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1970~73年の洋楽 ⑨ マイク・ネスミス「シルバー・ムーン」「Thanks for the Ride」

 

 マイク・ネスミス(Michael Nesmith)はモンキーズ脱退後、ペダル・スティールのレッド・ローズ(Red Rhodes)らとファースト・ナショナル・バンド(First National Band)を結成、ファースト・アルバム「Magnetic South」を米国では1970年6月にリリース。2枚目のアルバム「Loose Salute」を11月にリリースしました。

 「Loose Salute」からは”シルバー・ムーン(Silver Moon)”がシングル・カットされ、ビルボードで42位、オーストラリアでは7位にランクされました。マイク・ネスミスの作詞・作曲です。

 日本でもヒットし、文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では1971年3月7日に33位で初登場、4月4,、11日に最高位4位、5月30日に18位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1971年年間チャートで35位に選ばれています。

 

 

 

 マイク・ネスミスのアルバム「Loose Salute」から”Thanks for the Ride"で、マイク・ネスミスの作詞・作曲です。慈味あふれるメロディーに、マイク・ネスミスの哀感のある渋いヴォーカル、レッド・ローズのスティ-ル・ギターも個性的で、とても好きな曲です。マイク・ネスミスもこの曲を好きだったのか、ソロ・コンサートではよく演奏しています。

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1967年~70年の映画音楽 ⑱「クルゾー警部」(1968年) アラン・アーキン

 

 

 映画「クルゾー警部(Inspector Clouseau)」(1968年)からメイン・テーマです。

 映画「暗闇でどっきり」(1965年)の撮影中に監督のブレイク・エドワーズとピーター・セラーズが不仲になり、続編が作れなくなってしまいました。そのためにアラン・アーキン(Alan Arkin)がクルゾー警部役、監督はバッド・ヨーキン(Bud Yorkin)で「クルゾー警部」が制作されました。

 音楽はケン・ソーン(Ken Thorne)で、ケン・ソーンはビートルズの映画「Help!」(1965年)「The Magic Christian」(1969年)や「ローマで起こった奇妙な出来事」(1966年)などのサウンド・トラックを作曲しました。

 アラン・アーキン(1934~2023年)はコメディー「アメリカ上陸作戦」(1966年)で映画デビュー、「暗くなるまで待って」(1967年)では冷酷な殺し屋、ヒューマン・ドラマ「愛すれど心さびしく」(1967年)では主演を演じました。コメディーからスリラー、ヒューマン・ドラマまで演じられる俳優としてアカデミー賞に何回もノミネートされ、2006年には「リトル・ミス・サンシャイン」で助演男優賞を受賞しました。

 バッド・ヨーキン(1926~2015年)は、アメリカのテレビ監督、プロデューサーで1950年代よりコメディー・バラエティーなどを製作、1970年代には数多くのシットコムをヒットさせました。映画はフランク・シナトラ主演の「ナイス・ガイ・ニューヨーク」(1963年)で監督デビューしました。

 私はこの映画を観ましたが一般的に評価は低いですが、アラン・アーキンはコメディーもできる俳優なので面白かったです。”ピーター・セラーズと比べるとどうか”と言う人が多いですが、ピーター・セラーズのしつこく意地悪なところがないので、かえって良いかもしれないです。

 

 

 

 映画「クルゾー警部(Inspector Clouseau)」のメインタ・イトルです。1960年代はアニメを使ったユーモアいっぱいのタイトルが作られて、タイトルを観るだけでも楽しいです。

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ワルター・ワンダレイ ⑥「It Hurts to Say Goodbye(さよならを教えて)」フランソワーズ・アルディー

 

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 ブラジルから渡米後、クリード・テイラー(Creed Taylor)のプローデュスで傑作アルバム「Rain Forest」(1966年)を録音したワルター・ワンダレイの「Cheganca」に次ぐ、米国での3枚目のアルバム「BATACUDA」(1967年)から、”It Hurts to Say Goodbye”です。

