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ジョニー・マン・シンガーズ Johnny Mann Singers ”誰かが誰かを愛してる(Everybody Love Somebody)" "Like to Get to Know You"

 
   
 ジョニー・マンはアメリカのアレンジャー・作曲家で、コーラスグループのジョニー・マン・シンガーズのリーダーとして有名です。1950年代からコーラスグループとして数多くのアルバムをLiberty Recordに録音しています。
 日本では当時、東芝レコードから発売され、ビートルズ集やアソシェイションの”ウィンディー”やヤードバーズの”ハートフル・オフ・ソウル”などのポップスをイージーリスニング・コーラスにアレンジしたアルバムもリリースされています。
 アップしたのはアルバム「Invisible Tears」(1964年 Liberty)から、ディーン・マーティンの歌でヒットした”誰かが誰かを愛してる(Everybody love somebody)”です。コーラスが素敵で、昼下がりの穏やかな午後にのんびり聴くのにぴったりです。
 
 
 
 
 
 
 ジョニー・マン・シンガーズのアルバム「This Guy's in Love with You、The Look of Love」(1968年 Liberty)から、スパンキー・アンド・アワー・ギャングの1968年のヒット曲”Like to Get to Know You”です。原曲の魅力を活かした、素晴らしいコーラス・アレンジが聴けます。 (Kann Dorao)
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アニタ・カー Anita Kerr ⑥ (1971年~) 「I'm Getting Sentimental Over You」 「Everything Must Change」

 
 
 アニタ・カーは1970年に夫の母国スイスへ移住し、音楽活動の中心をヨーロッパに移し、ロンドンでイギリス人のメンバーを集め、アニタ・カー・シンガーズを再結成しました。アメリカの音楽シーンは1970年代から、「ポップス・ポピュラー音楽」から「ロック」に変わっていきました。アニタ・カーがコーラス・作曲・編曲・プロデュースをし、創り上げてきた音楽とは違った音楽が主流になっていったのです。
 UPした曲は、1972年にリリースされたアルバム「Sentimental Journey」(Philips)より、"I'm Getting Sentimental over You(センチになって)"です。このアルバムはタイトル曲や”I'll Never smile Again""A列車で行こう"などの1920~40年代に流行ったスタンダード・ナンバーを集めたものです。
 この曲はトミー・ドーシー楽団の演奏で1935年に録音され、トミー・ドーシーの柔らかく美しいトロンボーンの音色が心に残る名演として、楽団のテーマ曲になるほどの人気を博しました。アニタ・カーの歌とコーラスはトミー・ドーシーの原曲のイメージ、雰囲気にぴったりあっています。
 
 
 
 
 アニタ・カーは敬虔なキリスト教徒なので、音楽シーンの変化もあったのでしょうが、1975年からクリスチャン・ミュージックのアルバムを録音していき、1979年に久しぶりのポップス・アルバム「Together」(Philips)をリリースしました。
 UPしたのは「Together」より"Everything Must Change"です。アニタ・カーの声は艶やかで由紀さおりに似ています。
 ”全てのものは変わっていく”という歌詞は、アメリカに生まれ、ナッシュビルとロサンゼルスでポップス・ポピュラー・カントリー音楽の第一線で活躍をしていたアニタ・カーが、スイスに移住し、ロックの時代とともにクリスチャン・ミュージックに移っていった姿と重なってしまいます。この後アニタ・カーは、クリスチャン・ミュージックのアルバムしか録音していませんので、「Together」が最後のポップスアルバムになってしまいました。
 このブログを書くので、あらためてアニタ・カーの歌とコーラスを聴いたのですが、アニタ・カーの良さ、素晴らしさを再認識しました。   (Kann Dorao)
 
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アニタ カー Anita Kerr ⑤ (1969~70年) "You and I (Will Travel Far Together) "Happy Cat""

 

 

