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Agnes Baltsa- To Treno Fevgi Stis Okto -(The Train Leaves At Eight)スミ・ジョー”汽車は8時に発つ”

 

 

 1998年のSBSテレビドラマ「白夜3.98」で知った歌でした。2バージョンあり韓国語とギリシャ語の歌がOSTには収録されています。ギリシャの抵抗の歌を選んだ監督のキム・ジョンハクです。同監督の「砂時計」(1996年SBS)では挿入歌に”Cranes”ロシアの歌を使いました。韓国ドラマから多くのアメリカ・ヨーロッパ・ロシアの歌を知ったことは最高の喜びでした。

 ”汽車は8時に発つ”を調べました。

 韓国ブログ BreakNewsからキム・ジョンヨル氏の記事より

 

 この曲は、世界的に有名な韓国の声楽家ソプラノ、チョ・スミが歌ったことで韓国でも有名ですが、もともとは音楽の巨匠ミキス・テオドラキスが作曲し、ギリシャのメゾ・ソプラノ歌手アグネス・バルツァがギリシャ音楽の生きた歴史として歌った曲です。祖国ギリシャの悲劇の地で「音楽は爆弾である」と宣言し、闘争の仲間に捧げたテオドラキスが作曲した曲

 

 

  

 ミキス・テオドラキスは、ギリシャの国民音楽の真髄である多くの民謡「レンベティカ」を作曲しましたが、これらは中産階級や知識人から敬遠されました。-汽車は8時に発つ-この曲もレンベティカで、ギリシャの民族楽器であるブズーキのメロディーが悲しげに演奏されています。

  これに加えて、彼は映画音楽の宝石を残しました。メリーナ・メルクーリ主演の「日曜はだめよ」(1960年)、韓国では「It's OK to Die」名義で公開された「死んでもいい」(1962年)、アンソニー・クイン主演の「その男ゾルバ」(1964年)、イヴ・モンタンタン主演の「戒厳令」(1973年)などを手がけた。彼はパンデミックの最盛期である2021年9月に96歳で亡くなりました。「汽車は8時に発つ」という曲の歌詞は、ギリシャの詩人で作詞家のマノス・エレフテリウがカテリーニ地方の同僚から逸話を聞いた後に作成したと言われています。

 1944年にギリシャのレフカス島で生まれたアグネス・バルツァは、ドイツのミュンヘンで音楽を学び、最年少で「ばらの騎士」のオクタヴィアン役を演じました。ギリシャを代表するメゾ・ソプラノ歌手の一人として、1998年のSBSテレビドラマ「白夜3.98」の「汽車は8時に発つ」という曲で韓国で広く知られ、2010年に公開され興行的にヒットした韓国映画「シラノの恋愛操作グループ」の曲「It's Been a Better Day for Us」も歌いました。

 

 韓国ドラマ「白夜3.98」韓国ドラマ「白夜3・98」OST - 毎日韓国ドラマと映画と音楽でヘンボケヨgooblog

スミ・ジョーオペラ Sumi Jo/スミ・ジョー(チョ・スミ)「I Dreamt I Dwelt In Marble Halls」 「アルビノーニのアダージョ」 - 毎日韓国ドラマと映画と音楽でヘンボケヨgooblog

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巌本真理 シューベルト: アヴェ・マリア, シューマン: トロイメライ

 

 素晴らしい巌本真理のヴァイオリン演奏。清水が一滴一滴しみわたるようです。CD「巌本真理 ヴァイオリン小品集(1960年録音)」(山野楽器 東芝販売)にもアヴェ・マリアが収録されていました。ピアノは坪田昭三。

 

 

 

 品格のある巌本真理の演奏には落ち着きを感じます。他の演奏家とは明らかに異なります。温かさがありヴァイオリンがひとつの楽器ではなく音楽、物語を奏でているようです。

 アップして頂いた方に感謝いたします。

 

 

 

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グルジア民謡「sulikoスリコ」

 

 

 

 グルジア(現ジョージア)民謡「スリコ」は中国スパイドラマ「懸崖」で挿入歌として使われました。知らなかった音楽をドラマを通して聴けるって、最高の喜びです。

 女性主人公が歌い、彼女の心象を表現したような映像とともに流れ、とても印象に残る歌でした。1930年代を舞台にしたドラマなのでSP盤です。少女の歌にコーラスが重なっていました。

