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韓国ドラマ「サイムダン色の日記」(2017年 SBS)

 

 イ・ヨンエが13年ぶりのドラマカムバックということで話題に上った韓国ドラマ「サイムダン色の日記」(2017年 SBS)。相手役にソン・スンホンを豪華に配しました。

 「サイムダン」の韓国ウイキ記事からの抜粋です。

 「サイムダン色の日記」撮影は2015年8月から始まり、2016年10月初めに SBS 週末特別企画ドラマとして放映をする予定でしたが、海外への販促関係で2017年の放映になりました。

 「チャングムの誓い」以来のカムバックしたイ・ヨンエで大きい話題を集め、成功を期待しましたが、陳腐な時代ワープ (現在と過去を行き来する)と、俳優と役柄が一致していないなど、予想以上に不評。裏番組であるビジネス・コメディドラマ「キム課長とソ理事(キム課長)」(KBS 2017年)がしっかりとしたストーリー展開と俳優たちの熱演で、予想外のヒットをたたき出しました。以上、抜粋から。

 「サイムダン」は良いドラマでしたが、同時に4つのドラマを観るようで散漫な印象を受けました。

 ①のドラマ 朝鮮王朝11代王「中宗」時代の天才画家「サイムダン」を扱ったドラマで、サイムダンに扮したイ・ヨンエは「チャングムの誓い」の続編のように楽しめました。「チャングムの誓い」を撮ったイ・ビョンフンを監督にして、画家サイムダンの半生にだけ絞って制作していれば、絶品の作品になったことでしょう。イ・ヨンエはとってもきれいです。

 ②のドラマ 宜城君(ウイソングン)を演じたソン・スンホンはうっとりするほど魅力的でした。中宗時代に活躍した画家、ヨーロッパで生き延びた画家、王族、7代王世祖との確執で死刑になった子孫という役柄です。このストーリーだけで。ソン・スンホン独自のドラマを制作してほしかった。

 ③のドラマ 現代の美術ミステリーとして過去のサイムダンを思い起こしながら、秘められた国宝級古美術発見と、ソンジングループの美術館と学会の癒着に焦点を絞ったドラマを、美術研究員で眼鏡姿のイ・ヨンエ主演で描きます。

 ④のドラマ ソン・スンホンがヨーロッパで名声を博した贋作ハンターとして韓国に現れて、次々と美術館や博物館に収集された美術品の真偽と謎を解き明かしていきます。このドラマを、ユン・ソクホ監督で透き通るような映像と音楽で作ってほしかった。

 一本のドラマの中で、4つのドラマが成り立ち、この4つを合わせたのがドラマ「サイムダン色の日記」です。

 1つだけ言えるのはソン・スンホンとイ・ヨンエは合わなかったということです。お互いの魅力が強すぎて、それぞれ別のドラマをみているようでした。本当にもったいなかった。①と②が別のドラマのよう、夢中でイ・ヨンエ時代劇を観ていたら、現代のイ・ヨンエのミステリーに、そしてソン・スンホンの時代劇へと。あれ?あれ?あれ?の連続。

 現代のソン・スンホンは博物館で澄んだ風のようにシャッターを切っていたのに影のようでした。贋作ハンターとしてもっと活躍してほしかった。惜しい。

 

 「サイムダン色の日記」で天才画家サイムダンを知ったのはうれしい出来事でした。今にもヒラヒラと飛び出しそうな蝶々やトンボ、風に揺れる草花、地面の中の虫たち。昆虫図鑑のような細かいタッチ。色使いも斬新です。韓国へ行ってサイムダンの美術館を訪れたくなりました。

 ドラマでチマチョゴリに描いた墨ブドウ、赤1色の大きい紙に描いた細やかな絵など。素晴らしかったです。紙質の違いなども教えてもらいました。

 チャングムが10年後に母になり、絵描きになって登場したのです。サイムダンに扮したイ・ヨンエは美しい~と感動でした。

 演出 ユン・サンホ

 脚本 パク・ウンヨン

 出演 イ・ヨンエ ソン・スンホン チェ・チョロ オ・ユナ チェ・ジョンファン ユン・ダフン

 

