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太陽の王子 ホルスの冒険

 

 閉幕前日に高畑勲展に行きました。高畑勲展 会場の中、東映動画「太陽の王子 ホルスの大冒険」のブースが大きかったのでこれは観なきゃと思い、ツタヤで借りて観ることにしました。初の高畑勲監督作品の劇場用アニメで1968年7月21日夏休みから公開。51年経ってから作品を観ることになります。

 展示に誘われて「太陽の王子 ホルスの大冒険」を観たので先入観+期待感もあり私には楽しめた作品でした。ヒロイン「ヒルダ」は悪魔なのか人間なのかという問いが展示ブースのなかでも目立ち、根強い「ヒルダ」ファンが存在することも助けになりました。寂しそうな表情をした「ヒルダ」とはどんな少女なのか興味津々でした。

 ていねいに作られた一つ一つのシーンからあふれ出る躍動感には新鮮な驚きでした。アイヌの人々が鮭の大漁に大喜びして鮭を運ぶコミカルな動きは、とても楽しくて少数民族のお祭りの儀式をみているようでした。いつも寂しそうなヒルダの表情。疎外感を感じ、ふもとから人間の幸せを恨めしく悲しそうに見つめるヒルダの怒り。村を破壊するネズミの大群は臨場感たっぷりで怖かった。

 人間と悪魔の闘い、内なる悪魔と良心の闘い、迷いの森という悪魔の巣に陥ってもがく苦しみは現在の中国ドラマの中でもでてきます。この作品がオマージュになっているのかと思うほどです。闘いに勝利して平和なアイヌが戻りハッピーエンドで終わります。

 哲学的で政治的なテーマでした。悪魔とは何なのか、人間は悪魔に打ち勝つことができるのか、猜疑心で人々がバラバラになり、信頼を取り戻して再び団結する過程を描きました。50年前の作品なのに、現在にもつながる永遠のテーマだと思います。

 一方、児童には分かりにくて馴染めなかった映画かもしれません。地味なアイヌのモチーフに感情移入しづらい面もあったのではと思います。ホルスの生まれた背景、ホルスと太陽の剣とのかかわりがはっきりしなくて、冒険のワクワク感があまり感じられず、「ヒルダ」の人物設定が曖昧で表情が寂しすぎたかもしれない。音楽も地味で、もっと華やかで軽やかな音楽だったなら、楽しめたはずではと思いました。

「太陽の王子 ホルスの大冒険」は公開当時は興行不振で失敗作とも言われた作品とのことです。高畑勲の作品に込めた熱い想いが強過ぎて児童向けとしては難しかったのでしょうか。

 人間と悪魔の闘いという単純でいて難解なテーマを持つ「太陽の王子 ホルスの大冒険」をテレビアニメにして連続して放送すれば、失敗作と言われずヒューマンな作品として名を残せたかもと思ったりします。

 この映画についてはたくさんの感想・批判、高畑勲の反省が存在しています。

 参考になるでしょうか。

https://realsound.jp/movie/2019/08/post-401807.html

https://realsound.jp/movie/2019/08/post-401807_2.html

https://realsound.jp/movie/2019/08/post-401807_3.html

 

 監督:高畑勲

 脚本:深沢一夫

 声の出演:大方斐紗子(ホルス)、市原悦子(ヒルダ)、平幹二朗(悪魔)、東野英治郎、三島雅夫、永田靖、横森久、横内正、赤沢亜沙子、堀絢子 

 あらすじ(ウイキより)

 悪魔グルンワルドの手から自分の息子を守りたいという一心で、父の手によって他の人間の許から離されて育ったホルスは、ある日岩男モーグに出会い、モーグの肩に刺さっていた太陽の剣を抜き取る。モーグはそれをホルスに与え、それを鍛え直した暁にはそれを持つ者は太陽の王子と呼ばれるようになり、モーグ自身もその許に馳せ参ずるだろうと告げた。意気揚々と走り回るホルスだが、次にホルスを待っていたのは父が危篤であるという知らせだった。ホルスの父は、ホルスを人間の元から離して育てた事は間違いであり、他の人間の所に向かうようにホルスに告げて、息絶える。

