goo

1970~73年の洋楽 ⑩ ブリンズレイシュワルツ「(Please) Don't Ever Change」クリケッツ(1962年)

 英国のパブ・ロック・バンド、ブリンズレイ・シュワルツ(Brinsley Shwalz)は1970年にBrinsley Shwalz、Nick Low、Bob Andrews、Billy Rankin、Ian Gommnの5人によって結成されました。アルバムは「Brinsley Shwalz」(1970年(「Despite It All」(1970年)「Silver Pistol」(1972年)「Nervous on the Road」(1972年)「Please Do't  Ever Change」(1973年)「The New Favorites of,,,Brinsley Shwalz」(1974年)をリリースしました。

 

 

 アルバム「Please Do't  Ever Change」(1973年)からタイトル曲の" Do't  Ever Change"です。メロディーの良さを十分に活かした歌と演奏で、懐かしさと温かさで心がいっぱいになります。

 キャロル・キング(Carole King )とゲリー・ゴフィン(Gerry Goffin)の作品でオリジナルはバディー・ホリー(Buddy Holly)のバック・バンドのクリケッツ(Crickets)が1962年にリリースし、英国では5位にランクされました。

 ビートルズが1994年にリリースしたアルバム「Live At The BBC」で、” Don't  Ever Change”の1963年6月の演奏が収録されています。

 

 

 

オリジナルのクリケッツ(The Crickets)の演奏です。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1970~73年の洋楽 ⑨ マイク・ネスミス「シルバー・ムーン」「Thanks for the Ride」

 

 マイク・ネスミス(Michael Nesmith)はモンキーズ脱退後、ペダル・スティールのレッド・ローズ(Red Rhodes)らとファースト・ナショナル・バンド(First National Band)を結成、ファースト・アルバム「Magnetic South」を米国では1970年6月にリリース。2枚目のアルバム「Loose Salute」を11月にリリースしました。

 「Loose Salute」からは”シルバー・ムーン(Silver Moon)”がシングル・カットされ、ビルボードで42位、オーストラリアでは7位にランクされました。マイク・ネスミスの作詞・作曲です。

 日本でもヒットし、文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では1971年3月7日に33位で初登場、4月4,、11日に最高位4位、5月30日に18位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1971年年間チャートで35位に選ばれています。

 

 

 

 マイク・ネスミスのアルバム「Loose Salute」から”Thanks for the Ride"で、マイク・ネスミスの作詞・作曲です。慈味あふれるメロディーに、マイク・ネスミスの哀感のある渋いヴォーカル、レッド・ローズのスティ-ル・ギターも個性的で、とても好きな曲です。マイク・ネスミスもこの曲を好きだったのか、ソロ・コンサートではよく演奏しています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1970~73年の洋楽 ⑧ バッド・フィンガー「明日の風(Carry on Till Tomorrow)」「カム・アンド・ゲット・イット」

 

 

 バッド・フィンガー(Bad Finger)のファースト・アルバム「Magic Christian Music」(1970年)から「明日の風(Carry on Till Tomorrow)」(東芝EAR-10151)です。この曲は1972年に日本でのみシングルとしてリリースされました。B面はセカンド・アルバム「No Dice」(1970年)から”ウィザウト・ユー'Without You)”です。

 柔らかなヴォーカルとコーラスが哀愁を帯びたメロディーと溶け合い、ジョージ・マーティンの幻想的ともいえる巧みなオーケストレイションも素晴らしく、ラスト”Carry on”のコーラスでフェイド・アウトしていくまで美しいとしか言いようがない名曲です。ラジオ関東の坂井隆夫氏の音楽番組で、初めて聴いた時のことを今でも覚えています。

 

 

 

