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1967年のポップス ㊺トレメローズ「サイレンス・イズ・ゴールデン」フォーシーズンズ(1964年)

 

 

 英国のポップ・ロック・グループ、トレメローズTremeloes)の”サイレンス・イズ・ゴールデン(Silence Is Golden)”です。

 トレメローズはブライアン・プール(Brian Pool)をリーダーに1958年に結成され、1963年に”ドゥー・ユー・ラブ・ミー(Do You Love Me)”が全英1位、その後も”Someon Someone”(1964年)が全英2位、”Here Comes Baby”(1967年)が全英4位にランクされました。

 1966年にブライアン・プールがグループを辞め、トレメローズは4人組として再結成されました。1967年にリリースされた”サイレンス・イズ・ゴールデン”が5月に全英1位にランク、英国だけでなく、米国では11位、ヨーロッパやオーストラリア、日本などでもヒットし、ゴールド・ディスクに輝きました。メロディーだけでなく、ソフトで綺麗なコーラスが印象的です。

 TBS「今週のベスト10」では1967年9月24日に18位で初登場、11月19日に最高位5位、12月3日に12位までランクされました。文化放送「ユア・ヒット・パレード」では10月2日に19位で初登場、11月6日に最高位5位、12月18日18位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで32位に選ばれています。

 

 

 

 ”サイレンス・イズ・ゴールデン(Silence Is Golden)”はフォー・シーズンズ(Four Seasons)がオリジナルで、1964年に”悲しきラグ・ドール(Rag Doll)”のB面としてリリースされました。ボブ・クリュー(Bob Crew)とボブ・ゴーディオ(Bob Gaudio)の作品です。

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ヘバラギ 「愛で」「美しい約束」

 

 

    「愛で」歌詞

 
 私が生きている間に することがもう一つある
 風が吹く広野に立っても 私は寂しくない
 しかし松葉一枚落ちれば 涙が流れ
 私たちの焦がれる胸に 日の光が再び登る
 ああ 永遠に変わることない私たちの愛によって
 暗いところに手を差し出して 明るくしてあげよう

 2007年にKBSワールドは日本で放映され、数々の歌番組を見ることが出来ました。「コンサート7080」では1970年代から80年代の韓国フォーク、韓国音楽、韓国ポップスなど、人気を博した歌手、大衆に愛された歌が披露されました。
毎週「コンサート7080」を楽しみにしていましたので、貴重な画像を録画して宝物に。一層韓国が身近に感じられて毎日ヘンボケな生活を送れるようになりました。
 フォーク・デュオ、「ヘバラギ」も「コンサート7080」で初めて聴きました。
 ギターを抱えて歌う姿は見た目、とっても太っていて歌手には見えないのですが、歌いだすと誠実で温かな歌声にハっとさせられます。一瞬ラテン・グループにも見えますが、正当派80年代フォーク・デュオです。
 この「愛によって」は1989年にメイン・ボーカル、イ・ジュホが作詞作曲した歌です。ゆったりと流れるような包み込むようなメロディーは歌いやすく覚えやすく、歌詞も男女の愛や親子の愛を超えて人間としての大きな愛を表現していています。今でも歌いつがれている韓国音楽のスタンダードナンバーです。
 

 

 

 この画像も「コンサート7080」からです。”美しい約束”の素敵な歌詞、結婚の誓いにも使われそうな歌詞です。ヘバラギのやさしさ、温かさを感じます。
                                        
    ”美しい約束”
 小さなものも 大切にして
 大きなものも 惜しまずに
 素敵なものは 互いが譲り合い
 欠点が見えたときは
 目をつぶらせてください
    愛でめぐり合った二人
 美しい約束のため
 いつも幸せな家庭を築かせてください
 
  必要な時にあなたのそばにいる力になり
 辛いときは お互い分かち合い 
 勇気を失ったときは
 手を握り合い 愛を与え合う
 二人でいさせてください
 愛でめぐり合った二人
 美しい約束のため
 いつも幸せな家庭を築かせてください

 

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ジョー・スタッフォード、パイドパイパーズ ⑤「アイル・ネヴァー・スマイル・アゲイン」「ウィスパリング」

 

 

 

 フランク・シナトラ(Frank Sinatra)が1940年にトミー・ドーシー(Tommy Dorsey)楽団に加入し、パイド・パイパーズPied Pipers)とともに、トミー・ドーシー楽団の黄金時代が始まりました。

 トミー・ドーシー楽団はフランク・シナトラのヴォーカルをフューチャーした、”アイル・ネヴァー・スマイル・アゲイン(I'll Never Smile Again)”を1940年4月にリリース、6月に1位になり、12週間に渡り1位にランクされました。フランク・シナトラはソフトな甘い歌声で、当時女性ファンの人気がすごかったのが納得できます。

