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KBS テレビ小説「ウンヒ」(ウンヒの涙)②

 

 KBSが1950~70年代を舞台にしたTV小説ドラマの制作をやめてしまいました。あまり視聴率が取れなかったからでしょうか。私だってさんざんな評価をしていたテレビ小説ドラマです。  

 夢中になって観る韓国ドラマがない中、冷たさだけを感じるドラマだらけの中、KBSワールドで再放送中のTV小説「ウンヒ(ウンヒの涙)」を18話まで観直していますが新鮮です。もうストーリー展開はどうでもよくて、しっとりとして落ち着いた雰囲気、言い換えてみれば古臭い雰囲気のTV小説のドラマは、今となっては貴重です。1970年代の韓国の街並みや家、大道具から小道具まで、KBSが持つ舞台セットは宝物です。  

 地味ですが存在感抜群の脇役の絡みを観ているだけで、感動ものです。いつまでもあると思うな「KBSTV小説」の心境です。  

 若い主人公二人を取り巻くソン・ジェボム、チェ・ジュニョン、チョ・ビョンギ、チェ・ジュボン、パン・ヒョジョン、キム・ヘソン、キム・ボミ、チェ・ミニなどの脇役陣。そしてパク・チャンファン扮する本当の主人公チャ・ソック。  俳優たちの演技(お芝居)に拍手喝采です。
 以前の記事で採点を4点にしましたが、点数は見直して伸びると思います。

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1965年のポップス ⑨ ウィルマ・ゴイク、ジリオラ・チンクエッティ「花咲く丘に涙して」

 

  イタリアの女性歌手ウィルマ・ゴイクは、1965年からサンレモ音楽祭に出場し、その年にニュー・クリスティー・ミンストレルスと歌った、”花咲く丘に涙して(Le colline sono in fiore (amore ritorna)”で入賞を果たしました。   

 ゆったりとした美しいメロディーで、ウィルマ・ゴイクの日本での初ヒット曲となりました。 当時のカンツォーネ・ブームもあって、伊東ゆかりやピーナッツなどがカヴァーしました。 
 

 

 

 ジリオラ・チンクエッティ (Gigliola Cinquetti) の”花咲く丘に涙して”です。来日した際に日本語でレコーディングした歌とイタリア語の歌がUPされています。

 


   

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1964年のポップス ⑲ ウイル・マゴイク、ルイジ・テンコ「愛のめざめ」

  
   ウイルマ・ゴイク(1945年10月生)はイタリアの歌手で、1960初頭に「ニュー・ヴォイス・コンテスト」で2位に選ばれ、リコルディー・レコードと契約、1963年サンレモ音楽祭の登竜門といわれる「サンレモへの脚光」で”悲しい雨が降る」で優勝。1964年秋にはスペインで開催された「地中海フェスティバルでも、エミリオ・ペルコーニと組んで、”愛のめざめ(Ho capito che ti amo)”で優勝を果たしました。   しみじみとした哀愁のメロディーで、ウイルマ・ゴイクの可愛らしい声が心にしみこんできます。

 

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 ルイジ・テンコ(Luigi Tenco(1938~67年)は、イタリアの男性歌手(シンガーソングライター)で、大学時代から新しいイタリア音楽を求め、グループに参加。後にジェノヴァ派カンタウトーレと呼ばれたこのグループは、ジャズやシャンソンのエッセンスを取り入れ、後のカンタウトーレと呼ばれる人たちに大きな影響を与えることになりました。 

 1959年にリコルディレコードから歌手デビューし、以降数多くの作品を作曲、自らも歌手として活躍しました。  ウイルマ・ゴイク以上に静かで、内省的な歌になっています。     (Kann Dorao) 

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1969年のポップス ⑦ スパイラル・ステアケース「モア・トゥデイ・ザン・イエスタデイ」

 
   5人組のポップ・グループ「スパイラル・ステアケース(Spiral Starecase)」は、1964年にThe Fydallionsntositeの名でカリフォルニアで結成されました。ラスヴェガスのラウンジなどで演奏しているところを、Colombia レコードのA&Rマン、ゲイリー・アッシャーの目に留まり、Colombia レコードと契約、グループ名をスパイラル・ステアケースに変えました。   

