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1967年のポップス ⑱ デイブ・クラーク・ファイヴ Dave Clark Five ”ビューテイフル・ベイビー” ”青空がちょっぴり”

 
 
 デイブ・クラーク・ファイヴは1967年に日本で、”ナインティーン・デイズ(Nineteen Days)”(東芝OR-1629、1967年1月)、”青空の恋(You Got What It Takes)”(OR-1702、5月)、"ビューテイフル・ベイビー(You Must Have Been a Beautiful Baby"(OR-1760、8月)、”青空がちょっぴり(A Little Bit Now)"(OR-1788、10月)をリリースしました。
 アップした”ビューティフルベイビー”は英・米では1967年7月にリリースされ、全米35位、イギリスではチャート・インしませんでした。ハリーウォーレン作曲、ジョニー・マーサー作詞のスタンダード・ナンバーで、ビング・クロスビー、ペリー・コモなど多くの歌手がレコーディングしています。
 大きくホーンがフューチャーされ、マイク・スミスのソウフルなヴォーカルが大活躍する迫力のナンバーです。
 
 
 
 
 
 
 
 アップした”青空がちょっぴり(A Little Bit Now)”は1967年8月~9月にリリースされ全米52位、イギリスではチャートインしませんでした。ファンキーなソウル・ナンバーで、マイク・スミスの迫力満点のヴォーカルが楽しめます。”青空の恋(You Got What It Takes)”や”ビューティフルベイビー”と同じで、1967年のDC5は大ヒットはしませんでしたが良い曲が揃っています。   (Kann Dorao)
 
 
 
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韓国ドラマ「太陽がいっぱい」②(KBS 200年 全54話)

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 「太陽がいっぱい」
 
 演出 コ・ヨンタク シン・チャンソク
 
 脚本 ペ・ユミ ホ・ヒョンミ
 
 同じ日に母を病気でなくしたパク・サンミンと母に捨てられたイメージ 2ユ・ジュンサンは友情を育む。貧しくても支えあいながら大学進学を目指す二人は、大手建設グループの会長の娘キム・ミンが自殺を図るのを助けて、謝礼金を元手に上京する。ソウル駅で学費を盗まれたため、情に厚いパク・サンミンは進学をあきらめ、自分の学費をユ・ジュンサンに渡し大学へ進学させる。二人は下宿の娘キム・ジスに恋をする。
 ユ・ジュンサンを捨てた母親(イ・ヒョチュン)が裕福になって、イメージ 3ユジュンサンの前に現れる。さらに司法試験の最中に祖母が他界し、自分の運命を呪うユ・ジュンサン。自暴自棄になったユ・ジュンサンをキム・ジスが慰め、二人は結ばれる。
 
 
助けたお嬢様とお互いに知らずに、パク・サンミンとキム・ミンは交際を始める。会長のキム・ムセンは娘(キムミン)を助けた恩人でもあるユ・ジュンサンを気に入り、司法試験に合格し検事にイメージ 4なったユ・ジュンサンをキム・ミンの婿として迎え入れる。
 
 
 
前半と後半の肌合いが違うのは演出家が変わったからなのでしょうか。前半のコミカルさを交えた展開が、後半の裏切りと復讐の話になってからは笑いがなくなり、深刻になりました。それが30%台後半イメージ 5の視聴率に繋がったのかもしれません。
 こんな展開になるの?と思うほど、脚本が変わっていくのですが、それでも俳優たちの演技を観ているだけで大満足でした。
 
ユ・ジュンサンの母親役のイ・ヒョチュンは、捨てた息子ユ・ジュンサンによる復讐で苦しみ悩みます。ハラハラと落ち葉が舞うような柔和な演技、自然に涙が零れ落ちるイ・ヒョチュン。大げさに泣き喚くのイメージ 6ではないラストの涙のシーンには胸がいっぱいになりました。お金持ちの奥様が似合うお洒落なイ・ヒョチュン、本当に素敵です。
 
対照的にキム・チャンスク(キム・ジスの母親役)は、めずらしく強めのパーマをかけたホテルの洗濯係の役でした。浮気癖の夫(ソン・ジェホ)を捜してバットを持って屋台に乱入するなど、随所随所のコミカルな演技に大笑いしました。後半ではキム・チャンスクが娘の家イメージ 7出で元気がなくなってしまい、見せ場がなくなり残念でした。
 
