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1966年のポップス ㉑ 「虹とともに消えた恋」 P.P.M 「虹とともに」 オーヴァー・ランダーズ

 
 
 ピ-ター・ポール・アンド・マリー(Peter Paul & Mary) は、ピーター・ヤーロウ、ノエル・ポール・ストゥキー、マリー・トラヴァースの3人からなるフォーク・トリオです。
 1962年に”レモン・トゥリーで”レコードデビュー、以降”パフ”、”風に吹かれて”、な
どがヒットし、キングストン・トリオ、ブラザース・フォーと並ぶモダン・フォーク・グループとして、多くの人達に親しまれました。 
 ”虹とともに消えた恋(Gone the Rainbow)”は、米国では1962年に,セカンド・シングル”天使のハンマー(If I Had Hammer"のB面でリリースされました。日本では当時からベストアルバムに収録されるほど人気があり、1966年の9月にシングル・カットされました。なおこの曲は、英国のフォーク・グループ、「オーヴァー・ランダーズ」のシングルも同時にリリースされました。
 文化放送「9500万人のリクエスト」では、ピ-ター・ポール・アンド・マリーとオーヴァー・ランダーズ両方が10月6日に18位で初登場、11月24日、12日1位に1位にランク、1967年2月2日に17位までランクされました。
 TBS「今週のベスト10」では、ピ-ター・ポール・アンド・マリーのが歌が9月18日に20位で初登場、10月30日に最高位6位、12月4日19位までランクされました。 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」の「1966年間ベスト100」ではピ-ター・ポール・アンド・マリー版が39位に選ばれています。
   
 
 

 

  オーヴァー・ランダーズ(Over Landers)は英国のフォークグループで、”虹とともに消えた恋(Gone the Rainbow)”は、英国では1964年にシングル"Yestarday's Gone"のB面でリリースされました。日本ではピ-ター・ポール・アンド・マリーとの共作として、”虹とともに”のタイトルで1966年に発売されました。     (Kann Dorao)
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1967年~70年の映画音楽 ⑬ 「野にかける白い馬のように」 ニュー・クリスティー・ミンストレルズ

 
 
 
 「野にかける白い馬のように(Run Wild, Run Free)」は、イギリスのの丘陵と沼地からなるダートムーアの大自然を舞台にした1969年公開のイギリス映画です。
 
 ストーリー
 
 両親の無理解もあり、5歳で失語症になった孤独なフィリップ少年は、偶然出会った青い目の白い馬と仲良くなり、馬との交流を通じて初めて言葉を話そうと努力していく。近くに住む退役大佐が良き理解者となり、少年はいろいろな体験を通じて成長していくが、白い馬に乗って出かけた沼地で,馬が底なし沼にはまってしまい、。。。。。
 
 監督はリチャード・C・サラフィアン、出演はフィリップ少年役に「小さな恋のメロディー」で人気になったマーク・レスター、大佐役に英国の名優ジョン・ミルズ(「ライアンの娘」など)。音楽は英国の作曲家・編曲家のデイヴィッド・ウィティカー(David Whitake)r)、歌はアメリカのフォーク・コーラス・グループのニュー・クリスティー・ミンストレルズ(New CHristy Minstrels)です。
 私は未見なのですが、インターネットで検索すると、映画館やテレビの洋画劇場で見て感動した方が多く、特にラストは涙、涙とのことです。
 日本ではビデオ・LD・.DVD未発売ですが、こういう映画こそDVD化しほしいです。
 
 
 
 
  
 
 
 映画から、失語症で孤独な少年と青い目の白い馬との運命的な出会いのシーンです。ナイーヴな少年を演じるマーク・レスター、本当に少年を好きになったと思わせてしまう白い馬。カメラ・マンと演出家が巧みに馬の表情や動きを撮ったのでしょうが、このシーンを観ているだけで胸にじーんときてしまいます。     (Kann Dorao)
 
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1969年のポップス ⑥ ブッカーT&ザMG’s 「奴らを高く吊るせ」 「Be Young Be Foolish}

 