 ドラマと同じような編成をyoutube で探しましたがないようです。

 

 Suliko(スリコ)についてZeAmiブログさんの引用です。

 ★Sulikoは間違いなくグルジアで一番有名な歌でしょう。この優美な旋律は、どなたも一度は聞いたことがあるのでは。それはグルジアの男女共通の名でもありまして、その本来の意味は「魂」とのこと。

 スリコは、1895年にグルジアの詩人Akaki Tsereteliによって書かれた愛の詩のタイトルでもありますが、1895年にVarinka Tsereteliによってこのメロディが作曲されてから、ロシア~ソ連を越えて世界中で知られるようになりました。

 スターリンも愛好していたとか。グルジア出身だからでしょうけれど、彼にそういう心優しい面もあったのかと意外に思えます。懐かしい故郷を思い出させる調べだったのでしょう。ロシアでも頻繁に歌われる曲です★

 グルジアでもロシアでも愛される歌なのですね。

 歌詞はうたごえサークルおけらさんからです。

作詞 ア・ツェレテーリ

作曲 ヴェ・ツェレテーリ

訳詞 井上頼豊

 

1心もうつろに
あてもなくさまよう
あの子は何処へ
行ったやら いとおしいスリコ
あの子は何処へ
行ったやら いとおしいスリコ

2夕べの城あとに
みなし子らあそぶ
どこかにスリコが
いやせぬか忘られぬスリコ
どこかにスリコが
いやせぬか忘られぬスリコ

3森のうぐいすに
私は呼びかけた
「おまえは知らぬか
うぐいすよ スリコの墓を」
「おまえは知らぬか
うぐいすよ スリコの墓を」

4やさしいうぐいすは
私にささやいた
「あなたの立ってる
その土が スリコの墓よ」
「あなたの立ってる
その土が スリコの墓よ」

 

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ダークダックスのロシア民謡「小さいぐみの木」ボニージャックスのロシア民謡「ヴォルガの舟歌」

 

 ダークダックスのロシア民謡が好きです。この「小さいぐみの木」は地味な歌ですが心に沁みます。以前アップした「ウラルのぐみの木」https://youtu.be/_ClTZF6d_7w

 

 

 ボニージャックスのロシア民謡が好きです。「ヴォルガの舟歌」過酷な船曳きの歌ですがなぜだかこのメロディが好きなのです。以前にもボニージャックスの「鶴」https://youtu.be/FoVMFCJ6pyYをアップしました。(ロシア原曲は韓国ドラマ「砂時計」の挿入歌としても使われています。)

 

 なんという胸の痛みでしょうか。この世界情勢に小さい1個の人間として胸が揺さぶられて苦しい限りです。しかし微かながら希望も見え隠れします。それは中南米、アフリカ、中央・東南・東アジア、中東の皆さんの存在です。

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ロシアの歌「ウラルのグミの木」中国語カバー曲「山査子の木」

 

 知らない歌がまだまだたくさんありますね。

 この歌は「ウラルのぐみの木」です。中国ドラマ「家族写真」(2013年 48話)44話の中で流れていたロシアの歌謡曲です。ドラマでロシア人の建築家がアコーディオンを弾きながら歌っていました。「ウラルのぐみの木」(Уральская рябинушка/Uralskaya Ryabinuschka)は、1953年頃(スターリンの死後)に発表されたロシアの歌謡曲で作詞は、ウラル地方の詩人M.ピリペンコ(Mikhail Pilipenko)、作曲は音楽家のE.ロディギン(Evgenij Rodygin)。歌はエレナ・アンドレエフスカヤとクリスティーナ・コストリナ

 

  ウラルのグミの木

 川面静かに歌流れ 夕べの道を一人ゆけば

 遠く走る汽車の窓光る 若者の待つグミはゆれる

 おい、巻き毛のグミよ 白い花よ

 おい、グミよ なぜにうなだれる

 川面に夕霧立ち込めて 家路を急ぐ工場のひと

 風に揺らぐグミの葉陰 若者二人我を待つ

 おい、巻き毛のグミよ 白い花よ

 おい、グミよ なぜにうなだれる

 鶴の歌に秋は去り 霜は大地を白く包む

 二人の若者今日もまた グミの葉陰を我と行く

 おい、巻き毛のグミよ 白い花よ

 おい、グミよ なぜにうなだれる

 おおグミよグミよ白い花よ 告げよ我にいとしい人

 

