goo

「将棋電王戦」~リベンジマッチ 激闘 23時間 菅井竜也5段対習甦戦

プロの将棋棋士とコンピューターが戦う「将棋電王戦」。去年の春の「電王戦」ではプロ側の1勝4敗に終わりましたが、どちらが勝つか最後まではらはらどきどきする、見応えのある戦いでした。雑誌「将棋世界」での敗れた棋士のインタビューも、全身全霊で立ち向かった棋士たちの気持ちが伝わってきて目頭が熱くなりました。
 しかし今年春の「電王戦」は、ルール設定の時から釈然としませんでした。対局の数ヶ月前にコンピューターソフトが棋士に貸し出され、しかも貸し出し後のソフトの改変は許されないという、棋士にとって有利なのではという設定になったのです。
 対局でも第2戦の佐藤伸哉6段とソフト「やねうら王」戦が非常に後味の悪いものになってしまいました。「やねうら王」のソフトにバグが発生したので、「やねうら」側がソフトを改変したことが不正にあたると棋士側が猛抗議、結局改変前のソフトで対局することになりました。その過程で日本将棋連盟と佐藤伸哉6段が、「やねうら」を誹謗中傷するPVを公開してしまい、批判がおきてすぐに削除するということに。
 対局後の将棋連盟と「やねうら」のソフト開発者磯崎氏との会見も、磯崎氏の誠実な受け答えに比べ、将棋連盟側の傲慢さが目立ってしまいました。特に将棋連盟の片上理事の問題が起きたことに対する反省のない、強硬とも思える発言にはがっかりしてしまいました。
 
 そして7月19~20日に「菅井竜也5段対ソフト習甦戦」が行なわれたのですが、驚いたことに対局ルールが「持ち時間8時間・休憩1時間ずつ4回」という、徹夜で将棋をするというもので、土曜日の午後1時に始まった対局は終わったのが日曜日の朝7時。ソフト習甦が勝ったのですが、徹夜で将棋をすれば、眠くもならず、疲れることのないコンピューターが勝つのはあたりまえではないでしょうか。
 プロ棋士同士では長時間の対局の場合は二日制にしているのですから、人間対コンピューターでも同じようにすべきで、最初から棋士にとって明らかに不利なルールにするとは理解できません。また前回の電王戦でトラブルのあった佐藤伸哉6段を解説者にするのも自粛するべきだったと思います。
 私は人間とコンピューターがどちらが強いかということにはあまり興味がありません。それ以前に将棋は数あるゲームのなかでも、特別に面白いゲームであるということのほうが重要だと思います。コンピューターに全力で立ち向かっていくプロの棋士には感動しますし、人間がコンピューターを使いこなし、共存していけばいいと思います。
 そのためにも、”リベンジ”や”徹夜”や”ソフト側に対する挑発”など話題性や刺激的な方向へいかないで、去年の春に行なわれた電王戦の、純粋な”人間対コンピューター”の戦いに戻ってほしいです。   (Kann Dorao)
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

韓国ドラマ 「トキメキ成均館(ソンギョンカン)スキャンダル」(KBS 2010年 全20話)

イメージ 1
 
 
 タイトルが軽いので、観るのをためらっていた『トキメキ成均館スキャンダル』。最近KBSTVで放送されたので何となく観ました。これが面白い!久しぶりに面白くて楽しいドラマを堪能することができました。若い俳優たちが主演ということで、人気のアイドルドラマかと思っていたのですが、ハラハラ、ドキドキ、わくわく、勧善懲悪で、志が高くて、すがすがしいドラマでした。
 朝鮮王朝時代の最高学府の「成均館」(ソンギョンカン)の寄宿舎生活を若手・ベテラン俳優たちが楽しく演じ、当時の時代背景もわかりやすく、コメディあり、胸キュンありで、儒教の”人間としての道理”まで教えてくれた、まさに一石五丁のドラマでした。 
 
