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ニール・ヘフティー ⑩ ランバート・ヘンドリックス&ロス、モダネアーズ「 Don't Dream Of Anybody But Me((Lil' Darlin)」

 

 ランバート・ヘンドリックス&ロス(Lambert Hendrick&Ross)がカウント・ベイシー楽団と共演したアルバム「SING ALONG BASIE」(1958年)より、”Lil' Darlin(Don't Dream of Anybody but Me)"です。"Don't Dream of Anybody but Me"のオリジナル録音です。コーラスも良いですが、中間部からのアニー・ロス(Annie Ross)のヴォーカルが雰囲気があって素晴らしいです。

 

 

 

 グレン・ミラー(Glenn Miller)楽団のコーラス・グループだったモダネアーズ(The Modernaires)のアルバム「Like Swung」(1960年)から"Don't Dream of Anybody but Me"です。アレンジがニール・ヘフティの曲にしてはビッグバンド寄りです。モダネアーズはグレン・ミラー逝去後も音楽活動を続け、1950年代にはコンスタントにLP・シングルをリリースしています。

 

 

 

 

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ニール・ヘフティー ⑨「ガール・トーク」トニー・ベネット

 

 ニール・ヘフティー(Neal Hefti)が作曲した映画「ハーロウ(Harlow)」(1964年)"のサウンド・トラックから、テーマ曲の"ガール・トーク(Girl Talk)"です。グラミー賞にノミネートされ、ニール・ヘフティーの代表作のひとつになりました。

 

 

 

 トニー・ベネット(Tony Bennet)のアルバム「MOVIE SONG ALBUM」(1966年)から、"ガール・トーク(Girl Talk)"です。このアルバムは1960年代半ば頃の映画音楽をレパートリーにしていて、"ガール・トーク"はルイス・ボンファ(Luiz bonfa)の"ジェントル・レイン(Gentle Rain)"、ジョニー・マンデル(Johnny Mandel)"の"エミリー(Emily)"とならぶ名唱です。

 

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ニール・ヘフティ⑧「Don't Dream of Anybody but Me(Lil' Darlin)」アニタ・カー、メル・トーメとメルトーンズ

 ニール・ヘフティが(Neal Hefti)が作曲した”リル・ダーリン(Lil' Darlin)”は、ジャズコーラス・グループのランバート・ヘンドリックス&ロス(Lambert Hendrick&Ross)のメンバー、ジョン・ヘンドリックス(John Hendricks)によって"Don't Dream of Anybody but Me"のタイトルで歌詞が付けられました。ランバート・ヘンドリックス&ロスはアルバム「Sings Songs & Basie」1958年)で初録音しました。

  ”Lil' Darlin”はその後バート・ハワード (Bart Howard)が別の歌詞を作詞、同曲異詞の2つの歌詞が歌われています。ジョン・ヘンドリックス版はランバート・ヘンドリックス&ロス以外では、マーク・マーフィー·( Mark Murphy)がアルバム「RAH」(1961年)、ヘンドリックス&カンパニー( Hendricks & Company)がアルバム「Love」(1982年)で録音しています。

 バート・ハワード 版はアニタ・カー・シンガーズ(Anita Kerr Singers)がアルバム「Mellow Moods of Love」(1964年)、メル・トーメがアルバム「 Mel Torme & The Mel Tones Back in Town 」(1959年)、メイベル・マーサー( Merely Mercer) がアルバム「Merly Marvelous」(1960年)、ジャッキーデシャノン(Jackie Deshannon)がアルバム「For You」(1967年)、ボビー・ダーリン(Bobby Darlin)がアルバム「This Is」(1960年)、 モニカ・ゼタールンド (Monica Zetterlund )が1959年前後に録音、アルバム「Spring Is Here」に収録されています。

 

 

 "Don't Dream of Anybody but Me"をいろいろな歌手で聴きましたが、アニタ・カー・シンガーズ(Anita Kerr Singers)のヴァージョンが、ニール・ヘフティ(Neal Hefti)の都会的でソフィスティケートなメロディー、サウンドを活かしていて一番だと思います。アルバム「Mellow Moods of Love」(1965年)に収録されています。

 

 

 

 

 メル・トーメ(Mel Torme)のアルバム「 Mel Torme & The Mel Tones Back in Town 」(1959年)から"Don't Dream of Anybody but Me"です。メル・トーメは1943年に5人組のコーラス・グループ 、メルトーンズ「Mel Tones」を結成、シングル・EPを録音、アーテ-・ショー(Artie Show)楽団にも参加しました。グループ は1945年~46年に解散しましたが、1950年代にメル・トーメのアルバムのために再結成しています。

 「ボサノヴァの歴史」ではブラジルで1940年代後半、新しい音楽を求める若者たち(その後のボサノヴァ・ムーブメントを支持した人たち)から最も高く評価され、人気のあった米国の音楽家はスタン・ケントン(Stan Kenton)とメル・トーンズ(Meltones)だったという記述があり、ブラジルの音楽ファンの質が高いことに驚きました。

