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ミン・ヘギョン/キム・ヒョンジョン 「私の人生は私のもの」

 
 
 「コンサート7080」によく出演する女性歌手ミン・ヘギョン。検索するとファンも多いし日本でも活動していたようですね。
 1983年にキム・ヒョンジョンとデュエットで”私の人生は私のもの”をリリースします。当時はチョン・ドゥファン大統領の軍事独裁政権でしたので、都合の悪い歌詞があれば発売禁止になる歌が随分ありました。”私の人生は私のもの”も発売禁止になり、次に出した曲もタイトルに大統領の妻イ・ヨンジャと同じ”ヨンジャ”という名前が入っていたので、発売禁止になりました。
 ミン・ヘギョンは窮屈な韓国での活動を一時休止して、一人で日本へ渡ったようです。残されたキム・ヒョンジョンは細々と歌手を続けていたそうです。
 政治性のない歌手や歌謡曲まで発売禁止になるなんて、息のつまるような世の中だったのですね。ヘバラギのイ・ジュホはメッセージを恋愛に託して発表していたようです。
 
  「私の人生は私のもの」
 
* 私の人生は私のもの 私の人生は私のもの このまま私に任せて
 私の人生は私のもの 私の人生は私のもの 私は全て責任をとれるわ *
 愛する父と母 父と母は私に たくさんのことを願った
 時には耐えがたかった でも従わされた
 望まない場所には行かなかった
 望まない事はしなかったから 
 いつも私は良い子だと 褒められる子だった 
 それがうれしかったの
 花のように育てられ 親の思いどおりになると思ったの
 でももう言わせて
 この上なく愛してくれたけど 私は今も悔やんでいる
 影を落とした私の心を 放っておかないで
*~*
 父と母が歩んできたその道は 私の人生にはなれない
 時代はたえず変わるもの 全ては変わったの
 父と母の若き時代を もう一度振り返って 悔やまれることはなかったの
 私はもうわかってる 父と母の言葉はすべて 愛だということを
 でも私の望みもちゃんと分かって
*~*
 
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ユ・イクジョン 「愛の瞳」

 
ヘバラギを聴いているとユ・イクジョンはかかせない人で、ユ・イクジョンがヘバラギのメンバーだった1982年から1986年までのヘバラギ第2期が、一番良かったのではないかと思いまです。
 ユ・イクジョンは「愛の瞳」で1985年ソロデビューしました。この曲はユイクジョンの優しくて穏やかな美しい歌声で大ヒットしたのでしょう。とても素敵な歌です。1986年にはファーストアルバム「ただ眺められれば」をリリースします。その後ヘバラギを脱退し本格的にソロ活動を始め、1989年にはセカンドアルバム「二度と」など、次々に5集のアルバムを発売します。
 ユ・イクジョンがヘバラギのメンバーだったというのは最近知りました。2008年に「コンサート7080」に出演したユ・イクジョンはすごく地味な人で、顔や雰囲気とは全く違う美しい歌を歌うので、強く印象に残っていました。
 「コンサート7080」では”バーで歌っていたけれども、一時歌手活動をやめていた”などとお話していましたが、韓国での「7080」旋風で再び人気がでてほしいと強く思う歌手です。UPした画像は2011年4月なので、歌手活動を積極的に続けているのでしょう。
 ヘバラギでブログにUPした、”君” ”幸せをくれる人” ”私の心の中の宝石箱”を聴くとイ・ジュホとユ・イクジョンのデュオが素敵で心地よくて何度も聴いてしまいます。
 テレビ番組「不朽の名曲」のヘバラギ特集には、イ・ジュホだけでなくユ・イクジョンも出演してほしかった。二人が別々の活動をしているのが残念でたまりません。二人一緒のステージを、いつか観る事ができたらと思っています。
 
 1955年生まれで今年59歳になるユ・イクジョン。
 1974年「グリーンビーンズ」でデビュー
 1975年"私はこの次に”他9曲発表
 1980年「パランセ」でパク・セジョンとデュオ。”私はなぜ”他9曲発表
 1981年「ガラス壁」でイ・ジュホ、パク・ソンイルとトリオ
 1982年~1986年「ヘバラギ」
 