 「トキメキ成均館スキャンダル」 KBS 2010年 全20話
 
 原作 チョン・ウングォル
 監督 キム・ウォンソク
 脚本 キム・テヒ
 出演 パク・ミニョン パク・ユチョン ユ・アイン ソン・ジュンギ他
 
 「トキメキ成均館スキャンダル」はチョン・ウングォルの小説「成均館儒生たちの日々」をドラマ化した学園時代劇。
 第22代朝鮮王イサンの時代。主人公パク・ミニョンは学問好きで文才に恵まれた女性。父を亡くし家計をやりくりする母と病気の弟を抱え、家族のために男装し写本や、恋文の代筆をして、家計を助けています。幼い頃から向学心が強く、聡明で勉強家。成均館の替え玉受験でパク・ユチョンと関わり、男として女人禁制の成均館に入学することに。
 パク・ユチョンは朝廷の中心派閥「老論派」大臣の息子。真面目で勉強家で、弓にも長けた青年。身分の差や派閥に関係なく、才能がある者が登用される政治を志す。清廉潔白で不正を嫌うが、格式を重んじ頑固でプライドが高く気難しく、人つきあいが苦手。
 二人は反目しあいながらも全寮制の成均館の生活が始まり、同室に。なまけると即不可の成績になってしまう厳しい教授たちの授業。女人であることを絶対に知られてはいけない緊迫感。
 二人と同室になったユ・アインは少数派「少論派」の息子。素行の悪さから、学生から恐れられていますが、真っ直ぐで何事にも物怖じしないパク・ミニョンにはやさしいぶっきらぼうの先輩です。ユ・アインは黒覆面をして、「老論派」の悪政を夜な夜な市中に訴えて役人に追いかけられているお尋ね物です。(成均館は役人が入ることが出来ない治外法権の場所)
 ユ・アインの大親友、ソン・ジュンギの素行も問題ありで、派手な服装で妓生(キーセン)と遊ぶ女好きなプレイボーイ。奔放で軽薄に見えますが、直感と観察眼は鋭く、正義感も強い。場面場面でひょうひょうと活躍するソン・ジュンギは見ものです。
 4人のキャラクターが魅力的に描かれていて、「トキメキ成均館スキャンダル」症候群も納得です。
 4者4様の主人公たちが、王の密命をうけて活躍する様が小気味いい。正義とは何か、政治はどうあるべきか、愛するものを守るとはどういうことか、改革とは。などなど、考えさせられるテーマが盛りだくさん。
 チョン・テス(ハ・ジウォンの弟)がプライドが高くて冷徹な成均館の学生会長”承議”を演じていて、4人に対抗するくらいの悪役を演じています。悪役にぴったりでした。
 1993年に「明日は愛」(KBSTV)で、イ・ビョンホンの大学生仲間だったキム・ジョンギュンが教授ではなく、20年後も学生役(威厳のない長兄的存在)で出演。権力には弱いが少し正義感のある味わいのある配役でした
 主人公パク・ミニョンは小柄で見るからに女の子っぽく、周りに怪しまれるのですが、都で一番の妓生(キーセン)のハートを射止め、男として学生の皆から「大物」というあだ名を得て一目置かれるようになります。悪役チョン・テスに睨まれながらも、対立する派閥をまとめる実行力を持つパク・ミニョン。同室のユ・アインはパク・ミニョンがいち早く女性だということを知りますがクールに彼女を守り、多くの視聴者の心を捉えました。
 ほかに出演者はイ・サン役チョ・ソンハ、成均館博士アン・ネサン、キム・ハギュン。悪役キム・ガプス、イ・ジェヨン。
 ラストの展開は?でしたが、ハッピーエンドだったので、まあこれでいいかと。それでも男装した同じイ・サン時代のドラマ「風の絵師」より数倍おもしろかったです。
 
 採点(10点満点中7・5点)
 
 
 ターちゃんの韓国歌日記に詳しく『トキメキ成均館スキャンダル』が載っていますので参考にしてください。 http://kt46koreansongs.com/archives/category/%e9%9f%93%e5%9b%bd%e6%98%a0%e7%94%bb%ef%bc%86%e3%83%89%e3%83%a9%e3%83%9e
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

イ・ウナ ”微笑みを浮かべ私を送ったあの姿のように””夜汽車”