 

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ニール・ヘフティー ⑦ リル・ダーリン LP「JAZZ POPS」「Pardon My Doo-Wah」より

 

  ニール・ヘフティー(Neal Hefti)は1961年に、フランク・シナトラが設立したリプリーズ・レコードに編曲家・演奏家として招かれ、アルバム「JAZZ POPS」(1962年)をリリースしました。自身の作曲"リル・ダーリン(Li'lDarlin')"はアルバム「Pardon My Doo-Wah」(1958年)に続いて2回目の録音です。ビヴラフォンをフューチャーした、ニール・ヘフティーらしいゆったりとした気持ちの良い演奏です。

 

 

 

 

 ニール・ヘフティーのアルバム「Pardon My Doo-Wah」(1958年)より、"リル・ダーリン"です。ビッグ・バンドにコーラスを配した、都会的でソフィスティケートされたアレンジです、

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1970年~73年の洋楽 ⑦ ゲイル・マコーミック「Gonna Be Allright Now」「涙の想い出」

 

 ゲイル・マコーミック(Gayle McCormic)の”Gonna Be Alright Now”です。ゲイル・マコーミックは1969年に結成されたロック・バンド「スミス(Smith)」の女性ヴォーカルで、スミス加入前にはポップ・グループ「GayleMcCormic&Cllasmenn」のリード・シンガーで数枚シングルをリリースしています。

 スミスはアルバム「A Group Called Smith」(1969年)、「Minus-Plus」(1970年)をダンヒル・レコード(Dunhill Record)からリリース、シングル・カットされた"ベイビー・イッツ・ユー(Baby It's You)"は全米5位にランク、年間チャートでも28位にランクされるミリオン・セラーなりました。スミスはロック・バンドでもダンヒルらしいポップ寄りのサウンドでした。

 グループ解散後ゲイル・マコーミックはソロ歌手としてデビューし、ダンヒル・レコードからソロ・アルバム「Gayle McCormic」(1971年)をリリース、プロデュースは前回のブログで紹介したグラスルーツの「恋は二人のハーモニー」を作曲したブライアン・ポッター(Braian Potter)とデニス・ランバート(Dennis Lambert)のコンビです。アルバム中5曲が2人のナンバーで、残りの5曲はカーペンターズの"スーパー・スター(Super Star)"などのカヴァーです。

 UPしたのはアルバム「Gayle McCormic」から"Gonna Be Allright Now"(ブライアン・ポッターとデニス・ランバート作曲)で、米国ではシングルがリリースされましたが、100位以内にも入りませんでした。日本ではシングルは発売されていないと思います。とても良い曲(メロディー)で、特にサビのGonna Be Allright Nowからが素晴らしく何度も聴いてしまいました。なぜこんな良い曲がヒットしなかったのか不思議で、隠れた1970年代ポップスの名曲だと思います。

 

 

 

 ゲイル・マコーミックの"涙の思い出(It' Crying Shame)"(東芝HR-2906)で、ブライアン・ポッターとデニス・ランバートの作品です。1971年秋には全米44位にランクされました。日本でこの曲はソウルファン・クラブ系の人達に近年再評価され人気があります。ソロ・アルバムからは3枚目のシングル、ミラクルズ(Miracles)のカヴァー"私に首ったけ(You Really Got Hold on Me)"(東芝IPR-2993)がリリースされ、全米98位にランクされました。

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1970~73年の洋楽 ⑥ グラス・ルーツ「恋はすばやく」「恋は二人のハーモニー」

 

 グラス・ルーツ(Grass Roots)が米国で1971年3月にリリースした"恋はすばやく(Sooner Or Later)"(東芝HR-2831)で、全米9位にランクされました。

 グラス・ルーツらしい明るく楽しいポップスで、メロディーも親しみやすく、日本でも”恋は二人のハーモニー(Two Devided Love)”と並ぶヒットになりました。日本のポップス・ファンでも好きな人が多いと思います。「八木誠のヒットチャート大事典」では1971年年間チャート18位に選ばれています。

 

 

 

 グラス・ルーツが米国で1971年10月にリリースした”恋は二人のハーモニー(Two Devided Love)"(東芝HR-2922)で、全米16位にランクされました。

 "燃ゆる瞳"、"恋はすばやく"とヒットが続き、グラス・ルーツが最も人気のあった時なので、日本でも人気ナンバーになりました。文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では12月12日に34位で初登場、1972年2月6、13、20日に最高位4位、4月9日に29位までランクされました。「八木誠のヒットチャート大事典」では1971年年間チャート41位、1972年26位に選ばれています。

 作詞・作曲はデニス・ランバート(Dennis Lambert)とブライアン・ポッター(Brian Potter)で、二人は1971年~73年にグラス・ルーツだけでなくゲイル・マコーミックの"イッツ・クライン・シェイム"、ハミルトン・ジョー・フランク・アンド・レイノルズの"恋のかけひき"、フォー・トップスの"エイント・ノー・ウーマン"などダンヒル・サウンドを代表する名曲を残しています。。