 

 

 中国では「山査子の木(山楂树)」

 

 

 

 

 男性の歌もまた良いですね。

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ロシア民謡「モスクワ郊外の夜はふけて」V・トロ―シン/ピーナッツ/ヴェンチャーズ

 
 
 
 ウラジーミル・トローシン「モスクワ郊外の夜はふけて」は1955年に作られた歌です。国際スポーツ祭典である「スパルタキアード」の記録映画で使用されました。
 アメリカ、イギリス、フランス諸外国でカヴァーされました。日本でもフランク永井をはじめピーナツ、ダークダックス、ボニージャックス、加藤登紀子、倍賞千恵子などがカヴァーしています。
 
 
 
 
 
 
 ピーナッツ「モスクワの夜は更けて」は夢見るようなハーモニーが美しいです。タンゴのアレンジで。
 
 
 
 
 
 
 
 出た!ヴェンチャーズ!ロシア民謡!バライカ風演奏もあってカッコイイ。
 
 東京混声合唱団 https://youtu.be/Xue1sd5tQMY
 
 
 

 

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Sumi Jo/スミ・ジョー(チョ・スミ)「I Dreamt I Dwelt In Marble Halls」 「アルビノーニのアダージョ」

 
 
 
 
 
  有名な指揮者カラヤンに「神からの贈り物」と評されるチョ・スミ(Sumi Joの声。世界的なソプラノ歌手です。チョ・スミの特別な声は口蓋垂(のどちんこ)がなくて、ほかの人と声帯が違っているからだそうです。韓国では国家的な催しに出席し、歌声を聞かせてくれています。
 まだ商店街にレコード屋さんがある頃、クラシックの声楽家のコーナーにSumi JoのCDがあって、韓国人の声楽家なのだなあと印象に残っていましたが、耳にビリビリ響くソプラノが好きじゃないので、今まで聴くことはありませんでした。
 「不朽の名曲/チョ・スミ編」をきっかけに、チョ・スミを聴いています。伸びやかな声がやさしくてきれい。高い声もビリビリ気にならない超一流。さすがです。聞かず嫌いだったと思います。韓国時代劇ドラマ「ホジュン」のOSTも歌っていたのですね。
 「不朽の名曲チョ・スミ編」で、パク・ギヨンが”I Dreamt I Dwelt In Marble Halls”を歌いました。美しくて心地よかったので、本家本元のチョ・スミをYoutubeで聴きました。声が優しく驚いています。
 ”I Dreamt I Dwelt In Marble Halls(ジプシーの女の子の夢)”は、アイルランドで作られたオペラ「ボヘミアの女の子」の人気のアリアです。チョ・スミはポップス風にアレンジして、2000年発売のアルバム「Only Love(オンリーラブ)」に収録しました。冷蔵庫のCMにも使われたそうです。エンヤも”I Dreamt I Dwelt In Marble Halls”を歌っています。
 
  I Dreamt I Dwelt In Marble Halls(ジプシーの女の子の夢)
 
 大理石の宮殿で暮らす夢を見た
 使用人たちも側にいた
 大理石の宮殿に集まった人々の中で
 私は彼らの希望であり誇りだった
 夢の中では大金持で 高貴な家柄の私
*だけど何より幸せナだったのは
 あなたが私を愛してくれたこと*
 夢の中で求婚者たちは
 私の手を握ろうとした
 騎士たちはひざまずいて求愛した
 どんな淑女も拒めない 愛の誓いを捧げながら
 私に愛の忠誠を誓った
 貴族のうちの一人が前にきて 
 私の手を取り愛を誓った
*~*
 
 
KBSTV「不朽の名曲チョ・スミ(Sumi Jo)編」より。アレンジも良くて素晴らしい歌声です。他に”お花畑”も歌いました。”アルビノーニのアダージョ”は、オーソン・ウェルズの1962年の映画「審判」で使われ有名になりました。カラヤン(1983年録音)のレコードもグラモフォンから発売されました。
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オズボーンブラザーズ 「涙の小道」 Qsborne Brothers " Pathway of Teardrops "

 
 
  オズボーンブラザーズ(Osborn Brothers)の”涙の小道(Pathway of Teardrops)”を初めてきいたのは、25年くらい前のラジオの「洋楽リクエスト番組」で、こんなにイイ曲があるのだと感激しました。
 ゆったりとしたワルツで、ウェスタンの哀愁がやさしく伝わってきて、コーラス・ハーモニーも、マンドリン、バンジョーの演奏も最高です。.
 