 

 ブッカー・T &ザ MG’s (Booker T & the MG's)は、ブッカー・T・ジョーンズ(Booker T jones)(オルガン、ピアノ)、スティ-ヴ・クロッパー(Steve Cropper)(ギター) ドナルド・ダック・ダン(Donald" Duck" Dun)(ベース)、アル・ジャクソン(Al Jackson)(ドラム)の4人で編成されたソウル・インストゥルメンタル・グループです。
 1962年からSTAX レコード専属のスタジオバンドとして活躍、オーティス・レディング、サム&デイブ、ジョニー・テイラーなど数多くのレコーディングに参加しました。1962年には自身のグループで、”グリーン・オニオンズ(Green Onions)”がヒット、全米3位にランクされました。
 ”奴らを高く吊るせ(Hang em High)”は、1968年に公開されたクリン・トイーストウッド主演の西部劇映画のテーマ曲で、作曲はドミニク・フロンティア(Dominic Frontiere)です。映画では西部劇らしい重厚なアレンジでしたが、ブッカーT&ザMG’s はメロディーの良さをシンプルに引きだして、クールなインストゥルメンタル・ナンバーにしました。米国では1968年10月にリリースされ、最高位9位にランクされました。日本でも1969年に発売されましたが、ポップス番組のチャートには入らず、スマッシュ・ヒットに終わりました
 
 
 
 
 
 ”奴らを高く吊るせ(Hang em High)”を収録したアルバム、「ソウル・リンボ(Soul Limbo)」(1968年)から”Be Young Be Foolish”です。ソウル・グループ、タムズ'Tams)のカヴァーで、タムズのナンバーは1968年に米国で最高位61位にランクされました。
 この曲は聞き覚えがあって、ラジオ番組のテーマに使われていたと思うのですが、何の番組だったのか思いだせません。     (Kann Dorao)
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1968年のポップス ⑩ ハード 「二人だけの世界」

 

 ハード(Herd)は1965年に英国で結成された4人組のポップ・ロック・グループで、1966年に当時16才だったピーター・フ.ランプトン(Peter Frampton)がリード・シンガー,ギタリストとして加入。Fontana レコードより1967年4月に”I Can Fly"、8月に"夜明けを求めて(From the  Underworld)"、12月に "Paradise Lost"をリリース。"夜明けを求めて”は英国で最高位6位にランクされました。

 1968年3月にリリースされた”二人だけの誓い(I Don't Want Our Loving Today)は英国で3位にランクされる ヒットになりました。
 1969年にグループは解散し、ピーター・フ.ランプトンはスモール・フェイセス(Small Faces)を脱退したスティーブ・マリオット(Steve Marriott)と、「ハンブル・パイ(Humble Pie)」を結成。,4枚のスタジオ・アルバムと1枚のライブ・アルバムを発売後,、1971年にグループを辞め,、ソロに転向。.1976年にリリースした2枚組のライブアルバム「Frampton Comes Alive」は700万枚のセールスを記録、超ミリオンセラーになりました。
 
 UPしたのは”二人だけの誓い”で、日本では1968年6月に発売され,文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」で、1968年7月28日に20位で初登場、9月1日に最高位12位、9月8日に15位にランクされました。
 TBS「今週のベスト10」では、1968年6月30日に19位で初登場、8月4日に最高位11位、8月11日12位までランクされました。 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」の「1968年間ベスト100」では66位に選ばれています。     (Kann Dorao)

 

 

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韓国ドラマ「黄金色の私の人生」②

 
 
 
  ”風が吹くと”の歌に乗せてパク・シフとシン・ヘソンの良いシーンを編集していますね。兄と妹として仕事した時からお互いに好感を持っていました。妹ではないと知り、ジアン(シン・ヘソン)に惹かれるドギョン(パク・シフ)。二人が秘密を共有している間がとても短く感じました。もっとこの時期を延ばしてほしかったです。この後、絶望の展開へとドラマが移っていくので。
   ドラマは韓国の現実をも描きました。頑張って努力しても大企業の正社員になれない非正規雇用や契約社員の若者たち。ニュースで財閥のやりたい放題が注目されていますが、このドラマでは冷たくて,格式ばかりの情け容赦ない財閥一家の姿をジアンを通して描いています。
 
