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高田渡 「くつが一足あったなら」 WEAVERS 「Goodnight Irene」

 

 

 フォーク歌手高田渡の「くつが一足あったなら」は、アメリカのフォークグループWEAVERSの「Goodnight Irene」の曲に、ウクライナの詩人・画家であるシェフチェンコの詩を付けて、独特な持ち味のある高田渡の世界で歌った歌です。
 1949年生まれの高田渡。日本のフォークシーンを作った人としてなくてはならない存在の歌手です。フォークのスタンダードに山之口獏、金子光春、草野心平らの現代詩をつけて、当時の社会の話題を辛辣に滑稽に取り上げ、皮肉たっぷりの作風は大いに音楽ファンを惹きつけました。詩人であり、労働者や貧しい者、民衆の立場で歌い続けた歌手です。
 浮浪者の哀切を歌った”生活の柄”、皮肉たっぷりの”自衛隊に入ろう”、本質的なことを歌った”銭がなけりゃ”などは代表的でしょう。
 You TubeにUPされた高田渡ライブの語りはまるで落語家のような声と話し方で、思わず笑ってしまいます。語りのうまさと面白さは、なぎらけんいちと双璧と言えるでしょう。
 ”くつが一足あったなら”はスタジオ録音の画像もありますが、ライブの画像をUPしました。高田渡のやさしく包み込むような歌声と、素朴な演奏が素晴らしいです。
 この曲をこのように説明しています。”シェフチェンコという詩人がいます。日本ではたぶん1964年くらいに翻訳されたかもしれません。それを読んでる人がいるかどうかわかりませんが、そういう時代があった。正確に言うとロシア革命が起きる前のロシア皇帝の時代に生きていた人です。その頃にこんな詩をふっと残した人がいます”
 
 「くつが一足あったなら」
 
 靴が一足あったなら 私も踊りを踊るのに
 その靴さえもないのに 靴さえもないのに
 笛や太鼓をたたいても ただ切なさばかりが増すばかり
 この世が嫌になるばかり 嫌になるばかり
 *Irene Goodnight Goodnight Irena I See You In My Dream*
 
 裸足で野原に出て 他の定めを探そうか
 わびしい私のこの定め 辛くあたらずいておくれ
 *~*
 
 他の娘は皆で赤い靴履き踊るのに
 私一人が彷徨って 私一人が彷徨って
 人に使われ楽しみも恋も知らずにいるうちに
 眉は薄れていくばかり 眉は薄れていくばかり
 *~*
 
 
 
 
 
  ウィーヴァーズは1948年にピート・シーガー、リー・ヘイズ、フレッド・ヘラーマン、ロニー・アルバートの男性3人、女性1人で結成された4人組のフォークグループです。1950年に”グッドナイト・アイリーン”が、全米で13週連続一位になりました。その後マッカーシーの赤狩りで1952年に解散させられてしまいますが、1955年のカーネギーコンサートホールのライブが大成功をおさめます。

 
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映画「ふたり」より ”草の想い” 中嶋朋子、大林宣彦、久石譲

 
 
 
 映画「ふたり」のテーマ曲”草の想い”。映画を観た当時中嶋朋子のCDシングルを買って、あきるほど聴きました。心の琴線に触れるとてもよい曲なので、誰か有名な歌手がカバーしてヒットさせてほしいと思ったのに、世に出ず残念です!
 Youtubeの画像は最初中嶋朋子で、4分15秒から監督の大林宣彦、5分45秒から作曲家の久石譲が歌っています。
 
 1991年上映された「ふたり」は大林宣彦監督の映画で、「新・尾道三部作」の第一作です。「転校生」「時をかける少女」を観たので、期待して観に行った映画でした。ですが観終わってがっかり。脚本が「尾道三部作(転校生、時をかける少女、さびしんぼう)」の剣持亘ではなく、ロマンポルノを手がけた桂千穂だったので、みずみずしさ、さわやかさに欠けていました。
 不気味な父親役に岸辺一徳、娘を失って失意の母親役に富司純子(藤純子)でしたが生活感がなくて、二人ともミスキャストだと思いました。
 家庭が壊れていく様、大切なものを失った喪失感を重い苦しみではなく、物語がファンタジーなので、セピア色のはかなさとして最後まで描いてほしかったです。
 
 
 
 
 
 
  映画ではラストタイトルで大林宣彦、久石譲の歌が流れます。大林宣彦の歌声が素朴で心に染みます。1分05秒からタイトルが始まります。
 
 
 
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大滝詠一&シリアポール、ナッ・トキング・コール「The Very Thought of You」

 
 
  
 ”The Very Thought Of You”は、大瀧詠一が'77年にプロデュースしたシリア・ポーイメージ 1ルのアルバム『夢で逢えたら』に収録されたものです。アルバム中で何曲か大瀧詠一とのデュエットがありますが、この曲もそうした1曲です。
 ”The Very Thought Of You”はシリア・ポールのやわらかな声と、大瀧詠一のからみつくような声がなんとも言えず、熱い恋人どうしのような雰囲気で、アレンジも甘くて溶けてしまいそうです。
 シリア・ポールのCD『夢で逢えたら』が好きで何度も繰り返しききました。とくに”The Very Thought Of You” ”Whispering” ”恋はメレンゲ”が好きでした。
 オリジナルはコロムビア時代のナイアガラレーベルから発売。