 この曲のオリジナル」は米国のポピュラー歌手マーガレット・ホワイティング(Margaret Whiting)で、アルバム「The Wheel of Hurt」1966年 )に収録されました。英国の歌手ヴェラ・リン(Vera Lynn)が1967年に録音、ビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートで7位にランクされました。2人ともドラマチックに歌い上げるアレンジです。

 ワルター・ワンダレイはソフトで美しいロマンチックなアレンジにして、メロディーの良さを引き出し、新しい曲のように生まれ変わらせました。ヴェラ・リンの歌と聴きくらべると、同じ曲なのかと思ってしまうほどです。

 

 

 

 

 フランスの女性歌手フランソワーズ・アルディー( françoise hardy)は、”It Hurts to Say Goodbye”を、ワルター・ワンダレイとカラヴェリのアレンジをベースにフランス語の歌詞をつけ、”Comment dire adieus”のタイトルで録音、1968年にEPとシングルをリリースしました。

 日本では1973年に”さよならを教えて”の題名でシングルがリリースされ、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1973年年間チャートで58位に選ばれています。

 

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ヘンリー・マンシーニ ㉖「 暗闇でドッキリ」「男性の好きなスポーツ」

 

 

 ブレイク・エドワーズ(Blake Edwards)監督の「ピンク・パンサー(Pink Panther)」(1963年)の続編映画「暗闇でドッキリ(A Shot in the Dark)」(1964年)からテーマ曲です。「ピンク・パンサー」に続きヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini)が音楽を担当しています。サウンド・トラック・アルバムはリリースされず、シングルのみリリースされました。米国ではチャートで97位にランクされました。

 映画は前作と同じくピーター・セラーズ(Peter Sellers))がクルゾー警部を演じています。出演はエルケ・ソマー(Elke Sommer)、ジョージ・サンダースなど。撮影中にブレイク・エドワーズとピーター・セラーズが喧嘩をしてしまい不仲になり、二人の共作になる3作目は、10年後の1975年の「ピンクパンサー2(The Return of Pank panther)」まで制作されませんでした。

 1968年にはバッド・ヨーキン(Bud Yorkin)の監督でアラン・アーキン(Alan Arkin)がクルゾー警部を演じた「クルゾー警部(Inspecter Clouseau)」が公開されました。

 

 

 

 ロマンチック・コメディー映画「男性の好きなスポーツ(Man's Favorite Sports)」(1964年)のテーマ曲です。監督は「紳士は金髪がお好き」(1955年)「リオ・ブラボー」(1959年)などのハワード・ホークス(Howard Hawks)、音楽はヘンリー・マンシーニ、主演はロック・ハドソン(Rock Hudson)、ポーラ・プレンティス(Paula Prentiss)です。サントラは発売されず、ヘンリー・マンシーニのアルバム「Dear Heart」(1965年)にアレンジを変えてコーラス・ヴァージョンで録音されました。

 

 

 

 ヘンリー・マンシーニのアルバム「Dear Heart」(1965年)から、映画「男性の好きなスポーツ(Man's Favorite Sports)」(1964年)のテーマ曲のコーラス・ヴァージョンです。

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ワルター・ワンダレイ ⑤ 「Samba De Bossa」「Samba Brasileiro」

 

 

  ブラジルのオルガン奏者ワルター・ワンダレイが渡米前に、1965年にブラジルでサンバと名のつく曲を集めて録音したアルバム「Walter Wanderley/Samba So!」から”Samba De Bossa”です。作曲はこのアルバムに参加しているギタリストのエラルド・ド・モンチ(Helard do monte)です。

 

 

 

 ワルター・ワンダレイのアルバム「Walter Wanderley/Samba So!」から”Samba Brasileiro"です。ワルター・ワンダレイほこの曲をアルバム「Samba E' Samba Com Walter Wanderley」(1961年)でも録音していますが、ボサノヴァ以前とボサノヴァ以降のサウンドの差が歴然としています。

 

