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中国ドラマ「麗王別姫~花散る永遠の愛~(大唐榮耀)」(2018年)

 日本版予告編「麗王別姫~花散る永遠の愛~(大唐榮耀)」総製作費43億円

  中国宮廷ドラマの凄さを堪能した「麗王別姫」でした。刺され刺され刺されて倒れ、毒、毒、毒を盛られて死地をさまよい、結ばれては離れ、離れては結ばれ、激しい離別もあり、いつになったら穏やかな日々が訪れるのか。ラストは”栄曜”の歌とともに穏やかに終わりました。これからも続くであろう皇帝の道の険しさを漂わせながら。

 「麗王別姫」は740年ごろから762年まで「玄宗」~(楊貴妃を寵愛した皇帝)「粛宗」~「代宗」が即位するまでの物語です。唐時代の実話に基づいた歴史ドラマということで観ていました。「代宗」は皇子広平王として唐の平定に力を尽くします。広平王、李俶が生涯を通して愛した女性、沈珍珠との波乱万丈な愛の物語ですが凄すぎました。

 幼く見える広平王、李俶を演じたアレン・レンと沈珍珠を演じたジン・ティエン二人の少年少女のようなドラマを見るの?と最初は戸惑いを感じました。ジン・ティエンの落ち着いた演技は次第に仏様を彷彿とさせるような魅力があり、アレン・レンは段々と演技が上手になっていく過程をみていたような気がします。

 出演者の中でお気に入りの女優が見つかりました。沈珍珠の親友で李俶の弟皇子、李倓の妻、慕容林致を演じたシュー・チャンです。医者であり、妃であり、絶望的な仕打ちにあった女性であり、夫との悲しい離別を演じ、ラスト3話くらいの再登場にうれしくなり拍手でした。李倓を演じたチン・ジュンジエもよかったです。慕容林致のシュー・チャンと李倓のチン・ジュンジエ二人の恋愛が激しくて悲しかった。回紇族長、黙延啜を演じたユー・シャオウェイはCCTVで放送された「闖関東外伝」(2013年)で主人公を演じていました。

 歴史 ウイキより

「玄宗」治世の前半は、太宗を手本とした善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った。

主人公「代宗」生母の実家は有力な貴族であったが、謀反の嫌疑により誅滅された。このような血統を引いた李俶であったが、祖父である玄宗に素質を認められ、広平王に封ぜられた。父の粛宗が皇帝として即位すると兵馬大元帥に任じられ、らと共に安慶緒により占拠されていた長安や洛陽などを奪回した。このとき回紇族を援軍として招き入れていたことが、後々の外患の原因の一つとなっていく。また、安史の乱の残党勢力討伐のために河北三鎮などの節度使の援助を求めたことから、節度使の権力を増長させてしまうことになった。

758年(乾元元年)、粛宗の皇后張氏と宦官の李輔国により立太子され、762年に玄宗と粛宗が相次いで崩御すると皇帝として即位した。しかし、朝政は李輔国が掌握していた。国政を自ら掌握しようとした代宗は、宦官である程元振を抜擢、謀反を理由に李輔国を誅殺した。だがこの粛清も、結局は程元振が朝政を掌握したに過ぎず、続いて重用された宦官である魚朝恩の場合も同様であった。このような内廷での粛清は、宦官の権力増大の原因といわれている。

外交面では763年に、吐蕃の侵攻により長安を一時的に奪われ、李賢の孫の李承宏(在位:763年11月18日 - 763年11月30日)が帝位に据えられる事件が発生している。これは宦官が軍権をも握り、武将の軍功への論功を抑制するなど、武官を冷遇したため辺境防備が弱体化した結果である。

その後、代宗は財政再建のために塩の専売化を初めとする様々な政策を実行したが、抜本的な財政健全化は実現しなかった。

779年に54歳で崩御した。

 

