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1967年のポップス ㊲ バッキンガムズ 「ドント・ユー・ケアー」 「ロウディー・ミス・クロウディー」

 

 米国の5人組グループ、バッキンガムズ(Buckinghams)は1966年にUSAレコードより”カインド・オブ・ア・ドラッグ(Kind of a Drag)”でデビュー、全米1位にランクされる大ヒットになりました。続いてシングル”ロウディー・ミス・クロウディー(Lawdy Miss Claudy)”をリリースしました。

 1967年にはコロムビアに移籍、後にシカゴやBSTのプロデューサーとして名をはせたジェイムス・ウィリアムス・ガルシアのもと、”ドント・ユー・ケアー(Don't You Care)”や”マーシー・マーシー・マーシー(Mercy Mercy Mercy)”などのヒットを放ちました。

 ”ドント・ユー・ケアー”は米国では1967年3月にリリースされ、ビルボードのチャートで最高位6位にランクされました。心地よいメロディーとヴォーカル、センスの良いアレンジ、BSTのファーストアルバムを連想してしまいます。

 日本では文化放送「オールジャパンポップ20」で6月15日に20位で初登場、7月16日に12位にランクされました。

 

 

 バッキンガムズの”カインド・オブ・ア・ドラッグ”に続く、USAレコードからのシングル”ロウディー・ミス・クロウディー”です。オリジナルはニューオリンズのR&B歌手で作曲家、ロイド・プライス(Lloyd Price)の1952年のヒット・ナンバーです。ビルボードのR&Bチャートで7週間1位にランクされました。

 バッキンガムズの”ロウディー・ミス・クロウディー”は、米国では1967年代初頭に最高位41位にランクされました。

 日本ではTBS「今週のベスト10」で6月14日に初登場、1週のみのランクになりました。文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では6月8日20位で初登場、7月16日に最高位8位、7月30日19位までランクされました。

 

 

 

 

 

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1967~70年の映画音楽 ⑮ 「ふたりだけの窓」 ポールマッカートニー Paul Mccartney "The Family Way"

 
 
イメージ 1「ふたりだけの窓」は1967年のイギリス映画です。労働者階級の若い二人(ヘイリーミルズ、ハイウェル・ベネット)が結婚しますが、新婚旅行は旅行会社がインチキで行けなくなり、両親や家族との同居は窮屈なことばかり、さらに愛し合う二人の間にもいろいろな問題が起きてきてというホームドラマです。DVDは日本で2005年に発売されていますが、廃盤になっています。
イメージ 2 音楽を担当したのがビートルズのポール・マッカートニーで、ポールらしい、しっとりしていながら、暖かでポップなメロディーが印象的な曲です。
 当時イギリスではサントラLPが発売されましたが、日本ではシングル盤のみの発売でした。CDは輸入盤で発売されていて入手可能です。   (Kann Dorao)
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1967年~70年の映画音楽 ⑭ 「スパイ大作戦」 ラロ・シフリン LALO SHIFRIN "MISSION IMPOSSIBLE" 

 
 
 ラロ・シフリン(Lalo Shifrin)は映画だけではなく、1965年から1967年にテレビ・シリーズの「0011ナポレオンソロ」「マニックス」「バークレイ牧場」「The CAT(JIMMY SMITHの演奏で有名)」を作曲しました。
 UPした動画は1968年のテレビドラマ「スパイ大作戦(Mission Impossible)」です。このドラマは1996年にダニー・エルフマンの音楽で、「ミッション・インポシブル」の題名で映画化されました。このテーマ曲もロック風イメージ 2にアレンジされていましたが、圧倒的にテレビのオリジナルのほうが良いです。
 パーカッションとフルートのイントロ、変拍子を使ったリズム、躍動感あふれるブラス・サウンドとオーケストラ、ジャズピアニストであるラロシフリンのキーボード・ソロ。とにかく今聴いても、現代的でセンスのいい素晴らしいアレンジです。ジョンバリーの”007”シリーズと共に1960年代のスパイ映画を代表する音楽です。   (Kann Dorao)
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1961年のポップス ③ スティーヴ・ローレンス 「悲しき足音」「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」

 

 スティーヴ・ローレンス(Steve Lawrence)(1935年生~)は1952年にアーサー・ゴッドフリーのタレント・スカウトで優勝したのをきっかけにキングレコードに入社、その後コーラル、ABCパラマウント、ユナイテッド・アーティストなどに在籍しました。1957年にはイーディー・ゴーメ(Eadie Gorme)と結婚、ソロ歌手だけでなく奥様とコンビで活躍しました。1962年には二人揃ってCBSに移り、ソロ・アルバム以外に、ルイス・ボンフ(Luiz Bonfa)ァと共演したアルバム「Steve & Eadie,Vonfa & Brazil」などのアルバムをリリースしました。