    黄金色の私の人生 2017年 KBS 52話
 
 演出 キム・ヒョンソク
 脚本 ソ・ヒョンギョン
 出演 パク・シフ シン・ヘソン チョン・ホジン キム・ヘオク イ・テファン ソ・ウンス イ・テソン パク・ジュヒ シン・ヒョンス イ・ダイン チョン・ノミン ナ・ヨンヒ キム・ピョンギ他
 
 あらすじ
 
 貧しいながらも家族愛にあふれていたテス(チョン・ホジン)の家族。ある日事件が起きる。行方不明の娘に会うためテスの家を訪ねる財閥ミョンヒ。
 20年前、幼子を亡くし悲しみに打ちひしがれ帰途につくテス夫婦は、捨てられた子を発見した。夫婦は娘の代わりに育てることを決心。その子が財閥の娘だった。貧しさのせいで夢をあきらめるジアンを不憫に思い、財閥へ実の娘ジアンを送った母親。
 こうしてジアンの人生は入れ替わることに。財閥入りしたジアンには兄がいた。二人は初対面ではなく、以前起こした事故をきっかけに争いごとになり、二人の関係は悪縁から始まっていた。ドギョンとジアンは兄と妹として再会。
 ジアンの妹ジスが本物の財閥の娘だったことが知られる。財閥から追い出され、実家に戻るジアン。侮辱される父親テスを目撃。貧しい現実を捨て、裕福な親を選んだことへの自責の念。けれど元に戻る自信もなくしたジアンは、最悪の選択をすることに。
 ジアンの妹ジスは母親の選択が自分への差別だと思い、財閥の下へ自ら行く。テス夫婦へのあてつけで家を出たジスだが、財閥家では反抗するジス。
 失踪したジアンを必死になって捜すテス。
 姿を消したジアンを発見する同級生のヒョク。生気のない顔で働くジアンを発見したヒョクは、その心の傷の深さに気付きジアンをソウルへ連れて帰る。家に戻れないジアンのために住居を提供。
 生存すら確認できず途方にくれていたテスはある日偶然ジアンに遭遇する。父親を拒むジアン。
 家族のために生きてきた人生を振り返るテス。”そうだ、俺は無能な父親だ。ソ・テス!お前は人生に失敗したんだ”体に異変を感じる。ガンだと悟った絶望の瞬間、苦労ばかりの人生に終止符がうてると万感こみ上げる。”辛いばかりの人生も終わりを迎えられる".。街はクリスマス。”良いことがあったのですか?”と尋ねられ、”はい、いいことがありました。クリスマスプレゼントを神様が。休息を与えてくださった。感謝します”と夜空を見上げるテス。残りの時間を自分に使うと心に決める。
 
 ”なんの期待もなく心を空にして、木にさわりながら仕事をしていたら楽しかった。そして私がどんな人間で何が好きだったかわかった”。木工所で働きながら本当の自分を見つけ、家具デザイナーとして勉強しながら夢に向けて邁進するジアン。
 家から独立しようとするドギョン。財閥3世のドギョンは生まれた時から総裁の座が決められていた。自分は望んでいないし、自分の能力と意志で幸せになれる道を探す。1からスタートする。
 厳しい現実を目の当たりにして成長していくドギョン。新たな事業アイテムを生成し、投資家へ自ら出向き夢に向かって進む。無謀に見えた挑戦だがその過程で事業の楽しみを知る。
 夢に向かって準備中のジアンはデザイン公募で奨励賞を受賞し、副賞の海外留学を手にする。
 ドギョンの会社設立のメールを見て心筋梗塞で倒れる会長。財閥の立て直しに自ら出馬し会長になったドギョン。財閥グループを叔父に譲り、本当の独立を果たすドギョン。
 ドギョンとジアンはそれぞれの道を歩みながら再会する。
 