会長役のキム・ムセンにも堪能しました。顔の角度、目の動きだけで恐い存在感があります。声も張りがあって、冷徹な会長役にピッタリ。キム・ムセンの代わりができる俳優はいないでしょう。まさに重鎮、大ベテランの大御所俳優ですね。息子のキム・ジュヒョクは反対に、韓国では顔が覚えられない俳優として有名ですが、お父さんのイメージ 8演技を勉強してほしいです。
 チョン・ヨン(キム・ミンの養父)は温厚で律儀な町工場の社長にぴったりでした。気難しさがなく朗らかで、恐い会長のキム・ムセンとは対照的でした。
 
ピリっとドラマを盛り上げる脇役のチェ・ジェウォンは、最近のドラマでもいろいろな役をこなしています。「太陽がいっぱい」ではキム・イメージ 9ジスの兄役で、街のチンピラを演じていました。頭が悪くて怖くないチンピラ役で、子分のヤン・ドングン相手に間の抜けたおおげさな芝居をして、お腹がよじれるほど笑ってしまいました。とっても面白かったです。
 
 
チョン・ダビンにも会えました。やっぱりかわいいチョン・ダビンです。祖母の葬式に来ないで司法試験を受ける兄のユ・ジュンサンを許せなくて、アフロヘアに濃いメイクでぐれてしまいますが、後半はイメージ 10兄を許して天使のようになりました。
 イ・ヒョチュンの再婚相手は建設会社社長のイ・ジョンギルで、ユ・ジュンサンは父の会社を倒産させたと誤解して復讐します。
 
 ”キム・ミンがこんなに演技が上手な女優だったとは”と驚き、大人気女優のキム・ジスに懐かしさを感じ、最後まで友情を貫く篤実なパク・サンミンに感動しました。
 
 熱演が熱演を呼び、演じた俳優たちが皆素晴らしく、韓国ドラマを再認識させるドラマでした。
 
 採点(10点満点中7.5点)
 
 
 
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韓国ドラマ「太陽がいっぱい」①(KBS 2000年 全54話)

 
 
 
 韓国ドラマ「太陽がいっぱい」(KBS2000年全54話)は、期待以上のドラマでした。第1話の初まりは、大雨の中イ・ヒョチュンが子供を置いて逃げていくシーンから始まります。主人公二人、ユ・ジュンサンとパク・サンミンの子役たちの友情物語、大学進学までの紆余曲折、相手役キム・ジスとキム・ミンが加わって、更にドラマが予想のつかない展開になっていきます。
 キムジスの母親キム・チャンスクの普段より大げさな芝居と、兄のチェ・ジェウォンと子分のヤン・ドングンの馬鹿馬鹿しいほどの濃いお笑いにお腹を抱えて笑うほどでした。かわいいチョン・ダビンもユ・ジュンサンの妹役で登場します。
 後半はシリアスになっていきお笑いはなくなりますが、俳優の熱演に次ぐ熱演で、オ・ヒョンランの挿入歌も合い重なり、せつないシーンの連続でした。
 イ・ヒョチュンの正統派メロドラマの演技にはしびれました。
 ラスト53,54話は演技とは思えないほどの涙、涙の迫真の演技が続きました。久しぶりに、韓国ドラマの俳優たちの名演・熱演を堪能し、溢れる涙が止まらなくなりました。
 
 
緩急つけた脚本も演出も素晴らしく、上質な作品だと思います。韓国ドラマ「青春の罠」のように、上昇志向の強い男が女と子供を捨てるという設定で、後半は復讐話になります。
 日本ではKBSワールドで2009年10月の深夜に放送されました。イケメンがいない地味な配役ですので、最後まで観た人はどのくらいいるのだろうと思いました。
 余韻が強く残り、韓国ドラマへの熱が再燃。通販で12作品の韓国ドラマDVDを購入。ブログを更新する時間もないほど、夢中になってドラマ三昧の毎日を送っています。
 
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1964~66年の映画音楽 ③ 「太陽のかけら」 「リーザの恋人」

 
 
