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 アントニオ・カルロス・ジョビン、1950年代の作品を終えて ワルター・ワンダレイ「So Saudade」ジョージ・シアリング「ワ・ンノート・サンバ」

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Calros Jobim)1950年代の作品を紹介してきましたが、見直すと好みが出てしまい、シルビア・テリス(Syylvia Telles)やナラ・レオン(Nara Leao)など一部のアーティストに偏ってしまったかなと反省するところもあります。またボサノヴァのスタンダード・ナンバーになった曲、"メディテイション(Meditacao)"”デサフィナード(Desafinado)””ワン・ノート・サンバ(Samba De Uma Not So)”などはレコーディングの数が多く、UPできなかった演奏家や歌手も多くあります。

 1960年代の作品は、特にジョビンのアルバム「The Composer of~」(1963年)に収録されたナンバーはほとんどボサノヴァのスタンダードナンバーになり、ブラジルだけでなく米国でも多くの歌手や演奏家がレコーディングしています。

 これからはアントニオ・カルロス・ジョビンはしばらくお休みにして、私がボサノヴァの最重要アーティストと考える「ジョアン・ジルベト(Joao Gilbert)」、「ルイス・ボンファ(Luiz Bonfa)」、「ルイス・エサ(Luiz Eca)、タンバ・トリオ(Tamba Trio)」、「アストラッド・ジルベルト(Astrad Gilbert)」、「マルコス・ヴァーリ(Marcos Valle)」、「エウミール・デオダート(Eumir Deodato)」の作品を紹介していきたいと思っています。

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンの作品”So Saudade”。ブラジル最高のオルガン奏者、ワルター・ワンダレイ(Walter Wanderley)のアルバム[Quarteto Bossamba」(1965年)からです。このアルバムではオルガンだけでなく、達者なピアノ演奏も披露しています。

 

 

 

ジャズ・ピアニスト、ジョージ・シアリング(George Shearing)のアルバム「Bossa Nova」(1963年)から、”ワン・ノート・サンバ(Samba de Uma Not So)”です。中間部のアドリブにはシアリングのセンスの良さを感じます.。

 アレンジャーはクレア・フィッシャーで、1962年12月に録音されているので、米国で最初期のボサノヴァ・アルバムです。

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アントニオ・カルロス・ジョビン (63)「ワン・ノート・サンバ」ナラ・レオン、カテリーナ・ヴァレンテ

 

 

 ブラジルの女性歌手ナラ・レオンのアルバム「dez anos depois」(1971年)から”Samba de Uma Not So(One Note SAmba)”です。ナラ・レオンのギターのみの伴奏ですが、歌も声も素晴らしく、ナラ・レオンのアルバムの中で「dez anos depois」が最高だと思います。

 

 

 

 米国のフルート奏者ハービー・マンのアルバム「Do the Bossa Nova」(1962年)から、アントニオ・カルロス・ジョビンの歌で”Samba de Uma Not So(One Note Samba)”です。ジョビンはこのアルバムで初めて喉を披露しました。

 「Do the Bossa Nova」は1961年にブラジルを初訪問したハービー・マンが、翌年再訪してブラジルのミュージシャンとレコーディングしたアルバムです。ドゥルバル・フェレイラ、バーデン・パウエル、セルジオメンデスなどが参加しています。

 アントニオ・カルロス・ジョビンは他にアルバム「The Composer of」(1963年)「Terra Brasils」(1980年)「Inedito」(1987年私家録音,1995年発売)「Em Minas Ao Vivo - Piano e Voz」(2001年)で”Samba de Uma Not So(One Note Samba)”を録音しています。

 

 

 

 ”ワン・ノート・サンバ”の番外編と言うべき、女性歌手カテリーナ・ヴァレンテ(Caterina Valente)とディーン・マーティン(Dean Martin)の掛け合いで”ワン・ノート・サンバ(One Note Samba)”です。