 バッド・フィンガーのアルバム「Magic Christian Music」(1971年)から"マジック・クリスチャンのテーマ(Come and Get It)"(東芝AR-2444)です。B面 は英国と同じ"ロック・オブ・オール・エイジズ(Rock of All Ages)"です。英国では1969年12月にリリースされ最高位4位、米国では最高位7位にランクされました。日本では1970年に発売されましたが、ヒットにはなりませんでした。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1970~73年の洋楽 ⑦ ダニー・ハサウェイ「バルデス・イン・ザ・カントリー」「Where Is Love」

 

 

 ダニー・ハサウェイ(Donny Hatharway)のアルバム「Extention of Man」(1973年)から”バルデス・イン・ザ・カントリー(Valdes in The Country)”です。作曲・アレンジはダニー・ハサウェイです。

 エレクトリック・ピアノのソロとクロスオーヴァー・サウンドが気持ち良い、ダニー・ハサウェイの傑作ナンバーです。アルバム「Extention of Man」は実質的に彼のラストアルバムになってしまいましたが、ダニーハサウェイの5枚のアルバムの中で最も充実した作品だと思います。

 ダニーハサウェイは大学で音楽を学び、そこでロバータ・フラック(Roberta Flack)との出会いがありました。カーティス・メイフィール(Curtis Mayfield)ドのCURTOMレコード で作曲家、アレンジャー、プロデューサーとして働き、その後ATCOレコードと契約、アルバム「Evrything Is Everything」(1970年)。「Donny Hatharway」(197年)「Live」(1972年)「Roberta Flack & Donny Hatharway」(1972年)、サウンド・トラック「Come Back Charlustin Blue」(1972年)をリリースしました。

 

 

 

 大学時代からの友人ロバータ・フラックとのアルバム「Roberta Flack & Donny Hatharway」(1972年)から"Where Is Love"です。ラルフ・マクドナルド(Ralph Macdonald)とウィリアム・ソルター(William Salter)の作品で、1972年に全米5位にランクされました。1978年には再びデュオでシングル”The Closi I Get You”をリリース、全米2位にランクされました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1970~73年の洋楽 ⑧ ホリーズ「喪服の女」「安らぎの世界へ」(1974年)

 

 

 ホリーズ(Hollies)は"兄弟の誓い(He Ain't Heavy He's My Brother)"(1969年)のヒット後、1970年に"I Can't Tell the Bottom from the Top"が全英7位、"Gasoline Alley Bred"が全英14位、1971年に"Hey Willy"が全英22位、1972年に "The Baby"が全英26位とヒットに恵まれませんでした。

 "The Baby"につぐシングル"喪服の女(Long Cool Woman (In a Black Dress)"(1972年)が、英国では最高位32位でしたが、米国とカナダで1位にランクされ、全世界で200万枚売れる大ヒットになりました。シャキシャキッとした爽快なロックンロール・ナンバーで、作詞作曲はアラン・クラーク(Alan Clarke)、ロジャー・クック(Roger Cooke)です。

 日本ではホリーズといえば"バス・ストップ"、ロック・ファン"にはグラハム・ナッシュがメンバーだったアルバム「Butterfly」までなので、"喪服の女"も名曲”兄弟の誓い”と同じようにヒットしませんでした。

 

 

 

 ホリーズは1972年にアラン・クラーク(Alan Clarke)がソロ活動のため脱退し、レコード会社もデビュー以来在籍したUK Parlophon(日本では東芝)からポリドー(Polydor)に移りました。

 1973年夏にアラン・クラークがホリーズのメンバーに復帰、英国では1974年1月にリリースされた"安らぎの世界へ(The Air That I Breath)"が全英2位、ビルボードで6位にランクされました。日本で"カリフォルニアの青い空(It Never Rains In Southern California)"がヒットした、英国のシンガーソングライターのアルバート・ハモンドの作品です。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1970年~73年の洋楽 ⑦ ゲイル・マコーミック「Gonna Be Allright Now」「涙の想い出」

 

