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ハ・ドッキュ 「自由」 「休み」 「私の故郷は忠清道」

 
 
 
 1993年「MBCTVサタデーナイトミュージックショー」から。最初は長いトークで1分30秒くらいでハ・ドッキュが登場。2分08秒から”自由”を歌います。
 ハ・ドッキュのアルバム2集「休み」収録曲、”自由”は歌詞を見ると社会体制からの自由ではなくて、自我(エゴイズム)からの自由を歌っているようです。ハ・ドッキュは内なる葛藤の人だったのですね。
 
   自由
  
 自由 自由 自由 自由 自由 自由
 皮の中で閉じこもっていたよ 私の幼い魂
 皮から出てから 私が皮かもしれなくて
 皮の中で泣いていたよ 私の悲しい魂
 涙が出てから 私が涙かもしれなくて
 自由 自由 自由
 *彼に会った後私は分かったよ 私は土埃のように切なくて
 彼に会った後私は分かったよ 私は喉が渇くように模索した自由*
 
 皮の中で歌ったよ 私の寂しい魂
 悲しみが出てから 私が悲しみかもしれなくて
 皮の中で泣いていたよ 私の痛い魂
 痛みが出てから 私が痛みかもしれなくて
 自由 自由 自由
 *~*
 
 
 
 
 
 
 
 
 ハ・ドッキュ2集「休み」(1990年)から、タイトル曲”休み”
 
 
 
 
 
 
 
   同じ「MBCTVサタデーナイトミュージックショー」から和気あいあいの雰囲気で、”私の故郷は忠清道”を皆で演奏。
 歌の途中で、司会の歌手チョ・ヨンナムが、3人それぞれに「故郷はどこ?」と聴き、パク・ハッキは「慶尚道」(キョンサンド)、ハ・ドッキュは「江原道」(カンウォンド)、キム・グァンソクは「パク・ハッキと同じ大邱(テグ)」と答えました。
 
 
 
 
 
 
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ハ・ドッキュ 「寒渓嶺」「愛日記」

 
 
 
 ヤン・ヒウンの「限界領(寒渓領)https://youtu.be/RLevdLXYWwoが大好きでよく聴いています。この歌の作者ハ・ドッキュの「寒渓領」が、YoutubeにUpされていました。この歌はヤン・ヒウンもそうですが大きく朗々と歌う歌だと思っていましたが、ハ・ドッキュの素朴な歌声にまた違う味わいがあって感激しています。
 詩人のチョン・ドクスが書いた「寒渓領」という詩からインスピレーションを得て、ハ・ドッキュが作った曲。1985年に発表されましたが、ヤン・ヒウンが歌い大衆から愛された曲です。
 寒渓領は江原道にある峠の名前だそうです。
 
    「寒渓領」
 
 あの山は私に泣かないで 泣かないでと
 足下には濡れた渓谷 重なり合う山中
 あの山は私に忘れろ 忘れてしまえと
 この胸を撫で下ろす
 *ああそれでも一筋の 風のように生きてゆきたい
 この山あの山へと涙の雲をつれ 漂う風のように
 あの山は私に下りろ 下りろと
 疲れたこの肩を強く押す*
 *~*
 