 

 

 

 トミー・ドーシー楽団とフラン・クシナトラ、パイド・パイパーズで"ウィスパリング(Whispering)"です。ウィスパリング(Whispering)"は1920年に作曲されたポピュラー・ソングで、ジャズのスタンダード・ナンバーになっています。ポップス・ファンにはニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンス( Nino Tempo & April Stevens)とシリアポール/大滝詠一のヴァージョンがお馴染みだと思います。

 

 

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④ジョー・スタッフォード、パイド・パイパーズ「what Can I Say After I Say I'm Sorry 」「My ! My !」「

 

 

 トミー・ドーシー(Tommy Dorsey)楽団とパイド・パイパーズ(Pied Pipers)が1940年2月に録音した”what Can I Say After I Say I'm Sorry ”です。ビッグ・バンド黄金時代らしく、パイド・パイパーズのコーラスは2分過ぎから始まります。

 この曲は1926年に書かれたポピュラー・ソングで、ジャズのスタンド・ナンバーになり。エラ・フィッツジェラルド、ペギー・リー、オスカー・ピーターソンなど多くの人がレコーディングしています。

 

 

 

 トミー・ドーシー楽団とパイド・パイパーズが1940年3月に録音した”My!My! ”です。6月にヒット・チャートで13位にランクされました。 

 

 

 

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ジョー・スタッフォード 、パイド・パイパーズ ③「What This Thing Called Love」「In a Little Spanish Town」

 

 

 パイド・パイパーズ(Pied Pipers)は1930年代後半に結成されたコーラス・グループで、女性歌手ジョー・スタッフォード(Jo Stafford)と7人の男性歌手で構成されていました。トミー・ドーシー(Tommy Dorsey)楽団のアレンジャーだったポール・ウェストン(Paul Weston)とアクセル・ストーダル(Axcel Stordahlがこのグループを聴き、トミー・ドーシーに推薦。1939年にパイド・パイパーズは楽団のメンバーになりましたが、六週間後楽団のスポンサーが異議を唱え解雇されました。

 パイド・パイパーズはカリフォルニアに帰り、ジョー・スタッフォードと男性3人のコーラスグループとして再出発しました。1939年後半にトミー・ドーシーから”4人組なら楽団のメンバーになってほしい”と伝えられ、シカゴに戻り楽団に復帰しました。

 UPしたのはトミー・ドーシー楽団に呼ばれ、シカゴで1939年6月にオクテット(8人組)時代に、レコーディングした”恋とは何でしょう(What This Thing Called Love)”です。オーケストラはトミー・ドーシー以外の楽団で、他に”Polly Wolly Doooie All the DAy””Sugerfoot Stamps””In A Little SpanishTown”を録音しています。コーラスが精緻で、ジョー・スタッフォードのヴォーカルはデビューの時から品格があって美しいです。

 

 

 

 1939年6月にレコーディーグした”In A Little SpanishTown”です。

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1960~63年の映画音楽 ①「スェーデンの城」(1962年)

 

 

 映画「スェーデンの城」(1962年)から、テーマ曲です。フランソワーズ・サガン(Francois Sagan)の原作、監督はロジェ・バディム(Rogey Vadim)、主演はモニカ・ヴィッテイー(Monica Vitti)、ジャン・ルイ・トランティニアン(Jean-Louis Trintignant)、ジャン・クロード・ブリアリ(Jean-Claude Brialy)です。映画は未見ですが、サガンの原作で監督がロジェ・バディムのフランス映画なので、耽美的で難しそうな映画のような気がします。

 フランスでは「死刑台のエレベーター(Ascenseur pour L'echafaud)」(1958年)でマイルス・デイビス(Miles Davis)、「危険な関係(Les liaisons dangereuses)」で(1959年)でアート・ブレイキ(Art Blakey)ー、デューク・ジョーダン(Duke Jordan)などのジャズ・ミュージシャンの演奏を使い、成功を収めシネ・ジャズと言う言葉さえ生まれました。「スェーデンの城」も音楽はジャズ・ピアニストのレイモン・ル・セネシャル(Raymond le Senechal)が作曲、ジャズのアレンジを大胆に取り入れています。

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韓国フォークソンググループ/ノランナラン「あなたと一緒に」

 

  久しぶりに見つけた韓国フォークソンググループです。KBSテレビ「コンサート7080」には出演していないようです。

 KBSの歌番組「歌謡舞台」(トロットが多い)でトロット半分叙情歌半分の回でヒ・ソンヨンが歌う「あなたと私」を聞いて、歌詞を見て感激しました。

 歌詞は明るく軽やかで温かく、メロディは単純ですがフォークソングの叙情に溢れ純粋な気持ちを与えてくれます。

 男女フォークデュエットのノランナランはキム・ボンミンとク・ジャギョンの従兄妹同志のグループです。1979年12月にデビューアルバム「あなたと私」をリリースしました。収録曲の「あなたと私」がテレビやラジオで流れて大ヒットしました。