 ゲイル・マコーミック(Gayle McCormic)の”Gonna Be Alright Now”です。ゲイル・マコーミックは1969年に結成されたロック・バンド「スミス(Smith)」の女性ヴォーカルで、スミス加入前にはポップ・グループ「GayleMcCormic&Cllasmenn」のリード・シンガーで数枚シングルをリリースしています。

 スミスはアルバム「A Group Called Smith」(1969年)、「Minus-Plus」(1970年)をダンヒル・レコード(Dunhill Record)からリリース、シングル・カットされた"ベイビー・イッツ・ユー(Baby It's You)"は全米5位にランク、年間チャートでも28位にランクされるミリオン・セラーなりました。スミスはロック・バンドでもダンヒルらしいポップ寄りのサウンドでした。

 グループ解散後ゲイル・マコーミックはソロ歌手としてデビューし、ダンヒル・レコードからソロ・アルバム「Gayle McCormic」(1971年)をリリース、プロデュースは前回のブログで紹介したグラスルーツの「恋は二人のハーモニー」を作曲したブライアン・ポッター(Braian Potter)とデニス・ランバート(Dennis Lambert)のコンビです。アルバム中5曲が2人のナンバーで、残りの5曲はカーペンターズの"スーパー・スター(Super Star)"などのカヴァーです。

 UPしたのはアルバム「Gayle McCormic」から"Gonna Be Allright Now"(ブライアン・ポッターとデニス・ランバート作曲)で、米国ではシングルがリリースされましたが、100位以内にも入りませんでした。日本ではシングルは発売されていないと思います。とても良い曲(メロディー)で、特にサビのGonna Be Allright Nowからが素晴らしく何度も聴いてしまいました。なぜこんな良い曲がヒットしなかったのか不思議で、隠れた1970年代ポップスの名曲だと思います。

 

 

 

 ゲイル・マコーミックの"涙の思い出(It' Crying Shame)"(東芝HR-2906)で、ブライアン・ポッターとデニス・ランバートの作品です。1971年秋には全米44位にランクされました。日本でこの曲はソウルファン・クラブ系の人達に近年再評価され人気があります。ソロ・アルバムからは3枚目のシングル、ミラクルズ(Miracles)のカヴァー"私に首ったけ(You Really Got Hold on Me)"(東芝IPR-2993)がリリースされ、全米98位にランクされました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1970~73年の洋楽 ⑥ グラス・ルーツ「恋はすばやく」「恋は二人のハーモニー」

 

 グラス・ルーツ(Grass Roots)が米国で1971年3月にリリースした"恋はすばやく(Sooner Or Later)"(東芝HR-2831)で、全米9位にランクされました。

 グラス・ルーツらしい明るく楽しいポップスで、メロディーも親しみやすく、日本でも”恋は二人のハーモニー(Two Devided Love)”と並ぶヒットになりました。日本のポップス・ファンでも好きな人が多いと思います。「八木誠のヒットチャート大事典」では1971年年間チャート18位に選ばれています。

 

 

 

 グラス・ルーツが米国で1971年10月にリリースした”恋は二人のハーモニー(Two Devided Love)"(東芝HR-2922)で、全米16位にランクされました。

 "燃ゆる瞳"、"恋はすばやく"とヒットが続き、グラス・ルーツが最も人気のあった時なので、日本でも人気ナンバーになりました。文化放送「オール・ジャパン・ポップ20」では12月12日に34位で初登場、1972年2月6、13、20日に最高位4位、4月9日に29位までランクされました。「八木誠のヒットチャート大事典」では1971年年間チャート41位、1972年26位に選ばれています。

 作詞・作曲はデニス・ランバート(Dennis Lambert)とブライアン・ポッター(Brian Potter)で、二人は1971年~73年にグラス・ルーツだけでなくゲイル・マコーミックの"イッツ・クライン・シェイム"、ハミルトン・ジョー・フランク・アンド・レイノルズの"恋のかけひき"、フォー・トップスの"エイント・ノー・ウーマン"などダンヒル・サウンドを代表する名曲を残しています。。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1970年~73年の洋楽 ⑤ グラス・ルーツ「燃ゆる瞳」「カム・オン・アンド・セイ・イット」