 アニタ・カーは1969年に、レコード会社をWarner BrothersからDot Recordに移り、「Reflect on the Hits of Bacharach and  David」(1969年)「Yestergroovin'」(1969年)「Velvet Voices and Bald Brass」(1969年)「Spend This Holliday with Me」(1970年)「Touch Love」(1970年)「It's Anita Kerr Country」(1970年)の6枚のアルバムをリリースしました。
 「Warner Brothers」はアメリカのメジャー・レーベルのなかで、Columbiaと並び、ロックへ移行したのがもっとも早い会社でした。アニタ・カーが「Warner」から、ポピューラー音楽のレコード会社「Dot」へ移ったのは時代の流れだったのでしょう。
 UPしたのは「Velvet Voices~」から、ピーター・オトゥール主演の音楽映画「チップス先生さようなら」(1969年)の挿入歌"You and I (Will Travel Far Together)”です。監督はハーバート・ロス、音楽はジョン・ウィリアムスで、作詞・作曲はレスリー・ブリッカスです。映画ではペトゥラ・クラークが歌っていました。
 
 
 
 
 
 
 アルバム「Touch Love」はアニタ・カーの作曲・アレンジ・プロデュースによる、インストゥルメンタル作品集です。UPした曲は「Happy Cat」です。
 
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アニタ カー Anita Kerr ④ (1966~68年) "The World We Knew"”Two Mexican Donkeys"

 
 
 
 
  アニタカーは1967年に、ドイツの指揮者・作曲家・編曲家のベルト・ケンプフェルトの曲を集めたアルバム「Bert Kaempfert Turns us on」をリリースしました。
  ベルト・ケンプフェルトは1950年代から音楽活動を始め、1958年には”真夜中のブルース(Midnight Blues)"が日本でヒット、その後も”愛の誓い(Till)””星空のブルース(Wonderland by night)””ブルーレディーに紅いバラ(Red Roses for Blue Lady)”ダンケ・シェーン”などがヒットしました。作曲家としても"Stranger in the Night(夜のストランジャー)”(フランク・シナトラ)、”Love"(ナット・キング・コール)、”Swinging' Safari"(ビリー・ヴォーンなど数多くあります。
 UPしたのはアニタ・カー・シンガーズのアルバム「Bert Kaempfert Turns us on」から”The Word We Knew」です。
 
 
 
 
 
 
 イメージ 1アニタ・カー・シンガーズは、「メキシカリ・シンガーズ(Mexicari Singers)」の変名で「Mexicali Singers」(1966年)「Further Adventures of」(1966年)「Ride Again」(1967年)の3枚のアルバムをリリースしています。
 UPしたのは、2ndアルバムから"Tow Mexican Donkeys"です。”タパタパタパ”のスキャットが可愛らしい、楽しい曲です。
 
 
 
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アニタ カー Anita Kerr ③ (1966~68年)

 
 
 アニタ・カーはカントリー以外の音楽に専念するために、1966年にナッシュビルからロサンゼルスに活動の場を移します。ワーナー・ブラザースと契約し、「And Now...The Anita Kerr Orchestra」(1966年)「Slightly Baroque」(1966年)「Bert Kempfert Turns us on」1967年)「All you Need is Love」(1967年)「Sounds」(1968年)の5枚のアルバムをリリースしました。
 1960年代年半ばには、ビートルズなどのビートグループの影響によって、アメリカのポップスが大きく変化していきました。1966年にはアソシエイションの”チェリッシュ”が全米1位になり、ハーパース・ビザールなどのソフトロックと呼ばれる、高度なアレンジとコーラスハーモニーを駆使したポップスが台頭していきました。また洗練された音楽「ボサノヴァ」が人気になり、1964年にはアメリカ中のラジオやテレビで”イパネマの娘”が流れるようにイメージ 2なるほどでした。
 ボサノヴァのアントニオ・カルロ・スジョビンがワーナーからアルバムをリリースし、アソシエイションやハーパース・ビザールもワーナーのグループでした。ソフトで美しいコーラスハーモニーのアニタ・カーが、ワーナーからアルバムをリリースしていったのは時代の必然だったのかもしれません。
  UPしたのはアルバム「All you Need is Love」(1967年)から、フランキー・ヴァリーのヒット曲”I Make a Fool of Myself"(Bob Crewの名作)です。アニタ・カーのアレンジとコーラスがすばらしく、ワーナーブラザーズ時代の録音で一番好きな曲です。  
 
 
 
  
 アルバム「Sightly Baroque」(1966年)から、トニー・ハッチ作曲の"My Love"です。トニー・ハッチのポップな感覚と、アニタ・カーのスウィングするコーラスがよく合っています。
 
  
 