   「愛の瞳」
*忘れられない二人の愛 この胸に悲しみだけが残り
 やっと僕はあなたを知り 愛を感じた*
 切れない二人の愛 胸いっぱいに恋しさが残り
 やっと僕はあなたを知り 愛を感じた
**あなたの愛は この胸を包み
 あなたの姿は愛の瞳**
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1967年~70年の映画音楽 ⑦ 「天使の詩」

 
 
  「天使の詩」は1965年のイタリア映画で、日本では1967年の暮に公開されました。テーマ曲はラジオ番組「ユアー・ヒット・パレード」で、1968年の年間順位の8位にランクされるヒットになりました。
 フィレンツェ駐在のイギリス大使が妻を亡くしますが、父は幼い息子二人のうち、しっかり者の兄だけに母の死を知らせます。病弱な弟には黙っていることを兄に約束させますが、父と長男の間にはしだいに誤解と確執が広がっていきます。
 母の死を”お兄ちゃんだから弟のために我慢しなさい”と言われる兄の悲しみと、妻を失った父の悲しみが交錯していき、悲しいラストに繋がっていきます。この映画を見た女性たちは、溢れる涙をおさえられなかったそうです。日本版のDVDが発売されています。
 監督は「ブーベの恋人」などのルイジ・コメンチーニ。音楽はフィオレンツォ・カルピ。カルピはフランスのルイ・マル監督の熱心な要望で、「地下鉄のザジ」と「私生活」の音楽を作曲しています。イタリア映画では日本未公開作が多く、「天使の詩」以外では「楡の木陰の愛」(1975年)「太陽の暗殺者」(1967年)など。  
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ヘンリーマンシーニ 「暁の出撃」① ”暗闇にさようなら” (Whistling away the Dark)ジュリー・アンドリュース

 
 
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 映画「暁の出撃(Darling Lili)」(1970年)は第一次大戦中のドイツの女スパイ(ジュリー・アンドリュース)と、英国空軍将校(ロック・ハドソン)のラブロマンスを描いた音楽劇で、ジュリー・アンドリュースの歌がたっぷりと楽しめます。音楽は名匠ヘンリー・マンシーニです。
 
 監督は「ティファニーで朝食」「ピンクの豹」「グレートレース」などのブレーク・エドワーズです。コミカルで明るいブレーク・エドワーズらしい作品で、日本題名イメージ 2の「暁の出撃」より原題のままのほうがよかったかもしれません。
 
 映画がヒットしなかったこともあり、ヘンリー・マンシーニの映画音楽の中ではあまり知られていませんが、UPした”Whisting away the dark”(暗闇にさようなら〉のほかにも、"Smile Away Rainy Day"、”I'll Give You Three Guesses"など良い曲が多く、マンシーニの隠れた名作だと思います。
 
    
 
 
 ヘンリー・マンシーニの演奏で”Whisting away the dark”(暗闇にさようなら〉です。
 
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1967年のポップス⑥ クリフリチャード 「イン ザ カントリー」    Cliff Richard "In the Country"

 
 
 イギリスの国民的歌手、クリフリチャードの”インザカントリー”は、イギリスでは”太陽をつかもう(Finders Keeper)”とカップリングで1966年の暮れに発売され、日本では1967年の春から夏にかけて2曲ともヒットしました。
 ”太陽をつかもう”は文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では、5月4日に15位で初登場、6月22、29日、7月9日の3週間1位、8月20日に13位までランクされました。「TBS今週のベスト10」では4月30日に18位で初登場、6月11日、18日に1位、8月27日に18位までランクされました。 洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1967年年間ベスト100」で23位に選ばれています。
 ”インザカントリー””太陽をつかもう”ともに、明るく軽快なポップスでクリフリチャードとシャドウズの魅力にあふれています。   (Kann Dorao)
 
 
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1967年のポップス⑦ デイブ クラーク ファイブ 「青空が知っている」 Dave Clark 5 "Everybody Knows"

 
 