父の遺言に従い、他の人間の住む陸地に辿り着いたホルスだが、早々にグルンワルドの手下に捕らえられてしまう。その後グルンワルドとの対面を果たすが、グルンワルドの弟になることを拒んだために崖から突き落とされる。太陽の剣のおかげで九死に一生を得たホルスは、気を失っていたところをガンコ爺さんに助けられ、ガンコ爺さんの鍛冶仕事に関心を持つ。

しかしその村はグルンワルドの手下である大カマスのために魚が獲れず、食料不足に苦しんでいた。大カマスの退治に向かった若者達が為す術も無く帰ってきた様子を見たホルスは、一人大カマスのいる滝壺に向かい、見事大カマスを仕留める。一人で大カマスを仕留めたと言うホルスに村人は驚きを隠せないが、程なくして再び魚がやってくるようになり、ホルスは一躍村の英雄となった。しかしそれは同時に村長とドラーゴの嫉妬心を買う事も意味していた。

死んだとばかり思っていたホルスが、大カマスを退治したという知らせを聞いたグルンワルドは、狼たちを村に遣わすが、一致団結した村人の前は歯が立たず、多くが討たれる。討ち逃した銀色狼を追っていたホルスは、廃墟の村の中でヒルダと出会い、孤独な境遇に親近感を抱いて村に招く。ヒルダはその美しい歌ですぐに村人たちに気に入られた。

しかしヒルダは、過去の記憶が足枷となっているのか、協調的に生きる村人の輪に入る事が出来ない。ヒルダの孤独感はむしろいや増し、それに伴ってヒルダの悪魔としての心が呼び覚まされていく。トトにそそのかされたヒルダは、村人たちにホルスに対する疑念を抱かせ、ホルスを迷いの森へと誘い込む。

迷いの森に堕ちたホルスは、次々に襲ってくる幻想に苦しめられるが、その中でグルンワルドに対抗する手がかりをつかむ。村人全員が力を合わせれば、グルンワルドに対抗する力に成り得ることを知ったのである。ヒルダの心の葛藤も見破ったホルスは、ヒルダの人間の心を呼び覚ますことにも成功する。

ホルスのいなくなった村では、グルンワルドの出現におののいていた。グルンワルドの魔法で村は吹雪に襲われるが、その中でもガンコ爺さんやポトムたちがグルンワルドに対抗しようと必死に策を練っていた。ガンコ爺さんが積み上げた薪に火をくべ、村人を団結させたところにホルスが舞い戻り、団結の象徴であるその火で太陽の剣を鍛え上げる。約束通りモーグも応援に駆けつけ、グルンワルドは退散を余儀なくされる。勢いづいた村人たちはグルンワルドの城まで追い討ちをかけ、モーグによって太陽の光を浴びせられてグルンワルドがひるんだところにホルスが太陽の剣でとどめを刺し、グルンワルドは倒れる。

ヒルダは、雪の中を彷徨うフレップとコロに命の珠を与えたが、息絶える事はなかった。勝利に沸く村にヒルダも現れ、ホルスがヒルダの手を取り、ポトムたちと駆けていくところで大団円となる。

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高畑勲展

 
写真は近代美術館の『高畑勲展』の看板
 

 
 「アルプスの少女ハイジ」が大好きになったので、東京国立近代美術館で開かれた『高畑勲展』へ行ってきました。写真は入場券(かぐや姫の物語)です。    
 展覧会を知ったのは9月下旬で展示は10月6日で終わってしまいました。ぎりぎり5日に行きました。色鮮やかな反物で飾られた入り口を入ると、下書きや絵コンテ、膨大な量の制作ノートや構想メモがずらりと並べられていました。未公開も含めた1000点以上の資料です。満員で混雑する中、ていねいに一つずつ見ることはできませんでした。残念。ですがアニメをつくるのにこれだけの見えない下地があるのだなあと感心しました。壁に飾られた美しいセル画、原画、絵コンテは夢中になって見入っていました。色とりどりの色彩にアニメは配色なのねと、一人で納得。  
 隅々まで行き届いた手書きの資料。五線譜やびっしりと細かく書かれた制作ノートやスケジュール表など高畑監督の徹底した仕事ぶりや、人柄を垣間見ることができたと思います。  私の中で高畑勲とは平和をこよなく愛する人であり、日本共産党を支持する人物としてで、アニメ制作者としての認識が欠けていたので、この展覧会は大変有意義なものでした。
 