 1968年に発売した”Baby What I Mean" "I'll Run"の2枚のシングルは不発に終わりましたが、1969年1月にリリースした、リード・ヴォーカルのパット・アプトン(Pat Upton)作曲の ”モア・トゥデイ・ザンイエスタデイ(More Today Than Yesterday)”がヒットし、ビルボードでは最高位13位、キャッボックスでは7位にランクされました。この曲はロングセラーとなり、100万枚以上売り上げるミリオンセラーになりました。  

 このグループはなんといっても、リード・ヴォーカルのパット・アプトンの豊かな張りのある伸びやかな歌声が魅力的です。1970年代以降はロックの時代になり、野太い力強い声が主流になってしまい、パット・アプトンのようなきれいで軽やかなヴォーカルがほとんどなくなってしまったのが残念です。   

 ”モア・トゥデイ・ザンイエスタデイ”はメロディーも良く、個人的に「1960年代ポップスベストテン」に入れたいくらい好きな曲です。
 

 

 

 スパイラル・ステアケースが1969年に、テレビ出演した際の演奏です。                (Kann Dorao)

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中原めいこ 「Dance in the Memories」

 
 中原めいこ(1959年5月生)は幼少時より歌手に憧れ、中学生の頃より作曲を始め、デビューするまで鈴木邦彦主催のポップススクールに入りみっちり音楽を学びました。  

 1982年に東芝より、今夜だけDANCE・DANCE・DANCE」でデビュー。  カネボウの夏のキャンペーン・ソングとして1984年にリリースした6枚目のシングル「きみたちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」がオリコン8位、ザ・ベストテンげ6位にランクされるヒットになり、一躍人気歌手(シンガーソングライター)になりました。  

 「Dance in the Memories」は、1988年1月にシングル「鏡の中のアクトレス」のB面でリリースされ、テレビアニメ「きまぐれ・オレンジロード」の第37話~48話までエンディングテーマに使われました。
 私は「きみたちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」があまり好きではなく、中原めいこの曲をほとんど聴いていませんでしたが、たまたまYou Tubeで。UPした動画「Dance in the Memories」を聴いてビックリ。中原めいこの歌の上手さ メロディーの良さ、バックバンドのドライブ感抜群の演奏。間奏でのキーボードとギター・ソロもセンスの良さが光っています。

 ソウルフルな女性バックコーラス、特にサビのDance in the Memoriesと繰り返して歌うところで、二人の女性バックコーラスの声質の違いをいかして交互に歌わせるなどアレンジも最高。イントロと間奏でのダンスも古くさいのかもしれませんが、私にはかっこよくてたまりません。  

 世界中で日本の1980年代の音楽(シティーポップ)が注目されるのも当然だと思ってしまうほどの、疾走感にあふれた素晴らしい歌とコーラスと演奏です。   

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アルプスの少女ハイジ④エンディング”待っててごらん””おしえて完全版”

  
 エンディングまでかわいい! ”待っててごらん”(大杉久美子)
 アルムの山で元気に飛び回っていたハイジは都会のフランクフルトへ行くことになります。そこにはお屋敷に車イスで寂しく過ごすお嬢様クララがいました。明るいハイジと一緒に過ごすうち、クララにとってハイジは無くてはならない大事な存在になっていくのでした。。  

 自由なハイジにはかごの鳥のような生活は無理がありました。山に帰りたい気持ちとクララへの配慮でハイジはとても苦しんでしまいます。  

 ハイジは山に帰ることになり、暖かい春にクララが山へ行くことに。再会を待つ二人の友情がとっても素敵です。ついに山へ来たクララの本格的なリハビリが始まり、温かいリハビリ生活が希望につながります。
 


 

 

   「アルプスの少女ハイジ」制作に関する詳しいお話が『ひたすら映画を観まくるブログ』さんのブログにありました それを読むと制作の現場がどんなに過酷だったかわかります。だからこそアニメ史上の名作なのだ!と興奮しています。 https://type-r.hatenablog.com/entry/20180518 (記事にいけないのでブログ内で高畑勲を検索すると「高畑勲アルプスの少女ハイジはこうして作られた」の記事に行ける)
 