 カテリーナ・ヴァレンテは1953年に歌手デビュー、英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・スペイン語などをマスターし、国際的に活躍した歌手です。1963年にはポルトガル語でルイス・ボンファの作品集をレコーディングしています。米国でも人気があり、1960年代にはテレビの「ペリー・コモ・ショー」「エド・サリヴァン・ショー」にも出演しました。

 UPしたのは「ディーン・マーティン・ショー」からです。達者なギターで”ワン・ノート・サンバ”を歌いながら、ディーン・マーティンにボサノヴァとはどういうものかと教え、ディーン・マーティンは”バー”と言うだけでボサノヴァになってしまうというのが可笑しいです。最後にカテリーナ・ヴァレンテがスキャットでシナトラの”夜のストレンジャー”を歌うのもご愛敬です。

 

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アントニオ・カルロス・ジョビン (62)「ワン・ノート・サンバ」 タンバ・トリオ、シルビア・テリス、ブロッサム・ディアリー

 

 タンバ・トリオ(Tamba Trio)のデビュー・アルバム「amba Trio/Same」(1963年)から、”ワンノート・サンバ(Samba de Uma Nota So”です。タンバ・トリオはピアニスト、作曲家 編曲家のルイス・エサ(Luiz Eca)、ベースとフルートのベベート(Bebeto)、ドラムのエリシオ・ミリート(Helcio Mirito)で結成されました。ブラジル初のボサノヴァ・ピアノ・トリオで最高峰と言って良く、コーラスとベベートのフルート、ルイスエサの高度なアレンジが素晴らしいです。

 

 

 

 シルビア・テリス(Sylvia Telles)のアルバム「The music of Mr,Jobim」(1965年)より”ワンノート・サンバ(Samba de Uma Nota So)”です。ブラジルで録音され、米国ではKAPPレコードからリリースされました。シルビア・テリスは英語のイントネーションが良く、全曲英語で歌っています。シルビア・テリスは1960年のアルバム「Amor Em Hi-Fi」でも”Samba de Uma Nota So”を録音しています。

 

 

 

 ブロッサム・ディアリー(Blossom Dearie)の”ワン・ノート・サンバ”です。英国のRonnie Scott’s Jazz Clubでのライブ「Blossom Time at Ronnie Scott's」(1966年)に続く、2枚目のライブ・アルバム「Sweet Blossum Dearie」(1967年)からです。

 

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アントニオ・カルロス・ジョビン (61)「ワン・ノート・サンバ」ジョアン・ジルベルト、オス・カリオカス、ハイ・ローズ

 

 

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)の2枚目のアルバム「O Amor,o Sorriso e a Flor」(1960年)からアントニオ・カルロス・ジョビン1959年の作品”ワン・ノート・サンバ(Samba de Uma Note So)”です。プロデュースはアロイジオ・デ・オリヴェイラ、アレンジとピアノはジョビンです。

 

 

 

 ブラジルが誇るコーラス・グループ、オス・カリオカス(Os Cariocas)のアルバム「A Bossa Dos Cariocas」(1963年)から”ワン・ノート・サンバ”です。1963年にフィリップス・レコードに移籍して1枚目のアルバムです。初のボサノヴァ作品集で、モダンなハーモニーが素晴らしいです。

 

 

 

 米国のコーラス・グループ、ハイ・ローズ(The Hi- Los')のアルバム「Happen to Bossa Nova」(1963年)から”ワン・ノート・サンバ”です。

 ハイ・ローズはリーダーのジーン・ピュアリングを中心とした4人組のコーラス・グループで、1953年に結成されました。1950年中頃から1960年代前半にかけて数多くのテレビー・ショーやライブに出演し人気を博しました。ファースト・アルバムを1954年にリリース、「Happen to Bossa Nova」が最後のアルバムになりました。

