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A・C・ジョビン ⑬ "Se Todas Fossem Iguais a Voce" トニー・ベネット

 

 トニー・ベネット(Tony Bennett)のアルバム「The Good Things In Life」(1972年)から、”Someone to Light up My Life ”("Se Todas Fossem Iguais a Voce")です。多くの歌手がレコーディングしていますが、ビッグバンドをバックに粋にスイングするトニー・ベネットがベストだと思います。

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antônio Carlos jobim)のアルバム「Live at Minus」(1981年)からジョビンのピアノ弾き語りで、"Se Todas Fossem Iguais a Voce""(もしすべてがあなたと同じなら)です。トニー・ベネットと同じ歌とは思えない、穏やかで滋味あふれるジョビンのピアノと歌声が何とも言ません。           (Kann Dorao)

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A・C・ジョビン ⑫ "Se Todas Fossem Iguais a Voce"

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antônio Carlos jobim)とヴィニシウス・デ・モラエス(Vinícius da Moraes)共作の舞台劇「オルフェイ・ダ・コンセイサォン(黒いオルフェ)」(1956年)の挿入曲、"Se Todas Fossem Iguais a Voce"(もしすべてがあなたと同じなら)です。この曲は英詩で”Someone to Light up My Life ”というタイトルがつけられトニー・ベネット、フランク・シナトラ、サラ・ヴォーン、スコット・ウォーカーなどが録音しています。

 

 

 ジョビンのアルバム「A Certain MR'Jobim」(1967年)」より、"Se Todas Fossem Iguais a Voce"(もしすべてがあなたと同じなら)です。クラウス・オーガマンらしいクールで繊細なアレンジです。

 

 

 

 ジョビンのアルバム「Terra Brasilis」(1980年)より、"Se Todas Fossem Iguais a Voce"です。パーカッションとリズムを強調したダイナミックなアレンジで、ブラジルの雄大な自然を愛したジョビンの気持ちが伝わってくるかのようです。

 

 

 

 舞台劇「オルフェイ・ダ・コンセイサォン(黒いオルフェ)」(1956年)よりRoberto Paiva の歌で、"Se Todas Fossem Iguais a Voce"(もしすべてがあなたと同じなら)です。素朴で味わいのある歌とコーラスです。

    (Kann Dorao)

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中国ドラマ「海上牧雲記~3つの予言と王朝の謎」(2017年 75話)①

 

 「ミーユエ王朝を照らす月」のホアン・シュアン(黄轩)と「小林問道」のジョウ・イーウェイ(周一囲)が出演しているので「海上牧雲記~3つの予言と王朝の謎」を観ていました。あまりにもスケールが大きすぎてついて行けるか、でしたがセリフ一つ一つに含みがあって見逃せないドラマになりました。BS12の放送中、広告があったので録画保存しなかったのが残念です。再放送があれば、もう一度じっくり観て良いセリフを書き留めたいと思います。

  黒よろいをまとった騎馬軍団が辺境の地にいる部族を襲撃。生き残った子供、碩風和葉(ジョウ・イーウェイ)が三人の主人公の一人です。その無敵の騎馬軍団は端王朝を守る「穆如」家です。穆如家に生まれ、災いの種として赤ん坊の時捨てられたのが三人の主人公の一人穆如寒江 (ショーン・ドウ 竇驍)です。端王朝の王子、牧雲笙(ホアン・シュアン)も三人の主人公の一人です。

 牧雲笙、穆如寒江、碩風和葉の三人が小さなトライアングルの点とすれば、そこから無限に広がる巨大な九州三大陸の果てしない物語と一言でいえばそうなるでしょうか。権力争いと覇権の争いです。

 北大陸、東大陸、西大陸には九つの州があります。

 北大陸にはツンドラの「殤州」、辺境の地で八大部族が住む広大な平原の「瀚州」、森林や草原が広がる「寧州」があります。

 西大陸には砂漠の「雲州」、幾多の河川がある「雷州」があります。

 東大陸には帝都の「中州」、温暖な気候の「宛州」、険しい山脈のある「瀾州」、地下都市のある「越州」があります。

 さらに六族(人族、魅族、河洛族、羽族、鮫族、巨人族)に分かれ、支配しているのが人族の端王朝、牧雲王族です。以前の王朝、晟王朝の子孫も現れます。

 辺境の地に住む蛮族(人族に属す)にも八大部族、(碩風、龍格、赫蘭、苦速、速沁、丹堯、和術、索達)があります。

 主人公三人それぞれの物語でも見ごたえがあるのに、三大陸、九州、六族、八大部族が全部出てくるので、何が何だか分からない展開になりますが、後半になるにつれて全部鎖のように繋がり、なるほどそうだったのかと納得しました。

 ラストはENDや終りの案内もなく、いよいよ佳境にというところで、突然終わってしまいました。途中打ち切りなのか、続編があるのかわかりません。三人の運命はどうなるのでしょう。続きが観たい!