 
 
 ルバム「Slightly Baroque」収録、ミュージカル「キャメロット」より”If Ever I would Leave you"です。
 「キャメロット」は「マイ・フェア・レディー」と同じ、フレデリック・ロー作曲アラン・ジェイ・ラーナー作詞コンビの作品で、ジュリー・アンドリュースとリチャード・バートン主演で、ブロードウェイ(1960年初演)で大ヒットしました。1967年に「南太平洋」のジョシュア・ローガン監督、リチャード・ハリス、ヴァネッサ・レッドグレーブの主演で映画化されました。
 この曲はミュージカル・ナンバーなので、朗々と歌いあげる場合が多いのですが、静謐で美しいオーケストラと、ソフトなコーラスをほどこしたアニタカーのアレンジがすばらしく、曲の良さが最大限に引き出されています。   (Kann Dorao)
 
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アニタ カー ② Anita Kerr (1961~65年)

    
   アニタ・カー・シンガーズは1961年に、RCA Victorと契約します。アニタ・カー・シンイメージ 1ガーズはアニタ・カーのアレンジで、ブレンダ・リー、ペリー・コモ、パット・ブーン、ローズマリー・クルーニー、ロイ・オービソンなどRCAのトップミュージシャンの録音に数多く参加、チェットアトキンス・ジムリーブスとヨーロッパ・ツアーもしました。
 またアニタ・カー・シンガーズ、アニタ・カー・クァルテットとして「From Nashville」(1962年)「Vocal Stylings of ~」(1962年)「Tender Words」(1963年)「Mellow Moods of Love」(1965年)「We Dig Mancini」(1965年)「Sunday Serenade」(1965年)の6枚のアルバムをリリースしました。
イメージ 2 特にヘンリー・マンシーニの曲を集めた「We Dig Mancini」は、グラミー賞の「最優秀ヴォーカルグループ賞」(1964年)を獲得しました。
アニタ・カーとヘンリー・マンシーニのソフトで優雅、繊細で美しい音楽性がぴったりと合った名盤です。UPした曲はオードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」(1961年)から「アカデミー歌曲賞」を受賞した”ムーンリバー”です。
 
 
 
  
 「We Dig Mancini」より、1964年の映画「ディア・ハート」(日本未公開、「ニューヨ   ークの恋人」の題名でテレビ放映)からテーマ曲です。
 
 
 
  
 
 1960年代にRCA Victorは、「Living Voices」の名前でイージー・リスニング・コーラスのアルバムをリリースしていました。アニタ・カーは自らのグループ以外で「Living Voices」の名前でアレンジとプロデュースをしています。
 UPした曲はチャップリンの映画「モダン・タイムス」(1936年)より”スマイル”です。  ボサノヴァ・タッチの爽やかで明るいポップなアレンジで、「Living Voices」の録音でも、ソフトでスマートなアニタ・カーらしさが発揮されています。   (Kann Dorao)
   
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アニタ カー Antta Kerr ①(~1960年)

 

 

 アニタ・カーはアメリカの歌手・編曲家・作曲家・プロデューサーで、特にアニタ・カーイメージ 1シンガーズのリーダーとして知られています。
 アニタ・カーはメンフィスに生まれ、カントリー&ウェスタンの本拠地のナッシュビルで音楽活動を始めました。コーラスグループのリーダーとして、レッド・フォーリー、エディー・アーノルド、アーネスト・タブなどの録音に参加、多い時には週に8回のセッションンもあったそうです。
 1956年にはテレビ番組の「アーサー・ゴッドフレイ・タレント・スカウト」で優勝し、テレビの音楽番組に出演、コーラスグループ、編曲家としてますます多くのレコーディーングに参加していきます。
 アニタ・カー・シンガーズとしては、1950年代にDecca、Sesacにシングルとアルバムを録音しています。バックコーラスではカントリー系が多いのですが、自身のグループでは、男女混声のパイド・パイパーズを想わせるようなイージーリスニング、ジャズコーラスになっています。
 UPしたのは1957年のアルバム「Four Voices in Hifi」(Decca)から、Joe Burke作曲のスタンダードナンバーの”For You”です。
 
  
 
 
 