이은하 - '미소를 띄우며 나를 보낸 그 모습처럼'

       1986年ヒット曲”微笑みを浮かべ私を送ったあの姿のように”

    現在放送中の韓国ドラマ「愛は歌に乗って」(KBS 2014年)に、ミュージカル劇団代表の役で出演しているイ・ウナ。
 2008年暮れの「コンサート7080」に出演したイ・ウナはこのように話しています。
 ”約3年越しの戸籍整理を終えて新しい住民票を得ました。3歳若くなりました。本当の私の年齢です。私の同級生、同期となっていた人は皆1980年の大学入学で間違いありません。当時は満17歳未満は歌手活動が難しかったんです。規制が厳しくてそれで3歳上げました。今回は改名もしました。本名はヒョスンですが、イ・ウナに改名を。友達だったノ・サヨンさんは”先輩”と改め、ヒョン・スクさんは30年間友達だったから”ずっと友達だ”と。」 
 
 イ・ウナを韓国Wikiで調べてみました。
 
 イ・ウナは1961年にソウルに生まれました。父は有名なアコーデオン演奏者で、5歳の時から音楽に接し舞台に出演しながら音楽的能力を培いました。
 父から初めにトロットを学び、ハスキーな声だったイ・ウナは1973年、12歳の時に”あなたを迎え”でデビューしました。
 デビュー直後、夜の舞台やナイトクラブに出て歌を歌わなければならなかったイ・ウナ。14歳になった1975年には、放送上厳正な規制で当時未成年者は舞台に出演することができなかった.ため、3歳年上の1958年生まれで登録。年上に見えるよう化粧を濃くし、20代に見えるよう偽装して歌手活動をするようになりました。
 テレビに出演するようになったイ・ウナは1976年にリリースした”まだ君は私の愛”がヒットし、1978年には独特な振り付けで旋風的な人気を博した”夜汽車”をリリース、ディスコの女王と呼ばれました。
 1979年にはイ・ウナの作詞した”不明瞭なの”が大ヒット。その年に「KBS 歌手賞」を受賞しました。パワフルな歌唱力を認められたイ・ウナは、1981年に「KBS世界歌謡祭」に出場し 優秀歌唱賞を受賞しました。
 1982年人気を享受していたトップスター、イ・ウナは映画界にデビュー。桃色映画に主演で出演して話題になりました。
 1970年代からハスキーな声とパワフルな歌唱力で、最高のダンス歌手として脚光を浴びたイ・ウナは、1986年本人が作詞した”ほほ笑みを浮かべながら私を送ったその姿のように”で絶頂期を迎えました。
 1989年”振り返えるな”を最後に大きなヒット曲は出なくなくなりましたが、それでもイ・ウナは韓国最高の歌手に認められる『MBC10大歌手賞』を、9年連続で受賞した異例な記録を持っています。
 1990年代に入り空白期を持つようになりましたが、コンサートやミュージカルをこなし、2007年に歌手として復帰。その年ソウル家庭法院にて、自分の実際生まれた年を1958年から1961年に訂正しました。
 
   「微笑みを浮かべて私を送ったあの姿のように」
 
 私のために泣かないで 私のために悲しまないで
 そんなふうに見つめないで 意味を失ってしまったその表情
 *私を愛さないで あまりにも遅すぎたわ
 待ち望まないで 愛は終わったのだから
 あなたはなぜ私を 引き止めてくれなかったの
 こうしてまた悔やむと分かっていたなら
 苦しい試練の中に 彷徨わなかったのに
 愛はもう 私に残されてない 何も感じられない
 微笑みを浮かべ私を送ったあの姿のように*
 *~*
 
 

 

 

 
 
 突き刺すような手の振りが独特な”夜汽車”
 
    「夜汽車」
 
 遠く汽笛が鳴る 私を置いて遠く発つのね
 もはや忘れなければ 忘れられない人だけど
 いつかはまた会えるでしょう
 別れても また会えるもの
 汽笛が遠ざかる あの人を乗せた最終の夜汽車
 遠く汽笛が鳴る けれど淋しくないわ
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アン・チファン ”今日がいい” ”40才頃に”