 あらすじ

 中宗反正(クーデター)で王になった中宗の時代。サイムダンとウイソングン(宜城君)は恋人同士で二人ともに絵が上手。サイムダンの父はお忍びの中宗から「漢詩」を頂いたが、結果殺されることになる。良質な紙作りをしている寺を訪れたサイムダンは、飢えた民を惨殺する役人の行状を目撃。イ・ギョム(ウイソングン)とサイムダンは結ばれず、サイムダンは別の人と結婚。傷ついたウイソングンは放浪し遊び人を装い独身を通している。父の死と寺の惨劇で筆を折ったサイムダンだった。宮中は功臣の腐敗が蔓延していた。改革の頓挫で中宗が唯一心を許せた宜城君(ウイソングン)に改革を託す。サイムダンの夫は科挙試験を何度も不合格のダメ男。4人の子供の母親として、頑張るサイムダンに、残された荒れ地には紙の原料楮が茂っていた。紙作りを始める。飢えた流民のために良質な紙工程所を作り、模索しながらも、市場に紙を流通することに成功する。出来の良い次男は塾生になるが、差別にあってしまう。高慢な母親たちの前で、ついにサイムダンはチョゴリに見事な墨ぶどうを描く。長年筆を持たなかったサイムダンは次々に心の赴くまま絵を描いていく。

 ウイソングンはサイムダンの苦境を助けながら、腐敗の改革に進んでいく。根深い腐敗の前にとうとう中宗にも見放されてウイソングンは朝鮮を離れざるをえなくなる。

 現代。古美術非常勤講師のソン・ジユン(イ・ヨンエ)。教授のアン・ギョン作「金剛山図」が本物であるという論文を書けと言われるが、調べると本物とは疑わしく思う。イタリアのボローニャ。偶然一冊の日記を見つける。そこからジユンはある古い邸宅に行き、自分そっくりの古い絵を見つける。美人画である。イ・ギョムが描いていた絵だ。ジユンは美人画と日記を何かに導かれるように持ち帰る。サイムダンの生まれ代わりのようなジユン。古い日記をもとに謎解きと、「金剛山図」の告発が始まる。

 

 採点10点満点中/5・5点

 

 

 

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A・C・Jobim ㉘ "Eu Nao Existo Sem Voce"

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1958年に作曲した  "EuNao Existo Sem Voce"、作詞はヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius De Moraes) です。

 他には女性歌手マイーザ(Maysa)のアルバム「Convite para Ouvir Maysa nº 3」(1958年)、エリゼッチ・カルドーソ(Elizete Cardoso)「Canção Do Amor Demais」(1958年)、マリア・ベターニャ(Maria Bethânia) 「Que Falta Você Me Faz」(2005年)、アントニオ・カルロス・ジョビン「Inedito」(1994年)に収録されています。

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「Tom Canta Vinicius 」(2000年)から"EuNao Existo Sem Voce" です。このアルバムは1990年にブラジル銀行ホールでライヴ録音されたものです。

 Paula Morelenbaumと妻の Jaques Morelenbaum、ジョビンの息子Paulo Jobim、作曲家で歌手のDorival Caymmiの息子Danilo Caymmiは、ジョビンのファミリー・バンドとして1984年からコンサート活動を共にしました。ファミリー・バンドだけあって息のあった美しい歌と演奏で、この曲のベスト・ヴァージョンと言ってよいくらいです。

  Tom Jobim, piano  vocal Paula Morelenbaum vocal
 Paulo Jobim, guitar  vocal
 Danilo Caymmi, flute  vocal
 Jaques Morelenbaum, cello

 

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンの1981年の録音で、2001年にリリースされたアルバム「Em Minas Ao Vivo 」から、ジョビンのピアノ弾き語りで"EuNao Existo Sem Voce" です。ジョビンのピアノと歌には、ほっとする温かみがあります。

 

 

 

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A・C・Jobim ㉗ "O Que Tinha De Ser" エリスレジーナ、シルビア・テリス

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1950年代後半に作曲した "O Que Tinha De Ser"、作詞はヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius De Moraes) です。

 他には、マリア・ベターニャ・ヴィニシウス・デ・モラエス・トッキーニョのアルバム「En La Fusa(Mar Del Plata)」(1971年)、バーデンパウエル「Sereste a Brasileiras」(1991年)、ブラジルの女性歌手Ana Lucia「Same」(1959年)に収録されています。

 

 

 アルバム「ELIS & TOM」(1974年)から、 "O Que Tinha De Ser"です。ジョビンのピアノ伴奏だけで、エリス・レジーナの深みのある声が、歌の上手さを一段と際立せています。

 

 

 