 

 グラス・ルーツ(Grass Roots)が"カム・オン・アンド・セイ・イット(Come & Say It)"に続いて、米国で1970年12月にリリースした"燃ゆる瞳(Temptation Eyes)"(東芝HR-2728)です。全米15位にランクされました。日本では1971年になってから発売されました。

 日本でも"ペイン(恋の傷跡)"、"ベイビー・ホールド・オン"がヒットした後なので知名度も上がり、ラジオのヒット・チャートにもランク・インしました。今聴いても良い曲ですね。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1971年年間チャート17位に選ばれています。

 

 

 

 グラス・ルーツの1970年米国で3枚目のシングル、"カム・オン・アンド・セイ・イット(Come & Say It)"(東芝HR-2663)です。メロディーがやや単調で全米61位に終わり、日本でもヒットにはなりませんでした。

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1970~73年の洋楽 ④グラスルーツ「ペイン(恋の傷跡)」「ベイビー・ホールド・オン」

 

 グラス・ルーツ(Grass Roots)の日本でのみシングル・カットされた"ペイン(恋の傷跡)(Pain)"(東芝HR-2501)です。米国で1969年1月にリリースされたアルバム「Lovin Things」に収録されています。

 グラス・ルーツのナンバーで、日本で初めてラジオのヒット・チャートにランクインしました。「オール・ジャパン・ポップ20」で1970年6月13日に33位に初登場、7月5日に最高位32位、7月12日40位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1970年年間チャート25位に選ばれています。

 

 

 

 グラス・ルーツが1970年にWalking Through the Country"に続いてリリースした「ベイビー・ホールド・オン(Baby Hold on)」(東芝HR=2539)で、全米35位にランクされました。グラス・ルーツらしいとしか言いようのない、明るくカラットしたポップスです。日本では"ペイン(恋の傷跡)のヒットの後に発売されました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1970年年間チャート76位に選ばれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

)」

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1970~73年の洋楽 ③ コールド・ブラッド 「ヴァルデス・イン・ザカントリー」「Come back into My Life Again」

 

 コールド・ブラッド(Cold Blood)のアルバム「First Taste of Sin 」(1973年)より、ダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway)作曲の「ヴァルデス・イン・ザカントリー(Valdez in the Country」です。   コールド・ブラッドは女性ヴォーカリストのリディア・ペンス(Lydia Pense)を中心にした、ブラス・セクション入りのファンク・ロックバンドです。サンフランシスコ出身のタワー・オブ・パワー(Tower of Power)と同タイプのバンドです。

 ファースト・アルバム「Cold Blood」(1969年)とセカンド・アルバム「Sisyphus」(1970年)をサンフランシスコ・サウンドからリリース後、リプリーズ・レコードに移籍。3枚目のアルバム「First Taste of Sin 」を黒人歌手、作曲家のダニー・ハサウェイのプロデュースでリリースしました。「ヴァルデス・イン・ザカントリー」はダニー・ハサウェイの5枚目のアルバム「Extension of A Man」(1973年)収録曲で、曲の良さとブラス・アレンジの鮮やかさ、躍動感に溢れた演奏でコールド・ブラッドの最高作だと思います。

 

 

 

 コールド・ブラッドはリプリーズから4枚目のアルバム「 Thiller」(1973年)、5枚目のアルバム「Lydia」(1974年)、abcレコードから6枚目のアルバム「Lydia Pense and Cold Blood」をリリース後解散しました。ロック・ファンには「First Taste of Sin 」と「 Thiller」の評価が高いですが、個人的にはスティーブ・クロッパーのプロデュースでメンフィス録音の「Lydia」がアルバムとして一番まとまっていて好きです。

 UPしたのはアルバム「Lydia」から”Come Back into My Life Again"です。

 

  

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