 「アルプスの少女ハイジ」 1974年 52話 ズイヨー映像
 

 原作 ヨハンナ・スピり
 

 演出 高畑勲
 

 脚本 吉田義昭 大川久男 佐々木守
 

 絵コンテ
 

 シリーズ構成 松本功
 

 場面設定・画面構成 宮崎駿
 

 キャラクターデザイン・作画監督 小田部洋一
 

 音楽 渡辺岳夫
 

 美術監督 井岡雅宏
 

 撮影監督 黒木敬七
 

 ナレーション 沢田敏子
 

 声優 杉山佳寿子(ハイジ) 宮内幸平(アルムオンジ) 小原乃梨子(ペーター) 吉田理保子(クララ) 麻生美代子(ロッテンマイヤー) 肝付兼太(セバスチャン) 川路夏子(クララ祖母) 鈴木泰明(クララ父) 中西妙子(ハイジ叔母) 島美弥子(ペーター祖母) 坪井章子(ペーター母) 
   

 「アルプスの少女ハイジ」は物語も起・承・転・結があります。アニメ全体が美しくて、音楽もよくて、声優の演技でキャラクターが生き生きとしています。
 ペーターが気に入っていました。声優の小原乃梨子は「ドラえも~ん」の「のび太」だったのですね。ブリジッド・バルドー、シャーリー・マクレーン、ジェーン・フォンダ、アン・マーグレットも演じているのですね。すごいな!
 愛、希望に満ち溢れた作品です。素晴らしい。DVDに撮っててよかった。何度でも繰り返し見たいです。

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「アルプスの少女ハイジ」③ ”夕方の歌” ”ペーターとわたし” ”アルムの子守歌”

   

 
    

 ”夕方の歌”(大杉久美子)は寂しいけれどとっても素敵な歌。山で一日楽しくヤギたちの世話をして家路へ戻る、充実した山の生活です。
  同じメロディのチェロバージョンが
 https://youtu.be/0_4MvV4S5_Q ”山へ帰りたい”です。フランクフルトで生活するハイジの切実な叫びを奏でています。   

 

 

   

 ”ぺーターとわたし”(大杉久美子)    

 年上のペーターと仲良くなって、ヤギ飼いの手伝いをしていろいろなことを教えてもらうハイジでした。お母さんと目の見えないおばあさんと3人で村外れの家で暮らしているペーター。亡くなったお父さんもヤギ飼いで、小屋にはお父さんが作ったソリや仕事で使っていた大小の鈴がありました。ハイジのおじいさんに「大将」と呼ばれているペーターは、勉強が苦手で大工仕事が得意です。  ペーターと一緒にヤギ飼いをして一面のお花畑や、山の高い場所にある美しい湖に連れて行ってもらいました。アルプスの大自然の驚異も目の当たりにします。突然の雨、深い霧、強い風、白い雲の中、白銀の雪、吹雪。3年間暮らしたアルムで巡り来る季節の一つ一つの変化も、ハイジには大きな喜びでした。



 

 ”アルムの子守歌”伊集加代子ヴァージョン
  Nelly Schwartzの歌で”アルムの子守歌”全曲
 https://youtu.be/U7gVMOB2xnw

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アルプスの少女ハイジ②ユキとわたし

    

 ”ユキとわたし”
 

 「アルプスの少女ハイジ」で1話から出ている子ヤギのユキちゃんはハイジになついています。ユキちゃんの表情がとっても可愛いい。良いお顔に描いてくれた宮崎駿さん小田部洋一さんに感謝します。  明るく天真爛漫なハイジですが、悲しい出来事には強く心を痛めてしまう繊細な面もあります。怖い夢も見るのでした。そんなハイジにおじいさんがアドバイスをします。  ハイジとペーターは薬草を求めて危ない岩場や崖っぷちまで採りに行きました。二人の一生懸命に努力する行為は観ていて感動します。諦めないハイジです。


 
 

 ユキちゃんのシーン



 