 この歌がラストで流れます。大変な出来事もこの歌のおかげで・・・・穏やかなラストシーンでした。

 山を越え 川を渡る めくるめく人生

 胸に抱き続けた夢は 花のごとく散った

 潮のように月は満ち 歳は流れ

 栄光は末永く続く 滅びては生じ得ては捨てる

 *娘たちが求めるのは 大きな栄光と寵愛 主の心は日々移り変わる

 剣を抜き巻き返しをはかれど 玉の杯では均酒壺に勝てぬ

 夢から覚めると 消える風の音 満ち溢れる希望とともに 

 送り出されたあの時 何度も後ろを振り返った 

 生涯で好みが得たのは わずかばかりの抱擁だけ 

 今はもう跡形もなく 雨の中に消えてゆく

 

原作 滄溟水ツァンミンシュイ 1970年代作家 湖北省作家協会会员 1970年代中生まれ。代表作「大唐后妃传:珍珠传奇」

 

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太陽の王子 ホルスの冒険

 

 閉幕前日に高畑勲展に行きました。高畑勲展 会場の中、東映動画「太陽の王子 ホルスの大冒険」のブースが大きかったのでこれは観なきゃと思い、ツタヤで借りて観ることにしました。初の高畑勲監督作品の劇場用アニメで1968年7月21日夏休みから公開。51年経ってから作品を観ることになります。

 展示に誘われて「太陽の王子 ホルスの大冒険」を観たので先入観+期待感もあり私には楽しめた作品でした。ヒロイン「ヒルダ」は悪魔なのか人間なのかという問いが展示ブースのなかでも目立ち、根強い「ヒルダ」ファンが存在することも助けになりました。寂しそうな表情をした「ヒルダ」とはどんな少女なのか興味津々でした。

 ていねいに作られた一つ一つのシーンからあふれ出る躍動感には新鮮な驚きでした。アイヌの人々が鮭の大漁に大喜びして鮭を運ぶコミカルな動きは、とても楽しくて少数民族のお祭りの儀式をみているようでした。いつも寂しそうなヒルダの表情。疎外感を感じ、ふもとから人間の幸せを恨めしく悲しそうに見つめるヒルダの怒り。村を破壊するネズミの大群は臨場感たっぷりで怖かった。

 人間と悪魔の闘い、内なる悪魔と良心の闘い、迷いの森という悪魔の巣に陥ってもがく苦しみは現在の中国ドラマの中でもでてきます。この作品がオマージュになっているのかと思うほどです。闘いに勝利して平和なアイヌが戻りハッピーエンドで終わります。

 哲学的で政治的なテーマでした。悪魔とは何なのか、人間は悪魔に打ち勝つことができるのか、猜疑心で人々がバラバラになり、信頼を取り戻して再び団結する過程を描きました。50年前の作品なのに、現在にもつながる永遠のテーマだと思います。

 一方、児童には分かりにくて馴染めなかった映画かもしれません。地味なアイヌのモチーフに感情移入しづらい面もあったのではと思います。ホルスの生まれた背景、ホルスと太陽の剣とのかかわりがはっきりしなくて、冒険のワクワク感があまり感じられず、「ヒルダ」の人物設定が曖昧で表情が寂しすぎたかもしれない。音楽も地味で、もっと華やかで軽やかな音楽だったなら、楽しめたはずではと思いました。

「太陽の王子 ホルスの大冒険」は公開当時は興行不振で失敗作とも言われた作品とのことです。高畑勲の作品に込めた熱い想いが強過ぎて児童向けとしては難しかったのでしょうか。

 人間と悪魔の闘いという単純でいて難解なテーマを持つ「太陽の王子 ホルスの大冒険」をテレビアニメにして連続して放送すれば、失敗作と言われずヒューマンな作品として名を残せたかもと思ったりします。

 この映画についてはたくさんの感想・批判、高畑勲の反省が存在しています。

 参考になるでしょうか。

https://realsound.jp/movie/2019/08/post-401807.html

https://realsound.jp/movie/2019/08/post-401807_2.html

https://realsound.jp/movie/2019/08/post-401807_3.html

 

