人が生きる世の中(サランサヌンセサン)
毎日韓国ドラマと映画と音楽でヘンボケヨgooblog
A・C・Jobim ㊲ "Medo De Amar" ナナ・カイミ
アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)作曲の ”Medo De amar" 、作詞はヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius De Moraes)です。エリゼッチ・カルドーソ(Elizete Cardoso )のアルバム「Cancao De Amor Demais」(1958年)に収録されました。
女性歌手ナナ・カイミ(Nana Caymmi)がアルバム「Same」(1975年)と「Nana Caymmi/Wagner Tiso」(1987年)、ミルトン・ナシメント(Milton Nascimento「Novas Bossa」(1989年)、他にもジョイス(Joice Moreino)、ジョアン・ボスコ(Joao Bosco)、 トッキーニョ(Toquuinho)などが録音しています。
アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「Tom Canta Vinicius」(1990年ライブ録音、2000年リリース)より”Medo De amar”です。 地味ですが美しいメロディーを丁寧に歌うジョビン、幻想的なフルート、ピアノの間奏も女性ヴォーカルもやさしく心に響きます。
Tom Jobim, piano vocal Paula Morelenbaum vocal
Paulo Jobim, guitar vocal
Danilo Caymmi, flute vocal
Jaques Morelenbaum, cello
ナナ・カイミのアルバム「Same」(1975年)から”Medo De amar)です。抑え気味に歌うナナ・カイミのヴォーカルが、より深くメロディーの美しさを表現しています。
アルバム「Nana Caymmi/Wagner Tiso」(1987年)はライブですが、ワグナー・ティッソ(Wagner Tiso)の華麗なイントロの後に、ナナ・カイミが歌いだすと拍手と歓声が起きます。ブラジルの音楽ファンはジョビンのこんな曲まで知っているのですね。
韓国ドラマ「天国の階段」 キム・ボムス”会いたい” ”「天国の階段」ラテン版差し替えヴァージョン”
334万回聴かれているキム・ボムス”会いたい”。名曲です。英語タイトルは”I miss you”。2002年にリリースした「キム・ボムス第3集」のアルバム収録曲「ポゴシプタ〜会いたい」が、ドラマラテンSBS 2003年)のOSTに使用され大ヒットしました。 この曲を採用した音楽プロデューサーの勝ちですね。
別離、いじめ、死と生をはるかに超えた愛。どうしようもなくせつない場面で流れる”会いたい”。胸がしめつけられる感情を抑えることができませんでした。
ラテン・アメリカで「天国の階段」が放映された際、差し替えられたヴァージョン。1000万回以上聴かれているというのはいかに「天国の階段」が世界で人気があって、今でも再放映されファンを増やしているからだと思います。
日本では地上波で韓国ドラマを放映しなくなってしまいました。平日の午後はどのチャンネルも、御用評論家や御用タレントが出演する「ワイド情報番組」ばかり。日本でも地上波で韓国ドラマの名作を再放映してほしいです。
韓国ドラマ「天国の階段」 チャン・ジョンウ ”それだけは”
今更ですが、韓国ドラマ「天国の階段」のOSTが素晴らしいと再認識しています。ドラマも強烈でしたが、チャン・ジョンウ”それだけは”のメリハリありすぎる歌唱力と、相まったメロディの良さ、曲の感情表現に、しびれた女性ファンはとっても多かったはず。男性の音楽ファンも一目置いて聴く価値があると思います。特に叙情派プログレ・ファンにはお勧めです。
ドラマの大ヒットにはOSTも大く貢献したのでしょう。チェ・ジウ、クォン・サンウ、シン・ヒョンジュンの熱演につぐ熱演。曲を聴くとドラマのシーンが目に浮かぶのはOSTの醍醐味とも言えます。
一緒に歌いたいので私なりにルビをふりました。
それだけは
ナン アジド ミドルス オプソ
난 아직도 믿을수 없어
ニガオヌン セサンイラミョン
니가 없는 세상이라면
ネモドゥンコ スルプミプニャ
내 모든 걸 슬픔일 뿐야
アムソヨンオプソニ
아무 소용 없으니
タシトラガルス イッタミョン
다시 돌아갈수 있다면
クデンノルポネチアヌルテンデ