  デイブクラークファイブはイギリスのグループで、1964年に”グラッド・オール・オーヴァー”が全英1位になる大ヒットとなり、その後も”ビッツ・アンド・ピーセス”(1964年全米4位),”オーバー・アンド・オーバー”(1965年全米1位),”キャッチ・イフ・ユー・キャン”(1965年全米4位)などのヒット曲を次々にリリースしました。
 1960年代の半ばには、アメリカでイギリス以上の人気となり、ビートルズに対抗するのはデイブクラークファイブとまで言われました。 
イメージ 1 ソウルフルなヴォーカルに、テナーサックとオルガンをフィーチゃーした、ダイナミックで迫力のあるサウンドが特徴ですが、それだけでなく、”ビコーズ”(1964年全米3位)"When(忘れえぬ君)”など甘くメロディアスな曲もあります。日本では”ビコーズが大ヒットしました。
 ”青空が知っている”(東芝ORー1823)はイギリスで1967年12月にリリースされ全英2位のヒットになり、日本では1968年1月に発売されました。
 TBS「今週のベスト10」では1968年1月14日に20位で初登場、2月25日に最高位6位、3月24日に14位までランクされました。     (Kann Dorao)
 
 
 
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1967年のポップス⑤ レインボウズ 「バラバラ」 Rainbows "Balla Balla"

  
 
 レインボウズはドイツのグループで、”バラバラ”は1965年のヒット曲です。日本では1967年にリリースされ、明るいメロディーに、歌詞も"マイベビー ベビー バラバラ"だけで覚えやすく、日本ではスパイダースがカヴァーするほどのヒットになりました。
 イントロもユーモラスで、1967年の夏ごろまでの明るく楽しいポップスの時代にピッタリの曲です。 
 文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」では、2月16日に18位で初登場、3月19日から3月30日まで3週間1位、5月4日まで20位以内にランクされました。「TBS今週のベスト10」では2月12日に15位で初登場、3月12日、19日、26日、4月2日,9日の5週間にわたって1位、5月28日に13位までランクされました。 
 洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1967年年間ベスト100」で8位に選ばれています。   (Kann Dorao)
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1967年のポップス④ バッキンガムス 「カインドオブアドラッグ」 Buckinghams "Kind of a Drag"

 
 
  バッキンガムスは1965年に結成された米国の5人組のグループで、当初はニュー・バルセイションズの名義で活動していましたがバッキンガムスと改名。1966年12月にUSAレコードより、”カインド・オブ・ ア・ ドラッグ(Kind of a drag)”でデビュー、1967年2月には全米1位にランクされる大ヒット曲になりました。
 爽やかでソフトなコーラスハーモニーに、ブラスが絶妙にアレンジされ、今でも色あせることのないポップスの名曲です。
 文化放送「オールジャパンポップ20」では、3月23日に21位で初登場、5月11日に最高位2位、7月6日まで20位以内にランクされました。 「TBS今週のベスト10」では3月12日に21位で初登場、4月23日に最高位11位、4月30日に15位までランクされました。
 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、「1967年年間ベスト100」で81位に選ばれています。     (Kann Dorao)
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村下孝蔵「キャラバン」 「踊り子」

 

 

    ”キャラバン”はデュークエリントンの作曲で、1960年代にベンチャーズのアレンジで大ヒットしました。
 村下孝蔵のギターソロはプロ中のプロの上手さですねぇ。イントロやラストのベンチャーズのメルテイラーのドラムソロを模したギターテクニックにも驚きます。
 YouTubeの時代になり、テレビなどで見られない、実力を持った人たちの歌や演奏を聴くことがができるようになりました。以前から村下孝蔵のファンでしたが、こんなにもギターが上手な人とは知りませんでした。今も活躍していたらさらに、多くの人が村下孝蔵の歌やギターに感動していたでしょう。
 

 

 

 村下孝蔵のギター演奏(スリーフィンガーピッキング)の弾き語りの「踊り子」です。 スリーフィンガーピッキング奏法は親指で1弦から3弦をベース音として弾き、他の指でコード、メロディー、ソロを弾くという、難易度の高いギター奏法です。代表的なスリーフィンガーピッキングの名手チェットアトキンスの演奏をUPしていますので、よろしかったら参考にしてください。CHET ATKINS 「BABYs COMING HOME」                          チェッ トアトキンス 「ベイビーズ カミング ホーム」 - 毎日韓国ドラマと映画と音楽でヘンボケヨgooblog