 監督:高畑勲

 脚本:深沢一夫

 声の出演:大方斐紗子(ホルス)、市原悦子(ヒルダ)、平幹二朗(悪魔)、東野英治郎、三島雅夫、永田靖、横森久、横内正、赤沢亜沙子、堀絢子 

 あらすじ(ウイキより)

 悪魔グルンワルドの手から自分の息子を守りたいという一心で、父の手によって他の人間の許から離されて育ったホルスは、ある日岩男モーグに出会い、モーグの肩に刺さっていた太陽の剣を抜き取る。モーグはそれをホルスに与え、それを鍛え直した暁にはそれを持つ者は太陽の王子と呼ばれるようになり、モーグ自身もその許に馳せ参ずるだろうと告げた。意気揚々と走り回るホルスだが、次にホルスを待っていたのは父が危篤であるという知らせだった。ホルスの父は、ホルスを人間の元から離して育てた事は間違いであり、他の人間の所に向かうようにホルスに告げて、息絶える。

父の遺言に従い、他の人間の住む陸地に辿り着いたホルスだが、早々にグルンワルドの手下に捕らえられてしまう。その後グルンワルドとの対面を果たすが、グルンワルドの弟になることを拒んだために崖から突き落とされる。太陽の剣のおかげで九死に一生を得たホルスは、気を失っていたところをガンコ爺さんに助けられ、ガンコ爺さんの鍛冶仕事に関心を持つ。

しかしその村はグルンワルドの手下である大カマスのために魚が獲れず、食料不足に苦しんでいた。大カマスの退治に向かった若者達が為す術も無く帰ってきた様子を見たホルスは、一人大カマスのいる滝壺に向かい、見事大カマスを仕留める。一人で大カマスを仕留めたと言うホルスに村人は驚きを隠せないが、程なくして再び魚がやってくるようになり、ホルスは一躍村の英雄となった。しかしそれは同時に村長とドラーゴの嫉妬心を買う事も意味していた。

死んだとばかり思っていたホルスが、大カマスを退治したという知らせを聞いたグルンワルドは、狼たちを村に遣わすが、一致団結した村人の前は歯が立たず、多くが討たれる。討ち逃した銀色狼を追っていたホルスは、廃墟の村の中でヒルダと出会い、孤独な境遇に親近感を抱いて村に招く。ヒルダはその美しい歌ですぐに村人たちに気に入られた。

しかしヒルダは、過去の記憶が足枷となっているのか、協調的に生きる村人の輪に入る事が出来ない。ヒルダの孤独感はむしろいや増し、それに伴ってヒルダの悪魔としての心が呼び覚まされていく。トトにそそのかされたヒルダは、村人たちにホルスに対する疑念を抱かせ、ホルスを迷いの森へと誘い込む。

迷いの森に堕ちたホルスは、次々に襲ってくる幻想に苦しめられるが、その中でグルンワルドに対抗する手がかりをつかむ。村人全員が力を合わせれば、グルンワルドに対抗する力に成り得ることを知ったのである。ヒルダの心の葛藤も見破ったホルスは、ヒルダの人間の心を呼び覚ますことにも成功する。

ホルスのいなくなった村では、グルンワルドの出現におののいていた。グルンワルドの魔法で村は吹雪に襲われるが、その中でもガンコ爺さんやポトムたちがグルンワルドに対抗しようと必死に策を練っていた。ガンコ爺さんが積み上げた薪に火をくべ、村人を団結させたところにホルスが舞い戻り、団結の象徴であるその火で太陽の剣を鍛え上げる。約束通りモーグも応援に駆けつけ、グルンワルドは退散を余儀なくされる。勢いづいた村人たちはグルンワルドの城まで追い討ちをかけ、モーグによって太陽の光を浴びせられてグルンワルドがひるんだところにホルスが太陽の剣でとどめを刺し、グルンワルドは倒れる。

