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1969年のポップス⑮ビリー・ジョー・ロイヤル「チェリー・ヒル・パーク」「ダウン・イン・ザ・ブーンドッグス(1965年)」

 

 ビリー・ジョー・ロイヤル(Billy Joe Royal)はジョージア生まれで、14歳の頃からアトランタを中心に音楽活動を始め自身のロックンロールバンドを結成、サム・クック・フォロアーを自認するほどの黒人音楽志向の持ち主でした。地元のラジオ番組では友人のジョー・サウス(Joe Southなどと共にレギュラーとして活躍していました。

 ジョー・サウスはビリー・ジョー・ロイヤルのナンバーの多くを作曲しています。自身も"Games People Play(1968年)がヒット、カントリー女性歌手リン・アンダーソン(Lynn Anderson)の1970~71年の大ヒット曲”ローズ・ガーデン(Rose Garden)"の作者としても知られています)

 ビリー・ジョー・ロイヤルはジョー・サウスのプロデュースで録音したデモ・テープがコロンビアレコードに認められ、”ダウン・イン・ザ・ブーンドクス(Down in the Boondoks)”で1965年3月にレコードデビュー、全米最高位9位にランクされるヒットになりました。作曲はジョー・サウスです。

 その後も1965年"I Knew You When"(最高位14位)、1966年"I've Got to Be Somebody"(最高位38位)、”It's Goodtime ”(最高位104位)、3曲ともにソウル・ミュージックです。"Heart's Desire"(最高位88位)、モータウン・サウンド的なノーザン・ソウル・ナンバーで人気があります。"Campfire Girls"(最高位88位)、ソウルから離れ、カントリー風のポップス。1967年"Yo,Yo"(最高位117位)、オズモンズが1971年にカヴァーし全米3位のヒットになりました。"These Are Not My People"(最高位113位)、ボブ・ディラン風の語り調のポップス。"The Greatest Love"(最高位117位)、プロデュースがクラシックスⅣのバディー・ビユーイ(Buddie Buie)になり、ソフトなポップス。"Hush"(最高位52位)、ディープ・パープルがファースト・アルバムからシングル・カットし全米4位のヒットになりました。デビュー曲の”ダウン・イン・ザ・ブーンドックス"からすべてジョー・サウスの作曲です。

 1969年にクラシックスⅣののバディー・ビユーイのプロデュースで、アルバム「Cherryhill Park」をリリース。タイトル曲の”チェリー・ヒル・パーク”が全米15位にランクされました。作曲がクラシックスⅣのメンバーでもあったロバート・ニックス、ビリー・ギルモアなので、いままでとは違うソフト・ロック調の人気曲になったのだと思います。日本ではCBSソニーから1969年の終わりか1970年初頭に発売され、ラジオではたまにオンエアーされていましたが、中古シングル盤もほとんど見ないので売れなかったのでしょう。個人的にはとても好きな曲です。

 

 

 

 ビリー・ジョー・ロイヤルの”ダウン・イン・ザ・ブーンドクス(Down in the Boondoks)”(1965年)で、全米最高位9位にランクされるヒットになりました。鼻にかかった高い声が特徴です。当時日本でも日本コロンビアからシングル盤が発売されました。

 1970年代はヒット曲もなく地味な音楽活動をしていましたが、1980年代からカントリー界に転向。カントリー・チャートのベスト10にランクされる曲を数多くリリースし成功を収めました。特に1989年には"Tell It Like It Is" ”Till I Can’t Take It Anymore”がカントリー・チャートで2位にランクされるヒットになりました。

 

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