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1963年の洋楽⑨ ジミー・ギルマー&ファイアー・ボールズ 「シュガー・シャック」「ブルドッグ」

 
 
 ファイアー・ボールズ(Fireballs)は、1958年に4人組のR&R・ポップスバンドとして活動を始め、1959年に"Torquay"(全米39位)”Bulldog"(24i位,)、1961年に”Quiete a Party"(27位)のヒットを放ちました。
 その後リードヴォーカリストのジミー・ギルマーが加入、ジミー・ギルマーとファイアー・ボールズ(Jimmy Gilmer & Fireballs )と改名、Dot Recoordからのファースト・シングル”シュガーシャック(Shugar shack)”が、1963年に全米1位の大ヒットになりました。
 「TBS今週のベスト10」では12月16日に20位で初登場、1964年1月13日、20日に最高位12位、2月17日まで20以内にランクされました。
 
 
 
  
 ジミー・ギルマー加入以前のファイアー・ボールズ、1959年のヒット曲”Bulldog”です。ベンチャーズでお馴染みのエレキ・インストゥルメンタル・ナンバーですが、聴き比べると、ベンチャーズのドライヴ感と迫力はさすがだと改めて思います。
 
 
 
 
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オズボーンブラザーズ 「涙の小道」 Qsborne Brothers " Pathway of Teardrops "

 
 
  オズボーンブラザーズ(Osborn Brothers)の”涙の小道(Pathway of Teardrops)”を初めてきいたのは、25年くらい前のラジオの「洋楽リクエスト番組」で、こんなにイイ曲があるのだと感激しました。
 ゆったりとしたワルツで、ウェスタンの哀愁がやさしく伝わってきて、コーラス・ハーモニーも、マンドリン、バンジョーの演奏も最高です。.
 
  オズボーン・ブラザーズはボブとソニーの兄弟を中心としたブルーグラス・チームで、1953年にグループ結成。1954年にジミー・マーティンが参加、マーティンのあと1956年にレッド・アレンが参加、MGMレコードから”シーズ・ノー・エンジェル”、”ワンモア”などをヒットさせました。
 オズボーン・ブラザーズの”涙の小道”は1964年の録音です。オリジナルはウェスタン・シンガー、ウェブ・ピアスの1960年の作品です。
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1963年の洋楽 ⑩ イーディー・ゴーメ 「ザ・ギフト(リカード・ボサノヴァ)」 「ワン・ノート・サンバ」

 
 
  イーディー・ゴーメ(Eydie Gorme)の”ザ・ギフト(リカード・ボサノヴァ)”は、アルバム「Blame It on Bossanova」(1963年)の収録曲です。日本ではテレビのCMに使われ、有名になりました。                                                
 このアルバムはボサノヴァナンバーと、映画音楽やスタンダードをボサノヴァにアレンジしてイーディー・ゴーメが歌っています。イーディー・ゴーメの明るい声がサラッとスウィングして、ボサノヴァの爽快感にぴったりです。ビリー・メイなどのアレンジも素晴らしく、私の愛聴盤です。
 
 
 
  
  アントニオ・カルロス・ジョビンの”ワン・ノート・サンバ(One Note Samba)。イントロのハミングから快調、”恋はボサオヴァ””ザ・ギフト(リカード・ボサノヴァ)”とならぶお気に入りの曲です
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1963年の洋楽 ⑨ イーディー・ゴーメ 「恋はボサノヴァ」 ポールアンカ 「ボサノバでキッス(Esso Basso)」

 
 
  軽快なリズムに乗ってさわやかで、明朗な感性で歌うイーディーゴーメの”恋はボサノヴァ”。ラテンの楽しいアレンジで、この1曲にうまみがギュッとつまっています。大好きな曲で良く聴いています。
 
 イーディー・ゴーメ(Eydie Gorme)(1931年生)は、1950年からテック・スベネキー楽団などのバンドシンガーを務め,1953年に人気テレビ番組「スティ-ヴ・アレンショー」に出演、ラスベガスやニューヨーク「コパカヴァーナ」のショーでも成功を収めました。
 1956年にコーラルレコードから初アルバムを、以後ABCパラマウント、ユナイトから多くのアルバムをリリースしました。1963年にコロンビアに移籍して発売した、”恋はボサノヴァ(Blame It on Bosanava)”が、折からのボサノヴァ・ブームにのってヒット、全米7位にランクされました。
 TBS「今週のベスト10」で3月7日に初登場、4月8日に9位、5月6日まで20位内にランクされました。
 歌手のスティーヴ・ローレンスと結婚、おしどり夫婦としても活躍しています。ソロだけでなく、スティーヴ&イーディーとしてアルバムもリリースしています。
 