「海上牧雲記 ~3つの予言と王朝の謎」ドラマ公式サイト

 採点10点満点中/7.5点

   

 

 

 

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A・C・ジョビン ⑪ ”ラメント (Lament no morro)" Roberto Paiva

 

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antônio Carlos jobim)は、舞台劇「オルフェイ・ダ・コンセイサォン(黒いオルフェ)」(1956年)の挿入曲”Lamento no morro(モロの嘆き)”のタイトルを”Lamento”に変えて、自身のアルバム「Wave(波」(1967年)に録音しました。

 

 

 

 「オルフェイ・ダ・コンセイサォン(黒いオルフェ)」は、オデオン・レコードから10インチLP(全7曲)で1956年にリリースされましたが、オリジナル・キャストではなくRoverto Parvaの歌で録音されました。

 Roverto Parvaの歌で”Lamento no morro(モロの嘆き)”です。                    

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A・C ジョビン⑩ ”ラメント(Lamento no morro)”ルイス・ボンファ、ネルソン・リドル

 1956年、ヴィニシウス・デ・モラエス(Vinícius da Moraes)とアントニオ・カルロス・ジョビン(Antônio Carlos jobim)は、戯曲「オルフェイ・ダ・コンセイサォン(黒いオルフェ)」を上演するための曲作りを続けていました。作曲は完成し、戯曲は1956年9月25日リオ市立歌劇場で初演されました。評判は良く劇場を移り1ヵ月以上のロング・ランになりました。ギターはルイス・ボンファ(Luiz Bonfa)、黒人のキャストが素晴らしく、”Se Tôdos Fôssem Iguais A Você(もしすべてがあなたと同じだったら)” "Lamento No Morro (モロの嘆き)"などの名曲が生まれました。

 

 

 ルイス・ボンファのギターで”Lamento no morro(モロの嘆き)”です。一音でボンファだとわかる素晴らしい演奏です。アルバム「O Violao E O Samba」(1962年)からです。米国では「Softly」のタイトルでリリースされました。

 

 

 

  ネルソン・リドル(Nelson Riddle)楽団のアルバム「Changing Colours」(1971年)から”Lamento (Lamento no morro)"です。ブラジル音楽の香りを持った、美しいストリングアレンジ。ネルソン・リドルはやはり最高のアレンジャーの一人です。   

 

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A・C・ジョビン ⑨ "Estadao Da Sol" (太陽への道) ナラ・レオン、シルヴィア・テリス

 

 ナラ・レオン(Nara Leao)がパリで録音したアルバム「Dez Anos Depois」(1971年)から、アントニオ・カルロス・ジョビン(Antônio Carlos jobim)の曲で 、"estrada do sol"(太陽への道)です。

 

 

 

 アルバム「Sylvia Telles USA」から、"estrada do sol"(太陽への道)です。

 シルヴィア・テリス(Sylvia Telles)は1960年代初頭に渡米し,「Sylvia Telles USA」(1961年)を録音しました。このアルバムはⅠ曲毎に、バーニー・ケッセル(Barney Kessel)のギター、カルヴィン・ジャクソン(Calvin Jackson)のピアノ、ビル・ヒッチコック(Bill Hitchcoc)のオーケストラが伴奏を付けるようになっています。"estrada do sol"(太陽への道)では、バーニー・ケッセルのギター・ソロをバックにシルヴィアが歌っています。

 1950年代中頃ブラジルでは、ジュリー・ロンドン(Julie london)のアルバム「Julie Is Her Name」が、バックのバーニー・ケッセルのギターが素晴らしいので、音楽ファンやミュージシャンの間で人気になっていました。そのためシルヴィア・テリスも米国でのレコーディングに、バーニー・ケッセルを起用したのだと思います。          (Kann Dorao)

 

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ACジョビン ⑧ "Estrada Do Sol" (太陽への道) 「A Certain MR'Jobim」「Terra Brasilis」

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)作曲、ドロレス・デュラン作詞の ”estrada de sol (Road to Sun) ”(太陽への道)です 。女性歌手ドロレス・デュラン( Dolores Duran )とは3回目の共作(1957年)になります。「恋人たちに訪れる光いっぱいのモーニングアフター」を歌った詩で、ドロレスの孤独な歌の世界に慣れていた当時の人たちには不思議に思われる内容だったそうです。

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「A Certain MR'Jobim」(1967年)から、”estrada de sol ”(太陽への道)です。作曲後10年経ってから,自身初のレコーディングです。