曲目は以下の通り

1..Cha Cha Charming
2..ドリーミング・デイ
3..One Fine Day
4 Walk With Me
5.恋はメレンゲ
6.こんな時
7.The Very Thought Of You
8 .Whispering
9.Tonight You Belong To Me
10. Oh Why
11夢で逢えたら

 このCDは廃盤のようで、高値がついていますね。
 
 
 
 
 
 
 ナット・キング・コール(Nat King Cole)が1958年にリリースしたアルバム「The Very Thought of You」より、同名曲です。ゴードン・ジェンキンス(Gordon Jenkins)のストリングス・アレンジが夢見るような美しさです。
 
 
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筒美京平ヤッコガチャのベスト3 「センチメンタル」「あの場所から」「抱きしめてTONIGHT」

 

 

  筒美京平のヒット曲からベスト3を選ぶのは大変ですが、それでも3曲選んでみました。

 岩崎宏美”センチメンタル”1975年3枚目シングル作詞 阿久悠 編曲作曲 筒美京平

 

 

 

 ”あの場所から”は朝倉理恵、柏原芳恵がカバーしていますが、何といってもこの曲はK&ブルンネンの歌が良いのです。”あの場所から”作詞 山上道夫  編曲作曲 筒美京平。1970発売

 

 

 

 田原俊彦”抱きしめてTONIGHT”1988年リリース。作詞 森浩美 作曲筒美京平 編曲 船山基起 ダンスも最高です。

 

筒美京平について書きました↓ 

https://blog.goo.ne.jp/yakkogacha/e/67ffb64bb9f0f728bfc1bb9f3660e7a6

https://blog.goo.ne.jp/yakkogacha/e/43cd88b2fa828a737eee3a8f156f40b3

 

 筒美京平サビメドレー

 

【追悼】筒美京平サビメドレー

 

 

 

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日本の音楽・歌謡曲・フォーク

日本の音楽・歌謡曲・フォークの記事一覧はこちら ↓

https://ameblo.jp/karennda-1/theme-10111054974.html

 

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中原めいこ 「Dance in the Memories」

 
 中原めいこ(1959年5月生)は幼少時より歌手に憧れ、中学生の頃より作曲を始め、デビューするまで鈴木邦彦主催のポップススクールに入りみっちり音楽を学びました。  

 1982年に東芝より、今夜だけDANCE・DANCE・DANCE」でデビュー。  カネボウの夏のキャンペーン・ソングとして1984年にリリースした6枚目のシングル「きみたちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」がオリコン8位、ザ・ベストテンげ6位にランクされるヒットになり、一躍人気歌手(シンガーソングライター)になりました。  

 「Dance in the Memories」は、1988年1月にシングル「鏡の中のアクトレス」のB面でリリースされ、テレビアニメ「きまぐれ・オレンジロード」の第37話~48話までエンディングテーマに使われました。
 私は「きみたちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」があまり好きではなく、中原めいこの曲をほとんど聴いていませんでしたが、たまたまYou Tubeで。UPした動画「Dance in the Memories」を聴いてビックリ。中原めいこの歌の上手さ メロディーの良さ、バックバンドのドライブ感抜群の演奏。間奏でのキーボードとギター・ソロもセンスの良さが光っています。

 ソウルフルな女性バックコーラス、特にサビのDance in the Memoriesと繰り返して歌うところで、二人の女性バックコーラスの声質の違いをいかして交互に歌わせるなどアレンジも最高。イントロと間奏でのダンスも古くさいのかもしれませんが、私にはかっこよくてたまりません。  

 世界中で日本の1980年代の音楽(シティーポップ)が注目されるのも当然だと思ってしまうほどの、疾走感にあふれた素晴らしい歌とコーラスと演奏です。   

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フランク永井「モスクワの夜は更けて」「有楽町で逢いましょう」

 

 

 
 ロシア民謡をカヴァーしたフランク永井”モスクワの夜は更けて”は1962年に発売されました。この歌が気に入って50回以上聴いています。何度聴いてもあきません。
 フランク永井の軽くスウィングする歌声と、詩心たっぷりの歌詞、楽しいニューオリンズジャズの演奏で自然に体が動いてきます。
 
 
 
 
 
 フランク永井”有楽町で逢いましょう”
 
 
 
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アイ・ジョージ 「ククル・クク・パロマ」「”ラ・マラゲーニヤ”」

 

 