「悲しき足音(Foot Steps)」は米国では1960年4月にリリース、最高位4位にランクされるヒットになりました。作曲はバリー・マン(Barry Mann)です。

 日本では1961年に発売され、「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では1961年の年間ランキングで16位、1962年年間ランキングでは40位に選ばれまています。またこの曲は日本では1968年にリバイバル・ヒットし、「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では1968年年間ランキング88位に選ばれています。

 

 

 

 「ゴー・アウェイ・リトル・ガール(Go Away Little Girl)」はキャロ・ルキング(Carol King )、ジェリー・ゴフィン(Gerry Goffin)、コンビによる作品で、ボビー・ヴィー(Bobby Vee)が1962年5月に初レコーディングしました。

 スティーヴ・ローレンス(Steve Lawrence)は1962年11月にリリース、1963年1月にはビルボードで1位にランクされるヒットになりました。この曲はオズモンド・ブラザーズのダニー・オズモンドが1971年にカヴァー、ビルボードで1位に3週ランクされました。

 

 

 

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A・C・Jobim ㊸ 「ヂンヂ」 ブロッサム・ディアリー、アストラッド・ジルベルト

 アントニオ・カルロス・ジョビン作曲の”ヂンヂ"(Dindi)はフランク・シナトラのアルバム「Francis Albert Sinatra & Antonio Carlos Jobim」(1967年)に収録されています。

 1980年代以降にはサラ・ヴォーン(Sarah Vaughn)、エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)、リタ・ライス(Rita Ryce)、エリアーヌ・エリアス(Eliane Elias)など多くの歌手や演奏家によってカヴァーされました。

 

 

 アメリカの女性ジャズ・ヴォーカリスト、ブロッサム・ディアリー(Blossom Dearie)のアルバム「Soon It's Gonna Rain」(1967年)から”ヂンヂ"(Dindi)です。ブロッサム・ディアリーといえばウィスパー・ヴォイスだけがとりあげられますが、1950年代にVerve レコードに録音したアルバムを聴けば、スウィングするピアノとヴォーカルが一級品であることがわかります。

 

 

 

 アストラッド・ジルベルト(Astrad Gilbert)のアルバム「The Album)1965年から”ヂンヂ"(Dindi)です。

 

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A・C・JOBIM ㊷ 「ヂンヂ」 アントニオ・カルロス・ジョビン

 

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)のアルバム「The Wonderful World Antoni Carlos Jobim 」(1965年)から、”ヂンヂ(Dindi)”です。ジョビンにとっての初レコーディーグになります。

 

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「Terra Brazilis」(1980年)から”ヂンヂ”(Dindi)です。クラウス・オーガーマンのオーケストレーションをバックに丁寧に歌うジョビンのヴォーカルは、上手いとはいえませんが味わい深いです。

 

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「Live at Minus」(1981年のライヴ録音、リリースは2004年)から、ピアノ弾き語りで”ヂンヂ”(Dindi)”です。

 

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A・C・Jobim ㊶ 「ヂンヂ」 シルヴィア・テリス

 

 シルヴィア・テリス(Sylvia Telles()のアルバム「The Music Of Jobim」(ELENCO)(1965年)は、彼女にとって2枚目のアントニオ・カルロス・ジョビン集で、12曲中11曲がジョビンのナンバーです。米国では「Sylvia Telles Sings the Wonderful Song of Jobim」(1965年)のタイトルでKAPPレコードからリリースされました。

 シルヴィア・テリスのアルバム「The Music Of Jobim」から”ヂンヂ(Dind)です。3回目の録音ですが、シルヴィア・テリスは英語の発音が美しく、ヴォーカルも表現力が増してさらに上手くなっています。

 

 

 シルヴィア・テリス、エドゥ・ロボ(Edu Lobo)・タンバトリオ(Tamba Trio)・Quartet Villa Lobosのコンサートを収録したアルバム「Reencontion」(ELENCO)(1965年)から"フォトグラフ(Fotografia)"~”ヂンヂ”(Dind)のメドレーです。

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A・C・Jobum ㊵ 「ヂンヂ」 シルヴィア・テりス

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1959年に作曲した”ヂンヂ"(Dindi)(作詞アロイジオ・デ・オリヴェイラ(Aloysio de Oliveira)は、公私ともに親しかったシルヴィア・テリス(Sylvia Telles)のために作った曲です。タイトルの”ヂンヂ"(Dindi)はシルヴィア・テリス(の愛称でした。シルヴィア・テリスはこの曲が大のお気に入りで3回レコーディングしています。

 

 

 シルヴィア・テリスのアルバム「アントニオ・カルロス・ジョビン集」(1959年)から、”ヂンヂ"(Dindi)です。

 

 

 