 
 
 
 
  ”ダイアナ””君はわが運命”などの大ヒット曲でおなじみのポール・アンカが放った、ボサノヴァ・ポップスの人気ナンバー。国内外多くの歌手にカヴァーされています。
 ”ボサノバでキッス(Eso Beso/That Kiss)”は、TBS「今週のベスト10」で1月10日に10位で初登場、最高位10位、2月14日まで20位内にランクされました。全米では最高位19位です。   (Kann Dorao)
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1963年の洋楽 ⑧ ジョニー・ティロットソン 「キューティー・パイ」 「プリンセス・プリンセス」

 
 
  ジョニー・ティロットソン(Johnny Tillotson)(1939年生)は、子供の頃からハンク・ウィリアムスなどに憧れ、15才の時にテレビショウに出演したことをきっかけに、ナッシュビルに移住。ケイデンスレコードから,1958年に”Dream Eyes"でデビュー.、1960年には”ポエトリー・エモーション(Poetry Emotion)"が全米2位にランクされるヒットとなりました。
 甘さをたたえたキュートヴォイスで、カントリー調のポップスを得意とします。
 1963年にMGMに移籍、日本では”キューティー・パイ”がシングルカットされ、「TBS今週のベスト10」で、6月24日に19位で初登場、8月5日と8月12日に最高位7位にランクされました。この曲は米国では”Wituout You"(1961年)のB面で、日本だけのヒット曲です。
 
 
 
 
 
 
 ジョニー・ティロットソンの”プリンセス・プリンセス”は、「TBS今週のベスト10」で、11月14日に17位で初登場、11月25日と12月2日に最高位7位にランクされました。
 米国では”ポエトリー・エモーションのB面で発売され、”キューティー・パイ”と同じように日本だけのヒット曲です。   (Kann Dorao)
 
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1963年のポップス ⑦ リトル・ペギー・マーチ 「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」

 
 
 
 ペギー・マーチ(Peggy March)(1948年3月生)は、5歳の時アマチュアコンテストで優勝したのを機に、地元テレビ局にレギュラー出演。1962年従兄の結婚式で歌ったのが評判を呼び、14歳でRCAよりレコードデビュー。若いことと身長が145センチと小柄だったことから、芸名にリトルがつけられました。
 デビュー曲”アイ・ウィル・フォロー・ヒム(I Will Follow Hm)"は、3週間にわたって全米1位の大ヒットになりました。
 「TBS今週のベスト10」では、6月3日に初登場、7月15日・29日に最高位3位、10月14日まで20位内にランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年年間チャートで12位に選ばれています。
 
 
 
 
 
  ペギー・マーチは何回も来日し、コンサートや日本語の歌をレコーディング、青春歌謡や”愛して愛して愛しちゃったのよ”などをカヴァーし、達者な日本語で親しまれました。UPしたのは”アイ・ウィル・フォロー・ヒム”の日本語盤です。  
 
 
 
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チョ・グァヌ 「月の没落・故郷駅」 キム・ヒョンチョル、チェシクフェサ「月の没落」

 

  大好きな歌手チョ・グァヌのカテゴリを作りました。韓国ドラマ「彼女の家」のOSTでチョ・グァヌの虜になり、オリジナル、他の歌手との歌い比べなどを含めると当ブログでは一番多くUPしています。

 ファルセットから低音まで音域の幅広さに加えて、伸びる声のアドリブ具合も心地よく、アレンジの音楽性の高さに芸術的な香りも感じられ。チョ・グァヌには芯から脱帽してしまいます。
 有名な国楽一家に生まれたチョ・グァヌですが、彼の音楽性は洋楽志向です。ファルセットを生かして、”ステインアライブ”や”ダンシングクイーン”など歌っています。  キム・ヒョンチョルの”月の没落”をアレンジしてソフトソウルに仕上げていますが、もともとオリジナルの”月の没落”は良い曲ですので、アレンジのし甲斐があったのではと思います。
 最近のチョ・グァヌは子沢山の”変な人”として面白がられ、テレビのバラエティーにも出演しています。偉ぶらないチョ・グァヌの言動は視聴者に影響を与えることは少ないのですが、「顔のない歌手」としてデビューし、「ノ・ムヒョン応援団の民主派歌手」のチョ・グァヌです。テレビに大いに出演してほしいと思います。
 
 
 
 
 
 
  