  ”ユキとわたしハイジバージョン”
 ハイジがユキちゃんの歌を歌います。。。。。。愛しい。。。。。。。。。

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チョ・グクと嫌韓

 連日テレビのワイドショーをにぎわせている韓国現法務部長官チョ・グクは家族の不正入学、投資ファンド疑惑で日本中の誰もが知ることになったイケメン閣僚です。ペ・ヨンジュンの次に有名な韓国人といっても過言ではないでしょう。  

 メディアがヘイトを煽っている今、事実を認めない歴史否定主義にあふれかえった嫌韓報道を肯定的、好意的に受け止めている人は大勢いるでしょうが、韓国を悪く言う報道に胸を痛めている日本人もいます。
 

  韓国は1960~80年代の軍事独裁政権への抵抗の歴史があります。言論や文化が弾圧され逮捕、拷問を受けて今でも、拷問の後遺症に苦しむ人々が大勢います。1980年5月光州市では軍によって市全体が封鎖され多くの市民が犠牲になりました。1948年建国以降、反共国家として言論や集会の自由がない国だった韓国。それを変えたのは、弾圧に苦しむ人々の抵抗の嵐でした。嵐は韓国を大きく変えて1987年6月には国民による大統領直接選挙制度を勝ち取りました。言論も、禁止歌も解禁になりました。1997年12月には初めてキム・デジュン民主政権が誕生しました。現在のムンジェイン政権は民主化3期目の政権と言えます。
 

 日本植民地時代は1939年に国民徴用令(強制連行が始まる)が布かれ、1940年に創始改名が実施(朝鮮名から日本名に変える)など戦時下において強制労働や徴用工、慰安婦としてひどい扱いを受けました。
 

 なかったことにするような歴史の書き換えはできないのです。    

 2007年12月から約9年半保守のイ・ミョンバク、パク・クネ政権に移った時代は、民主化以前の韓国に戻ったかのようでした。左翼政党を認めない、反北朝鮮政策でケソン工業団地も閉鎖に至り、鉄道建設も頓挫、南北統一の夢も泡と消えてしまいました。こんにち、自由に集会ができるのは30~40年前に民主化を求めた当時の人々が身を挺して行動した賜物です。
 

 チョ・グクは1965年生まれの民主化運動世代です。左翼グループに属して逮捕経験はありますが、16歳で最年少のソウル大ロースクールに入学、23歳で大学教授につくなど華々しい経歴の持ち主ですので、挫折感を感じることはなかったかもしれません。今でもカメラの前でうつむくこともなく真っすぐ前を向いて歩いています。11時間もの記者会見、14時間の聴聞会で疑惑に答えました。権力を使った疑惑ではないとはっきりと主張しているのでしょう。家族・親族に関わる疑惑のチョ・グクですが、本人には一点の曇りはないとのことで、今回の法務長官就任を「選挙制度改革案、高位公職者非理捜査処方、検察・警察捜査権調整、諸法案」の実現のために引き受けたということです。  清廉潔白であるはずの進歩派の人間が上流階級であったという現実的すぎるチョ・グク問題。「恵まれた階級で生まれ育ち、また恵まれた階級に属していたために、不平等の問題や富の世襲問題について鈍感だった」と語ったチョ・グク法務部長官はいずれ罷免されるでしょうし、任命責任を問われたムン・ジェイン大統領は窮地に陥ることにもなるかもしれません。   

 階級社会・既得権益に対するNO!をつきつけている韓国の若い世代は、誰もが等しくスタートラインに並び、始めていくことを望んでいます。個人が商店を開いたり、独立して起業することが難しくなる新自由主義が進んだ社会です。政権を変えるだけではなく、非正規雇用をなくすなど社会制度そのものを変えなければ、自由、平等、公正な社会を築くことはできないと思います。  チョ・グクの問題は韓国の階級制度を大きく際立たせました。平等、公正な社会に本当の意味で変革する歴史の1ページかもしれません。
 