 ジーン・ピュアリング(Gene Puerling)はハイ・ローズのメンバーだったドン・シェルトン(Don Shelton)とともに、1966年に4人組のコーラス・グル-プ「シンガーズ・アンリミテッド(Singers Unlimited)」を結成、1970年代にMPSレコードからアルバムをリリース、オスカー・ピーターソンと共演したアルバムなどジャズ・ファンの話題になりました。

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アントニオ・カルロス・ジョビン (60)「ワン・ノート・サンバ」バーデン・パウエル

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Calros Jobim)の1950年代の作品を紹介してきましたが、最後の曲「ワン・ノート・サンバ(Samba De Uma Not So)」です。ジョビンが1959年に作曲、作詞はニュートン・メンドンサ(Newton Mendonca)です。ボサノヴァのスタンダード・ナンバーになり、多くの歌手や演奏家がレコーディングしています。

 これでアントニオ・カルロス・ジョビンはしばらくお休みして、ボサノヴァの重要音楽家として、ルイス・ヴォンファ(Luiz Bonfa)、タンバ・トリオ・ルイス・エサ(Tamba Trio. Luiz Eca)、カルロス・リラ(Calros Lyra)、ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)、アストラッド・ジルベルト(Astrad Girbert)、マルコス・ヴァーリ(Marcos Valle)、エウミール・デオダート(Eumir Deodato)、ドルヴァル・フェレイラ(Durval Ferreira)の作品を紹介していきたいと思っています。

 

  

 バーデン・パウエルのアルバム「Baden Powell /Baden Powell with Swings Jimmy Platt」(1964年)から”ワン・ノート・サンバ”です。バーデン・パウエルの「ELENCO」レーベルから一作目のアルバムです。バーデン・パウエルと言えば超絶ギター・テクニックの演奏家というイメージが強いですが、ジャズ・ドラマー、ジミープラットと共演したこのアルバムでは、ほとんどの曲でフルートとバス・クラリネットが参加していて、他のアルバムに比べて寛いだ雰囲気に包まれています。

 

 

 

 バーデン・パウエルのアルバム「Ao Vivo No Teatro Santa Rosa」(1966年) から”ワン・ノート・サンバ”です。このアルバムは「サンタ・ローザ劇場」での1966年のライヴで、バーデン・パウエルの超絶ギター・ソロやオスカル・カストロ・ネヴィス(Oscar Castro neves))のピアノ・トリオに弦楽器、コ-ラスも加わった充実した演奏が楽しめます。

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アントニオ・カルロス・ジョビン (59)「デサフィナード」ジョアン・ジルベト、スタン・ゲッツ、ゲイリー・マクファランド

 

 

 ジョアン・ジルベト(Joao Gilbert)、スタン・ゲッツ(Stan Getz)のアルバム「GETZ/GIRBERT」(1963年)から”デサフィナード(Desafinado)”です。ドラムはブラジルの名手ミルトン・バナナ(Milton Banana)、,ベースはセバスチャン・ネット(Sebastião Neto) 、ピアノはアントニオ・カルロス・ジョビンという素晴らしいメンバーです。

 ジョアン・ジルベトの歌は良いのですが、スタン・ゲッツのサックスの音がやや大きすぎます。このアルバムの録音中ジョアン・ジルベトが、スタン・ゲッツがミキサー室でサックスの音を大きくしているのではないかと疑っていたというのも分かります。

 

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「inedito」(1995年)から”デサフィナード”です。「inedito」は1987年にジョビンが関係者や友人用に録音したアルバムを、生誕60周年を記念して一般向けにリリースしたものです。

 

 

 

  米国の編曲家、作曲家、プロデーサー、ヴィブラフォン奏者、歌手のゲイリー・マクファーランド(Gary McFalandのアルバム「Today」(1969年)から”デサフィナード”です。ゲイリー・マクファーランドは1960年代半ばよりボサノヴァの影響を受け、ソフト・ロック調のサウンドのアルバムをリリースしました。「Today」は「Skye」レーベルから4枚目、最後のアルバムになります。

 