 
 ハ・ドッキュは1980年代のフォークグループ「詩人と村長」のメンバーでした。 
 
 現在、牧師であり大学の教授であるハ・ドッキュを韓国のブログで調べてみました。
 
 1980年代 『詩人と村長』で活動して多くの愛を受けた歌手ハ・ドッキュ教授(白石大学)が音楽人として自分を振り返りました。
 ハ・ドッキュは歌手をするようになった動機について、”美術大学に通っていて、アメリカに留学したかったのですがお金がありませんでした。当時私はアマチュアで音楽活動をしていたので、アルバムを出して歌手になりお金を儲けようとしました。 運が良くてテレビやラジオに出演し、プロデューサーの目に止まり、プロ歌手として活動するようになりました。”(ハ・ドッキュは1981年にオ・ジュンスと、フォークグループ「詩人と村長」を結成しファーストアルバムをリリースしています)
 しかしハ・ドッキュは”大衆歌手として幸せを感じることができませんでした。芸能界は私にはあわないし、成功しなくちゃいけないと言う負担は大きく、仕事は自分のやりたいようにできなかった。そのように葛藤が多かった時期だったのです。”
 そんな彼の人生を変えたのは、映画「ウディー・ガスリー/我が心のふるさと」(1976年作)'を見て感動を受けてからでした。
 ”1982年この映画を見て、出世して暮らすための手段で音楽をしたことを恥ずかしく思いました。そして自分の歌で人々を慰めて幸せにすると決め、 快楽よりは「生きる意味」を伝えるという決心したのでした。その後放送出演をしないで、ロックバンドの野菊(トゥルグァッカ)、ハム・チュノ、ヤン・ヒウンなど商業的成功と関係なく、意味ある音楽活動をしている人たちに出会いました。
 その頃作った歌が ”愛日記”です。歌詞の”父のしわを重ねた黄昏に / 誰もいない地を一人で掘り起こす/友の力強い微笑みに / 愛してると刻む”。ハ・ドッキュはふんだんな感性で'”愛日記'”を歌いました。
 ハ・ドッキュはこの歌を書いて, 当時無名で大邱(テグ)のナイトクラブでギターを弾いていたハム・チュノに会って、第2期 『詩人と村長』を結成しました。明洞(ミョンドン)に屋上部屋を得て、寝食を共にし歌の練習をしました。そして 1986年にアルバム2集 「青い帆/愛日記”」を発表しました。
 「詩人と村長」アルバム3集(1988年)”森”では、自分自身の葛藤を描いた代表曲”茨(カシナム)”を書きました。歌詞”私の中には私があまりにも多くて / あなたの休む所はない/ 私の中に虚しい風たちで / あなたの楽な所はない”。ハ・ドッキュが澄んだ声で穏かに”茨”を歌いました。
 ハ・ドッキュはキリスト教信仰を持つようになり、大衆歌謡をしないことを決心し、 ハム・チュノはずっと大衆歌謡界で活動しなければならなかったのでお互いに別れるようになりました。
 ハ・ドッキュは”ハム・チュノさんとは今もたびたび会って演奏も一緒にして, 去年には釜山で一緒に公演もするなど親しく過ごしています”と語っています。
 
 ハ・ドッキュ1集1984年
 ハ・ドッキュ2集 ”休み”1990年
 ハ・ドッキュ3集 ”広野”1992年
 ハ・ドッキュ4集 ”ハ・ドッキュ家”1997年
 
 信仰の道に進み牧師になって布教活動の一環として、ギターで”茨””風景”などを歌っています。
 
 
 
  
 
 ”愛日記”1993年MBCテレビ番組から  左からパク・ハッキ、ハ・ドッキュ、キム・グァンソク 最初はトークで30秒くらいから歌が始まります。  
 
   愛日記
 
 夜明けの空気を切って飛ぶ 鳥たちの翼に
 始発で職場へと向かう労働者たちのたくましい腕に
 広場を蹴り上げる 鳩たちのけたたましい歌声に
 風の中を駆け抜ける 子供たちの澄んだ瞳に
 愛してると刻む 愛してると刻む
 
 疲れ切った表情で戻る 旅人の疲れた肩に
 市場で母の胸で眠る子供の乾いた額
 路地から帰ってくる 父のしわを重ねた黄昏に
 誰もいない地を独りで掘り起こす 友の力強い微笑みに
 愛してると刻む 愛してると刻む
 
 幾度と踏まれる地に 育つタンポポの葉に
 戻ってはこない美しさに 名前を叫ぶ人々に
 故郷へと戻る 少女の冬の夜汽車のガラス窓にも
 果てしなくただ流れる あの人々の孤独な後ろ姿に
 愛してると刻む 愛してると刻む
 
 
 
 
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シム・スボン/パンミ 「この秋には愛するつもりよ」

 
 
 
  KBSTVの日本版「KBSWORLD」は2007年から日本で放送されました。1970~1980年代に活躍した歌手が出演する歌番組「コンサート7080」は、2008年から録画して楽しんでいました。2008年に「コンサート7080」で初めて観たシム・スボンが歌ったのが”この秋には愛するつもりよ”でした。ピアノの弾き語りだったので、キャロル・キングのような歌手かと思ってしまいました。
 
 シム・スボンの流麗なピアノで前奏が始まり、スキャトを歌い、ドラマの情景のような歌詞に、しっとりとしたメロディ。小学校の音楽先生のような雰囲気と、味わいのある声、音楽性の高さ、このクロスオーバーさ加減にただただ驚いて感激して聞き入ってしまいました。
 
