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1966年のポップス ㉚ ベンチャーズ 「ブルー・スター」レス・バクスター(1955年)

 

 

 ベンチャーズが日本で1966年9月にリリースした”ブルー・スター(Blue Star)”です。米国で1954年から1956年に放映されたテレビ・ドラマ「The Medic)」のテーマ曲で、映画音楽の巨匠ヴィクター・ヤングの作曲です。ベンチャーズの演奏は原曲のメロディーの美しさを描き出した素晴らしいアレンジです。米国では1966年にリリースされ、120位にランクされました。B面は日本と同じ”カミング・ホーム・ベイビー(Comin' Home Baby)"です。

 シャドウズが1961年にレコーディング、シングル”Shadoogie”のB面でリリース、ファースト・アルバム「The Shadows」に収録されています。

 文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」では1966年9月15日に20位で初登場、11月3日に最高位4位、12月1日まで18位にランクされました。

 

 

 

 

 レス・バクスター(Les Baxter)楽団の演奏がテレビ・ドラマ「the Medic」のテーマに使われました。

 シングル”The Medic-Theme(Blue Moon)”は、”Unchained Melody”のB面で、米国では1955年2月にリリースされました。

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1966年のポップス ㉙フランス・ギャル「天使のためいき」「すてきな王子様(日本語版)」

 

 

 フランス・ギャルは”夢見るシャンソン人形”のヒットに続いて、”涙のシャンソン日記”が1965年12月に発売され、文化放送「9500万のポピュラーリクエスト」では1966年1月27日。2月3日に1位にランクされるヒットになりました。

 1966年3月には”天使のためいき(Nous ne sommes pas des anges)”(PHILIPS SFL-1040)をリリース、B面はフランスと同じで”アメリカ万歳(L'Amerique)”です。文化放送「9500万のポピュラーリクエスト」では1966年3月3日に21位で初登場、4月7日に2位、5月12日に20位までランクされました。「TBS今週のベスト10」では3月6日に17位で初登場、4月3日に8位、4月24日に14位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1966年年間チャートで52位に選ばれています。

 

 

 

 フランス・ギャルの”すてきな王子様(Un prince charmant)”の日本語版(PHILIPS SFL-1060)で、1966年8月に発売されました。B面は”私の恋は(Faut-Il Que Je T'Aime)です。

 ”すてきな王子様”の仏語版は1996年5月に発売され、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1966年年間チャートで72位に選ばれています。

 

 

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1966年のポップス ㉘ ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス「蜜の味」「ワーク・ソング」

 

 

 ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス( Herb Alpert & the Tijuana Brass)の「蜜の味(TheTaste of Honey)です。ハーブ・アルパート(1935年~)はトランペット奏者・作曲家・編曲家・歌手・プロデューサーで1962年にジェリー・モス(Jerry MOss)とA&Mレコードを設立、「ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス」のグループ名でファースト・アルバム「The Lonley Bull」を1962年にリリースしました。

 ティファナ・ブラスはアメリアッチ・サウンドと呼ばれるメキシコ風のサウンドで人気を博し、アルバム「The Lonley Bull」は10位にランク、同名のシングルも6位ランクされました。アルバム「Volume 2」(1963年)は17位、「South of Border」(1963年)は6位、「Whipped Cream & Other Delights」(1964年)はシングル”蜜の味”がヒットし、アルバム・チャートで1位にランクされました。

 ”蜜の味”はボビー・スコット(Bobby Scott)とリック・マーロー(Rick Marlow)の作品で、英国の演劇”蜜の味”(1958年)のために書かれました。米国ではハーブ・アルパートとティファナ・ブラスのシングルが1965年に全米7位にランクされ、グラミー賞を受賞しました。日本でもヒットし、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1966年年間チャートで29位に選ばれています。

 

 

 

 ハーブ・アルパートとティファナ・ブラスの”ワークソング(Work Song)”です。米国では1966年に最高位18位にランクされました。ジャズ・トランペット奏者のナット・アダレイ(Nat Adderley)の作曲で、7枚目のアルバム「S,R,O」に収録されています。

 文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」では1966年9月8日に20位で初登場、10月13日に最高位7位、10月27日13位までランクされました。「TBS今週のベスト10」では7月31位に15位で初登場、9月11日に2位、10月23日17位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1966年年間チャート21位に選ばれています。

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1966年のポップス ㉗ モンキーズ「恋の終列車」「モンキーズのテーマ」

 

 

 モンキーズのデビュー・ヒット曲”恋の終列車(Last Train to Crarksville)”です。作詞・作曲はトミー・ヴォイスとボビー・ハートです。モンキーズはテレビ・シリーズとレコーディング企画のためのオーディションによって選ばれた、デイビー・ジョーンズ(Vocal)、マイク・ネスミス(Bass,Vocal)、ミッキー・ドレンツ(Drum,Vocals)、ピーター・トーク(Guiter)からなる4人組のポップ・グループです。テレビ番組「The Monkees Show」は1966~68年まで米国だけでなく日本でも放映されました。

 ファースト・アルバム「The Monkees」は1966年10月にリリースされ、全米・全英1位にランクされる大ヒットになりました。プロデュースはトミー・ヴォイス(Tommy Voice)とボビー・ハート(Bobby Hart)を中心に一部はマイク・ネスミによって行われました。アルバム中"自由になりたい(I Wanna Be Free)"など6曲がボイス・アンド・ハートの作品で、他6曲はゲリー・ゴフィン、キャロル・キング(Gerry Goffin, Carole King)、マイク・ネスミス、デヴィッド・ゲイツDavid Gates)の作品です

 ”恋の終列車(Last Train to Crarksville)”は1966年8月にリリースされ、ビルボードで1位にランク、1966年の年間チャートでも6位にランクされました。日本ではTBS「今週のベスト10」で11月6日に20位で初登場、12月11日に最高位3位、1967年3月5日17位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1966年年間チャートで37位、1967年年間チャートで30位に選ばれています。

 

 

 

 

 テレビ番組「ザ・モンキーズ・ショー」のタイトル・ソング、”モンキーズのテーマ(Theme from) The monkees)”です。ボイス・アンド・ハート(Tommy Voice&Bobby Hart)の作品です。米国ではシングル盤はリリースされず、日本、オーストラリア、メキシコなどの国でリリースされヒットしました。

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1966年のポップス ㉖ ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ「When Summer Is Gone」「ペイント・ミー・ア・ピクチャー」

 

 ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ(Gary Lewis & Playboys)の1966年のアルバム「(You Don't Have to) Paint Me a Picture」から”When Summer Is Gonです。この曲はシングル・カットされていませんが、You Tubeでは”恋のダイアモンド・リング”より人気があり、100万回以上聴かれています。過行く夏の想い出を歌ったメランコリックなバラードで、カントリーぽいアレンジがアメリカ人には受けるのでしょうか。

 

 

 

 ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ(Gary Lewis & Playboys)の9枚目のシングル、”ペイント・ミー・ア・ピクチャー(You Don't Have to) Paint Me a Picture”(東芝LR-1623)は、1966年9月に米国でリリースされ、最高位15位にランクされました。

 この曲は米国と日本ではB面が違い、米国では”Looking For the Stars"、日本では、”グリーングラス(Green Grass)”のB面 ”I Can Read Between the Lines"が使われました。    (Kann Dorao)

 

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1966年のポップス ㉕ ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ「わが心のシンフォニー」「可愛いティナ」

 

 ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ(Gary Lewis & Playboys)の8枚目のシングル、”わが心のシンフォニー(My Heart's Symphony)”(東芝LR-1580)です。米国では1966年7月にリリースされ、最高位13位にランクされました。

 日本では1966年7月に発売され、文化放送「9500万人のポピュラー・リクエスト」にはランク・インされませんでした。TBS「東芝ヒットパレード」では10月7日に初登場、12月2日に最高位6位を記録しました。

 

 

 

 ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ(Gary Lewis & Playboys)の8枚目のシングル、”わが心のシンフォニー”のB面”Tina (I Held You in My Arms)"(可愛いティナ)です。ソフトでロマンティックなバラードです。  (Kann Dorao)

 

 

 

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1966年のポプス ㉔ ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ「グリーングラス」「フォーゲット・ヒム 」

 

 ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ(Gary Lewis & Playboys)の7枚目のシングル、”グリーングラス(Green Grass)” (東芝LR-1529)です。米国では1966年に最高位8位にランクされました。この曲は米国と日本ではB面が違い、米国では"I Can Read Between the Lines"、日本ではボビー・ヴィー(Bobby Vee) の1960年のナンバーワン・ヒット、ラバー・ボール(Rubber Ball)”のカヴァーでした。

 日本では1966年7月に発売され、文化放送「9500万人のポピュラー・リクエスト」で7月7日に21位に初登場、1966年8月4、11、25日に最高位13位にランク、9月1日に16位までランクされました。TBS「東芝ヒットパレード」では8月26日に初登場、9月9日14位にランク、9月30日に19位までランクされました。

 ”恋のダイアモンド・リング”もポップスの名曲ですが、個人的にゲイリー・ルイスとプレイボーイズのナンバーで、”グリーングラス”が一番好きな曲です。

 

 

 

 ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ(Gary Lewis & Playboys)のファースト・アルバム「This Diamond Ring」(1964年)から、ボビー・ライデル(Bobby Rydell)のヒット曲”フォーゲット・ヒム(Forget Him)”(1963年)です。