 ”デサフィナード(Desafinado)はボサノヴァのスタンダード・ナンバーになり、数多くの歌手や演奏家がレコーデイングしています。以下に主なミュージシャンとそのアルバムを紹介します。

 (ブラジルの演奏家) ロベルト・メネスカル「Big Band Bossa」(1962年)、「A Bossanova De R.M」(1965年)   ミルトン・バナナ「O Ritomo E O Som DE Bossa Nova 」(1963年)  セルジオ・メンデス「voce Ainda Nao Quiviu Nada」(1964年) 「Quiet Nights」(1966年)  セザール・マリアーノ「Octeto Cesar Camariano Mariano」(1966年)  ジョアン・ジルベルト「Prada Pereira De Oliveira」(1980年) 

 (ブラジルの歌手)  レニータ・ブルーノ「L,B,Em Hollywood」(1968年)  ソニア・ローザ「Sensitive Sound of Sonia Rosa」(1970年)  ナラ・レオン「Dez Amos Depois」(1971年)  ガル・コスタ「Rio Revited」(1989年)  

 (米国の演奏家)   チャーリー・バード「Bossa Nova Pelos Passaros」(1962年)  ディジー・ガレスピー「Dizzy on the French River」(1962年)  ティト・プエンテ「Bossa Nova By Puente」(1962年)  ローリンド・アルメイダ & ボサノヴァ・オールスターズ「Viva Bossa Nova」(1962年)  クレア・フィシャー「So Danco Samba」(1965年)

 (米国の歌手)   ハイ・ローズ「Happen to Bossa Nova」(1963年)  パット・トーマス「Desafinado」(1962年)  イーディー・ゴーメ「Blame It on Bossa Nova」()1963年  エラ・フィッツジェラルド「Ella Sings Antonio Calros Jobim」(1981年)   

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アントニオ・カルロス・ジョビン (58) エラ・フィッツジェラルド、フランク・シナトラ「デサフィナード(Off Key)」

 

 

 エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)の”デサフィナード(Off Key)”です。1963年にヴァーヴ・レコードからシングルのみリリースされ、LP未収録です。声も若く、ボサノヴァのリズムにのって歌うエラもいいですね。エラ・フィッツジェラルドは1981年にアルバム「Ella Abraca Jobim(Sings The Antonio Carlos Jobim Songbook)でも、”デサフィナード(Off Key)をレコーディングしています。

 

 

 

 フランク・シナトラ(Frank Sinatra)とアントニオ・カルロスジョビン(Antonio Calros Jobim)の1969年の録音から”デサフィナード(Desafinado/Off Key)です。シナトラとジョビンが交互に歌うという面白い構成になっています。アレンジはエウミール・デオダー('Eumir Deodato)です。

 フランク・シナトラ(Frank Sinatra)とアントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Calros Jobim)は二人が共演したアルバム「Fransis Albert Sinatra & Antonio calros jobim」を1967年にリリースしました。シナトラとジョビンは1969年2月にもレコーディングしましたが、ボサノヴァの流行が終わったので8・トラックのテープだけが発売されました。この時のセッションからは、後にアルバム「Sinatra & Company」(1971)に7曲収録され、”Bonita””Sabia””Desafinado(Off Key)”の3曲は「Sinatra & Company」に収録されませんでした。

 2009年に「Complete Sinatra/Jobim The Complete Reprise Recordings」がリリースされ、「Sinatra & Company」に収録されなかった”Bonita””Sabia””Desafinado(Off Key)”を含むシナトラとジョビンの録音を世界中の音楽ファンが聴くことができるようになりました。

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アントニオ・カルロス・ジョビン (57)「デサフィナード(Off Key)」

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)の米ワーナーからの3枚目のアルバム「A Certain Mr Jobim」(1968年)より”デサフィナード(Desafinado)/Off Key)です。アレンジは「THe Composers of ~」(1963年)と同じクラウス・オガーマン(Claus Ogerman)です。