 キム・ヒョンチョル”月の没落”はレコードより、最近のライブのほうがいかしています。以前UPした「コンサート7080」の歌と演奏は最高です。観客の盛り上がりも嬉しい画像です。
 
 
 
 
 
 
 
  チェシクフェサの”月の没落”。
 「チェシクフェサ」は、キム・ヒョンチョルと音楽仲間で作ったバンドです。
 
 
 
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1963年の洋楽 ⑥ クリフリチャード 「サマーホリデー」 「ダンシングシューズ」

 
 
 クリフ・リチャードの代表曲"サマーホリデー(Summer Holliday)"です。色あせることのない、ポップスの名曲です。
 ビートルズ以前のポップスには多少でもオールディーズぽさがあるのですが、クリフ・リチャードの歌とシャドーズの演奏は、今聴いてもフレッシュで爽やかです。
 「TBS今週のベスト10」で6月24日に初登場、8月25日に最高位3位、11月18日まで20以内にランクされました。英国では1位になっています。
 
 
 
 
 
 
 
 "サマーホリデー”のB面、””ダンシングシューズ(Dansing Shoes)”です。英国でも"サマーホリデー”のB面としてリリースされました。
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1963年の洋楽 ⑤ クリフリチャード 「ヤングワン」 「恋のワルツ」

 
 
 
  クリフ・リチャード(Cliff Richard)は1940年生まれのイギリスのポップス歌手です。全世界で2億5000万枚のレコードを売り上げ、イギリスでは13枚のナンバーワン・ヒットを持っています。日本でもファンが多く、1960年代の洋楽シーンで、ビートルズの次に人気があったのはクリフ・リチャードと言っても過言ではないでしょう。
 
 クリフ・リチャード1958年にイギリスで”Move It"でレコードデビユー、全英2位にランクされ、続く1959年には”Living Doll""Travellin' Light"の2曲が大ヒットし1位になりました。
 1960年には5曲シングル盤をリリース、”Please Don't Tease""I love You"は1位、”Voice in Love with You"”Fall in Love With You”が2位、Nine Times out of Ten”が3位と、全ての曲が3位以内にランクされるほどの人気でした。
 1961年には”Theama for Dream""A Girl Like You""When the Girl in Your Armes Is the Girl in Your Heart"の3曲が、3位にランクされました。
 
 日本では1960年から1962年まで、日本コロンビアがクリフ・リチャードのレコードを発売していたのですが、会社が熱心ではなかったのか全くヒットしませんでした。私も日本コロンビア時代の中古レコードをみたことがありません。
 
 1963年に東芝に発売会社が移り、”ヤング・ワン(The Young Ones)”がリリースされ、日本での初めてのヒット曲になりました。「TBS今週のベスト10」では,、3月28日に18位で初登場、5月20日に最高位3位、7月29日まで20位以内にランクされました。英国でも1962年に1位を記録しています。
 
 
 
 
 
 日本で”ヤングワン”のB面の、”恋のワルツ(When the Girl in Your Armes Is the Girl in Your Heart)です。英国では1961年にリリース、最高位3位にランクされています。
 
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キム・スチョル「忘れられた一輪の花」「若者よ」

 
"忘れられた一輪の花"
 
 1957年生まれのキム・スチョルは1977年にバンド「小さな巨人」でデビューしました。以来オリンピックの音楽などを手掛ける音楽家としていくつもの肩書を持つ大物アーティストです。
 「コンサート7080」や「開かれた音楽会」で客席が盛り上がる曲”若者よ”でキム・スチョルを知りました。舞台でギターを持って「欽ちゃん飛び」をする人として印象に残った歌手でしたが、いろいろな国家プロジェクトに参加している人だとはびっくりです。
 ”忘れられた一輪の花”は1983年に発売した1集レコードの収録曲です。1984年の歌謡トップ10では5週連続1位になりました。
 曲は歌謡曲ですが演奏はプログッレっぽいような。泣きのギターも入り、同じ1984年ヒット曲”無常ブルース”のカン・スンモを思い出させます。
 
 
 
 
 
 
 ”若者よ”はいろいろな歌手が歌って舞台を盛り上げています。1984年の2集収録曲です。
 
  若者よ
 
 広野に走って行こう 若い太陽を飲み込もう
 宝石よりも光輝く 虹が住むあの丘を越えて
 明日の希望が僕らを呼ぶ 
 *若い君 目を覚ませ 若い君 目を覚ませ
 愛する若い君 太陽のような若い君 若い君 若い君*
 道の世界に走って行こう 若い希望を飲み込もう
 永遠の花火のような 息吹が宿る
 美しい川山の夢が 僕らを呼ぶ
 *~*
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