그땐 너를 보내지 않을텐데
ウリアムヤクソコドモッサンチェ
우-리 아무 약속도 못한채
チャクモロジョカミョン
자꾸 멀어져 가면
ナヌンオットケ イエ
나는 어떡해
タマンノンネマウムダアルゴイッタゴ
다만 넌 내 마음 다 알고 있다고
クロッケミゴシポナン
그렇게 믿고 싶어 난
トマヌンシカニ
더 많은 시간이
フルントゥイエウッスムチミョ
흐른 뒤에 웃음 지으며
ノンミアネソオダゴ
넌 미안해 했었다고
マレチュルコヤ
말해 줄꺼야
イジェナエモドゥンスプムルチウッケ
이젠 나의 모든 슬픔을 지울께
ヘンボカンキオソグロ
행복한 기억속으로
オンジェナネアネサインッヌノチキミョ
언제나 내 안에 살아있는 너지키며
タシトラオナキダリョ
다시 돌아 올 널 기다려
タシトラガスイッタミョン
다시 돌아갈수 있다면
クデノルポネチアヌアステンデ
그땐 너를 보내지 않을 텐데
クフロンアムヤクソケドモッサンチェ
그 후론 아무 약속도 못한채
チャグモロジョガミョン
자꾸 멀어져 가면
ナヌンオットケイエ
나는 어떡해
タマンノンマウムダアルゴイッタゴ
다만 넌 내 마음 다 알고 있다고
クロケミゴシポナン
그렇게 믿고 싶어 난
トマヌンシカニフルンドゥイエ
더 많은 시간이 흐른 뒤에
ウッスムジウミョ
웃음지으며
ノンミアネヘジョダゴ
넌 미안해 했었다고
マレジュゴヤ
말해 줄꺼야
イジェナエモドゥスプムチウケ
이젠 나의 모든 슬픔을 지울께
ヘンボカンキオソグロ
행복한 기억속으로~
オンジェナネアネサライッヌンノチキミョ
언제나 내 안에 살아있는 너 지키며~
タシトラオノキダリョ
다시 돌아 올 널 기다려
1965年のポップス ⑩ ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ ① 「恋のダイアモンドリング」 「なかなか見つからない」
ゲイリー・ルイス(Gary Lewis)は4人の友達と18才の時にバンドを結成、グループ名をゲイリー・ルイスとプレイボーイズ'(Gary Lewis & Playboys)にしました。ゲイリー・ルイスの父親が人気喜劇俳優のジェリー・ルイス(Jerry Lewis)だったので、ディズニー・ランドでのコンサートはいつも満員になりました。
スウィング時代からの名バンド・リーダー、レス・ブラウン(Les Brown)が彼らに目を付け、レコード・プロデューサーのスナッフ・ギャレット(Snuff Garret)tに紹介、ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ は,リバティーレコード(Liberty Record)から、"恋のダイアモンドリング(This Diamond Ring)”でレコード・デビューしました。
"恋のダイアモンドリングThis Diamond Ring)”は、米国では1965年の1月にリリースされ、1位を記録しました。
日本では"恋のダイアモンドリング/B面 なかなか見つからない(Hard to Find 米国と同じ)”(東芝LR-1223)は1965年3月に発売されました。リリカルなメロディと、ゲイリー・ルイスとプレイボーイズの持ち味である爽やかなヴォーカルとサウンドで、日本でもヒットしました。
文化放送「9500万人のポピュラー・リクエスト」では4月1日に20位で初登場、5月13日、20位に最高位5位にランク、6月17日に16位までランクされました。TBS「東芝ヒットパレード」では3月12日に20位で初登場、4月9日、16日に6位ランクされました。「洋楽ヒットチャート大事典」八木誠著では年間93位に選ばれています。
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ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ の"恋のダイアモンドリングのB面 ”なかなか見つからない(Hard to Find "です。哀愁のインストゥルメンタル・サウンズです。 (Kann Dorao)
今も世界中で観られている愛と感動の永遠の名作「冬のソナタ」
この画像、” My memory” をバックに編集された「冬のソナタ」を観ると、あらためて韓国ドラマの愛と感動の名作だったのだと感慨深いものがあります。
日本では過去の出来事になった「冬のソナタ」シンドロームですが、世界では今でもテレビで放映され、現在進行形として、ドラマを観る人々を感動と涙の渦に巻き込んでいます。