 
 
 ”今日がいい”は2010年にリリースされた、第10集2枚組CD「今日がいい」の中の収録曲です。
 
 『386世代』の代表的な歌手とされるアン・チファンは、1965年生まれで今年49歳になります。大学の歌声グループ「ノチャサ」で一緒に活動したキム・グァンソクの一つ年下です。(『386世代』とは1990年代に30代(3)で、1980年代(8)に大学生で民主化運動に参加し、1960年代生まれ(6)を『386世代』といいます。2014年、彼らも4~50代になり中年世代になってきました。)
 アン・チファンは延世大学社会史業学科を卒業し、1989年1集 「アンチファン一番目歌集め」でデビューします。2010年まで10枚のアルバムをリリースしています。「ノチャサ」のアルバム第1集では、”傘下”、2集では”荒野で””枯葉また生き返って”を録音しています。
 
 2008年の「コンサート7080」に出演したアン・チファンに、司会のペ・チョルスは
  ”今もご自身の歌が世界を変えられると思われているのですか?”と質問をしました。
 
 アン・チファンは
  ”今は僕の歌は色も薄れて方向性を失ってるところもありますが、歌への追求心や夢は今も変わらないと思っています”と答えました。さらに
  ”歌を始めた頃は明確な夢はありませんでしたが、考えざるをえない時代だったんです。それに歌は楽しむだけ楽しんで吐き出すものではなく、人生と世界を考える何か大切なものであろうという思いでした”
 
 フォークの巨匠キム・ミンギでさえ思うこと、感じたことを歌っているだけだといい、世の中を変えようと歌っているわけではありません。大衆が好んで歌って、民衆歌として受け継がれているのであって、歌で世の中を変えようと思ってなくても、人々が求めた歌が力となって、人々を励まし慰めているのだと思います。アン・チファンも歌いたいことを歌っているのでしょう。
 叙情歌が多くなったとはいえ、10集では”そう私は386だ””私の名前は非正規職””私は歌う労働者だ”などの曲も収録しており、プロテストする力は衰えてはいません。
 
   「今日がいい」
 
 みんな集まって とても久しぶりに集まって
 過ぎ去った日の思い出を 分かち合おう
 短くはない月日の間に 誰かはあの世に
 また誰かは遠い国へ行ったが
 懐かしい君の顔 とてもいい
 君が生きていて心から ありがとう
 決してやさしくない人生 生きていると淋しかった
 君がいて笑えてよかった 
 まだ嫁に行かない友よ はぐれ者の友よ
 今日は俺が君の友になってあげる
 互いに違う道を歩んで来たが 君は何も変わっていない
 残りの人生あわせて 何回会えるだろうか
 友よ 残りの君の人生に あの空の祝福が ともにあることを願う
 今日がいい
 酒一杯に日が落ち 次の一杯に月が昇る 僕らの青春も暮れていく
 カッコいい奴はカッコよく カッコ悪い奴はカッコ悪く
 すべて溶かして一つになって飲もう
 
 
  
 10集収録曲の”40才頃に”です。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

キム・チャンギ(動物園~トンムルウォン) ”市役所前地下鉄駅前で” ”グァンソクへ(キム・グァン

 
 
 
動物園(トンムルウォン)1990年のアルバム「3集」収録曲”市役所前地下鉄駅で”(キム・チャンギ作詞作曲)
 
   「市役所前地下鉄駅で」 
 
 市役所前地下鉄駅で君に再会した 新聞を買おうと振り返った時 
 君の姿を見た 足の踏み場もないその場所で
 君の名前を呼ぶとき 君は驚いた様子で ウ~ 
 君に近寄ろうとした時 僕は誰かの足を踏み 
 とびっきりの笑顔でごめんなさいと言ってしまったよ
 日々の話 移ろった話 うんざりだった天気の話
 押し寄せる思い出に僕たちは疲れていった
 ゆったりとした時間が 僕たちの傍を流れた今
 君は二児の母だと少し笑ってみせた 僕の日常を聞かれた時
 僕は力なく肩を動かして見せては どこかにあろう何かをまだ探してると話した
 *いつの日かまた再会する日には 輝く実を見せてあげると話した
 僕たちの元気に深く刻まれた あの日の歌は 僕たちの耳にまだ残ってるのに*
 