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1965年のポップス ㉒ マージョリー・ノエル「そよ風にのって」「慕情の季節」

 

 

 フランスの女性歌手マージョリー・ノエル(Marjorie Noel)の「そよ風にのって(Dans Le Mems Wagon)」です。マージョリー・ノエルは1964年にバークレイ・レコードよりデビュー、1965年にはユーロビジョン・ソング・コンテストに出場し、”慕情の季節(Va Dire A L'Amor )”を歌い9位に入賞しました。”慕情の季節”に続く「そよ風にのって」が日本で大ヒットし、1966年に来日してTV出演や日本語でのレコード録音が行われました。

 ”そよ風にのって”は「TBS今週のベスト10」で1965年11月7日に20位で初登場、12月19日に最高位2位、1966年2月6日には13位にランクされました。「文化放送9500万人のポピュラーリクエスト」では10月28日に20位で初登場、1966年1月20日に1位、3月10日に14位までランクされました。

 「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1965年年間チャートで31位、1966年年間チャートで43位の選ばれています。

 

 

 

 マージョリー・ノエルの1965年ユーロビジョン入賞曲”慕情の季節(Va Dire A L'Amor )”です。日本ではシングル”そよ風にのって”のB面でリリースされました。

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1961年の洋楽 ⑦ ジョニー・バーネット「片目のジャック」「リトル・ボーイ・サッド」

 

 

 ジョニー・バーネット(Johnny Burnette)の”片目のジャック(One Eyed Jack)”(東芝LB-15)です。マーロン・ブランド(Marlon Brando)が監督した唯一の映画「”片目のジャック」(1961年)にインスパイアされ、スナッフ・ギャレットのプロデュースで制作された作品です。日本ではジョニー・バーネットのナンバー中で最もヒットし、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1962年年間チャートで41位に選ばれています。日本でのシングルのB面は、米国では”Dreamin'”のB面だった”シンデレラ・ファイアーボール(Cincinnati Fireball)”です。

 ”片目のジャック(One Eyed Jack)”は、米国では”リトル・ボーイ・サッド(Little Boy Sad)”に次ぐシングル、"Big Big World"のB面として1961年にリリースされました。"Big Big World"はポップ・カントリーで米国では58位にランクされました。

 映画はマーロン・ブランドが主演,、カール・マルデン(Karl Malden)、ベン・ジョンソン(Ben Johnson)などが出演、米国では1961年3月、日本では7月に公開されました。音楽は戦前より多くの映画音楽を作曲しているヒューゴー・フリードホーファー(Hugo Friedhofer)です。

 

 

 

 

 ジョニー・バーネットの日本での3枚目のシングル”リトル・ボーイ・サッド(Little Boy Sad)”(東芝LB-20)で、”イカしたあの娘(Girl of My Best Freind)”とのカップリングで発売されました。

 米国では”ユアー・シックスティーン”に次ぐ、リバティー・レコードでの5枚目のシングルとして1961年1月にリリースされ最高位17位、英国では12位にランクされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1959~60年の洋楽 ③ ジョニー・バーネット「夢にみる恋(Dreamin')」「ユー・アー・シックスティーン」

 

 

 ジョニー・バーネット(Johnny Burnette)の「夢にみる恋(Dreamin')」(東芝LB-1)です。米国では1960年3月にリリースされ、最高位11位にランク、英国では5位にランクされました。

 ジョニー・バーネット(1934~64年)は高校時代より兄と友人とグループを組んでいましたが、卒業後1953年よりジョニー・バーネット・ロックンロール・トリオとして活動。翌年にはサン・レコードと契約、その後コーラル・レコードに移籍しましたが不成功のままグループは解散。ジョニー・バーネットはリバティー・レコードよりソロ・デビューし、3枚目のシングル”夢にみる恋(Dreamin')”がヒットしました。

 

 

 

 