  1960年代まで、地味な外国映画(特にヨーロッパ映画)を日本で公開する時に、タイトル音楽を変えて上映することがありました。日本人の好みにあった曲に変えるか、日本で新しく曲を作ってしまい、ラジオの洋楽チャートにランクされ、映画がヒットイメージ 1するようにしました。
 最も有名なのはギリシャ映画の「夜霧のしのび逢い」(1965年)です。映画とは関係のない、1964年にヒットしたクロード・チアリのギター曲”La Playa"を、タイトルだけでなく映画の随所に用いて、映画とレコードを大ヒットさせてしまいました。
 UPした1965年スウェーデン映画”太陽のかけら”(1966年1月公開)もテーマ曲を、映画とは関係のないミハエル・ホルムの曲をクラリネット奏者のロジャー・ベネットが演奏しているものに差し替えて日本で公開されました。哀愁のクラリネットとメロディーが人気を呼び、TBS「今週のベスト10」で、2月17日に1位にランクされました。
 
 
 
 
 
 「リーザの恋人」は1964年(1965年9月公開)の伊・仏・スペイン合作映画で、モーリイメージ 2ス・ロネ主演のメロドラマです。音楽は映画からカンツォーネ・ポップス・ロックまで幅広く活躍しているルイス・エンリケ・バカロフです。バカロフはフェリーニの「女の都」(1981年)「フェリーニの夢」(1982年)などの映画音楽を書いています。
 UPした「リーザの恋人」は、演奏が日本のオーケストラだと思われる「カルロバス・カレーラ楽団」です。楽団名はルイス・エンリケ・バカロフからとったのでしょうか。
 TBS「今週のベスト10」では、1966年1月までトップ10にランクされていました。
                                        (Kann
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1966年のポップス ⑧ クリフ・リチャード ”ビジョン(君のおもかげ)””ブルー・ターンズ・トゥ・グレイ”

 
 
 クリフ・リチャード(Cliff Richard)の”ビジョン、君のおもかげ(Visions)”はスローなバラードで、イギリスでは1966年にリリースされ、全英7位にランクされました。
 文化放送「9500万人のリクエスト」では10月27日・11月3日に最高位4位、TBS「今週のベストテン」では10月2日に最高位18位にランクされました。
 
 
 
 
 
 クリフ・リチャードの”ブルー・ターンズ・トゥ・グレイ(Blue Turns to Grey)”は、ミック・ジャガーとキース・リチャーズの曲で、クリフリチャードの歌で1966年に全英15位にランクされました。
 文化放送「9500万人のリクエスト」では9月8日に最高位7位にランクされました。
    (Kann Dorao)
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1966年のポップス ⑦ クリフ・リチャード 「思い出の砂浜」「フォーティ・デイズ」

 
 
 クリフ・リチャードの”思い出の砂浜(Little Grain of Sand/Legata Ad un Granello Salobia) )”の原曲はカンツォーネで、クリフ・リチャードもイタリア語で歌っています。クリフリチャードは当時世界中で人気があったので、イタリア語・フランス語・ドイツ語・スペイン語でもレコーディングしています。
 日本では1965年末に発売され、文化放送「9500万人のリクエスト」では、1966年1月27日までベスト20にランクされました。
 
 
 
 
 
 1950~60年代はポップスのシングル盤を発売する時に、日本のレコード会社が独自に曲を選んでリリースする場合があり、日本だけのシングルカットや、数年前の曲が発売されることもありました。
 クリフ・リチャードの”フォーティ・デイズ(forty Days)”も、イギリスで1961年リリースのアルバム「21Today」に収録されたナンバーです。文化放送「9500万人のリクエスト」で、1966年6月16日に最高位21位にランクされました。原曲はチャックベリーです。
 シャドウズをバックに、爽やかにロックンロールするクリフ・リチャード、最高ですね。ビーチボーイズのような軽快なサウンドで、ビーチボーイズは日本ではロックの王様として崇拝されているのですから、クリフとシャドウズがもう少し評価されてもいいのでは思ってしまいます。   (Kann Dorao)
 
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1966年のポップス⑥ キャシー・ブラッシャー ”涙のロンリーガール” ."

 
 
 キャシー・ブラッシャー(Cathy Brasher)はアメリカのオールディーズ・ポップス系の女性歌手で、1964年~66年にマイナー・レーベルからシングルを4枚リリースしました。1966年に3枚目のシングル”SH...Listen”が、”悲しみのロンリーガール”のタイトルで日本発売され、TBS「今週のベスト10」で、3月10日に最高位15位にランクされました。
 1966年にしてはちょっと古めのガールズ・ティーンポップで、この曲を好きなレコード関係者の方がいて発売されたのでしょうか。   (Kann Dorao)
 
 
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