 ときどき君のこと考えると言いたかったけど 短い挨拶だけが常だった
 忙しく動く人の群れに君の姿が消える時 随分前のその日のような私の心には
 *~* 
 
  キム・チャンギの容姿・歌声から、うかがえる善良な人柄。動物園(トンムルウォン)の中心メンバーの隠れた実力者です。延世大学医学部在学中に友人たちと集まって作ったバンド「動物園」。キム・チャンギは「動物園」活動中も医学部学生として勉強し、医者の道へ進みます。
 現在はソウル江南区道谷洞(カンナムトゴクドン)の小児精神科病院で、子供たちの”注意力欠乏過剰行動障害'”など”自閉症”の治療を行っています。
 キム・チャンギについて調べてみました。
 
 1997年に動物園を脱退した後、”夢の会話”のイ・ボムヨンとのデュエット”倉庫で”をリリース。2000年には、ソロ1集「下降の美学」、2013年に親友キム・グァンソクへの鎮魂歌で、タイトル曲”グァンソクへ”を収録したアルバム「私の頭の中の刺」を13年ぶりにリリース。
 2014年2月発売したミニアルバム「平凡な男の幼稚な歌」では、「家族」という共同体で起きる日常と感情をたんたんと歌っています。キム・チャンギはこのミニアルバムを、”時間の流れと共に小さいけれど大事な日常の中で、もっと大きい意味を捜すようになるのが現実で、家族のために出勤してお金儲けする中年男の一日を描いた作品”と話しています。
 
 CBSラジオ番組 ”特別なインタビュー~キム・チャンギ”より抜粋
 
 私はソウルの恵化洞(ヘファドン)で成長期を送りました。恵化洞で思い出すのは丘の上で暮らしていて、母が働いていたので、夕暮れになると兄と妹と3人で母の帰りを待っていたことです。今はドイツの大学で教授をしている声楽家の兄が歌を歌ってくれました。
 両親が音楽好きで、家には1950~60年代のポップスのLPがたくさんありました。声楽家になりたかった母は大学卒業後、MBCテレビのプロデューサー1期で入社したり、大使館に勤めていました。父は軍人でした。
 恵化小学校3年生の時初めて作曲し、子供作曲大会で銀賞になりました。中学の時、兄から誕生日の贈り物でトランジスターラジオをもらいました。ラジオでポップスを聞くのが好きで, ポール・サイモン(サイモンとガーファンクル)を尊敬していました.。
 中学生の時3年間オーストラリアで過ごしました。家族がすべて一緒に暮らしたこともその時が初めてだったのでうれしかったです。サッカーもたくさんして、よく食べてよく遊びました。まわりが白人だけになるとちょっと萎縮しました。
 最初は医者ではなく建築家になりたかったです。サイモンとガーファンクルのアルバム「明日に架ける橋」の中の ''So long, Frank Lloyd Wright''という歌に影響を受けて、この Frank Lloyd Wrightという人がどんな人物かと思って調べててみたら、すごい建築家なんです。自然と建築物を融合させる、ロマンチックで自然主義的な建築家です。それで私もこんな人のようになりたくて理科系に進みました。(フランク・ロイドは大正時代に来日し、帝国ホテル・自由学園などを設計した名建築家)
 
 そして高 3 の夏休みの時、サマセット・モームの ''人間の絆''を読んだのですが、主人公ピーターが私と似ているんです。劣等感が多くてどうすることもできないのに、彼が医者になって奉仕する姿が本当に良く見えました。
 「動物園」のメンバーとは大学の時からすべて友達でした。キム・グァンソクは大学 1年生の時に知り合い、ほとんど兄弟のようにつきあいました.。お互いの家で寝食を共にしながら、一緒に遊んだんです。グァンソクを通して先輩のイム・ジフンさんと知り合いになりました。1984年大学3年の時、”アルバムを出すので私に歌をくれ”と言ったんです。それで作曲した歌をあげたのですが, しばらく消息がなかったんです。1987年に勉強している時に、ラジオで私がイム・ジフン兄さんにあげた歌'”愛の引潮'”が流れました。
 