 ジョビンは”デサフィナード(Desafinado)”を、親友のニュートン・メンドンサ(Newton Mendon)と一緒に音痴の人向けにナンセンスな歌詞をつけて作りましたが、自身でもアルバム「THe Composers of ~」(1963年)、「A Certain Mr Jobim」(1968年)、「Terra Brasils」(1979年)、[Inedito」(1995年)、「Em Minas Ao Vivo - Piano e Voz」(2004年)の5回、フランク・シナトラ(FRank Sinatra)とのアルバムでもレコーディングしています。

 

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「「Terra Brasils」(1979年)から、”デサフィナード”です。アレンジャーは今までと同じクラウス・オガーマンですが、ブラジルの大自然を感じさせるスケールの大きさを感じます。

 

 

 

 アントニオ。カルロス。ジョビのアルバム「Em Minas Ao Vivo - Piano e Voz」(2004年)から、”デサフィナード”です。「Em Minas Ao Vivo - Piano e Voz」は、ミナス(Minus)でのジョビンのピアノ弾き語りによるコンサート(1981年)を収録したアルバムです。最初にジョビンの語りが入るので、歌は1分50秒位からです。

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アントニオ・カルロス・ジョビン (56)「デサフィナード」ジュリー・ロンドン、ドリス・デイ

 ”デサフィナード(Desafinado)”は英語の歌詞が付けられ、"Off Key"や"Slightly Out of Tune"のタイトルで、米国の歌手や演奏家にレコーディングされました。

 

 

 米国の女性歌手ジュリー・ロンドン(Julie London)のアルバム「THE END OF THE WORLD」(1963年)から”デサフィナード(Desafinado)”です。

 ジュリー・ロンドン(1926年~2000年)は1944年に映画女優としてデビュー後、ジャズ・ピアニストで作曲家のボビー・トゥループ(Bobby Troup)の勧めでジャズ歌手に転向。ファースト・アルバム「Julie Is Her Name」(1955年)をリリース、アルバム中の"Cry Me a River"が全米9位にランクされるヒットとなり、アルバムも全米2位にランクされました。アルバム「THE END OF THE WORLD」で、ジャズのスタンド・ナンバー中心の選曲から、ポップスや映画音楽のヒット曲をレパートリーにするようになりました。

 

 

 ドリス・デイ’Doris Day)のアルバム「Latin for Lovers」(1965年)から"Slightly Out of Key(Desafinado)"です。ドリス・デイは映画女優で毎年主演映画に出演、”シークレット・ラヴ(Secret Love)”、”センチメンタル・ジャーニー(Sentimental Journey)”などのヒット曲をもつ米国の国民的歌手です。「Latin for Lovers」はラテン・ナンバーを集めたアルバムで、アントニオ・カルロス・ジョビンのナンバーを4曲歌っています。

 

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アントニオ・カルロス・ジョビン (55)「デサフィナード」ジョアン・ジルベルト、オス・カリオカス

 

 

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)のファースト・アルバム「CHEGA DE SAUDADE」(1959年)から”デサフィナード”です。この曲はジョビンと親友のニュートン・メンドーサ(Newton Mendonca)の共作です。

 ジョビンとメンドーサはメンンドーサが働くナイト・クラブが休みの月曜日の夜だけ二人で会って、ピアノの前で作曲をしていました。1958年の後半に音痴の歌手が歌えば面白くなるメロディーと、意味のないナンセンスな歌詞を二人はお酒を飲みながら大笑いして作っていました。そして出来あがったのが"デサフィナード(Desafinado)"です。ジョビンからこの曲を聴いたジョアン・ジルベルトは、”これは僕の曲だ”と言って最初にレコーディングすることになりました。「ボサノヴァの歴史」ルイ・カストロ著より

 

 

 

 ブラジルの誇るコーラス・グループ「オス・カリオカス(Os Carocas)」のアルバム「A BOSSA DOS CARIOCAS」(1962年)から"デサフィナード”です。

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