  オズボーン・ブラザーズはボブとソニーの兄弟を中心としたブルーグラス・チームで、1953年にグループ結成。1954年にジミー・マーティンが参加、マーティンのあと1956年にレッド・アレンが参加、MGMレコードから”シーズ・ノー・エンジェル”、”ワンモア”などをヒットさせました。
 オズボーン・ブラザーズの”涙の小道”は1964年の録音です。オリジナルはウェスタン・シンガー、ウェブ・ピアスの1960年の作品です。
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厳本真理 ヴァイオリン ”カヴァティーナ”

 
 
 
 ”タイスの瞑想曲”は、2枚組LP「厳本真理 タイスの瞑想曲 決定版!ヴァイオリン叙情名曲25曲選」(東芝)に収録されています。
 ”タイスの瞑想曲”が削除されたので、アルバム「巌本真理 叙情名演集」より”カヴァティーナ”をUPしました。
 
  クラシックにあまり馴染みがありませんが、1992年発売のCD「巌本真理 ヴァイオリン小品集(1960年録音)」(山野楽器 東芝販売)だけは良く聴いています。 巌本真理の奏でるメロディは人の温もりを感じさせ、ヴァイオリンが持つ哀切を遥かに大きく越えているのです。
 曲目は”アヴェマリア”をはじめ、”シューベルトの子守歌””天使のセレナード””インドの歌”など19曲入っています。ワルツ好きの私は5曲目の”ブラームスのワルツ”が大好きで百回以上聴きました。巌本真理の”ワルツ”は私の心の琴線に触れ、特に移調する演奏の部分はとろけそうで至福の喜びを感じました。 
 
曲の途中までですが”アヴェマリア”を聴けます。
 
1970年代後半に 巌本真理の演奏会を聴いた方のブログの記事です。http://blog.goo.ne.jp/bookman1960/e/64186b34528517a903de9ad9854a9b44
 gooブログがなくなるので、本文をコピーいたしました。

ゆっくりと、うたうように 巖本真理さんのこと

2011年12月25日 | old days but good days/雑感
 高校3年の時、通っていた高校の創立80周年記念式典が催され、その記念行事のひとつとして「巖本真理弦楽四重奏団演奏会」が開かれた。1978年10月1日のことである。朝のホームルームで担任が「巖本真理さんという人はきわめて有名なバイオリニストであり、本来このような地方の高校に来るような人ではなく、我々が演奏を生で見ることができるのは奇跡と言っていい」と話した。自分はクラシックに多少の関心はあったが、それまで巖本真理さんの存在を知らなかった。

 演奏会は講堂で行われ、開演前に音楽担当のI先生が演奏会を聴くに当たっての注意事項を簡単に説明した。そして、開演。拍手に導かれるように巖本さんがステージに現れた。クラシック音楽に少なからぬ関心があるとはいえ、はじめはこの演奏会をそれほど楽しみにしていたわけではなく、むしろ、退屈な時間を過ごすことになると思っていた。しかし、その気持ちは演奏が始まると同時に消えた。巖本さんのバイオリンの弦に弓が触れた瞬間、かすかに残るざわめきの余韻がすーっと消え、静寂と音楽のみが存在する世界に変わった。バイオリンがどのような音がするかはもちろん知っているが、「ああ、バイオリンはほんとうはこういう音がするのか」と驚いた。豊かな音量と、時にはっとするほどの美しい音色。巖本さんがバイオリンを弾いている、のではなく、巖本さんとバイオリンがひとつになって「うたっている」ようにさえ思えた。そして、重奏の時はまだしも、独奏の時にはステージを直視することができなかった。渾身の力を込めて演奏する巖本さんが、今にも力尽きて倒れてしまうように見えたのである。