 
 

 

 
      『高畑勲展』の資料より   
 
 絵を描かない監督がどのようにして歴史に残るアニメーションを作ったのか。   
 他のクリエイターたちとの交流や共同制作の過程を通して明らかにします。  
 初の長編演出(監督)となった「太陽の子ホルスの大冒険」(1968年)で、悪魔と戦う人々の団結という困難な道に挑戦した高畑は、その後次々にアニメーションにおける新しい表現を開拓していきました。70年代には「アルプスの少女ハイジ」(1974年)「赤毛のアン」(1979年)などのTV名作シリーズで、日常生活を丹念に描き出す手法を通して、冒険ファンタジーとは異なる豊かな人間ドラマの形を完成させます。  
 80年代に入ると舞台を日本に移して「じゃりン子チエ」(1981年)「セロ弾きのゴーシュ」(1982年)「火垂るの墓」(1988年)など、日本の風土や庶民生活のリアリティーを表現するとともに、日本人の戦中・戦後の歴史を再考するようなスケールの大きな作品を制作。遺作となった「かぐや姫の物語」(2013年)ではデジタル技術を駆使して手書きの線を生かした水彩画風の技法に挑み、従来のセル様式とは一線を出した表現上の革新を達成しました。  
 このように常に今日的なテーマを模索し、それにふさわしい表現方法を徹底して追及した革新者・高畑の創造の軌跡は、戦後の日本のアニメーションの礎を築くとともに、ほかの制作者にも大きな影響を与えました。本展覧会では絵を描かない高畑の「演出」というポイントに注目し、多数の未公開資料も紹介しながら、その多面的な作品世界の秘密に迫ります。  (『高畑勲展』の資料より)      
 
 「出発点から(アニメーション映画への情熱)」の展示場では、高畑勲年譜がありました。起点としての「やぶにらみの暴君」(1955年日本公開、フランス)では、画像で「やぶにらみの暴君」が少しだけ映し出され、高畑勲のお話が聴けました。「粛清する人たちを紐一本引いて下へ落してしまい残酷さを感じさせないのがアニメ」と。詳しくはこちらで語っています http://www.ghibli-museum.jp/outotori/special/takahata/  
 私が小学生のときに観て感動した東映動画「安寿と厨子王」に携わっていた高畑勲。安寿のセル画がきれいでした。”ボボンバボンバボンバ~”で始まる「狼少年ケン」は小学生のころ大好きな番組でした。会場では白黒の「狼少年ケン」のアニメが映されていました。他に「ぼくらのかぐや姫」「わんぱく王子の大蛇退治」の展示がありました。   
高畑勲の代表作である「太陽の王子ホルスの大冒険」のブースが大きくて詳しかったです。孤独な少女ヒルダは悪魔なのかというテーマがあったような。この映画は観ていないのでよくわかりませんでした。
  「日常生活のよろこび(アニメーションの新たな表現領域を開拓)」の展示場では、「パンダコパンダ」から始まり「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」「母をたずねて三千里」「ミニシアター」があり、このブースは混んでいました。「ハイジ」「アン」のキャラクター作りに高畑勲がどれほどこだわったかと、新しい発見でした。最初のハイジは三つ編みのしっかりした顔つきで意思が強そう、ヤギたちと一緒になって飛び跳ねるようには思えません。スイスに現地調査に行った時の写真も見ました。絵コンテは楽しかったです。
 日本文化への眼差し(過去と現在の対話)の会場では、「セロ弾きのゴーシュ」「じゃりン子チエ」「柳川掘割物語」のブースを出ると「火垂るの墓」の巨大な美しいポスター(セル画?)が輝いていました。「火垂るの墓」と「おもひでぽろぽろ」と「平成狸合戦ぽんぽこ」はそれぞれ独立したブースでした。
 スケッチの躍動(新たなアニメーションへの挑戦)の会場では、軽いタッチの絵柄「ホーホケキョとなりの山田くん」の次は和の香りのする「かぐや姫の物語」でした。一番大きいスペースだったようです。繊細でパステルのような、これまでと違うアニメの世界でした。

 