 シルビア・テリスのアルバム「アントニオ・カルロス・ジョビン集」(1959)年から "O Que Tinha De Ser"です。この曲を聴くとシルビア・テリスは1959年当時から、他のサンバ・カンソンの歌手と比べてモダンな感覚を持っていたのが分かります。

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A・C・Jobim ㉖ ”Esperanca Perdida" (I was just One More for You) ルシオ・アルベス、ジョアン・ドナート

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)の最初期の作品"Esperanca Perdida""(I Was Just One More for You" )、作詞はビリー・ブランコ(Billy Blanco)です。1956年に当時のブラジルのトップ歌手、ルシオ・アルベスによって歌われました。

 他にはジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)のアルバム「Em Mexico」(1970年)に収録されていますが、1959~61年の初期3作に比べると若々しく瑞々しかった歌声が、疲れ切ったおじさんのような歌声になってしまい、少々がっかりしてしまいます。

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「A Certain Mr.Jobim」(1967年)から  ”Esperanca Perdida" (I was just One More for You"です。ジョビン自身の録音はこのアルバムだけです。

 

 

 

 

 ルシオ・アルベス(Lucio Alvesa)の歌で ”Esperanca Perdida”です。ルシオ・アルベスの少しキザかな思えるほどのクルーナーぶりと、ハリウッド映画のような豪華な女性コーラスがすばらしいです。

 

 

 

 ブラジルのピアニスト・作曲家のジョアン・ドナートが、米国で1965年に録音したアルバム「The New Sound of Brasil」から ”Esperanca Perdida"です。洗練されたアレンジとピアノで、メロディーの心地良さが伝わってきます。

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A・C・Jobim ㉕ "E Preciso Dizer Adeus"(All That's Left Is to Say goodbye) シルビア・テリス

 ブラジルの女性歌手、シルビア・テリスはアントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が作曲した、"E Preciso Dizer Adeus”(All That's Left Is to Say goodbye)、作詞はヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius De Moraes) を、アルバム「Sylvia」(1958年)と「The Music Of Mr. Jobim By Sylvia Telles 」(1966年)で、2回録音しています。

 

 

 シルビア・テリス(Sylvia Telles)のアルバム「Sylvia」(1958年)から、"E Preciso Dizer Adeus”(さよならを言わなければならない)です。シルビア・テリスが情熱を秘めながら心から歌っています。

 

 

 

 シルビア・テリスのアルバム「The Music Of Mr. Jobim By Sylvia Telles 」(1966年)から”All That's Left Is to Say goodbye”です。米国録音なので英語で歌っています。最初の録音から8年たって、さらに歌が上手くなり、感情を抑えながらも歌詞やメロディーの美しさが伝わってきます。

                                    

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A・C・Jobim ㉔ "E Preciso Dizer Adeus" (All That's Left Is to Say goodbye) エドゥ・ロボ、アストラッド・ジルベルト

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1950年代後半に作曲した"E Preciso Dizer Adeus"(さよならを言わなければならない)、作詞はヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius De Moraes) です。”All That's Left Is to Say goodbye"の英詩が作られています。

 この曲は他には女性歌手マイーザ(Maysa)、「Miuch & Tom Jobim」(1977年)の録音があります。

 

 

 

 エドゥ・ロボ(Edu Lpbo)とジョビンのアルバム「EDU&TOM」(1981年)から"E Preciso Dizer Adeus(さよならを言わなければならない)”です。ジョビンらしいモダンで、しっとりとした美しいメロディーのナンバーです。間奏のピアノ・ソロもロマンチックな映画のワン・シーンのようで、数あるこの曲のなかで、ベスト・ヴァージョンだと思います。

 

 

 

 アストラッド・ジルベルトのセカンド・アルバム「The Astrad Gilbert Album」(1965年)から"E Preciso Dizer Adeus(All That's Left Is to Say goodbye)"です。このアルバムは全11曲中、10曲がアントニオ・カルロス・ジョビンの作品でジョビン集と言ってもよいくらいです。

 アレンジが名手マーティ・ペイチで、ジョアン・ジルベルトの初期3枚のアルバムを担当したジョビンのような流麗で温かみのあるアレンジです。

 アストラッド・ジルベルトのヴォーカルは、ゆったりとふんわりとしているだけでなく、雰囲気と表情があり、独特の魅力があります。

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A・C・Jobim ㉓ "Domingo Azule" "想いあふれて” オス・カリオカス、