 その歌がヒットした後に、ロックバンド「サヌリム」のキム・チァンワンさんが”まだ作っておいた曲あるの?”と聴くので、友達どうしでデモテープ 20本を作りました。そうすると、チャンワンさんが”家宝になるから、アルバムを出してみなさい”と言われました。しかし私は大学で一回落第していたので、また落第するか心配でした。ところがやって見るとあまり勉強に邪魔になることもなくて、サークル活動のようだったし、反応も良くて続いたんです。
 
 そのように録音したのが、アルバム「動物園 1集」でした。毎週金曜日夕方にスタジオへ行って、ジャージャーメン・酢豚を食べながら 、8トラックにした曲を録音しました。動物園の”街で”http://youtu.be/lUPAwQOdLtUは、人々が好む曲だと思って作りました。実は私はマイナーバラードをあまり好きではないんですが、計算された音楽構成で、とても切々たる感情を曲にしました。
 「動物園」を脱退したのは、キム・グァンソクの死とは関係ないです。精神科医は芸能人みたいなイメージがあってはいけないから、精神科医としてまじめに暮すために動物園をやめなくちゃいけないと思いました。
 精神科医になったのは精神分析をしたかったからです.。専門医になった後に留学しようと考えたのですが、すぐにIMF危機が起きてしまいました。 あの時ちょうどシカゴイリノイ大学で精神医学の教鞭をとられていた
方が帰国していて、私が初弟子になったのです。人間の発達をよく学ぼうという考えで始めましたが、本当におもしろかったんです。
 
 
 
写真 大学時代の「動物園」のメンバー 左からチェ・ヒョンギュ、パク・ギヨン、キム・グァンソク、ユ・ジュンヨル、パク・ギョンチャン、キム・チャンギ、イ・ソンウ
 
 キム・チャンギ第2集『私の頭の中の刺』タイトル曲”グァンソクへ”
 
  グァンソクとの思い出は、いつだったか私たちがパーマをかけた事があって グァンソクがとても自分の家に帰る勇気がないと言うんです。それで私の家へ行ったのですが、私の両親は何も言わないでチェッチェッチェと舌打ちしました。その翌日グァンソクの家へ行ったら、親御さんに怒られてしまいました。
 グァンソクが死んだ時は私がインターンをしている最中で、お互いに忙しくて一緒に話すことがなくて、彼の辛い気持ちが分からなかった。死ぬ少し前に一緒にお酒を飲みましたが, その時医者の仕事の大変な話ばかりをしてしまいました。
 兄弟みたいに親しかった友達の辛い心も推し量ることができなかったのに、同じような辛さ・悩みを抱えている人たちに、精神科医として話を聞いて治療しているのかと思ったりします.。
 しばらくは罪責感がとても大きくて仕方なかったです。長い間兄弟のような人の心を全然理解しないで、 自分のことばかり考えていたという罪責感があまりにも多かったです.。少しでも助けにならなければならなかったのに、少しでも気を使ったらそんな事が起こらなかったでしょうに、という自責の念です。
 
  インタビューは小児精神科医としてのあり方や、治療のための家族のあり方など、過ぎた歳月で中年になり、家族と幸せに暮らしている自身の暗い面もあえて、アルバムの写真に使ったことを話しました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

動物園(トンムルウォン)、キム・チャンギ ”君を愛するよ”

 
 
 
 