 シムスボンは才能のある人で、コンサートや音楽番組で歌う時に、もとのアレンジを変えることが多く、トロットの曲をジャズのアレンジで歌ったりしています。初めて「7080」で聴いた時も、You Tube からUPした歌謡曲のアレンジとは違う、ロマンチックな映画音楽のようなアレンジでした。
 ただその頃はシム・スボンという女性歌手のことは知る由もありませんでした。何度か「コンサート7080」に出演するうちに、韓国を代表する、国民に愛される歌手だということがわかりました。シム・スボンのCDを買って聴き、歌も覚えました。
 
 この回の「コンサート7080」は、シム・スボンの他にカン・スンモの”無情ブルース ユリサンジャと子供たちの”美しい世界を聴きました。今思うと、驚きの組み合わせです。
 「コンサート7080」では1960~1990年代に流行った韓国のフォーク・歌謡曲をたくさん聴けて、韓国音楽の深さを実感することができました。毎日、韓国音楽を聴いて今に至っている私。ヘンボケ(幸せ)な時を過ごせて、KBSWORLDの「コンサート7080」には感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 「この秋には愛するつもりよ」はシム・スボン作詞作曲で、女性歌手パンミが1983年に歌いヒットしています。
 
    
 
 
 
 
 パンミの「この秋には愛するつもり」。前奏のアレンジが最初に観たシム・スボンの「この秋には愛するつもりよ」のアレンジの雰囲気です。
 
   この秋には愛するつもりよ
 
 聞かないで 私の歳は聞かないで
 今年の秋には愛するつもりよ
 独りで行く道はとても寂しい 寂しすぎるわ
 窓の外に涙を浮かべた 私に似た1枚の紅葉
 ああ 秋は音もなく見て見ぬふりをして 流れて行くだけ
 *切なく思い出す 去って行った愛しい人
 ああそれでもいつかは もう一度愛するつもりよ 愛するつもりよ*
 
 泣かないで 今夜だけは泣かないで
 どんなに悲しいことがあっても
 あなたのいない道はとても悲しい 悲しすぎるわ
 月明かりは華やかに 冬の街路灯の光を受け
 今日も音なく照らしてくれる いつもと変わらず
 *~*
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高石ともやとザ・ナターシャー・セブン 「私に人生と言えるものがあるなら」「想い出の赤いヤッケ」

 

 
 
  優しい声、穏やかな人柄の高石ともや。
 
 ”私に人生と言えるものがあるなら”を好きだという方が大勢います。私もその一人で、新宿の歌声喫茶『ともしび』に行くと必ずリクエストする曲です。
 歌詞がそうさせるのでしょうか。一篇のドラマを観るように、切なくて甘酸っぱくて、ほろ苦い感情が湧き出てくるこの歌。
 韓国フォークを聞いていると別れを惜しむ歌が多く、日本のフォーク”私に人生と言えるものがあるなら”はその集大成のような気がします。いくつもの出会いや別れは惜別の情として残りますが、国を越えて、男女を越えて、心に響く感情は一緒だなとおもいます。
 歌詞の”あなたと過ごした”の”あなた”は、恋人・妻や夫・父や母・兄弟、子供・友人と捉えることもできるし、大切なペット・美しい自然・音楽・映画・ドラマかもしれません。
 歳月を重ねた人であれば、普遍的な感情として、胸の中に惜別の花束を抱えていることでしょう。
 
 ”私に人生と言えるものがあるなら”は、フォークシンガー笠置透によって1971年に作られた詩で、オリジナルは笠置透が結成したフォークグループ「我夢土下座」(カムトゲザ、COME TOGETHER)の歌です。トム・アシュレイの「Faded Roses(色あせたバラ)」という曲が原曲だとのことです。
 
 

 

 

   ”想い出の赤いヤッケ”(慶應義塾大学山岳部の菊池平三郎作詞、三沢聖彦作曲)は1967年3月にシングルで発売。
 WIKIよると高石友也がデビューする前、アルバイト先のスキー場のロッジの主人からこの曲を教わったそうです。
 
 高石ともやは当時90万枚売り上げる大ヒットになった”受験生ブルース”(1968年)で有名ですが、1967年から2008年まで10枚のソロアルバムをリリースしています。
 フォークグループのザ・ナターシャセブンとしても活躍。ギター、フィドル、バンジョー、ハーモニカなどの楽器を駆使し、カントリー、ブルーグラスの音楽を演奏しています。またマラソンやトライアスロンのランナーとしても知られています。
 
 
  この曲もとても良い歌です。”我が大地の歌”  http://youtu.be/nLrjqiV8boU
 
  
 
 
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