 シルヴィア・テリスは自分の愛称が歌になった”ヂンヂ"(Dindi)を、「アントニオ・カルロス・ジョビン集」から1年後にリリースされたアルバム「Amor Em Hi-Fi」(1960年)でもアレンジを変えてレコーディングしています。

 

 

 

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シェルブール特集 ①(KBS不朽の名曲)より

 KBS音楽番組「不朽の名曲」で1970年代の音楽鑑賞室(音楽喫茶)「シェルブール」特集が組まれました。1部と2部に分かれての放送になります。

 1部ではオニオンズの”愛の真実”,キム・セファ”涙で書いた手紙”、ナムグン・オクプン”愛、愛誰が言ったの”、クォン・テスとキムセファ”小さな恋人たち”、チェ・ソンス”めぐり逢い”、カン・スンモ“無情ブルース”が歌われました。

「シェルブール」はイ・ジョンファンが経営した音楽喫茶です。イ・ジョンファンは1960年代中盤からMBCラジオのプロデュサー&ディスクジョッキーとして韓国フォークの草創期に携わりました。新人歌手をスカウトしてアルバムを作るなどレコード製作にも関与し、外国曲を翻案して多くの曲に作詞をしました。
 イ・ジャンヒ、ソン・チャンシク、ユン・ヒョンジュ、キム・セファンなどセシボン(第一期音楽鑑賞室/音楽喫茶)の仲間たちは、イ・ジョンファン社団(グループ)と呼ばれた歌手でした。
 その後イ・ジョンファンは1973年ソウル明洞(ミョンドン)で音楽喫茶「シェルブール」を経営しました。シェルブールから多くの歌手がデビューしました
 
「不朽の名曲」には「シェルブール」出身歌手ナムグン・オクブン、キム・セファ、クォン・テスが出演し、シュエルブールの思い出を語りました。
 
 シン・ドンヨプ(司会)  ”「セシボン」が韓国フォーク第1世代だとしたら、「シェルブール」は第2世代ということになります”
 クォン・テス、カン・ウンチョル、チョン・ヨン、キム・セファ、チェ・ウノク、キム・ジョンホ、イ・テウォン、チェ・ソンスらがシェルブール出身の代表歌手です。イ・テウォンとフォークグループ「”シェグリン”を組んでいたパートナーのチョン・ウォンスはレコードを出すたび禁止曲になった。これでは駄目だということで米国に移ってしまいました”
 
 キム・セファ  ”「涙で書いた手紙」は30年以上歌っていますが、ベンの歌うこの曲を聴いて鳥肌が立ちました”
 
キム・セファ”「涙で書いた手紙」김세화 - '눈물로 쓴 편지' [KBS 콘서트7080
 
涙で書いた手紙
 
 涙で書いた手紙は読めません 涙は見ることができないから
 涙で書いた手紙は直せません 涙は消すことができないから
 涙で書いた手紙は送れません 涙はあまに早く乾いてしまうから
 涙で書いた手紙は捨てられません 涙は私の心と同じだから
 涙で書いた手紙は送れません 涙はあまに早く乾いてしまうから
 涙で書いた手紙は捨てられません 涙は私の心と同じだから涙は私の心と同じだから
 
 
 クォン・テス  ”「小さな恋人たち」はラジオの連続ドラマの主題歌でした。寝ている時に電話があり、キム・セファがこの曲を歌うのにハモってくれる人が必要だといわれたんです。その時駆けつけ楽譜を見てその場で録音しました。それが大ヒットしたんです”
 
クォン・テス、 キム・セファ ”小さな恋人たち” 권태수 X 김세화 - '작은 연인들' [콘서트7080, 2005]
 
 
   
ナムグン・オクブン”愛、愛、誰が言ったの” 남궁옥분 - 사랑사랑 누가 말했나
 
 ナムグン・オクプンはシェルブールを代表する女性フォーク歌手です。
 
 
 
 
オニオンズ”愛の真実” 어니언스 - '사랑의 진실' [콘서트7080, 2005]
 
 当時の若者たちが熱狂したオニオンズ
 
 
 
 
カン・スンモ”無情ブルース” 강승모 - '무정 블루스' [콘서트7080, 2006] | Kang 'Seung-mo'

 ギターのカン・スンモもシェルブール出身だったとは。カッコイイなギターソロ!