ヒルダは、雪の中を彷徨うフレップとコロに命の珠を与えたが、息絶える事はなかった。勝利に沸く村にヒルダも現れ、ホルスがヒルダの手を取り、ポトムたちと駆けていくところで大団円となる。

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ケニー・クラーク フランシー・ボラン「プアー・バタフライ」                 KENNY CLARKE FRANCY BOLAND ”POOR BUTTERFLY”

  
 
 
 ケニー・クラークはアメリカのジャズドラマーで、1940年代のスウィングジャズからビバップに発展する際の、モダンドラミングの開祖と言われています。1940年~50年代にはチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、マイルス・デイヴィスなど、多くのジャズミュージシャンと共演し、MJQの初代ドラマーでした。1956年には渡欧し、フランスを中心にジャズドラマーとして活躍しました。
 フランシー・ボーランは、ベルギーのジャズピアニスト・作曲家・編曲家で、1950年代に渡米し、カウント・ベイシー、ディジー・ガレスピーらの楽団の楽曲・編曲を手がけます。ヨーロッパに戻り、ケニー・クラークと共にクラーク・ボーラン・ビッグバンドを結成、MPSレーベルを中心に数多くの名アルバムを録音しました。
 UPした画像は、1961年にドイツで録音され、BLUE NOTEからリリースされたアルバム「Golden Eight」から”Poor Butterfly"です。ケニー・クラーク、フランシー・ボランの他、トランペットのダスコ・ゴイコヴィッチ、ベースのジミー・ウッズらの8人編成で、クラーク・ボラン・ビッグバンドの前身と言えます。
 フランシー・ボランの素晴らしい”作曲・編曲”、タイトでクールなアンサンブル、ダスコ・ゴイコヴィッチ、ジョニー・グリフィン、ベニー・ベイリーなどの豪華なメンバーのソロ、クラーク・ボラン・ビッグバンドは1960年代以降に結成された最高のビッグバンドだと思います。 
 
 
 
  
 
 
 アルバム「Golden Eight」からタイトル曲です。最高にクールでヒップなアレンジ、ジョニー・グリフィン、ダスコ・ゴイコヴィッチの素晴らしいソロ、ケニークラークの疾走するドラミング、ブルーノート・レーベルの、ジャズの隠れた名盤です。
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ROSEMARY CLOONY 「THE LADY IS A TRAMP」「Tendary」 ローズマリー クルーニー 「ザ レディー イズ トランプ」 「テンダリー」」

 

 

 米国の女性ジャズ・シンガー、ローズマリークルーニーはヒット曲「テンダリー(Tendsrly)」をタイトルとする10インチレコードを1955年にリリースしました。
 UPした画像はそのレコードから「ザ・ レディー・イズ・トランプ(The Lady Is Tramp)」です。ギタープラスピアノ・トリオをバックに軽快にスウィングするロージーのヴォーカル。ジャズの楽しさに溢れています。   
 (Piano)  Stan Freeman   (Guiter) Mundell lowe   (Bass) Terry Sydner   (Drums) Jimmy Crawford
 
 
 アルバムのタイトル,1952年の全米ヒット曲「テンダリー(Tendary)」です・
   
 
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映画「いつもふたりで」(Two For the Road) ヘンリー・マンシーニ                "Two For the Road" Henry Mancini

 

 

 「いつもふたりで」はオードリー・ヘップバーン、アルバート・フィニー主演、スタンリー・ドーネン監督の1967年のイギリス映画です。

 スタンリー・ドーネンは1950年代に「雨に唄えば」「略奪された7人の花嫁」「パリの恋人」などの傑作ミュージカルを、1960年代にはサスペンスドラマの秀作「シャレード」「アラベスク」を監督しています。特に「シャレード」は何回観ても面白い映画で、もっと高く評価されてよいと思います。オードリー・ヘップバーンとは「パリの恋人」「シャレード」に続く作品です。