 
 お目当ての「アルプスの少女ハイジ」のブースには、撮影可能なアルムの大きなジオラマがありました。ハイジの山小屋、ペーターが山羊たちを連れて登ってくるところ、ペーターの家、村の家々、大きなもみの木、そしてアルムの大自然。ハイジの世界に飛び込みたい、楽しかったです。皆写真を撮っていました。  
 子ヤギのユキちゃんのオリジナルの原画はもっと目が優しくてうれしい驚きでした。ペーターはちょっと意地悪な感じ。ハイジがブランコに乗ったオープニング、1話でハイジが来ている洋服を次々と脱ぎ捨てる絵コンテが楽しい。「アルプスの少女ハイジ」で観たアルムの山々の風景や高原の花々がきれいでしたので、キャラクター、風景の一つ一つが絵になって額装され、壁一面に飾ってあったのはうれしかったです。あまりの美しさに涙が出ました。いつまでもその絵の前にいたかった。

 

 
 展示場を出るとハイジが生活していた山小屋の中が再現してありました。チーズ作りの大きなお鍋、すすけた台所、ヨーゼフ、冬の間ハイジがずっと外を眺めていた窓とベンチ。
                   

  ドラマや映画制作は脚本家が書いたセリフ・ストーリーを元に、俳優が演じて監督が演技・撮影の指導や映像の調整や製作を行い作品が出来上がります。
 絵が動く!漫画が動く!当たり前にアニメを観ていました。手仕事なアニメ制作の過酷な現場を想像することはできても、ストーリー、キャラクター作り、背景、音楽、声優と作品全体がどのように制作されたのか、考えたことはありませんでした。    
 「アルプスの少女ハイジ」を通して初めて、アニメに演出があるということを知りました。多くの分業で成り立つアニメです。原作を深く読み込んで全体の構成やスケジュールを決めていき、脚本、舞台設定もをち密に書いてスタッフと共有した高畑勲の仕事はとてつもなく膨大だったことでしょう。展示された資料には、物語の歴史的背景や主人公以外のキャラクターの性格付けも丁寧に書かれ、色の指定も細かくて、何度も考え直された跡から模索がみてとれました。  
 「アルプスの少女ハイジ」ではハイジの顔・雰囲気、原作を見やすく、ペーターの性格を変えて、おじいさんの辛い過去にも触れず、ハイジを温かく見守る人で演出。全52話を3人の脚本家が書いていますが、全編通して一貫性があるので、高畑勲演出が隅々まで行き渡っていたのだなあと思います。  
 
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アルプスの少女ハイジ④エンディング”待っててごらん””おしえて完全版”

  
 エンディングまでかわいい! ”待っててごらん”(大杉久美子)
 アルムの山で元気に飛び回っていたハイジは都会のフランクフルトへ行くことになります。そこにはお屋敷に車イスで寂しく過ごすお嬢様クララがいました。明るいハイジと一緒に過ごすうち、クララにとってハイジは無くてはならない大事な存在になっていくのでした。。  

 自由なハイジにはかごの鳥のような生活は無理がありました。山に帰りたい気持ちとクララへの配慮でハイジはとても苦しんでしまいます。  

 ハイジは山に帰ることになり、暖かい春にクララが山へ行くことに。再会を待つ二人の友情がとっても素敵です。ついに山へ来たクララの本格的なリハビリが始まり、温かいリハビリ生活が希望につながります。
 


 

 

   「アルプスの少女ハイジ」制作に関する詳しいお話が『ひたすら映画を観まくるブログ』さんのブログにありました それを読むと制作の現場がどんなに過酷だったかわかります。だからこそアニメ史上の名作なのだ!と興奮しています。 https://type-r.hatenablog.com/entry/20180518 (記事にいけないのでブログ内で高畑勲を検索すると「高畑勲アルプスの少女ハイジはこうして作られた」の記事に行ける)
 