 オス・カリオカス(Os Cariocas)はブラジルの男性コーラスグループで、1946年に、リーダーのイズマエ・ルネット、弟のセヴェリーノ・フィリノ、バディコ、クァルテーラ、ヴァルテールの不動のメンンバーによって結成されました。テンション・コードを用いた、ハイセンスなコーラス・ハーモニーで、4人とも楽器も演奏できるというところは、アメリカのフォー・フレッシュメンと同じです。

 以下の文章は「ボサノヴァの歴史」(音楽の友社)から引用させていただきました。

 オス・カリオカスのイズマエル・ネットは正式な音楽教育をうけていなかったにもかかわらず、音楽の才能は天才的でした。多数のヒット曲を作曲し、パイド・パイパーズのような米国のコーラスグループの複雑なアレンジを譜面に割り当て再現することができ、器楽演奏者のフレーズを歌うこともできました。

 オス・カリオカスの最初のヒット曲は1948年の”さよならアメリカ”で、1950年には”ジュアゼイロ”が大ヒットしました。彼らはブラジル最大の放送網「ラジオ・ナショナル」の専属となり、音楽番組にレギュラー出演しました。

 イズマエル・ネットが1956年に31才で逝去した後、弟のセヴェリーノ・フィリノがリーダーを引き継ぎ、イズマエルのパートには妹のオルテンシアが起用されました。1957年にコンチネンタルからコロンビア・レコードに移籍後、彼らは米国のポップ・グループのカヴァーをアレンジはそのまま、しかも英語で歌わされました。しかし彼らはめげることなく、ボサノヴァが登場した時、再びブラジルで最良のヴォーカルグループとして返り咲いたのです。1959年12月2日にラジオ・グローボのホールで重要なボサノヴァのコンサートが、初めて生でラジオでオンエアーされ、オス・カリオカスは、"想いあふれて"(chega De Saudade)"などを歌い、観客を大感動させました。

 

 

 オス・カリオカスのアルバム「A Grande Bossa Dos Cariocas」(1964年)から、アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1950年代後半に作曲した "Domingo Azule"(海の青の日曜日)です。作詞はビリー・ブランコ(Billy Blanco)です。オス・カリオカスのすばらしいコーラスハーモニーが十二分に発揮されています。

 この曲はジョビン自身の録音がなく、他にはビリー・ブランコのアルバム「O Autor a sur Musica」に収録されています。

 

 

 オス・カリオカスの1958年のングル盤、米国のポップナンバーのカヴァー"Allways And Forever"(コロンビア・レコード)のB面でリリースされた"想いあふれて(Chega De Saudade"です。まだボサノヴァという言葉もなく、バックのアレンジもポップス風で、話題のヒット曲のカヴァーとして録音されたのでしょう。アルバム「O Melhor De...Os Cariocas」(1958年)に収録されています。

 

 

 

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中国ドラマドラマ「人生は君を裏切っても(假如生活欺骗了你)」2013年 37話

 ロシアの詩人プーシキンの詩「人生は君を裏切っても」がドラマの伏線だということを知り、大変なことが起きても乗り越えていけるでしょうと思いながら観ていました。次々に想像もつかないようなことが起きて、心配でしたが最後はハッピーエンドで終わったので、観終わった後の爽快感や幸せな気分に大満足のドラマでした。私の中で最終回のベストテンに入ります。

 ドラマ「人生は君を裏切っても(假如生活欺骗了你)」直訳「人生があなたを欺くなら」は主演  ルー・イー(陸毅)チン・ハイルー(秦海璐)、ウー・ユエ(呉越)ゴン・ロー(耿楽)、グオ・ジンフェイ(郭京飛)マー・ジン(馬境)が演じた3組の夫婦の物語です。

  あらすじ

 北京胡同の四合院(古い4戸長屋)に住む黎家には長女の黎妮、長男の黎陽、次男の黎山がいる。

 長男の黎陽(  ルー・イー)は大学を卒業。学研肌で正義感が強く能力がある。中国共産党幹部の娘、真真(チン・ハイルー)は父に似た真っすぐな黎陽に惹かれ強引に結婚する。黎陽は愛のない結婚だったが、出世コースにのっていく。コネ出世といわれ後ろめたさもあり、結婚は辛いものでしかなかった。お互いに傷つけあう夫婦。それでも能力があり、努力して地位を固める黎陽。しかし正反対な性格と履歴を持つライバルが現れる。夫の焦りも理解するが愛されない苦しみでもがく真真だった。 