 

 

 

  アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「Terra Brasilis」(1980年)から、"Estrada do sol"です。ピアノ・ソロですが、メロディーの良さが伝わってきます。    )Kann Dorao)

 

 

 

 

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A・C・ジョビン ⑦ "Foi A Noite" シルビア・テリス

 ブラジルの歌手・女優のカルメン・ミランダは1939年に渡米、絶大な人気を誇りましたが、1955年にヴィバリー・ヒルズの自宅で逝去しました。パートナーで楽団のリーダーだったアローイジオ・デ・サントスはブラジルに帰国し、オデオンレコードのジェネラル・ディレクターになり、そこで部下のディレクターの一人が途方もない才能を持っていることを知りました。それがアントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)でした。

 その頃ジョビンはコンチネンタルレコードからオデオンレコードに移り、A&Rマンとして働いていました。仕事は「朝9時から会議、売り上げのチェック、アーティストの解雇の検討、しかも自分が制作している作品に自分の曲を入れるのは具合が悪かったのです」

 アローイジオが入社することによって、ジョビンはやりたいこと、作曲・アレンジをし、しかも自分の曲を入れて好きな歌手のアルバムを制作することができるようになったのです。

 以上の文章は「ボサノヴァの歴史(音楽の友社)」を参照しました。

 

 

 1956年6月には枚の重要なレコードの制作が進行中でした。ジョビンとニュウトン・メンドーサの曲をジョビンがアレンジした、シルビア・テリス(Sylvia Telles)の "ある夜 (Foi A Noite)"の78回転盤(SP)でした。

 アローイジオはその新しさにショックを受け、それはサンバでもサンバ・カンソンでもボレロでもないものでした。後にアローイジオは彼にとって”Foi A Noite”は、将来ボサノヴァとなるものに接した初めての機会だったと何度も繰り返しました。(以上「ボサノヴァの歴史」より)

 この曲はその後シルビア・テリスのファーストアルバム「Caricia」(1957年)に収録されました。   (Kann Dorao)

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A・C・Jobim ⑥ "Outra vez(もう一度)" ジョアン・ドナートと彼のトリオ

 

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)のアルバム「A  Certain Mr..Jobim」(1967年)から、ディック・ファルネイ(Dick Farney)の歌で1954年にヒットした"Outra vez”です。

 

 

 

 ジョアン・ドナート(Joao Donato) (1934生~)は1940年代からミュージシャンを目指し、1950年からピアニストとしてまたトロンボーンもマスターし、1954年にファーストアルバム「シャ・ダンサンチ(Cha Dançante)」を録音、1959年に渡米しカリフォルニアで生活、ティト・プエンテ、バド・シャンク、カル・ジェイダーなどのレコーディングに参加しました。

 1962年に一時帰国し、2枚のピアノトリオ・アルバム,「Muito à vontade」(1962年)「A Bossa muito moderna de João Donato」(1963年) を録音しました。

  「João Donato e seu Trio/ A Bossa muito moderna de João Donato」から"Outra vez”です。ドラムがミルトン・バナナ(Miruton Banana)、ベースがTiae Neto(Sebastiano Neto)という強力メンバーです。

    (Kann Dorao)

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A・C・ジョビン ⑤ "OuTra vez(もう一度)" ジョアン・ジルベルト、ナラ・レオン

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)は幼い頃父を亡くし、建築学をあきらめ、1940年代からナイトクラブやバーのピアニストとして働いていました。クラブやバーは酒と煙草の煙に包まれ、しかも仕事が終わるのが明け方という生活でした。昼間の仕事、しかも音楽の仕事に就くことを考えたジョビンは1952年にコンチネンタル・レコード専属のアレンジャーになり、合い間に作曲もしていました。

 当時人気絶頂だった歌手の ディック・ファルネイが、ジョビン作曲の "Outra vez(もう一度)" を1954年に録音しました。ディック・ファルネイは1940年代からのトップ歌手で、ブラジルではフランク・シナトラと並ぶ評価を受け「シナトラ/ファルネイ・ファンクラブ」が作られるほどでした。

 

 

 

  ジョアン・ジルベルト(Joao Jilberto)の2ndアルバム「O Amor,o Sorriso e a Flor(愛と微笑みと花)」(1960年)からアントニオ・カルロス・ジョビンのアレンジで"Outra vez"です。

 

 

 

 ナラ・レオン(Nara Leao)の歌で"Outra vez"です。アルバム「Abraços E Beijinhos E Carinhos Sem Ter Fim...」邦題(わたしのボサノヴァ)(1984年)からで、ホベルト・メネスカルのプロデュースです。   

 

 

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