 ヘンリー・マンシーニは、オードリー・ヘップバーンの「ティファニーで朝食を」「シャレード」「いつもふたりで」「暗くなるまで待って」の音楽を作曲しています。マンシーニの都会的でソフィスティケートされた音楽が、ヘップバーンの清楚でエレガントなイメージにぴったりなのでしょう。
 UPした画像は「いつもふたりで」からテーマ曲です。サントラはアルバムを通して聴くと飽きる場合がありますが、マンシーニはメロディー、アレンジが素晴らしく、ジャズの要素もあり、音楽として楽しめます。「いつもふたりで」はマンシーニのサントラの中でも五本の指に入る名作だと思います。  
 
 
 
 「いつもふたりで」のOSTより、コーラスなしのオーケストラ・ヴァージョンです。
 
 
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エドゥ・ロボ、ナラ・レオン ”No Cordao Da Saidona"

 
 
  エドゥ・ロボ(Edu Lobo)は1943年生まれのブラジルの歌手・作曲家です。75歳の今も現役で、2016年4月に、45年ぶりに来日コンサートを開きました。
 ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビンなどのボサノヴァに影響を受け、1965年にデビューアルバム「A Musica de Edu Lobo por Edu Lobo」と、ナラ・レオン、タンバ・トリオとのアルバム「5 Na Bossa」を、エレンコ(Elenco )レコードからリリース。1967年から1981年まで、フィリップス・レコードなどで多くのアルバムを録音しました。
 2013年には生誕70周年を記念して、シコ・ブアルキ・マリア・ベターニャなどのゲストとともにコンサ-トを開催、ライブCDも発売されました。UPしたのは1967年にリリースされたアルバム「Edu」から、”No Corado DaSaideria"です。メロディーが良いので、ブラジルでは合唱曲になって一般の人たちに歌われているようです。私もエドゥ・ロボで、”Pra dizer Ades(さよならを言うために)"”Canto Toriste"と並ぶ好きな曲です。   (Kann Dorao)
 
 
 
 
 
 
 ナラレオンが1967年にリリースした9枚目のアルバムから、”No Corado DaSaideria"です。
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1967年のポップス ㉝ モンキーズ 「パパ・ジーンズ・ブルース」「タピオカ・ツンドラ」

 
 
 
   ザ・モンキーズは、1960年代中頃TV番組「ザ・モンキーズショウ」でお茶の間を賑わせたアイドルグループで、デイビー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トーク、マイク・ネスミスの4人からなるアメリカのポップ・ロックバンドです。
 メンバーをオーディションで選び、テレビの媒体とレコード販売を同時におこなったので、活動中は良い曲がたくさんあるのに、うるさ型のロックファンからは「作られたグループ」と言われました。
 4人の中でひときわ異色な存在だったのが、マイク・ネスミス(Michael Nesmth)。
 作詞作曲ができ、心の琴線に触れる胸キュンのメロディがたまりません。マイク・ネスミスの声がまたラフでさりげなくてほっとします。
 ”Papa Gene's Blues” は、1stアルバム「Monkees」のA面5曲目で、個人的にモンキーズで一番好きな曲です。
 
 
 
 
 
 

 

 ”タピオカ・ツンドラ(Tapioka Tundra)”はマイク・ネスミスの作品で、1968年にシングル”素敵なヴァレリー”のB面でリリースされました。シングルは凝ったアレンジですが、マイク・ネスミスらしい哀愁さをもった洒落たナンバーです。
 モンキーズのCDにこの曲のアコースティック・ヴァージョンが収録されていて、シンプルにメロディーの良さが伝わってくる、素晴らしい歌と演奏です。UPしたのは未発表だったアコースティック・ヴァージョン です。 
 
 
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1955年の洋楽 ② ”愛のメロディー(Melody of Love)” ビリー・ヴォーン、デヴィッド・キャロル、The 1000Strings

 
 