     
 
 ジアン(シン・ヘソン)はドラマの最初から最後までずっと張りつめていました。最初は契約社員として人の3倍頑張って。財閥へ入ってからは緊張と恐怖で。絶望して自殺を選び。死ぬ気だったのに生き返ってしまって。木工所で生きる意味を見つけて。さらに夢に向かって頑張りすぎるジアン。ピーンと張りつめた糸が弛むのは、いつになるのか、ドラマの続きが観たいと思いました。
 ドギョン(パク・シフ)が軽いタッチだったのと、ジアンの妹ジス(ソ・ウンス)と同級生ヒョク(イ・テファン)のほんわか恋愛と、両家弟・妹の関係が面白かったです。
  助けてくれる味方がいたことが、重苦しくなりがちなテーマを安心して観ていられるドラマにしたのだと思います。
 
 採点10点満点中7点
 
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韓国ドラマ 「黄金色の私の人生」(2017年 KBS 56話)①脚本に乾杯!

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   韓国ドラマ 「黄金色の私の人生」が最終回を迎え、スペシャル番組も放送されました。KBS土・日午後9時45分枠の週末ドラマは局の顔とも言われる大型ドラマです。毎回視聴率も良く、スターや大御所俳優を起用しています。
 
 「黄金色の私の人生」はスキャンダル疑惑からの復帰作となったパク・シフを起用しましたが、ほかは若手や地味な俳優の出演者でした。2017年9月に第1回放送が韓国で始まり、以降回を重ねるごとにドラマへの関心が高まり、「最高のドラマ」の名声を得て、様々な記録を生み出しました。2話延長されて最終回には45.1%という高視聴率をマークしました。
 
 ドラマの成功は”意外性のあるストーリー展開と優れた心理描写”で、脚本のおかげだと思います。脚本家ソ・ヒョンギョンに乾杯!です。「いとしのソヨン」も面白い作品でしたが、それ以上の出来。
 「黄金色」。金銭的な豊かさと、貧しさでこんなにも人の心が違うのかと考えさせられました。でも、”若い人たちが生きる道を見つけて成功するだろう”、”これからの人生は黄金色に輝くだろう”と、ドラマ終了後、晴れ晴れとした気持ちにさせてくれました。久しぶりにドラマから希望を感じる終わり方でした。
 
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 チョン・ホジンの演技にも感心しました。「いとしのソヨン」でも子供たちをハラハラ心配する父親役でしたが、それに一段と磨きがかかり、悲しくて幸せな父親を見事に演じました。お風呂にも入らず、髭を剃らなかったとのこと。
 失踪した娘を探し回り、病に倒れ、家族に失望し、神に感謝して、家族の愛を受けて、成すことを成し逝きます。人生最後の入魂の活躍もあり、心を打つセリフの数々がありました。
 ドラマ「黄金色の私の人生」は彼の代表作になることでしょう。この役柄は彼ならではで、他の男性俳優には出せない味わいだったと思います。ソ・ヒョンギョン脚本家とチョン・ホジンが組んだ次のドラマが楽しみです。
 
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韓国ドラマ 「君を覚えてる」(2015年 KBS 16話)より 絵本「オオカミの物語」

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 アメリカ、チェロキー族インディアンの言い伝えを本にした「2匹のオオカミの物語」イメージ 2があります。この本ををモチーフにした「オオカミの物語」は「君を覚えてる」でドラマのために新しく作られた絵本です。このお話はドラマの中で大事なテーマなのかもと思いながら観ています。8話のエンディングロールで絵本の内容が流れました。
 
 サイコパスドラマ「君を覚えてる」から、絵本「オオカミの物語」を紹介したいと思います。
 
          
     
     オオカミの物語
 
 インディアンの酋長が孫に言った
 
”人の心の中には2匹のオオカミがいる。1匹は悪いオオカミだ。そいつは
 
 怒り 妬み 嫉妬 悲しみ 後悔 自己憐憫 強欲 偽り 傲慢 
 優越感 恨み 罪悪感 劣等感
 そしてエゴを持っている”
 
”もう1匹はいいオオカミだ。彼が持っているのは
 
 喜び 平和 愛 希望 穏やかさ 謙遜 親切 慈悲 優しさ 
 素直さ 思いやり
 そして信念だ”
 
”2匹のオオカミは常に心の中で争っている”
 
 孫がおじいさんに尋ねた
 
”おじいさん!どっちのオオカミが勝つの?”
 