 村下孝蔵のこの演奏と歌を聴き、驚き、そして感動してしまいました。とにかくギターが上手い。ギター一本の演奏と思えないほどで、隣にギターの伴奏者がいるようです。スリーフィンガーピッキングのギターテクニックとともに、自然な村下孝蔵の歌の世界を披露しています。この高度なギターの演奏だけでも難しいのに、音程も狂わず歌えるのが素晴らしい。
 村下孝蔵はベンチャーズと加山雄三が好きなギター少年でした。YouTubeにベンチャーズや加山雄三の曲を演奏している画像がUPされていますが、テクニックを見せびらかすのではなく、体の一部として自然体で爽やかな演奏を聞かせてくれています。   (Kann Dorao)
 
 
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韓国ドラマ「君に出会ってから」④

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  ドラマの中心になるチェ・ジンシルとリュ・シウォンのコメディタッチの恋愛模様が面白くて、視聴者はこの二人の俳優が大好きになったことでしょう。
 しっかりものの朝鮮族のチェ・ジンシルは初対面の時から、年下で情けないリュ・シォンにあきれています。異性としての感情も湧かないで、言いたい事をリュ・シウォンに言ってる感じです。さばさばとしてさっぱりしたチェ・ジンシルは商売の才能もあって、朝鮮族の劣等感もないので、かえってリュ・シウォンはチェ・ジンシルに好意を持ち、アタックしていきます。二人は甘くてラブラブではないものの友達のような、姉弟のようなカップルになり、結婚します。が、金銭的にルーズなリュ・シウォンをしまり屋さんのチェ・ジンシルが財布のひもをぎゅっとにぎってイメージ 1監督しているので、リュ・シウォンは結婚前よりとほほ、とほほになります。
 チェ・ジンシルの明るさが最高です。朝鮮族なまりのセリフも面白く、田舎ものの純粋で元気な演技がドラマを和やかにしています。頑張りやのチェ・ジンシルがドラマの中で活躍していく展開は「星に願いを」や「あなたそして私」などがありますが、わくわくして痛快で、一視聴者としてチェ・ジンシルを応援したくなるのも無理はありませんね。
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 今一つリュ・シウォンのファンになれないでいたのに、「君に出会ってから」の底抜けに調子のいい明るい、まるで地のような演技を観て大ファンになってしまいました。
 10数本リュ・シウォンのドラマを観ましたが、アイドルとしてでなく俳優として、駄目男も演じられるし、辛い恋も演じられるし、悩みの多い役も演じられるし、底抜けに明るい男も演じられます。演技力のある俳優なので、元気な40代男性としての魅力をまたドラマでみせてほしいです。
 
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 サブ・ストーリーのイ・ソジンとパク・ジニの恋愛。このドラマのパク・ジニは清純で好感の持てる女優です。恥じらうしぐさがかわいくて、パク・ジニ、このような女優かと思いきや、「君に出会ってから」の雰囲気は他のドラマでは感じられない、しっかり生きるたくましい女性の役柄が多いです。演技の上手な女優なのですね。「ジャイアント」では・男まさりの女性経営者を演じていました。時代劇で強い王后なども似合うでしょう。イメージ 4
 
 「彼女の家」(2001年MBC)では感じなかったのですが、イソジンは演技がどうかなあと感じてしまうようなシーンが・いくつもありました。「彼女の家」では反対に、キムヒョンジュに恋をしている様子が画面から伝わってくるのです。ということは、お相手のパクジニが苦手だったのかと、あれこれ考えてしまったイ・ソジンの「君に出会ってから」でした。
 
パク・ジニとイ・ソジンを巡って三角関係になるパク・イェジン。イメージ 5恋の勝利者はパク・ジニになり、パク・イェジンは失恋してしまいますが、それからが面白いのです。2階の自分の部屋から出て来て兄のリュ・シウォンに一言声をかけるのですが、「どうしたの~」「な~に~」などアンニュイというか落ち着いているというか、”パク・イェジン節”が非常におもしろかったです。若手なのにベテランの風格があり、バラエティに出た普段のパク・イェジンに近いキャラクターでした。イメージ 6
 
 リュ・シウォンの同僚で新聞記者のホン・チュンミンですが、嫌味がなく、ベタベタしてなくて爽やかでさっぱりとした女性を演じていて、とても好感持てました。リュ・シオンとの言いたいことを気軽にいえる友人関係がほのぼのとして楽しかったです。このドラマで強く印象に残っていて、まさか「ホジュン」のチョ・グァンニョルのおとなしくて、線の細い奥さまだったとは。韓国ドラマの中で一番びっくりしたことでした。
 
 採点10点満点中9点
 

 

 

 
 
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