 長女でダンサーの黎妮(ウー・ユエ)はパイロット向東海(ゴン・ロー)のキザなアタックで交際し結婚する。向東海は前妻の未練を断ち切るための結婚で娘もいた。結婚をやめて実家に帰る黎妮だったが、向東海の熱意に負けて戻り、高級マンションで3人の生活が始まる。黎山は意地の悪い前妻の娘を苦労しながら育てていく。前妻の浮気で離婚した向東海は、黎妮が外で仕事することに猛反対する。娘の意地悪は続き、前妻の母(おばあちゃん)まで家に呼ぶ娘。さらに前妻が復縁を迫ってくる。妻、娘、前妻、前妻母と女たちから受けたストレスで向東海は倒れてしまう。

 次男は父子ゲンカが絶えなくて、チンピラとケンカばかりの黎山(グオ・ジンフェイ)。田舎出身で年上の柳風(マー・ジン)と駆け落ち結婚をする。工場長の娘が執拗に黎山に迫り、何をしてもうまくいかず、傷害沙汰になってしまう。運送の仕事中チンピラに殴られて足に障害を負う。その度に実家や兄に迷惑をかけてしまうのだった。妻の柳風は一生懸命に夫に尽くしている。貧しいが愛情にあふれた夫婦だ。

 

 1980から90年代にかけて中国は農業から工業へと重心を移していきますが終盤になって、ドラマでも黎陽を通して描かれていきます。NHKドラマ「大地の子」で上川隆也が演じた陸一心を彷彿とさせるような。また、ペ・ヨンジュン主演の韓国ドラマ「若者のひなた」(1996年)でイ・ジョンウォンが失意で故郷へと向かうのですが、「人生が君を裏切っても」の黎陽と立場は違うけれど、能力があるので彼らならどこにいてもきっとやり直せると思うような。中国ドラマ、日本のドラマ、韓国のドラマと国はそれぞれ違っても、たとえ人生が自分の思うように行かなくてもきっとうまくいくだろう!と視聴者に呼び掛けているように感じました。

中国ドラマ「人生は君を裏切っても(假如生活欺骗了你)」2012年

 

 

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A・C・Jobim ㉒ ”Discussao" ジョアン・ジルベルト,シルビア・テリス

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1950年代後半に作曲した ”Discussao"(口論)です。作詞はニュートン・メンドーサ(Newton Mendorsa)です。

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert),シルビア・テリス(Sylvia Telles)以外では、Baden Powell「Vol,2 L'Art De Baden Powell」(1973年)、1990年代に、アルバム「Wada Sa & Robertt Menescal」、Zimbo Trio,「Interpreta Tom Jobim」、Leila Pinheiro「Isso E Bossa Nova」での録音があります。

 

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 ジョアン・ジルベルトの2枚目のアルバム「愛と微笑みと海」(1960年)から  ”Discussao"(口論)です。この曲は録音が少なく、なかでもこのジョアン・ジルベルトの歌がベストだと思います。ジョビンのアレンジもすばらしく、二人のコンビは1959~1961年で終わってしまいましたが、もっとレコードを制作してほしかったです。

 

 

 シルビア・テリスのアルバム[アントニオ・カルロス・ジョビン集」(1959年)から ”Discussao"(口論)です。

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A・C・Jobim ㉑ "Cuminhos Cruzados" シルヴィア・テリス、ジョアン・ジルベルト

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1958年に作曲した"Cuminhos Cruzados(十字路)"、作詞はニュートン・メンドーサ(Newton Mendorsa)です。

 シルヴィア・テリス、ジョアン・ジルベルト以外では、1958年に女性歌手マイーザが、ガルコスタ(Gal Costa)がアルバム「Antonio Carlos Jobim&Friends」(1985年)、「Gal Costa」(1992年)で録音しています。

 

 

 シルヴィア・テリス(Sylvia Telles)のアルバム「Silvia」(1958年)から"Cuminhos Cruzados(十字路)"です。デビュー・アルバム「Caricia」でも、ジョビンの曲を5曲も取り上げていて、ジョビンの曲のすばらしさを最も早くから理解していたアーティストの一人だと思います。

 

 

 

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)のアルバム「AMOROSO」(1977年)から、"Cuminhos Cruzados(十字路)"です。歌と演奏は良いのですが、曲が6分以上というのは少々長すぎます。

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