 インディアンの酋長は答えた
 
”お前が餌をやるほうだよ”
 
           
 
 読んで最初はピンとこないかもしれません。何度も読むとなるほどそうなのね!とわかります。子供も大人も心の中のよいオオカミを育てたいですね。
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1967年~70年の映画音楽 ⑫ 「ドリトル先生不思議な旅」より ”When I Look in Your Eyes" アンディー・ウィリアムス、ヘンリ・マンシーニ

 
 
 
  ミュージカル映画「ドリトル先生不思議な旅」より 、"When I Look in Your Eyes"です。映画では動物と話ができるドリトル先生役を演じたレックス・ハリソンが歌っていました。
 監督は「ミクロの決死圏」「トラ・トラ・トラ」などのリチャード・サラフィアン、主役のレックス・ハリソンの他,サマンサ・エッガー、リチャードアッテンボローなどが出演。映画はあまり面白くなかったためか、Wiki によると興収が製作費の3分の1にしかならなかったそうです。 
 作曲は英国のレスリー・ブリッカス(Leslie Bricuse)で テーマ曲の”Talk to the Animal"が、1967年アカデミー賞で「Best Originaru Song」賞に輝きました。レスリー・ブリッカスは1971年の映画「夢のチョコレート工場(原作は2005年にヒットした映画「チャーリーとチョコレート工場と同じ)」の音楽を担当、劇中歌の”キャンディ・ーマン(Candy Man)がサミーデイヴィスJr,の歌でヒットしました。
 UPしたのはヘンリー・マンシーニの演奏で、メロディーの美しさが伝わってきます。1969年のアルバム「A Warm Shade Of Ivory 」に収録されています。
 
 
 
 
  
 
 
 アンディー・ウィリアムスで、"When I Look in Your Eyes"です。    (Kann Dorao)
 
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パク・ハッキ「美しい世界」

 

 ”美しい世界”は1990年に発売されたパク・ハッキ2集の収録曲

 
 パク・ハッキはキム・グァンソクとは大邱で幼馴染でしたが、お互いにソウルへ引っ越して、連絡を取り合うこともなくそのまま学生時代を過ごしました。
 パク・ハッキはソウル芸術専門大学美術科を卒業して、1988年オムニバスアルバムで正式に歌手デビューしました。1989年ソロアルバムを発表して”香りの思い出”がヒット、ゴールデンディスク賞を受賞しました。以降1990年代後期までアルバムを6集、ベストアルバム1枚を出し、フォーク歌手としての地位を確立しました。
 あるコンサート会場でパク・ハッキとキム・グァンソクの母親が出合い、大邱で近所に住んでいたことを懐かしみ、息子たちに幼馴染だということを話して、それから、ハッキとグァンソクは親友同士になったのだそうです。
 パク・ハッキは自身の歌もさることながら、グァンソクの歌を歌い継ぐことをライフワークとして活動しています。
 
 
   美しい世界
 
 ふとさびしさを感じる時空を見るよ 
 同じ太陽の下にいる 私達は一つだよ
 向い合う目で作って行くよ 私と共に歌うよ 愛の歌を
 小さい心 心ごとに愛を集めて
 独りでは作れないよ世の中何も 
 両手で愛を重ねるよ
 一緒に美しい霧花のように
 お互いを肩抱きしめるように
 小さい心 心ごとに愛を集めて
 私達一緒に作って行こう美しい世界
 