 「アルプスの少女ハイジ」 1974年 52話 ズイヨー映像
 

 原作 ヨハンナ・スピり
 

 演出 高畑勲
 

 脚本 吉田義昭 大川久男 佐々木守
 

 絵コンテ
 

 シリーズ構成 松本功
 

 場面設定・画面構成 宮崎駿
 

 キャラクターデザイン・作画監督 小田部洋一
 

 音楽 渡辺岳夫
 

 美術監督 井岡雅宏
 

 撮影監督 黒木敬七
 

 ナレーション 沢田敏子
 

 声優 杉山佳寿子(ハイジ) 宮内幸平(アルムオンジ) 小原乃梨子(ペーター) 吉田理保子(クララ) 麻生美代子(ロッテンマイヤー) 肝付兼太(セバスチャン) 川路夏子(クララ祖母) 鈴木泰明(クララ父) 中西妙子(ハイジ叔母) 島美弥子(ペーター祖母) 坪井章子(ペーター母) 
   

 「アルプスの少女ハイジ」は物語も起・承・転・結があります。アニメ全体が美しくて、音楽もよくて、声優の演技でキャラクターが生き生きとしています。
 ペーターが気に入っていました。声優の小原乃梨子は「ドラえも~ん」の「のび太」だったのですね。ブリジッド・バルドー、シャーリー・マクレーン、ジェーン・フォンダ、アン・マーグレットも演じているのですね。すごいな!
 愛、希望に満ち溢れた作品です。素晴らしい。DVDに撮っててよかった。何度でも繰り返し見たいです。

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「アルプスの少女ハイジ」③ ”夕方の歌” ”ペーターとわたし” ”アルムの子守歌”

   

 
    

 ”夕方の歌”(大杉久美子)は寂しいけれどとっても素敵な歌。山で一日楽しくヤギたちの世話をして家路へ戻る、充実した山の生活です。
  同じメロディのチェロバージョンが
 https://youtu.be/0_4MvV4S5_Q ”山へ帰りたい”です。フランクフルトで生活するハイジの切実な叫びを奏でています。   

 

 

   

 ”ぺーターとわたし”(大杉久美子)    

 年上のペーターと仲良くなって、ヤギ飼いの手伝いをしていろいろなことを教えてもらうハイジでした。お母さんと目の見えないおばあさんと3人で村外れの家で暮らしているペーター。亡くなったお父さんもヤギ飼いで、小屋にはお父さんが作ったソリや仕事で使っていた大小の鈴がありました。ハイジのおじいさんに「大将」と呼ばれているペーターは、勉強が苦手で大工仕事が得意です。  ペーターと一緒にヤギ飼いをして一面のお花畑や、山の高い場所にある美しい湖に連れて行ってもらいました。アルプスの大自然の驚異も目の当たりにします。突然の雨、深い霧、強い風、白い雲の中、白銀の雪、吹雪。3年間暮らしたアルムで巡り来る季節の一つ一つの変化も、ハイジには大きな喜びでした。



 

 ”アルムの子守歌”伊集加代子ヴァージョン
  Nelly Schwartzの歌で”アルムの子守歌”全曲
 https://youtu.be/U7gVMOB2xnw

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アルプスの少女ハイジ②ユキとわたし

    

 ”ユキとわたし”
 

 「アルプスの少女ハイジ」で1話から出ている子ヤギのユキちゃんはハイジになついています。ユキちゃんの表情がとっても可愛いい。良いお顔に描いてくれた宮崎駿さん小田部洋一さんに感謝します。  明るく天真爛漫なハイジですが、悲しい出来事には強く心を痛めてしまう繊細な面もあります。怖い夢も見るのでした。そんなハイジにおじいさんがアドバイスをします。  ハイジとペーターは薬草を求めて危ない岩場や崖っぷちまで採りに行きました。二人の一生懸命に努力する行為は観ていて感動します。諦めないハイジです。


 
 

 ユキちゃんのシーン



 

  ”ユキとわたしハイジバージョン”
 ハイジがユキちゃんの歌を歌います。。。。。。愛しい。。。。。。。。。

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アルプスの少女ハイジ

 1974年放送の「アルプスの少女ハイジ」を45年経って初めて観ました。歌は知ってて歌えます。お話しの内容も何となく知っていました。でもアニメを観たことはありませんでした。8月にファミリー劇場で「アルプスの少女ハイジ」が一挙放送されたので楽しく観ることができました。オープニングで野を歩くハイジと可愛い表情の子ヤギ、ユキちゃんと小鳥のピッチ。  