 すべての演奏が終わり、全校生徒で埋まった講堂が拍手に包まれた。開演時のような儀礼的な拍手ではなく、感動の拍手であった。メンバーが一度舞台のそでに下がった後も拍手はやまなかった。アンコールを求める拍手だ。そして、巖本さんが現れ、ほほえんでアンコールの曲名を告げる。その声は小さくて聞き取れないが、男子生徒の「ウォー」と女子生徒の「ワァー」とが入り交じった歓声があがり、ひときわ大きな拍手。そしてアンコール曲の演奏。

 多くの人が2度目のアンコールを期待した。拍手は続くが、なかなか姿を見せてくれない。もうおしまいなのかと拍手が小さくなりかけた瞬間であった。他学年の不心得な男子生徒が「終わったぞ!」と叫んだ。拍手がやみ、失望と非難のざわめきに変わった。何とも後味の悪い終演だった。巖本さんはじめ、メンバーの方々には申し訳なかったと思う。
 

 そして、気になることがあった。気迫に満ちた力強い演奏とは対照的な、凛としているものの、つらさを押し隠しているような立ち姿。笑顔で拍手に応えながらも、どこか遠くを見つめるような眉根のかげり。

 この日は、午後から父兄と一般向けの同一プログラムでの公演があった。もう一度聴くべきか迷ったが、あの美しくも厳しい演奏の中に再び身を置く勇気はなかった。

 巖本真理さんが亡くなったのは、それからわずか半年あまり後の1979年5月11日である。夜のニュースでそれを知った。画面にはシューベルトの「ます」を演奏する巖本真理弦楽四重奏団の映像が流れていた。
 やはり巖本さんは病を押して演奏活動をしていたのだ。自らの生と対峙した結果があの演奏だったのだ。しかし、なぜ、そこまでしてバイオリンを弾き続けたのか。その「なぜ」の答えは5年後に1冊の本と出会うことで知る。



 1984年4月、本店の新刊コーナーで、新潮社・山口玲子著《巖本真理 生きる意味》を見つけた。綿密な取材によって書かれた巖本さんの評伝である。生い立ちから亡くなるまでが克明に記録されている。ただし、現在は残念ながら絶版になっている。

 巖本さんのバイオリンの音が忘れられず、さまざまな人のバイオリンの演奏を聴いてきた。それぞれにすばらしいがどこか物足りない。この本にはこう書かれている。
 「ことに真理は“音”を持っている、といわれた。人の声が一人一人違うように、はっきり“真理の音”とわかる音をもっている。その音に魅せられた者は、真理のバイオリンが忘れられなくなった」
 「真理の音は、線の太い、よく響く音量豊かな音だった。誰にも出せない真理だけの音をもった」
 そう、その通りなのだ。100人のバイオリンの音を聞いても巖本真理さんの音だけはわかるだろう。

 そして、本来なら満足に演奏できる状態ではないのになぜ弾き続けたか。手術の執刀医に訴えたこのひとことにつきる。

 「このままバイオリンが奏(ひ)けなくなってしまうなら、救っていただいても生きる意味がないのです」

 巖本さんにとって「バイオリンを弾き続ける」ことが「生きる」ことだったのだ。


 巖本真理さんのCDは手元に2点にある。1点は20年ほど前に発売された「巖本真理ヴァイオリン小品集」、そしてもう1点が、最近発見された音源を使った「巖本真理の芸術」(2枚組)である。どの曲を聴いてもやはり「巖本真理の音」だ。中でもアンダンテ・カンタービレの切ないメロディーに心が動く。あの日の、まさに命を削るような演奏がよみがえってくる。伴奏がピアノではなく、エレクトーンなのがめずらしい。僕が生まれる3か月前、1960年6月10日の録音である。




 2012年1月20日追記
 巖本真理さんの訃報を知らせるニュース映像に使われていたのが、シューベルトの「ます」である確証はない。おそらくそうだったように思う、というのが正しい。

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JERRY REED 「BLUES LAND」 ジェリー・リード ”ブルース・ランド”

 
 UPした画像は1968年にリリースされた、ジェリー・リードの4枚目のアルバム「Better Things in the Life」より「Blues Land」です。ジェリー・リードとチェット・アトキンスの演奏にはカントリーだけではなく、ジャズ、ブルース、ポップスなどの要素があり、音楽の豊かさに繋がっています。
 「Blues Land」もブルース風のギターの後、ハットするほどの洒落たジャージーなギターソロになります。ジェリー・リードの洗練された音楽性を感じます。
   (Kann Dorao)
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