 

 

チェ・ソンス”めぐり逢い”해후 - 최성수

 ダンディなチェ・ソンスのめぐり逢い。良い歌だわ~、うっとり。

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シェルブール特集② (KBS不朽の名曲より)

キム・ジョンホの”名前も知らない少女” 이름모를 소녀 김정호

 

1部と2部に分けて放送されたKBSTV「不朽の名曲シェルブール特集」。韓国フォーク第2世代と呼ばれる音楽鑑賞室「シェルブール」からたくさんの歌手がデビューしました。      

シンガーソングライターのキム・ジョンホ、クォン・テス、カン・ウンチョル、チョン・ヨン、シン・ゲヘン、パク・ガンソンの歌を若い世代がアレンジを変えて競演しました。

2部の始めは男性歌手イム・テギョンが、シンガーソングライター、キム・ジョンホの”名前も知らない少女”を歌いました。ゲストのクォン・テスはキム・ジョンホについて「この曲の人気はすごかった。キム・ジョンホの声は聴いていると鳥肌が立つくらいすばらしかった」と語りました。

 

クォン・テスの”瞳で” 권태수 - '눈으로' [콘서트7080, 2005] | Kwon Tae-soo
 
 
 新人のキム・ジュナはクォン・テスの”瞳で”をバラードで歌いました。クォン・テスはこの曲のエピソードも語りました。「”瞳で”を歌う前スローテンポな”夕焼けの恋”を歌ったんだ。だけど当時のプロデューサーにテンポのいい曲の方がヒットすると言われた。当時はバスで移動していて、バスの中で鼻歌のように作ったのがこの曲なんだ」 
 
カン・ウンチョルの”三浦へ行く道”강은철 - '삼포로 가는 길' [콘서트7080, 2005]
 
 
 国楽のパク・エリ夫妻はカン・ウンチョルの”三浦へ行く道”を派手なパフォーマンスで披露しました。
 
  ”三浦へ行く道”
 
 風吹く野道の果てには 三浦へ行く道がある
 くねくねした山道を歩くと 1歩2歩ため息がでる
 *ああ浮雲が一つ 三浦へ行ったら 恋しい人の消息を知らせておくれ
 私も一緒に三浦へ行くと 愛も今では意味がない
 三浦へ行かなければ* 
 あの山頂で休もう 私の事情を伝えておくれ
 懐かしい故郷を離れて何年 愛しい人は知らせもない
 *~*
  
 ゲストのナムグン・オクプンは「1973年に始まって40年以上もの間、心に「シェルブール」があります。12組の出演者からアナログの情緒を感じられました。歌手という職業がどれほど幸せかを再認識しました」
 
 
”どの辺まで行ってるだろう” 열린음악회 - 어디쯤 가고 있을까 - 김희진
 
 
”どの辺まで行ってるだろう”は「シェルブール」から1977年にデビューした女性歌手チョン・ヨンの曲です。女性フォーク歌手キム・ヒジンの歌でUPします。
 不朽の名曲ではロック歌手のキム・パダがばっちりロックにアレンジして歌いました。
 ゲストのキム・セファはこのアレンジを聴いて「別の曲みたい。こんなに強烈な姿。私のシェルブールとの出会いは、芸人のソンチョルさんにシェルブールに行ってこいと言われて通りがかりに寄ったの。歌ってみなさいと言われ、翌日から働きました」
 
  ”どの辺まで行ってるだろう”
 
 花びらは風に散り 川の水に流される
 去って行った人は今ごろ どの辺まで行ってるだろう
 こんなにも簡単に行ってしまうとは 行ってしまうとは思わなかった
 何も言わずに見送るのはいやだった
 あのひとはあの人はどの辺までいってるだろう
 
 
 
シン・ゲヘンの”秋の恋”신계행- '가을 사랑'
 
 男性フォークデュオのユリサンジャはシン・ゲヘンの”秋の恋” を素敵なハーモニーでフォークの神髄を見せて優勝しました。
 
 
  
ユリサンジャはシン・ゲヘンの”秋の恋”불후의명곡 - 유리상자 ´가을 사랑´.20161001
 
 
  ユリサンジャについてナムグン・オクプンは、「とても近い後輩が、私がここ(ゲスト席)にいて彼らがステージにいると妙な気分になります。今日はたくさんのプレゼントを両手に抱えたような気分よ」
 ユリサンジャのパク・スンファはシェルブールで短期でアルバイトをしていたとのこと。「歌手ではなくホールのアルバイトでしたが、チェ・ソンスさんやピョン・ジンソプさんなど、先輩たちの歌を聴きながら歌手の夢を育てました」
 
 
 
パク・ガンソンの”ドアの外にいる君”박강성 문밖에있는그대
 
 男性アイドルグループ「ZE:A」のキム・ドンジュンはパク・ガンソンの”ドアの外にいる君”をシンプルかつ斬新にアレンジして披露しました。
 ナムグン・オクプンとユリサンジャは仲良し。「優勝のトロフィーを触らせて。念願だったのよ。優勝しました。これからも頑張ります。私」と茶目っ気たっぷりにトロフィーを抱きました。ナムグン・オクプンはユーモアたっぷりな純粋な人。かわいらしかったです。


 
 
 
 
 
 
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