 一言、感動で胸がいっぱいです。ハイジを慈しむ山々の美しい風景。アルムの山にポツンと建つ山小屋、もみの木の巨木、動物たち、高原の花々。
 小さな部屋で暮らしてきたハイジがアルプスに来て、両手を広げて自由にからだいっぱいアルムの山や野原を駆け回り、アルムの自然そのものになっていきます。そう、魔法のように。
 ハイジは、人、動物を問わず全てに愛を与えていきます。頑なに人を遠ざけていたおじいさん、ヤギ飼いの貧しいペーター少年、そしてフランクフルトで出会い一番の親友になったクララに。感動に満ち溢れた展開は「アルプスの少女ハイジ」を観た視聴者に大きな喜びを与えたことでしょう。
 2時間という映画では味わえない52話の丁寧なお話。テレビドラマならではではないでしょうか。アニメに携わったすべての制作者に乾杯です。原作を素晴らしくアレンジした演出の高畑勲、画面構成の宮崎駿、キャラクターデザインの小田部洋一、美術監督の井岡雅宏、音楽の渡辺岳夫、杉山桂寿子(ハイジ)、小原乃梨子(ペーター)、宮内幸平(アルムオンジ)など見事な声優陣。
 完成度の最も高い作品です。ストーリー、絵の美しさ、絵の動き、声優の演技力、オープニングからエンディングまで。観終わった後も、ずっと「アルプスの少女ハイジ」の世界に浸っていたい。そんな2019年の夏でした。
 採点10点満点中10点
 
 

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キャンディキャンディ

 
 「キャンディキャンディ」のマンガ、アニメを知らなくてもこの主題歌は多くの人が知ってることでしょう。そしてこの歌に励まされた人は私を含めてたくさんいると思います。
 世界中で大ヒットした「キャンディキャンディ」。韓国ドラマ「星に願いを」(チェ・ジンシル主演)は「キャンディキャンディ」をモチーフに作られたドラマでした。
 他の韓国ドラマでも会話の中に「キャンディキャンディ」が出てきたり、韓国語ヴァージョンの歌を歌ったり。「キャンディキャンディ」は本当に韓国で一番人気のあった日本のアニメだったのだなと実感しています。
 
 
 ウイキで「キャンディキャンディ」を調べました。
 
 「キャンディキャンディ」は原作、水木杏子、原画、いがらしゆみこ。 20世紀初頭のアメリカ中西部およびイギリスを舞台に、明るく前向きな孤児の少女キャンディ(キャンディス・ホワイト)が、周囲の出自への偏見に負けず人々の愛情を受けて成長する過程を描く長編マンガ、アニメ。
 少女漫画雑誌「なかよし」で1975年4月号から1979年3月号まで連載され、単行本は全9巻が刊行されました。
 単行本の累計発行部数は約1200万部。単行本の7巻は、日本の漫画単行本としては初めて初版100万部が印刷されました。その後、愛蔵版・新装版・文庫版コミックスでも発行されています。
 東映動画制作でテレビアニメ化され、1976年10月から1979年2月にかけて、テレビ朝日系で全115話が放送されました。アニメ化効果で原作も当時出ていた6巻までで計900万部を突破、1978年4月発売の7巻は初版100万部を売り出されました。劇場公開もされ、主題歌レコードもヒット。舞台化や小説化もされています。
 
 水木杏子、いがらしゆみこにとっての代表作であり、『なかよし』の看板作品として同誌の売り上げを牽引し、連載中の1976年新年号で同誌は発行部数100万部を達成しました。1978年に実施された毎日新聞社による全国学校読書調査の人気漫画の部で、小学生で1位、中学生で2位、高校生では5位にランクインしました。(なお、この調査は男女別ではなく少年漫画も交えたものです)最盛期には、キャラクター人形が1年間で200万個・約80億円を売り上げました。
 
 台湾と香港では「小甜甜」というタイトルで放映されました。韓国では日本と同じく1977年にMBCで放送が開始され、1983年には「のいばら(野薔薇)少女キャンディ」で再放送され、高い人気を集めました。現在3,40代世代では今でも「キャンディキャンディ」の話題が上るほどです。
 