 現役で活躍する動物園(トンムルウォン)のKBSTV「7080」(2013年2月)での演奏、”君を愛するよ”。真ん中のピアニカがパク・ギヨン、ギターがユ・ジュンヨル、ペ・ヨンギルです。
 KBSTVの「コンサート7080」や「開かれた音楽会」で観る動物園は、現メンバーの3人構成です。以前にUPした動物園の”君を愛するよ”のミュージックビデオ(1995年)には丸顔のボーカリストがいて、今の動物園にいないのが不思議でとても気になっていました。
 動物園といえばキム・グァンソクが所属したグループとして有名で、「コンサート7080」でもキム・グァンソクのことが話題になります。同メンバーだった丸顔のボーカリストには触れないので、キーボードと同じ人だとずっと誤解していました。(私だけだと思いますが)
 『1988年のヒット曲・TOP100』に動物園が7曲もランクインしていたので、動物園を調べたところ、そのボーカリストがキム・チャンギで、動物園の代表的なヒット曲の作詩・作曲者だったということがわかりました。https://blog.goo.ne.jp/yakkogacha/e/59447ba08819f8ad3d877d552c1c980f

 

 
 
  
 
 
  Youtubeで”君を愛するよ”を歌うキム・チャンギの画像を見つけました。2014年の4月、MBCTVの音楽番組からです。
  ”君を愛するよ”は、やわらかいシャボン玉のような夢見心地の、趣味の良い調べの洗練された音楽なので、作詞作曲したキム・チャンギの人間性がわかるような気がします。
 
 
 
 
 1995年に発売された6集アルバムのタイトル曲”君を愛するよ”。真摯な歌詞と清らかな感性で音楽チャートの1位を獲得しました。
 4人が揃ったライブ。ファンの歓声がすごいですね。当時の人気の凄さがわかります。
 
   「君を愛するよ」
 
 僕の熱い唇が 君の柔らかな唇に 触れるように願い
 僕の愛が 君の心に伝わるように
 まだ僕の気持ちが気付かずにいるなら
 この世の誰よりも 君を愛するよ
*君を愛するよ いつまでも 君を愛するよ 今この瞬間のように
 この世の誰よりも 君を愛するよ*
 難しい話で 君の関心を引くこともできる
 よくある遊びで夜を過ごすこともできる
 だけど僕の心にそろそろ気付いて
 この世の誰よりも 君を愛するよ
 *~* 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

2007年6月の「開かれた音楽会」から ヤン・ヒウン ”常緑樹” チェ・ヒョンス”先駆者&quo

 
 
 ヤン・ヒウン”常緑樹”
 
   7年前に録画をしていた2007年6月のKBSTV「開かれた音楽会」は、『6月抗争』20周年を記念した音楽会でした。
 1960~80年代の朴大統領から全大統領までの、長期における軍事独裁政権。
 『6月民主抗争』とは、1987年6月10日から29日の間20日間にわたって、大統領の直接選挙制などの民主化を求めて、広範囲で繰り広げられたデモ行動、民主化運動の名称です。
 『6月抗争』は大統領直接選挙制・改憲実現などの一連の民主化措置を約束する『6・29宣言』を、全斗煥(チョン・ドファン)政権から引き出すことに成功しました。
 2007年には「6月10日」が民主化記念日に制定されました。「開かれた音楽会」では民主化運動の歴史を生きた人々とその遺族を迎えて、韓国の国民がひとつとなった6月抗争の日を追憶し、民衆歌謡を中心に2部に渡って放送されました。
 司会ファン・スギョンは”1987年の6月から20年が経ちました。奮い立ったあの日の精神を忘れずに、希望と共に築くべきより良い世界を、歌と共に夢見たいと思います”と出演者を紹介しました。出演者がヤン・ヒウン、シン・ヒョンウォン、ノチャサなどで、感動的な民衆の歌を歌っていてとても興味深い音楽会でした。
 
 
  
 
 
 チェ・ヒョンス”先駆者”(2007年6月抗争20周年記念「開かれた音楽会」より)
 
 
 韓国ドラマを観て、ドキュメンタリーを見て、韓国音楽を聴いてるうちに1970年代~80年代の韓国社会の様子が分かるようになり、庶民の生活、若者の鬱積、芽吹き、変革の息吹を肌で感じられるようになりました。
 20014年の今、「開かれた音楽会~6月抗争20周年記念」を観ると、2007年まではまだ韓国には民主化の名残りがあって、いまでは失ってしまった”明るくて志のある番組制作”が行われていたのだと感慨深いものがあります。
 UPした画像はチェ・ヒョンスの歌う”先駆者”です。”先駆者”は1933年に作られ、日本の植民地時代、独立運動をする人々を称えた歌です。韓国の国民から愛され、更に 1970~80年代の学生運動と民主化運動の時期にも愛唱されました。
 