 アルバム「Four Voices in Hifi」から、ハリー・ウォーレン作曲の"You're My Everyting"です。チェレステを印象的につかった、夢見心地の美しく優しいコーラスハーモニーです。  
 
 
 
 
 
 アルバム「Four in Voices」より、スタンダード・ナンバーの”Once in a While”です。
 
 
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JACKIE GLEASON「 BUT BEAUTIFUL」 ジャッキーグリースン「 バット ビューティフル」

 
 
 アメリカの1950~60年代のイージーリスニングは、アレンジが多彩で、オーケストラごとに個性があり、サウンドの違いを楽しめます。
 ジャッキー・グリースンもストリングス・アレンジに特徴があり、控えめに録音されたピアノが効果を出しています。ソロもトランペットのボビー・ハケットや、アルトサックスのチャーリー・ヴェンチェラなど、一流のジャズミュージシャンを起用しています。
 UPした動画はバーク&ヴァンヒューゼンのスタンダードナンバーの「BUT BEAUTIFUL」です。この曲ではストリングスとピアノにヴァイフラフォンを加えた編曲が素晴らしく、まどろむような安らぎに満ちています。
 1990年代以降、「癒しの音楽」と呼ばれるものが流行しましたが、アメリカの1950~60年代のイージ-リスニングこそ、高い音楽性を持った「癒しの音楽」ではないでしょうか。   (Kann Dorao)
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JACKIE GLEASON 「THE LAST DANCE」 ジャッキーグリースン 「ザ ラスト ダンス」

 
 
 イージーリスニング(ムード音楽)は1950年~70年代頃まで日本で人気があり、ラジオでもよく曲がかかってていました。パーシー・フェイス”夏の日の恋”、マントヴァーニー”魅惑の宵”、ニニ・ロッソ”夜空のトランペット”、ポール・モーリア”エーゲ海の真珠”、レーモン・ルフェーブル”シバの女王”など、曲名は知らなくても、耳にした方は多いと思います。FMの深夜放送「ジェット・ストリーム」はイージーリスニングの専門番組として、城達也氏の名ナレーションで人気がありました。
 アメリカでは1940年代後半からEASYLISTENING、MOOD MUSICという言葉が使われ始め、1950~60年代に最盛期を迎えました。アメリカのイージーリスニングの特徴はジャズの編曲家やプレーヤーが参加していること、そして1940~50年代はアメリカの映画・ミュージカル・ポピュラー音楽の全盛時代で、珠玉のスタンダードナンバーに素晴らしいアレンジが施され演奏されていることです。
 イメージ 1またジャッキー・グリースンは俳優、コメディアンとしても有名で、1950~60年代のTV音楽番組「ジャッキー・グリースンショー」のホストとしても人気がありました。映画の代表作はポール・ニューマンの「ハスラー」で、1970年代の映画「トランザム7000」シリーズでは憎まれ保安官役で出演していました。
 1952年からCAPITOL RECORDにイージーリスニングのバンドリーダーとして録音を始めました。UPした動画は1962年のアルバム「LAST DANCE FOR LOVERS ONLY」から、サミー・カーン、ジミー・ヴァン・ヒューゼンのスタンダードナンバー”THE LAST DANCE”です。ジャージーで美しいストリングス、ボビー・ハケットのトランペットソロ、『ジャッキー・グリースンサウンド』の魅力にあふれた演奏です。  (Kann Dorao)
 
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アニタ・カー 「ムーン・リバー」 Anita Kerr Qurtet”「Moon River” アルバム「We Dig Mancini」より

 
 イメージ 1 好きな映画音楽の作曲家BEST3は、ヘンリー・マンシーニとニール・ヘフティーとジョン・バリーです。
 UPした画像は、アニタ・カー・クァルテットの1965年のアルバム「WE DIG MANCINI」(RCA VICTOR)から、ヘンリー・マンシーニの「ムーンリバー」です。韓国ドラマ「パリの恋人」(2004年)でも使われていました。
 
 
イメージ 2 アニタ・カーはコーラスグループのリーダー、編曲者として活躍し、多くのアルバムをリリースしています。アニタ・カー・クァルテットが、ヘンリー・マンシーニの曲を集めて歌ったこのアルバムは、2人の音楽性がぴったりで、マンシーニ集として、コーラスグループのアルバムとして素晴らしい作品です。   (Kann dorao)
 
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