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1970年~73年の洋楽 ⑤ グラス・ルーツ「燃ゆる瞳」「カム・オン・アンド・セイ・イット」

 

 グラス・ルーツ(Grass Roots)が"カム・オン・アンド・セイ・イット(Come & Say It)"に続いて、米国で1970年12月にリリースした"燃ゆる瞳(Temptation Eyes)"(東芝HR-2728)です。全米15位にランクされました。日本では1971年になってから発売されました。

 日本でも"ペイン(恋の傷跡)"、"ベイビー・ホールド・オン"がヒットした後なので知名度も上がり、ラジオのヒット・チャートにもランク・インしました。今聴いても良い曲ですね。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1971年年間チャート17位に選ばれています。

 

 

 

 グラス・ルーツの1970年米国で3枚目のシングル、"カム・オン・アンド・セイ・イット(Come & Say It)"(東芝HR-2663)です。メロディーがやや単調で全米61位に終わり、日本でもヒットにはなりませんでした。

 

 

 

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1970~73年の洋楽 ④グラスルーツ「ペイン(恋の傷跡)」「ベイビー・ホールド・オン」

 

 グラス・ルーツ(Grass Roots)の日本でのみシングル・カットされた"ペイン(恋の傷跡)(Pain)"(東芝HR-2501)です。米国で1969年1月にリリースされたアルバム「Lovin Things」に収録されています。

 グラス・ルーツのナンバーで、日本で初めてラジオのヒット・チャートにランクインしました。「オール・ジャパン・ポップ20」で1970年6月13日に33位に初登場、7月5日に最高位32位、7月12日40位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1970年年間チャート25位に選ばれています。

 

 

 

 グラス・ルーツが1970年にWalking Through the Country"に続いてリリースした「ベイビー・ホールド・オン(Baby Hold on)」(東芝HR=2539)で、全米35位にランクされました。グラス・ルーツらしいとしか言いようのない、明るくカラットしたポップスです。日本では"ペイン(恋の傷跡)のヒットの後に発売されました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1970年年間チャート76位に選ばれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1969年のポップス ⑯ グラス・ルーツ「百万年の想い」「神に願いを」

 

 グラス・ルーツ(Grass Roots)が米国で1969年6月にリリースした”百万年の想い(I'd Wait Million Years)“(東芝HR-2416)で、全米15位にランクされました。日本では1969年11月に発売されました。ラジオのヒット・チャートには入りませんでしたが、今聴いても色あせないナンバーで、日本でもグラス・ルーツが多くのポップスファンに注目されるきっかけになりました。

 

 

 

 グラス・ルーツ(Grass Roots)が”百万年の想い"に続いて、1969年に米国でリリースした"神に願いを(Heaven Knows)"(東芝HR-2416)で、全米24位にランクされました。日本では1970年になってから発売されました。グラス・ルーツらしい、からっと明るく楽しいポップスで、暗く重く難しいロックの時代の一服の清涼剤と言ってもよいです。

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1969年のポップス ⑮ グラス・ルーツ「いとしのベラリンダ」「Lovin Things」

 

 グラス・ルーツ(Grass Roots)はフォーク・ロックからブラス・サウンドをフューチャーしたからっと明るいポップ・グループに変わり、ダンヒル・レコード(Dunhill Record))を代表するバンドとして、1968年からヒット曲を次々とチャートインさせていきました。メンバーはロブ・グリル(vocal, bass,)、ウォーレン・エントナー(vocal, Guiter, keyboards)、リック・クーンス(drums)、クリード・ブラットン(lead guitar)は1969年初頭に脱退、デニス・プロヴァイザー(Voval Keaboard)にに交代します。プロデュースはスティーブ・バリー(Steve Barry)です。

 ”Melody for You"は123位、"Feelings"はチャートインしませんでしたが、1968年6月にリリースした”真夜中の誓い(Midnight Confessiは全米5位にランクされるヒット曲になりました。日本では12月に発売され、TBSラジオ「東芝ヒットパレード」では12月13日に20位で初登場、1969年1月17日.24日、31日に11位にランクされました。

 UPしたのは”いとしのベラリンダ(Bella Linda)”(東芝HR-2181)で、米国では8月にリリースされビルボードで28位にランクされました。オリジナルはイタリアのカンタトゥーレ、ルチオ・バティスティー(Lucio Battisti)が1968年4月にリリース、作曲・作詞はルチオ・バティスティーとモゴール(Mogol)です。日本では1969年の1月に発売され「東芝ヒットパレード」では1月31日に20位にランクされました。

 

 

 

 グラス・ルーツの”Lovin Things”です。アメリカでは1969年2月にリリースされ全米35位にランクされました。オリジナルはイギリスのポップ・グループ、マーマレード(Marmalade)が1968年にリリース、全英6位にランクされました。日本ではシングル盤の発売はなかったと思いますが、グラス・ルーツらしい明るくて楽しいアメリカンポップスです。

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