この画像にはアフガニスタン、ケニア、ドミニカ共和国、アゼルバイジャン、ラテンアメリカなどアジア以外の国々の人々もコメントを残しています。
例えばアフガニスタンの男性は
「私はアフガニスタン出身です。このドラマは私の人生にとってとても重要です。私は2002年に高校を卒業したばかりのこのドラマを見ていました。私は韓国ドラマをたくさん見ました。韓国の学生生活と韓国人と恋に落ちる、夢を見始めました。 7年後の2009年に韓国の大学に入学し、修士号を取得、私は韓国人とその文化が大好きです」
ケニアの人は
「2007年に初めてテレビでこのドラマを見ました。それは今日まで私の最高の愛のドラマの一つになりました。」
日本ではマスコミが「冬のソナタ」(韓国ドラマ)は、おばさんが観るものと決めつけ、男性だけでなく若い女性の観るものではないと敬遠されました。他の国では老若男女問わず家族で楽しんでみているのに、日本では嫌韓に伴い歪んだ形で、韓国ドラマが紹介されていったことは非常に残念です。
「冬のソナタ」はチェ・ジウが主人公だったのねと、編集画像をみると思ってしまいます。戸惑い、揺らぎ、驚き、喜び、悲しみ、感情を表す一つ一つの演技が素晴らしいです。それでも相手役がペ・ヨンジュンだったからこそなのでしょうね。
A・C・Jobim ㊱ ”Modinha" (モヂーニャ)
アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)作曲の ”Modinha" (モヂーニャ) 、作詞はヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius De Moraes)です。
ジョビン自身この曲を好きだったようで、「Tom Canta Vinicius」(1990年ライブ録音、2000年リリース)だけでなく、「Terra Brasilis」(1980年)、「Em Minas Ao Vivo 」(1981年録音、2004年リリース)、「In Edito」(1997年録音、一般には1994年リリース)と、自身のアルバムで何回も演奏をしています。
アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「Em Minas Ao Vivo 」(1981年ライブ録音)から、ジョビンのピアノ弾き語りで”Modinha" (モヂーニャ)です。
アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「Terra Brasilis」(1980年)から、クラウス・オーガーマンのオーケストラ・アレンジで”Modinha" (モヂーニャ)です。
A・C・Jobim ㉟ ”Modinha" (モヂーニャ) エリス・レジーナ
アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)作曲の ”Modinha" (モヂーニャ) は、1956年に舞台劇「Orfeu da Conceição」で、劇中ヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius De Moraes)のモノローグの場面に使われました。1958年にヴィニシウスが歌詞を付け、エリゼッチ・カルドーソ(Elizeth Cardoso)によって初録音されました。
エリゼッチ・カルドーソの初録音後、この曲は歌手や演奏家に取り上げらることがなく、エリス・レジーナ(Elis Resina)とジョビンのアルバム「ELIS with TOM」(1974年)で、エリスの歌が録音されました。エリス・レジーナの歌の上手さと、抜群の表現力によって、メロディーの美しさが浮かび上がってきます。
アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「Tom Canta Vinicius」(1990年ライブ録音、2000年リリース)より”Modinha" (モヂーニャ)です。
舞台劇「Orfeu da Conceição」(1956年)で、ヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius De Moraes)のモノローグのシーンです。バックに”Modinha”(モヂーニャ)が演奏されています。
A・C・Jobim ㉞ "This Happy Madness" スー・レイニー ”白い道” パーシー・フェイス
アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1958年に作曲、作詞はヴィニシウス・デ・モラエスの"Estrada Branca”は、”This Happy Madness”と英詩が付けられ、多くのジャズ・ミュージシャンのレパートリーになりました。デクスター・ゴードン(Dexter Gordon)、ジョー・ヘンダーソン'(Joe Henderson)、ジャズ・ヴォーカルではオランダのリタ・ライス(Rita Reys)、ステイシー・ケント(Stacey Kent)などが録音しています。
スー・レイニー('Sue Raney)のアルバム「Ridin High」(Discoverly 1984年)から"This Happy Madness"です。
スー・レイニー(1940年~)は、米国の女性ジャズ・シンガーで1958年にキャピトル・レコードから「When Your Love Has Gone」でアルバム・デビュー、2枚目の「Song for Rainy Day」と共に今でもジャズ・ヴォーカルファンに人気があります。1980年代にDiscoverly からリリースされた.アルバムもあまり話題に上りませんが、歌の上手さとスウィング感が光る好盤でした。
パーシー・フェイス楽団のアルバム「Bim! Bam!! Boom!!!」(1966年)から”Estrada Branca ” です。日本語のタイトルは”白い道” でした。ブラジル音楽とはイメージが違いますが、イージー・リスニングらしい,、楽しいアレンジです。
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A・C・Jobim ㉝ !Estrada Branca(This Happy Madness)" エドゥ・ロボ
アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1958年に作曲、作詞はヴィニシウス・デ・モラエスで"Estrada Branca(This Happy Madness)"です。1958年にエリゼッチ・カルドーソ、1959年に女性歌手Lenata Bruno、Alaide Costaが録音しています。
”This Happy Madness”の英詩が付けられ、1969年にフランクシナトラとアントニオ・カルロス・ジョビンの共演で、アルバム「Sinatra & Company」(リリース1971年)に収録されました。
エドゥ・ロボ(Edu Lobo)のアルバム「Meia-Noite」(1995年)から"Estrada Branca”です。多くの歌手・演奏家が録音していますが,、私はこのエドゥ・ロボの歌と演奏がベストだと思います。
アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「Terra Brasilis」(1980年)から "This Happy Madness(ESTRADA BRANCA)"です。フランク・シナトラの歌と比べるのには無理がありますが、ジョビンらしい味わいはあります。
A・C・Jobim ㉜ "De Voce Eu Goso" シルビア・テリス "Tereza Da Prais" ディック・ファルネイ&ルシオ・アルヴェス
シルビア・テリス(Sylvia Telles)のアルバム「アントニオ・カルロス・ジョビン集」(1959年)から、ジョビンが1950年代後半に作曲した“De Você, Eu Gosto”(好きなのは君)、作詞siruはアロイジオ・デ・オリヴェイラ(Aloysio De Oliveira)です。
シルビア・テリスの他には、女性歌手ミウシャ(Miucha)、マリア・クレウーザ(Maria Creuza)などが録音しています。
アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1954年に作曲した、"Tereza Da Prais"(浜辺のテレーザ)、作詞はビリーブランコ( Billy Blanco)です。 当時最も人気のあったディック・ファルネイ(Dick Farney )とルシオ・アルヴェス(Lucio Alves )のために書かれた曲です。2人の粋なヴォーカルに、ホーンやストリングス・アレンジも洒落ています。
「ボサノヴァの歴史」(音楽の友社)によると、2人の歌手には熱心なファンクラブがあって、ライバル意識が相当強かったそうですが、ファルネイとアルヴェスは住まいも近く仲も良かったそうです。
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