 ゲイリー・ルイスとプレイボーイズのアルバムは、ヒット曲、オリジナル・ナンバーと他の歌手のヒット曲のカヴァーから構成されています。彼らの軽快で明るいヴォ-カルとサウンドはティーン・ポップス に合っていて、 特にこの”フォーゲット・ヒム”はオリジナルにまさる出来です。 (Kann Dorao)

 

 

 

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1966年のポップス ㉓ ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ「ひとりぼっちの涙」「恋を抱きしめたい」

 

 ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ(Gary Lewis & Playboys )の6枚目のシングル”ひとりぼっちの涙(Sure Gonna Miss You)"(東芝LR-1498)です。この曲は米国と日本ではB面が違い、米国では"I Don't Wanna Say Goodnight"、日本では”恋を抱きしめたい(We'll Work It Out)”です。

 米国では1966年に最高位9位にランクされました。日本では1966年5月に発売されました。

 日本では文化放送「9500万人のポピュラー・リクエスト」だけでなく、東芝レコードの音源だけの「東芝ヒットパレード」にもチャート・インせず、レコード会社の人がヒット性がないと判断してプッシュしなかったのでしょう。ただメロディーもアレンジも良くて、個人的にはゲイリー・ルイスとプレイボーイズのナンバーで好きな曲の一つです。

 

 

 

 ”ひとりぼっちの涙”の日本でのB面”恋を抱きしめたい(We'll Work It Out)”です。シングル・カットされなかったのがもったいないと感じるほどの良い曲で、この曲をB面にした東芝レコードの洋楽部の人の音楽センスは素晴らしいと思います。     (Kann Dorao)

 

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1966年のポップス ㉑ 「虹とともに消えた恋」 P.P.M 「虹とともに」 オーヴァー・ランダーズ

 
 
 ピ-ター・ポール・アンド・マリー(Peter Paul & Mary) は、ピーター・ヤーロウ、ノエル・ポール・ストゥキー、マリー・トラヴァースの3人からなるフォーク・トリオです。
 1962年に”レモン・トゥリーで”レコードデビュー、以降”パフ”、”風に吹かれて”、な
どがヒットし、キングストン・トリオ、ブラザース・フォーと並ぶモダン・フォーク・グループとして、多くの人達に親しまれました。 
 ”虹とともに消えた恋(Gone the Rainbow)”は、米国では1962年に,セカンド・シングル”天使のハンマー(If I Had Hammer"のB面でリリースされました。日本では当時からベストアルバムに収録されるほど人気があり、1966年の9月にシングル・カットされました。なおこの曲は、英国のフォーク・グループ、「オーヴァー・ランダーズ」のシングルも同時にリリースされました。
 文化放送「9500万人のリクエスト」では、ピ-ター・ポール・アンド・マリーとオーヴァー・ランダーズ両方が10月6日に18位で初登場、11月24日、12日1位に1位にランク、1967年2月2日に17位までランクされました。
 TBS「今週のベスト10」では、ピ-ター・ポール・アンド・マリーのが歌が9月18日に20位で初登場、10月30日に最高位6位、12月4日19位までランクされました。 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」の「1966年間ベスト100」ではピ-ター・ポール・アンド・マリー版が39位に選ばれています。
   
 
 

 

  オーヴァー・ランダーズ(Over Landers)は英国のフォークグループで、”虹とともに消えた恋(Gone the Rainbow)”は、英国では1964年にシングル"Yestarday's Gone"のB面でリリースされました。日本ではピ-ター・ポール・アンド・マリーとの共作として、”虹とともに”のタイトルで1966年に発売されました。     (Kann Dorao)
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1966年のポップス ⑳ ウォーカー・ブラザース 「もう聞きたくない」 「シェルブールの雨傘」

 
 
  ブログに書くためにウォーカー・ブラザースの曲を聞き直して、最も感銘をうけたのはファーストアルバムに収録された、ランディーニューマンの作品” もう聞きたくない (I Don't Want to Hear It Anymore)”です。シングルは英国、日本ともに未発売です。
 スコットの透き通った美しい声が感情豊かに、”I Don't Want to Hear It Anymore”と歌うところは、美しいストリングス・アレンジと相まって、思わず一緒に口ずさんでしまうほどで、何回も繰り返して聴いてしまいました。
 ウォーカー・ブラザースの来日した時のことを書くために引用させていただいたブログ『スコットウォーカー Scoot 音楽のみなもと』に、「ウォーカー・ブラザースの  ファースト・アルバムのなかで一番好きな曲は何ですかと、ファンの方々にアンケートをとったところ、”もう聞きたくない (I Don't Want to Hear It Anymore)”が一位でした。」と記されていました。この曲を聞いて感動したのは私だけではないのだと知って、とても嬉しかったです。
 

 

 
 
  ウォーカー・ブラザースの英国でのサード・アルバム「Images」から、映画「シェルブールの雨傘」のテーマ曲、”IWill Wait for You”です。
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