 男女デュオには当時活躍したノントロンパットロン、後で活躍する三月四月、男女デュオを受け継ぐペタラギなどがいます。

 あなたと私は1980年代半ばまで活動し、アルバムをリリースしていましたが、大衆のフォーク熱が冷めてくると、ヒットする曲が出せなくなり解散しました。

 女性メンバーのク・ジャンギョンはヒ・ソンヨンと名前を変えてトロット歌手としてデビューし、その後もアルバム制作を続けています。

 

 君と一緒に 그대와 함께/너랑나랑

 ①山鳥たちが仲良く笑い 渓谷には清流のせせらぎ

*そこに家を建てて 幸せに一緒に暮らそう

 あなたがいつも側にいて 仲睦まじく語り合い

 いつまでも青い心で 幸せに暮らそう*

 ②波の音が遠くから来て 銀色の砂がきらめく場所

‘*~*

 ③窓を開けたら森の中で 美しい花がほほ笑む場所

*‘~*

 ④枯れ木になり雪が降っても 愛の花が咲き誇る場所

‘*~*

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キム・シヌ THA MAN

 

 

 キム・シヌのシンプルなスタジオ録音の画像です。ギター伴奏の人はKBSテレビ「コンサート7080」でも出演者の歌を魅力的に輝かせてくれていました。以前の画像からギタリストはソ・チャンウォンだと思われます。기타리스트 서창원

 THE MANを歌うキム・シヌの声がきれいです。

 キム・シヌをUPするのは2回目です。以前の記事はこちら➡ キム・シヌ 「帰去来辞」「The Man」 - 毎日韓国ドラマと映画と音楽でヘンボケヨgooblog

 

「The Man」  作詞作曲キム・シヌ
 
     何をそんなに悩むのか
     一日が短くて眠れないのか
     灰色に染まったこの世に
     寄りかかって立つ孤独な人よ
 
     ああ愛さえも変わりゆき
     信じた分だけ遠ざかる
     夕暮れの赤い夕焼けだけが
     隠れた心を燃やす
 
     怖れるな 絶望もするな
     生きて息しているのに
     厳しいこの世で
     頭を垂れて 眠るな
     夜明けの 太陽は静かに
     暗い この世を照らす
 

 

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1966年のポップス ㉙フランス・ギャル「天使のためいき」「すてきな王子様(日本語版)」

 

 

 フランス・ギャルは”夢見るシャンソン人形”のヒットに続いて、”涙のシャンソン日記”が1965年12月に発売され、文化放送「9500万のポピュラーリクエスト」では1966年1月27日。2月3日に1位にランクされるヒットになりました。

 1966年3月には”天使のためいき(Nous ne sommes pas des anges)”(PHILIPS SFL-1040)をリリース、B面はフランスと同じで”アメリカ万歳(L'Amerique)”です。文化放送「9500万のポピュラーリクエスト」では1966年3月3日に21位で初登場、4月7日に2位、5月12日に20位までランクされました。「TBS今週のベスト10」では3月6日に17位で初登場、4月3日に8位、4月24日に14位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1966年年間チャートで52位に選ばれています。

 

 

 

 フランス・ギャルの”すてきな王子様(Un prince charmant)”の日本語版(PHILIPS SFL-1060)で、1966年8月に発売されました。B面は”私の恋は(Faut-Il Que Je T'Aime)です。

 ”すてきな王子様”の仏語版は1996年5月に発売され、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1966年年間チャートで72位に選ばれています。

 

 

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1965年のポップス ㉑ フランス・ギャル「夢見るシャンソン人形(日本語版)」、「クリスチャンセン」

 

 

 フランス・ギャル(France Gall)の”夢見るシャンソン人形(Poupee de sire,poupee de son )”の日本語版(PILIPS FL-1120)です。”夢見るシャンソン人形”が日本で大ヒットしたので、岩谷時子の歌詞で1965年10月に発売されました。岩谷時子は超一流の作詞家なので、日本語の歌詞で覚えている人のほうが多いと思います。弘田三枝子、中尾ミエがカヴァーしました。

 

 

 

 フランス・ギャル(France Gall)の日本での3枚目のシングル”シャルマーニュ大王(SacréCharlemagne)”(PHILIPS-1165)のB面”クリスチャンセン(Christiansen”です。フランスでは1964年にシングルでリリースされ、19位にランクされました。ポップで明るい爽やかな曲です。

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