 韓国のことだけを報じるメディアですが、足元の日本も問題は山積みです。国民の生活など何も考えずに改憲一筋の安倍新政権。
 戦争で数百万の犠牲者を出した日本です。”もう戦争はこりごり”という人々の、平和の思いを汲んだ日本国憲法です。誇りをもって平和憲法を掲げ、東アジアの隣国と向き合えばよいのだと心から思います。
 

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チュ・ヒョンミ「旅情」「月亮代表我的心」

 

 トロットの女王とも呼ばれ、トロットの世界を変えた人とも言われる韓国女性歌手チュ・ヒョンミ。
 当ブログに載せる韓国音楽の仕入れは、韓国音楽番組KBS「全国歌謡のど自慢」「歌謡舞台」からです。

「全国歌謡のど自慢」に出演する歌手の歌はチャンチャカチャンのメロディとリズムが多い中、正統派演歌”旅情”は新鮮な驚きと感動で聴いていました。  

 チュヒョンミは”新沙洞のあの人””雨降る永東橋””初恋”などヒット曲がありますし、音楽番組で何度も見ることがありましたが、心に留まることなく十数年経ちました。やっとチュヒョンミの良さがわかり、ある意味ほっとしています。  

 チュ・ヒョンミ(ウイキより)  

 中国人の父と韓国人との母との間に生まれた華僑2世。中央大学薬学科在学中の1981年にMBC川辺歌謡祭に出場して奨励賞を受賞した。大学卒業後は薬剤師として活動する。

 1985年に「雨降る永東橋(비내리는 영동교)」でデビュー。1988年に発表した「新沙洞のあの人(신사동 그 사람)」がデビュー以来最大のヒットを記録。その年のKBS歌謡大賞MBC10大歌手歌謡祭大賞、ゴールデンディスク大賞の3大歌謡大賞の大賞を独占する。翌年発表した「片思い(짝사랑)」もヒットさせ2年連続でMBC10大歌手歌謡祭の対象を受賞する。

2009年には「少女時代」のソヒョンと共に「チャラジャチャ(짜라자짜)」で活動し話題になる。
   

    旅情
 

 どれほど美しい花も月日の流れとともに 枯れるように  

 私もいつかどこかに 雲とともに流れるでしょう  

 留まっては歩き出す 人生の道に 心残りもあるけれど  

 行くべき道 旅人の道 流れに沿って進む道  

 野原に咲く美しい花も いつかは枯れるでしょう  

 私もいつかどこかに 雲とともに流れるでしょう  

 しばらく留まって帰る道に 恋もあったけれど  

 はるか遠いところに 去ってしまったけれど  

 川は流れ続けるでしょう 川は流れ続けるでしょう

 

 

 

 

 中国語で歌うチュ・ヒョンミ。父親が中国人なので発音もバッチリです。”月亮代表我的心”はテレサテンの歌声で知られる中華圏で大人気のスタンダードナンバーなのですね。チュ・ヒョンミの可憐な声がメロディにマッチしてとっても素敵です。この歌は9月14日に初めて聴きました。テレサテン、夏川りみも聴いてみましたがチュ・ヒョンミの歌が一番だと思います。まだ知らない良い歌はたっくさんあるので、音楽の旅は楽しいですね。
   

    月亮代表我的心(月はなんでも知っている)
 

 あなたは私に聞いた あなたをどのくらい愛してるのかと  

 私の気持ちは本物よ 私の愛も本物  

 あの月明かりが 私の心を照らしてくれた  

 あなたは私に聞いた あなたをどのくらい愛していのかと  

 私の心はどこにも行かない 私の愛は変わらない  

 あの月明かりが 私の心を物語っている  

 優しい口づけは 私をときめかせる  

 淡い恋しさは 今もあなたを思い描かせる  

 あなたは私に聞いた あなたをどのくらい愛してるのかと  

 思い描いて見つめて 月が私の気持ちを語っているから
 

 優しい口づけは 私をときめかせる  

 淡い恋しさは 今もあなたを恋しくさせる  

 私の心はどこにも行かない  あなたは私に聞いた 

 あなたをどのくらい愛してるのかと  

 思い描いて見つめて月が私の気持ちを語っているから  

 思い描いて見つめて月が私の気持ちを語っているから  

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