 その他アジア各地でも放映されました。中でも1989年に放送開始してヒットしたインドネシアでは、初めて放送された日本の連続テレビアニメであり、原作マンガも翻訳出版され、「ドラえもん」とともに現地におけるアニメ・マンガ世代の誕生の契機となった作品になりました。ヨーロッパでも放送され、とくにフランスとイタリアで人気を博しました。南米やカナダでも人気を博しましたが、アメリカにおいてはヒットしませんでした。(ウイキより)
 
 
 
 
 
韓国語ヴァージョンの「キャンディキャンディ」。「のいばら(野薔薇)少女キャンディ」と名前を変えてのオープニング
 
 
 中国、韓国の技術が日本に追いつき、今や家電が斜陽に傾いた日本が、誇りをもって世界に売れるものはマンガ・アニメです。原発や武器、カジノではなく、国家プロジェクトとして、『アニメラン』ドをつくるべきだと思っています。
 個人の作品館ではなく、すべての作品を総合して、ディズニーランドのように。国の事業ですので著作権の問題は国が解決します。外国から大勢のお客様が『ジャパンアニメランド』に訪れることでしょう。
 「鉄腕アトム」マニアは外国にもいます。「マジンガーZ」を見ていた外国の男の子も今や大人です。「機動戦士ガンダム」マニアも30・40代になりました。子供たちが大好きな「アンパンマン」。日曜日、笑点が終わった6時から家族で見る「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」。夢のある「ドラエモン」。今人気の「プリキュラ」「ワンピース」。水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」などなど、ものすごーくたくさんあります。老若男女、古今東西の人が愛する日本の漫画・アニメ。これを生かさない手はないでしょう。ディズニーランド以上の、素晴らしいテーマパークができると思います。。
 
 「キャンディキャンディ」の”つらいことがあってもくじけないで明るく生きていく”物語はドラマの普遍性を示しています。子供から大人まで楽しめるこんなアニメをまた作ってほしいと願わずにはいられません。
 
 

 

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世界アニメ名作劇場「ロミオの青い空」ロミオとアルフレド

 

 28話から。

 アルフレドの汚名を晴らすため、王様の舞踏会へ潜り込むシーン。仲間たちの手助けが頼もしい。

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世界アニメ名作劇場「ロミオの青い空」

 

1995年1月~12月まで放送 33話 

 原作 「黒い兄弟」 ドイツのリザ・テツナー
 主題歌 「空へ~」 笠原弘子
 
 貧しいけれど、明るくて、前向きで、美しい心を持ったロミオは、煙突掃除夫としてミラノへ旅立つ。途中同じく煙突掃除夫としてミラノに向かうアルフレドと無二の親友になり、それぞれ親方に買われて過酷な労働、環境で生きて行く。町の不良グループ狼団のイジメに会いながらも、煙突掃除夫の少年たちをまとめてアルフレドがリーダーになり「黒い兄弟」を作り、過酷な環境にも負けない友情を育んでいく。アルフレドは仲間たちの助けで、国王に会い無実の罪を晴らし、貴族の名誉を取り戻すが仲間達の元へ戻る。だが、肺結核になっていたアルフレドは自分の夢や希望、そして大事な妹をロミオに託してロミオの腕の中で息を引きとる。アルフレドを亡くしたロミオは立ちあがることができず、寝込んでしまうが、仲間たちの励ましと、アルフレドの遺志を継いで行くことを誓い、希望の明日に向かって生きて行く。
 アルフレドは「早く大人になって、知識を学び、子供たちが人身売買にあわず過酷な労働をしない、希望に満ちた自由な世の中をつくりたい」と言う。志の高い作品だ。
 1995年は日本にとって大変な年だった。阪神大震災があり、地下鉄サリン事件があった。今ひとつ視聴率は伸びなかったが、終盤は「希望」、少年たちの強い「友情」で視聴者から、熱い支持を得られ、アルフレド現象も起きた。
 このアニメも世界中に放映され、特にアラブでは人気があったようだ。YOU TUBE
の動画をみるとアラビア語の表記があり、100万回以上視聴されているのもあった。
 世界で愛されるクールジャパンとは、「キャンディキャンディ」や「世界アニメ名作劇場」ではないのでしょうか。
 
 
 
 

 