    久しぶりに「アイ・ジョージ」のレコードを聴いています。レコードは音が生々しくていいですね。毎日音楽はYoutubeなので、レコードの音の良さに感動しています。
 アイ・ジョージは”硝子のジョニー”と”赤いグラス”が有名ですが、私はラテンナンバー”ラ・マラゲーニヤ”と”ククル・クク・パロマ”が大好きです。15~27秒もの息継ぎのないロングトーンは、アイ・ジョージの歌の神髄を聞かせてくれます。
 トリオ・ロスパンチョスとの出会いは、アイ・ジョージをラテンの世界へいざないました。
 Youtubeに”ククル・クク・パロマ”があるのでUPします。残念ながら”ラ・マラゲーニヤ”はありませんでした。”ラ・マラゲーニヤ”は1959年秋、東京サンケイホールでアイ・ジョージを世に送り出した曲とも言われます。アイ・ジョージのこの2曲は世界一だと思います。
 トリオ・ロス・パンチョス”ラ・マラゲーニヤ”https://youtu.be/2rpZNWYO9-Q
 ラ・マラゲーニヤは1947年メキシコの曲
  ククル・クク・パロマは1954年メキシコの曲
 アイ・ジョージは苦労人です。1953年「流し」をしていたころは3曲100円で一番リクエストが多かったのは”裏町人生”だったそうです。
 

 

 

  ”ラ・マラゲーニヤ”
 
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高石ともやとザ・ナターシャー・セブン 「私に人生と言えるものがあるなら」「想い出の赤いヤッケ」

 

 
 
  優しい声、穏やかな人柄の高石ともや。
 
 ”私に人生と言えるものがあるなら”を好きだという方が大勢います。私もその一人で、新宿の歌声喫茶『ともしび』に行くと必ずリクエストする曲です。
 歌詞がそうさせるのでしょうか。一篇のドラマを観るように、切なくて甘酸っぱくて、ほろ苦い感情が湧き出てくるこの歌。
 韓国フォークを聞いていると別れを惜しむ歌が多く、日本のフォーク”私に人生と言えるものがあるなら”はその集大成のような気がします。いくつもの出会いや別れは惜別の情として残りますが、国を越えて、男女を越えて、心に響く感情は一緒だなとおもいます。
 歌詞の”あなたと過ごした”の”あなた”は、恋人・妻や夫・父や母・兄弟・姉妹、子供・友人と捉えることもできるし、大切なペット・美しい自然・音楽・映画・ドラマかもしれません。
 歳月を重ねた人であれば、普遍的な感情として、胸の中に惜別の花束を抱えていることでしょう。
 
 ”私に人生と言えるものがあるなら”は、フォークシンガー笠置透によって1971年に作られた詩で、オリジナルは笠置透が結成したフォークグループ「我夢土下座」(カムトゲザ、COME TOGETHER)の歌です。トム・アシュレイの「Faded Roses(色あせたバラ)」という曲が原曲だとのことです。
 
 

 

 

   ”想い出の赤いヤッケ”(慶應義塾大学山岳部の菊池平三郎作詞、三沢聖彦作曲)は1967年3月にシングルで発売。
 WIKIよると高石友也がデビューする前、アルバイト先のスキー場のロッジの主人からこの曲を教わったそうです。
 
 高石ともやは当時90万枚売り上げる大ヒットになった”受験生ブルース”(1968年)で有名ですが、1967年から2008年まで10枚のソロアルバムをリリースしています。
 フォークグループのザ・ナターシャセブンとしても活躍。ギター、フィドル、バンジョー、ハーモニカなどの楽器を駆使し、カントリー、ブルーグラスの音楽を演奏しています。またマラソンやトライアスロンのランナーとしても知られています。
 
 
  この曲もとても良い歌です。”我が大地の歌”  http://youtu.be/nLrjqiV8boU
 
  
 
 
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筒美京平コレクション6 仮面舞踏会 1985~1986

 
 
 
  1970年~1990年頃が筒美京平の絶頂期でした。素晴らしい曲を何百、いや何千と作ったのは脅威としか思えません。まさに神の手でしょう。時代はフォーク、ニューミュージックとシンガーソングライターが台頭してきたのに、それでもプロの職業作曲家として良質の音楽を提供しました。
 1990年代以降は小室哲也などが大衆を魅了するようになってきました。小室以降のメロディラインは、筒美京平の自然な人間の感性に合ったのとは違う、何か不自然なメロディなのです。でもその不自然な曲が安室、グローブなどの新しいアイドルの曲となり、歌謡曲が変わってしまったと思います。
 さらにおニャン子、モーニング娘、AKBと「集団アイドル」の時代がやってきて、プロデュースの形が変わり、歌手の個性は希薄になってしまいました。暮れになり、今年一年のヒットした曲はと考えても、何もメロディーが浮かびません。
 演歌とジャニーズとAKBだけになってしまったので、アイドルを求める人や歌を求める人が、洗練されたK-POPのダンスミュージックに夢中になったり、1990年代の韓国音楽に興味が移るのも当たり前なのかもしれません。
 一時代を作った文化が衰退を繰り返すのは歴史の必然でしょう。アメリカを見ればわかります。日本の1960年代から1980年代後半の頃までは音楽、ドラマ、映画と質の高い大衆文化だったのだなと思います。
 筒美京平コレクションをあらためて見直してしまいます。手法、音楽性は超一流なのにヒット曲という枠だけで見られてしまいがち。しかしそれぞれのヒット曲は大衆のための最高の音楽で、「筒美京平の歌謡曲」として文化の歴史に永遠に燦然と輝くことでしょう。
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