 ジョニー・バーネットの”夢にみる恋(Dreamin)’”に続く、リバティーでの4枚目のシングル”ユアー・シックスティーン(You're Sixteen)”です。米国では1960年10月にリリースされ最高位18位、英国では3位にランクされました。

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角田健一ビッグ・バンド「30周年無観衆ライヴat紀尾井ホール」

 

 

 角田健一ビッグ・バンドの3年前コロナ禍でのライブ演奏です。角田健一ビッグ・バンドは1990年代初頭に結成されましたが、私は恥ずかしながらこのライブを聴くまで知りませんでした。たまたまYou Tubeで聴いたのですが、1曲目の”A列車で行こう(Take the A Train)”からスウィング感に溢れた演奏、編曲も素晴らしく、トランペットなどの楽器のソロも秀逸、今まで聴いた日本のビッグ・バンドでは最高だと思いました。

 3曲目の”ムーンライ・トセレナーデ(Moonlight Serenade)”では涙が出てきてしまいました。グレンミラー以外の演奏で感動したのは初めてです。5曲目の”スウィング・エクスプレス(Swing Express)”はバンンドが滅茶苦茶にスウィングするなか、トランペット、サックス、トロンボーンの奏者が2人ずつアドリブ・ソロを交互に取るのですが、相手のソロを聴きながら個性的な演奏するのが素晴らしいです。ピアノ、ドラム、リズム・ギターに徹してのギター・ソロも最高です。6曲目のデューク・エリントンの”昔は良かったね(Things Aint What They Used to  Be)”はラストを飾るにふさわしく、アレンジが最高、ユーモアとゆとりも感じさせる名演です。

 コメント欄をみても日本からだけでなく、英語圏、ロシア、スペイン、メキシコなど世界中のジャズ・ファンからの賛辞が送られています。ロックの時代、しかも日本ではジャズと言えばピアノ・トリオとハード・バップ系のモダン・ジャズだけが評価されている現代ではビッグ・バンドを維持していくだけでも大変だと思いますが、これからも活躍されることを切に願います。

 

00:52 Take the A Train

06:15 How High the Moon

09:22 Moonlight Serenade

12:51 El Cumbanchero

17:45 Swing Express

25:26 Things Ain't What They Used to Be

 

 

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アントニオ・カルロス・ジョビン (61)「ワン・ノート・サンバ」ジョアン・ジルベルト、オス・カリオカス、ハイ・ローズ

 

 

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)の2枚目のアルバム「O Amor,o Sorriso e a Flor」(1960年)からアントニオ・カルロス・ジョビン1959年の作品”ワン・ノート・サンバ(Samba de Uma Note So)”です。プロデュースはアロイジオ・デ・オリヴェイラ、アレンジとピアノはジョビンです。

 

 

 

 ブラジルが誇るコーラス・グループ、オス・カリオカス(Os Cariocas)のアルバム「A Bossa Dos Cariocas」(1963年)から”ワン・ノート・サンバ”です。1963年にフィリップス・レコードに移籍して1枚目のアルバムです。初のボサノヴァ作品集で、モダンなハーモニーが素晴らしいです。

 

 

 

 米国のコーラス・グループ、ハイ・ローズ(The Hi- Los')のアルバム「Happen to Bossa Nova」(1963年)から”ワン・ノート・サンバ”です。

 ハイ・ローズはリーダーのジーン・ピュアリングを中心とした4人組のコーラス・グループで、1953年に結成されました。1950年中頃から1960年代前半にかけて数多くのテレビー・ショーやライブに出演し人気を博しました。ファースト・アルバムを1954年にリリース、「Happen to Bossa Nova」が最後のアルバムになりました。

 ジーン・ピュアリング(Gene Puerling)はハイ・ローズのメンバーだったドン・シェルトン(Don Shelton)とともに、1966年に4人組のコーラス・グル-プ「シンガーズ・アンリミテッド(Singers Unlimited)」を結成、1970年代にMPSレコードからアルバムをリリース、オスカー・ピーターソンと共演したアルバムなどジャズ・ファンの話題になりました。

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