 独りでは作れないよ世の中何も
 合わせた両手で愛を重ねる
 一緒にいて 美しい霧花のように
 お互いを肩かばってやって
 小さい心 心ごとに愛を集めて
 私達一緒に作って行こう美しい世の中
 小さい心 心ごとに愛を集めて
 私達一緒に作って行こう美しい世の中
 小さい心 心ごとに愛を集めて
 私達一緒に作って行こう美しい世の中
 
 ユリサンジャ”美しい世界” https://youtu.be/ZLP1qqSrw0U
 
 
 
 
 
 
 
 
 ”香りの思い出”は1989年ソロアルバム収録曲
 
 
 
 
 
 
 
 
 ”ビタミン”は2008年に娘とデュエットした曲。末娘のパク・ジョンヨン、美人で可愛いですね。長女のパク・スンヨンはダナの芸名でアイドルグループ「マチルダ」で活動しています。

 

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韓国映画 「JSA」より キム・グァンソク 「宛のない手紙」

 

 

 

 
 2001年に日本公開されたイ・ビョンホン主演の韓国映画「JSA」を4月に観ました。大勢の方が観て大ヒット作品になった映画です。今観ると更に感慨深いものがあります。映画を観るまでは、板門店(パンムンジョム)で国境を挟み両国の兵士が立つ光景が、まるでフィギアのお人形のようで緊張を感じることはありませんでした。
 映画では国境を守る4人の南北の兵士に友情が生まれ、生身の兵士が笑い、しゃべり、肩を抱き合い詰め所で短い間過ごします。ですがそれは絶対に超えてはいけない一線で、その後悲劇が起きてしまいます。OSTで使われたキム・グァンソクの張りつめた歌声が淋しくて悲しい。でも、凛とした力強い歌声でもあります。
 
 
 4月23日に南北両首脳が板門店の一線を越えました。簡単にまたぐだけのことが、出来なかった遠い年月です。
 朝鮮戦争が、平和条約によって、決して正式に終わったわけではなく、停戦協定しかないことを考えれば、いまだ韓国・アメリカと北朝鮮は国境38度線上の共同警備区域(JSA)では緊張状態が続いています。
 韓国の若者はキム・グァンソクの”宛のない手紙”のように徴兵を受けて旅立ちます。戦争と対立の中で長年、緊張と恐怖の中で韓国の人々は過ごしてきたでしょう。平和への渇望は日本人には理解できないかもしれません。
 6月12日は世界史的なアメリカ・北朝鮮会談が行われました。初めの一歩です。ここから歩いていくことでしょう。米韓の主要な軍事演習が無期限の停止になるという報道もなされています。
 「北朝鮮も米韓軍事演習を止めてほしい、韓国も軍事演習は止めて若者の徴兵制を止めたい」というのが本音なのかもしれません。
 
 6月13日に行われた韓国の首長選挙の結果に胸が震えました。現大統領ムンジェイン(文在寅)支持である与党の知事や市長が17か所のうち14の選挙区で当選。
 ソウル市長に3期目当選したパク・ウォンスンは「今こそムン・ジェイン政府とともに」と強調しました。
 「ろうそくのあかりで一つになった国民の意思が、今日の大韓民国を作った」として「市民民主主義の価値を市政の第一原則に据える」「ソウルはこれから各者生き残りの世の中を終わらせ、共同体的暮らしに基づく社会的友情の時代を切り拓く」と約束しました。
 圧倒的に保守が強いパク前大統領の地盤である慶尚北道と大邱は変わらず保守が勝ちましたが、与党も善戦しています。(大邱はキム・グァンソクの出身地。幼いころにソウルへ引っ越しましたが、大邱が故郷だと言います。もともと大邱は左翼勢力の強い地域でしたが、パク前大統領の反共政策で左翼が壊滅、大勢の大邱の人々はソウルや他の場所に引っ越ししたという経緯があります)
 
 韓国の国民が一年前に吹かせた風。民主主義と平和と豊かな生活を渇望した人々は温かい大統領を選び、さらに市長や知事を選びました。民主主義を前進させて、ゆっくりと平和への道のりを歩んでいきます。どれほど長い旅路だったことでしょう。国民が世の中を変えるのですね。日本人としてとってもうらやましいです。
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