   「先駆者」
 
 一松亭の青松は 年老いてゆけども
 一筋の海蘭江は 千歳にわたり流る
 過ぎし日川辺で 馬を馳せし先駆者
 今はいづこで 深き夢を見るか
 
 水くみの井戸辺に 夜鳥の声聞こゆる時
 由緒深き龍門橋に 月光は美しく射す
 異国の空を見上げ 弓を射し先駆者
 今はいづこで 深き夢を見るか
 
 龍珠寺の暮れの鐘 飛岩山に響く時
 男児の固き心に 深く刻み込みけり
 祖国を取り戻さんと 誓ひせし先駆者
 今はいづこで 深き夢を見るか
 
 初めて”先駆者”を聴いたのはは「ランラン18才」(KBS 2004年)でイ・ドンゴンが、結婚式で歌った”先駆者”。イ・ドンゴンがきれいな声で朗々と歌いました。
 
 
 
  
 
 
 ノチャサ、キム・グァンソク、アン・チファン”その日がくれば” 
 
 
 1993年の画像から、ノチャサ、キム・グァンソク、アン・チファンが揃って”その日が来れば”を歌っています。”その日が来れば”は”荒野にて”: http://blogs.yahoo.co.jp/yakkogacha/10724989.htmlと同じムン・デヒョンでの作品です。
 1987年の『6月抗争』から6年後の、1993年の学生達。”その日が来れば”で一緒に歌う学生達にはまだ民主化の余韻があります。・イビョンホン主演の韓国ドラマ「生き残った者の悲しみ」(KBS 1993年)が作られた背景がわかるような気がします。
  韓国の”その日”とは、「日本の植民地からの独立」「軍事独裁からの民主化」でした。そしてもう一つの”その日”は同じ民族なのに、2つの国家に分断された悲劇から一つの国家に戻ること「北朝鮮と韓国の統一」なのでしょう。
 
   「その日が来れば」
 
 一夜の夢ではない 長い苦悩の末 我が兄弟の光る瞳に 輝く涙
 一筋の川となって流れ 苦しみの汗も共に流れ 広大な平和の海へと
 正義の波があふれる夢
*その日がくれば その日が来れば 我が兄弟なつかしいあの顔
 あのつらい追憶も* 
 ああ短かった青春も 無駄な夢ではなかろう
 その日が来れば その日が来れば 
 *~*
 ああ青黒いあざも 無駄な夢ではなかろう
 その日が来れば その日が来れば
 
   「常緑樹」
 
 荒野のあの青い松を見よ 誰に見守られるでもなく
 雨風吹雪が打ちつけようと この世の果てまで青く染める
 辛く苦しかったあの日々も 二度とは姿を現すなと
 汗を流そう 悟ろう 荒野の松となろう
*手にしたものは少なくとも 手に手をとって 涙を流せば
 我がいく道 遠く険しくとも 突き進み必ずや勝利する*
*~*
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ノチャサ 「1集アルバム」から ノチャサ”行くことの出来ない故郷” アン・チファン”傘下” 

 
   1980年代韓国の大学生歌声サークルから生まれたグループ、『ノチャサ』の第1集アルバム(1984年)をよく聴いています。一曲目”行くことの出来ない故郷”は、ジーンとくるメロディがどこか懐かしく哀しみを誘います。
 行くことが叶わない地「北朝鮮」への望郷を歌っているのか、それとも田舎からソウルの工場労働者としてきた人々の哀歌なのか、どちらともとれるような歌です。
 
 
 
 
   ノチャサのメンバーだった、アン・チファンが歌う、アルバム3曲目”傘下”です。
 
 
 
 
 
 
  アレンジが楽しい、アルバム6曲目”日曜日が過ぎる音”です。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )