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1961年のポップス ④「カレンダー・ガール」ニール・セダカ、坂本九

 

 

 ニール・セダカ(Neil Sedaka)の"カレンダー・ガールCalender Girl)"です。当時のテレビで放映された映像だと思いますが、ビートルズ以前のアメリカとアメリカン・ポップスの明るさ(能天気と言ってよいほど)には感動してしまいます。

 ニール・セダカ(1939年~)は子供の頃にクラシックの演奏家を目指してピアノを始めましたが、中学時代に学校の仲間達とポップ・グループを結成、その後ジュリアード音楽院で学ぶかたわら、友人のハワード・グリーンフィールド(Howard Greenfield)とともに大手音楽出版社のアルドン・ミュージックに入社。作曲家として活動しながら、歌手としてデビュー、"恋の日記The Diary)”(1958年)が全米14位、"おおキャロル(Oh! Carol)"(1959年)が全米9位にランクされました。

 ”カレンダー・ガール”は1960年にリリースされ、1961年に全米4位にランクされるヒットになりました。ニール・セダカとハワード・グリーンフィールドの作品です。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1961年年年間チャートで7位に選ばれています。

 

 

 

 坂本九の”カレンダー・ガール”です。坂本九は1958年に「ダニー飯田とパラダイス・キング」に参加、1959年にレコード・デビュー。"カレンダー・ガール”は「坂本九/ダニー飯田とパラダイス・キング」のシングル盤として1961年6月に発売されました。

 坂本九の歌の上手さ、天性の発声法とリズム感の良さには感心するばかりです。弘田三枝子とならんで戦後の歌謡界を代表する天才歌手だと思います。

 

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1969年のポップス ㊲ ファウンデイションズ「恋の乾草」「星のベイビー」(1968年)

 

 

 英国のポップ・ソウル・バンド、ファウンデイションズ(Foundations)の「恋の乾草(Build Me Up Buttercup)」です。ファウンデイションズは1966年に白人3人、黒人4人の混成バンドとして結成され、プロデューサー兼ソングライターとして有名なトニー・マッコーレイのもと、パイレコードからデビューしました。

 英国では1967年のデビュー・シングル"星のベイビー(Baby Now That I've Found You)"がチャートで1位にランクされるヒットになり、2枚目のシングル「恋するベイビー(Back on My Feet Ahttps://youtu.be/tNFj9IdpMQMgain)」も全英18位にランクされました。英国での4枚目のシングル"恋の乾草(Build Me Up Buttercup)"が全英2位にランク、日本でも1969年に発売され、日本でのファウンデイションズの初ヒット・ナンバーになりました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では、1969年年間チャート41位に選ばれています。

 

 

 

 1967年に英国で1位にランクされたファウンデイションズの"星のベイビー(Baby Now That I've Found You)"です。日本では1968年に発売されましたが、ヒットには至りませんでした。

 

 

 

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1962年の洋楽 ⑦ ヘイリー・ミルズ「レッツ・ゲット・トゥゲザー」「ポリアンナ・ソング」」

 

 

 ヘイリー・ミルズ()Haley Mills)(1946年~)はロンドン生まれで、名優ジョン・ミルズ(John Mills)を父にもち、母は劇作家、姉も女優という恵まれた環境で育ち、12歳の時に父親ののジョン・ミルズと映画「追いつめられて」(1959年)で共演、ベルリン映画祭で最優秀新人賞に輝きました。

 1960年には渡米し、ディズニー社と5年契約を結び、デビュー作「ポリアンナ(Pollyanne)」でアカデミー特別賞を受賞しました。映画「罠にかかったパパとママ(The Parent Trap)」(1961年)の挿入歌"レッツ・ゲット・トゥゲザー(Let's Get Together)"で歌手デビュー、全米8位にランクされました。日本でもヒットし、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1962年年間チャート22位に選ばれています。

 

 

 

 ヘイリー・ミルズの歌で映画「ポリアンナ」から「ポリアンナ・ソング(Pollyanne Song)」です。この映画は米国で1960年に製作され、日本では1963年に公開されました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年年間チャート」85位に選ばれています。

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1967年~70年の映画音楽 ⑯「オスカー」より ”メインテーマ” ”メイビー・セプテンバー”

 

 

 映画「オスカー(Oscar)」から、パーシーフェイス楽団の演奏で"オスカーのテーマ"です。この映画は1966年に製作され、日本では1967年に公開されました。

 監督はラッセル・ラウズ(Russell Rouse)、出演はステファン・ボイド(Stephen Boyd)、エルケ・ソマー(Elke Sommer)にジョセフ・コットン(Joseph Cotton)、ミルトン・バール(Milton Berle)、エレノア・パーカー(Eleanor Parker)、アーネスト・ボーグナイン(Ernest Borgnine)などのベテラン名優を配しています。また歌手のトニーベネット(Tonny Bennettが実名で出演しています。アカデミー賞の内幕を描いたベストセラー小説を映画化したもですが脚本と演出が悪かったため、米国では興行的に振るわず、,日本でも全くヒットしませんでした。

 音楽は1950~60年代に数多くのアルバムをリリース、特に”避暑地の出来事”が大ヒットし人気のあったパーシー・フェイス楽団のリーダーのパーシー・フェイスが担当しました。テーマ曲は派手さはないですが、しっとりとした美しいメロディーです。

 

 

 映画「オスカー」から、トニー・ベネットの歌で”メイビー・セプテンバー(Maybe September)”です。「オスカーの「メイン・テーマ」に、作詞蚊のレイ・エヴァンス(Ray Evansが歌詞を付けた曲です。映画でトニーベネットの歌は使われませんでしたが、サウンド・トラック・アルバムに収録されています。

 この曲はジャズ・ミュージシャンに好まれ、ウェス・モンゴメリー(Wes Montgomery)とジミー・スミス(Jimmy Smith)、トミー・フラナガン(Tommy Flanagan)、トゥーツ・シールマンス(Toots Thielemans)、スタンリー・タレンタイン(Stanley Turrentine)などが録音しています。トニー・ベネットもビル・エヴァン(Bill Evans)とのアルバム「Together Again」(1977年)で再録音しています。

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中国ドラマ「金粉世家」(2002年)

 

 

 

  音楽とストーリーは韓国ドラマのようだけど、お金がからみ現実的な中国の独特なドラマでした。

 

 中国ドラマ「金粉世家」(2002年)主題曲です。韓国ドラマを思わせるようなドラマティックで胸キュンな主題曲です。なのにドラマは全然胸キュンしません。国民性なのかドライなのか不思議です。

 男性主人公イエンシーとおとなしくて愛らしい女性主人公チンチウのテーマ曲でした。ラブラブなシーンでも良く流れていました。

 

 

 

 エンディングの映像

 サブストーリー チュンジャンとシャオリエンのテーマ

 

 

 ブルージーなエンディングテーマ。。雰囲気があります。

 

 音楽はよかったのにドラマはあれ?的な物語です。民国時代に首相の地位についた一家のお話。大きなお屋敷に大家族で優雅に暮らす人々。お金や仕事の心配もなく何不自由なく暮らす息子たちは、妾の騒動、京劇男性俳優にお熱をあげたり、末息子は裕福ではない女子高校性に一目ぼれ。お金を目一杯使って(情熱的な愛がいじらしくもある)嫁に迎える。首相である父親の失脚で、一家は破産、離れの屋敷も火事、純愛だった末息子も放蕩して嫁にあいそをつかされ、寂しく別れてドラマは終わる。

 

 金満家のお話でしたが、舞台になったお屋敷が素晴らしく豪華で、二階への階段が左右両側にあり、クラシックで凝った家具、照明、窓枠などインテリアを観るだけでも十分楽しめたドラマでした。セットなのかそれとも実際の建物が存在しているのか気になりましたが調べることはできません。ドラマはつまらないけれど目の保養になりました。

 

 ラッキーだったのは「麗王別姫~花散る永遠の愛~(大唐榮耀)」(2018年)の中国女優で一番好きなシュー・チャンが金家の末っ子メイリー役で出演していたことです。14~5年前のあどけない純粋な少女は、ドラマがつまらない中でほっとする役どころでした。出演者リストを見てシュー・チャンだとわかりとってもうれしかったです。

 

 

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それでも韓国に期待する(サランサヌンセサン)

 

  切り株(歌 ノチャサ)

 

千年もの間太く美しい道に

もつれて絡まった我々の人々

ぐっすり眠って目を覚ましたとき

切り株の胸に後悔はありません

空に向かって開いた緑の枝に

きしんだ音と絡まった私たちの血

不幸な果実が赤く熟するならば

あなたがそれを知る前に

青い日はいつの間にか紅い葉に染まる

大地を突き刺した深い根

明日を迎える慌ただしい決断で

提灯火を照らすこの夜ここで

すべての心は愛に溢れている

 

 この歌「切り株」のように大木が切り株になっても、大地を突き刺した深い根は横からひこばえが生えてきます。さらにか弱い枝が太い幹になって時間をかけて大きくなり、花を咲かせるでしょう。

 

 韓国に絶望なんかしていません。大統領が右派になり、ウエルカム米国、ウエルカム原子力潜水艦ケンタッキーでも民主化を闘って勝ち取った人々は時間をかけて世の中を変えることでしょう。

 

 サランサヌンセサン(人が生きる世の中)のために、諦めない人々がいる限り

 

 私は韓国に期待します。

 

 

 

 

 

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1963年の洋楽 ㊶ ジョニー・ソマーズ「ワン・ボーイ」アン・マーグレット、ボビー・ライデル

 

 ジョョニー・ソマーズ(Joanie Sommers)の日本での3枚目のシングル"ワン・ボーイ(One Boy)"(東芝7B-27)です。1960年公開のブロードウェイ・ミュージカル「バイ・バイ・バーディー(Bye Bye Birdy)」の挿入歌で、ジョニー・ソマーズは米国で1960年にシングルをリリース、全米54位にランクされました.

 1963年にアン・マーグレット主演で映画化され、ジョニー・ソマーズのシングルも米国で再発されましたがランクインしませんでした。日本では”内気なジョニー(Johny Get Angry)”や"すてきなメモリー(Memories,Memories)"のヒット後に発売されたため、前2曲以上にヒットしました。アレンジもジョョニー・ソマーズの歌も良くて、今聴いてもポップスの名曲だと思います。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年11位に選ばれています。

 

 

 

  映画「バイ・バイ・バーディー」から、アン・マーグレット(Ann Margret)とボビー・ライデルBobbu Rydel)の歌で"ワン・ボーイ(One Boy)"です。私はミュージカルが好きなので1990年代に米国版のLDで観ましたが、ロマンチックで豊かな楽しいストーリーと音楽で字幕なしでも面白かったです。

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1963年の洋楽 ㊵ ジョニー・ソマーズ 「すてきなメモリー(日本語版)」「Be My Love」

 

 ジョニー・ソマーズ(Joanie Sommers)の”さよならデート(Good Bye Joey)”に続く、日本で4枚目のシングル、"すてきなメモリー(Memories,Memories)"(東芝7Bー31)の日本語版です。原曲が日本でヒットしたので日本語でレコーディングしたのでしょうが、"すてきなメモリー"は英語版より日本語版のほうがヒットしました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年86位、1964年27位に選ばれています。

 1960年代はポップスが日本でヒットすると日本語ヴァージョンがよく録音されました。日本で人気のあったコニー・フランシス、ブレダン・リー、ペギー・マーチ、フラン・スギャル、シルビー・バルタン、ジリオラ・チンクエッティーまで日本語で歌っています。

 

 

 

 

 ジョニー・ソマーズの"すてきなメモリー"の日本語版のB面"ビ・ーマイ・ラヴ(Be My Love)"です。米国では1960年に"ワン・ボーイ(One Boy)"の後にリリースされましたがチャート・インしませんでした。

 "Be My Love"はニコラス・ブロドスキー(Nicholas Brodszky)作曲、サミー・カーン(Sammy Cahn作詞で、1950年にマリオ・ランザ(Mario Ranza)の映画のために作られました。マリオ・ランザのレコードは200万枚以上売れ、ビルボードでは1位にランクされました。

 

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1963年の洋楽 ㊴ ジョニー・ソマーズ「すてきな・メモリー(英語版)」「When the Boys Get Together」

 ジョニー・ソマーズ(Joanie Sommers)の”さよならデートGood Bye Joey)”に続く、日本で3枚目のシングル、"すてきなメモリー(Memories,Memories)"(東芝7B-22)です。米国では”Since Randy Moved Away”(1963年)のB面でしたが、A面の”Since Randy~"が米国でヒットせず、東芝レコードがB面の"すてきなメモリー(Memories,Memories)"をA面にしてリリースしました。聴き比べると"すてきなメモリー”のほうがずっと良い曲で、東芝レコードの洋楽部の方達の慧眼に感心します。

 

 

 

 ジョニー・ソマーズの"When the Boys Get Together"です。米国では1962年に"内気なジョニー(Johnny Get Angry)"に続いてリリースされたセカンド・シングルで全米94位にランクされました。1960年代前半までの夢見るガール・ポップスで、メロディーも良く個人的に好きな曲です。

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1963年の洋楽 ㊳ ジョニー・ソマーズ「さよならデート」「I Don't Want To Walk Without You」

 

 ジョニー・ソマーズ(Joanie Sommers)の"内気なジョニー(Johnny Get Angry))"に続く、日本で2枚目のシングル”さよならデートGood Bye Joey)”(東芝7Bー19)です。米国ではチャート・インせず、日本でもヒットしませんでした。カントリー調でメロディーもそれほど良くなかったからでしょうか。

 

 

 

 ジョニー・ソマーズの"I Don't Want To Walk Without You"です。1961年にシングルがリリースされましたが、チャート・インはしませんでした。アルバム「Johnny Get Angry」(1962年 )に収録されています。

 "I Don't Want To Walk Without You"は作曲ジュール・スタイン(Jule Steine)、作詞フランク・レッサー(Frank Lessr)のポピュラーソングで、1942年にハリー・ジェームス(Harry James )楽団、ヘレン・フォレスト(Helen Forrest)の歌で全米1位にランクされるヒットになりました。

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