   "愛のメロディー(Melody of Love)"は、1954~55年に多くの楽団・歌手にカヴァーされてヒットしました。ビリー・ヴォーン(Billy Vaughn)ではビルボードの最高位2位、フォアエーセス(Four Aces)で3位、デヴィッド・キャロル(David Carrol)で8位にランクされました。イギリスでは黒人のコーラスグループ、インクスポッツ(Ink Spots)の歌でヒットしました。
 
 ビリー・ヴォーン楽団は日本でも”浪路はるかに””峠の幌馬車”などのヒット曲で有名で、何回も来日コンサートを開いています。「真珠貝の歌(Pearly Shells)」は、NHKFMで日曜夕方6時から放送していた「リクエストアワー」のテーマ曲でした。
 
 
 
 
 
 
 デヴィッド・キャロルはアメリカの指揮・作曲・編曲者で、1950~60年代にはマーキュリーレコードのミュージカル・ディレクターも務めました。デヴィット・キャロル楽団(David Carrol Orchestra)として、多くのイージーリスニングアルバムを録音しています。
 
 
 
 
 
 
  The 1000 Stringsで”愛のメロディー(Melody of Love)です。ロマンティックでゆったりとした、心が暖かくなるような演奏です。   (Kann dorao)
 
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韓国音楽「ヒョンとドク」1集(1978年)

 

 

 

 兄妹コンビの「ヒョンとドク」1集アルバム全曲です。SIDE A6曲目の”少女”以外、全曲妹のチャン・ドクが作詞作曲しています。どれだけ天才少女なのでしょう。

SIDE A

 00:00 1.純粋な子供 순진한 아이 (장덕 작사/장덕 작곡)

02:35 2.小人人形 꼬마 인형 (장덕 작사/장덕 작곡)

05:26 3.少女と街灯소녀와 가로등 (장덕 작사/장덕 작곡)

09:10  4.日記덕 작사/장덕 작곡)

11:14 5. 小さい少女の愛の物語작은 소녀의 사랑이야기 (장덕 작사/장덕 작곡)

14:59 6. 少女소녀 (경음악) (이필원 작곡)

SIDE B

18:39 1. マリア마리아 (장덕 작사/장덕 작곡)

22:34 2. 本当정말 (장덕 작사/장덕 작곡)

24:45 3. 私たちの世界우리들의 세계 (장덕 작사/장덕 작곡)

27:09 4. 可愛い愛귀여운 사랑 (장덕 작사/장덕 작곡)

29:26 5. あなたは너는 (장덕 작사/장덕 작곡)

31:51 6. 一つの葉잎새 하나 (장덕 작사/장덕 작)

 

 

 ヒョンとドクのアルバムの中にチャン・ヒョンが歌った”少女と街灯”があります。なぜかその素直な歌声に惹かれてしまいます。チャン・ドクの語りもいいんですよね。

 チャン・ヒョンはチャン・ドクの6歳年上の兄です。親が離婚してしまって、兄チャン・ヒョンが妹の支えになっていました。14歳で作曲家としてデビューして天才であるがゆえに気分の浮き沈みがはげしかったチャン・ドク。「ヒョンとドク」で兄妹デュオで本格的に芸能界で活動していきます。

 仲良しの兄と妹。妹が苦境に立たされた時は兄チャン・ヒョクが助けました。若くしてガンが発病した兄を妹チャン・ドクは自分のせいでガンになったと自分をせめてしまいます。先に亡くなったのはチャン・ドクでした。

 それは運命としか言いようがなく、誰のせいでもありません。本当に中の良い二人だったのですから。二人は天国で仲良く歌っていることでしょう。

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アメーバブログに移転できました。

ヤフーブログの移行が無事アメバに完了。ほっとしています。過去記事はこちらhttps://ameblo.jp/karennda-1  

gooにまとめて移したかったのだけれどできないようなので、一つずつ移していくしかないみたいです。果てしない手作業。できるでしょうか。やってみます。

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