向けの同一プログラムでの公演があった。もう一度聴くべきか迷ったが、あの美しくも厳しい演奏の中に再び身を置く勇気はなかった。
巖本真理さんが亡くなったのは、それからわずか半年あまり後の1979年5月11日である。夜のニュースでそれを知った。画面にはシューベルトの「ます」を演奏する巖本真理弦楽四重奏団の映像が流れていた。
やはり巖本さんは病を押して演奏活動をしていたのだ。自らの生と対峙した結果があの演奏だったのだ。しかし、なぜ、そこまでしてバイオリンを弾き続けたのか。その「なぜ」の答えは5年後に1冊の本と出会うことで知る。

1984年4月、本店の新刊コーナーで、新潮社・山口玲子著《巖本真理 生きる意味》を見つけた。綿密な取材によって書かれた巖本さんの評伝である。生い立ちから亡くなるまでが克明に記録されている。ただし、現在は残念ながら絶版になっている。
巖本さんのバイオリンの音が忘れられず、さまざまな人のバイオリンの演奏を聴いてきた。それぞれにすばらしいがどこか物足りない。この本にはこう書かれている。
「ことに真理は“音”を持っている、といわれた。人の声が一人一人違うように、はっきり“真理の音”とわかる音をもっている。その音に魅せられた者は、真理のバイオリンが忘れられなくなった」
「真理の音は、線の太い、よく響く音量豊かな音だった。誰にも出せない真理だけの音をもった」
そう、その通りなのだ。100人のバイオリンの音を聞いても巖本真理さんの音だけはわかるだろう。
そして、本来なら満足に演奏できる状態ではないのになぜ弾き続けたか。手術の執刀医に訴えたこのひとことにつきる。
「このままバイオリンが奏(ひ)けなくなってしまうなら、救っていただいても生きる意味がないのです」
巖本さんにとって「バイオリンを弾き続ける」ことが「生きる」ことだったのだ。
巖本真理さんのCDは手元に2点にある。1点は20年ほど前に発売された「巖本真理ヴァイオリン小品集」、そしてもう1点が、最近発見された音源を使った「巖本真理の芸術」(2枚組)である。どの曲を聴いてもやはり「巖本真理の音」だ。中でもアンダンテ・カンタービレの切ないメロディーに心が動く。あの日の、まさに命を削るような演奏がよみがえってくる。伴奏がピアノではなく、エレクトーンなのがめずらしい。僕が生まれる3か月前、1960年6月10日の録音である。

2012年1月20日追記
巖本真理さんの訃報を知らせるニュース映像に使われていたのが、シューベルトの「ます」である確証はない。おそらくそうだったように思う、というのが正しい。