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アニメ 世界名作劇場「小公女セーラ」

「小公女セーラ」放送終了しましたね。久しぶりの私の中での大ヒット。日曜日が待ち遠しかった。プリンセスセーラの旅立ちを、気持ち良く見送ることができました。下成佐登子の「花のささやき」にのって。

 ミンチン先生と、ラビニアと、モーリー、ジェームスの激しいいじめ、厳しい仕置きに会いながらも、いつでも、気高く、心美しく、心優しく、くじけないで、けなげに生きて行くセーラ。
 
 [心配しないでベッキー、私こういう事に少しずつ慣れようとしているの。いえ、慣れていかなければここにいることはできないって決心したの」
 
 「安心してベッキー。意地悪って本当はしてるその人も決していい気持ちじゃないのよ。ラビニアもきっといつかそのことに気がつくはず」
 
買い物に来ておかねを奪われて、ピーターに助けてもらった時
 「もしもピーターに会えなかったら私はどうなっていたでしょう。モーリーさんは許してくれたでしょうか。ピーター本当にありがとう。決して今日のことは忘れないわ」
 
 「わかったわお父様、こんなことでくじけちゃダメだって、そうおっしゃりたいのね。もう大丈夫よ、だから心配しないで」モーリーに激しくなじられたあと、天国のお父様へ
 
 「ごめんなさい私の為に、あなたに辛い思いをさせてしまって。泣かないでアーメンガード みんなが帰ってこないうちに早く食べてちょうだい」と自分もおなかすかせているのに、ピーターからもらったリンゴを差し出す
 
 23話
罰として食事抜きが当たり前。 もう何日も食事していない。 フラフラになって町にお使いへ行く。 レストランの中でおいしそうに食事をしている親子連れを、思わずのぞきこむ。 我に返ったセーラ。お父様に笑われると思っても、頭の中は食べ物でいっぱい。 「もしも私に銅貨1枚あったら、焼き立てのぶどうパンが買えるのに」と思ったとたん、パンやの前で4ペンス銀貨を拾う。 パンやに届ける。 「そのお金はあんたのもの。4ペンスがあんたに拾ってほしくて、落ちていたんだよ」 それでもセーラは使わない。教会に届けたら神父様が「神様はあなたのような心の美しい方にお授けなさったのじゃ。それで何か買ってお食べなさい」  セーラはパンを買おうとパンやに戻ると、自分よりもっとお腹すかせている少女に出会う。 4ペンス分のパンを買い、袋から一つだけパンをとって残りは全部少女に渡して帰ってしまう。 それを見ていたパンやは「自分だってお腹すいてるだろうに まったく天使みたいな子だよ」  その夜持ち帰った一つのパンをベッキーとねずみとで分けて食べる。 たとえわずかでも 分けあえたことで セーラのお腹は十分に満足だった。
  43話
学院を追い出されて、マッチ売りをしてると 「花のささやき」2番が流れる ♪明日はきっと今日よりはいい日と 祈りをこめて 星空を見るの♪ セーラのマッチ売りは、やはりかわいそうだ。そしてこの歌 もう泣きますのだ 
 
すぐ隣にセーラを一生懸命探しているおじさまがいるというのに!
やっと44話で感動の出会い!
ラスト46話
あのパンやさんにおじさまと一緒にお礼に行く するとあのお腹をすかせていた少女が働いていた。おかみさんが逆にセーラに礼を言う。セーラはどうやって礼をいえばと困ってしまう。おじさまが「これから先 お腹をすかせた子達がいたら十分にパンをたべさせてあげる。その代金は私が持とう」と提案したのでした。
 
ユーチューブのコメント 素晴らしいお話と、歌「花のささやき」「ひまわり」に勇気をもらったと。私も同じ。思いだすだけで胸がジーンとしてきます。
 
動画、声優、主題歌すべてが素晴らしいです。
 
また復活してほしい 世界名作劇場 今まで貧しかった国々の人がテレビを見られるようになったから もっと売れると思う 韓国のようにもっとソフト戦略に力をそそぐべきだ。日本のアニメ万歳 ズイヨー映像様 日本アニメーション様 フジテレビ様どうかもう一度 復活させて下さい!
 
(小学1年の時 大学生だった今は亡き姉が買ってくれた初めてのご本が少公女でした)
 
 
 
 
 
 
エンディングテーマ”ひまわり”
 

 

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