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1969年のポップス ⑬ ナンシー・ウィルソン「想い出の白い部屋」ジャッキー・デシャノン「恋をあなたに」

 

 

 米国の黒人女性歌手ナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson)の”想い出の白い部屋(In A Long White Room)”です。ナンシー・ウィルソンはジャズからソウル・ポップスまで歌える実力派の歌手で1961年にレコード・デビューし 、2010年に引退するまで音楽界の第一線で活躍しました。グラミー賞も3回受賞しています。

 「想い出の白い部屋」はアルバム「Nancy」(1969年)からで、日本でのみヒットしました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1969年年間チャートで55位に選ばれています。

 

 

 

 米国の女性歌手ジャッキー・デシャノン(Jackie DeShanon)の「恋をあなたに(Put Little Love in Your Heart)」です。アルバム「Put Little Lovin in Your Heart)」(1969年)からで、米国では1969年8月に4位にランクされ、彼女にとって”What the  Love Needs Now Is Love”(1965年)に次ぐトップ10チャート入りの作品になりました.

 日本ではジャッキー・デシャノン初めてのヒットになり、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1969年年間チャートで90位に選ばれています。

 ジャッキー・デシャノンはシンガー・ソング・ライターで、歌手と作曲家の両方で活動、作曲家としてはサーチャーズSearchars)のヒット曲”ピンと針(Needles and Pins)"、キム・カーンズ(Kim Carnes)の”ベティー・デイヴィスの瞳(Bette Davis Eyes)”が有名です。

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1968年のポップス ⑯ サラ・ヴォーン「恋のコンチェルト(ラヴァーズ・コンチェルト)」

 

 

 カーメン・マクレイ(Carmen McRae)と並ぶ黒人女性ジャズ・ヴォーカリスト、サラ・ヴォーン(Sarah Vaughan)の”恋のコンチェルト(ラヴァーズ・コンチェルト/A Lover's Concert)”です。米国では1966年にリリースされ、最高位63位にランクされました。日本では1968年に発売され、「TBS今週のベスト10」では9月1日に18位で初登場、10月27日に2位、12月1日に12位にランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1968年年間チャートで23位に選ばれています。

 クラシックのJ,S,バッハの曲をもとにして、1940年代にフレディー・マーティン楽団によって”A Lover's Concerto"のタイトルでポピュラー化されました。1965年に黒人女性コーラス・トリオのトーイズ(Toys)がシングルをリリース、米国、カナダで1位にランクされました。聴き比べてみると、サラ・ヴォーンのほうがさすがに実力派ジャズ・ヴォーカリストだけあって、声に深みがあり格の差を感じます。

 

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アントニオ・カルロス・ジョビン (60)「ワン・ノート・サンバ」バーデン・パウエル

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Calros Jobim)の1950年代の作品を紹介してきましたが、最後の曲「ワン・ノート・サンバ(Samba De Uma Not So)」です。ジョビンが1959年に作曲、作詞はニュートン・メンドンサ(Newton Mendonca)です。ボサノヴァのスタンダード・ナンバーになり、多くの歌手や演奏家がレコーディングしています。

 これでアントニオ・カルロス・ジョビンはしばらくお休みして、ボサノヴァの重要音楽家として、ルイス・ヴォンファ(Luiz Bonfa)、タンバ・トリオ・ルイス・エサ(Tamba Trio. Luiz Eca)、カルロス・リラ(Calros Lyra)、ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)、アストラッド・ジルベルト(Astrad Girbert)、マルコス・ヴァーリ(Marcos Valle)、エウミール・デオダート(Eumir Deodato)、ドルヴァル・フェレイラ(Durval Ferreira)の作品を紹介していきたいと思っています。

 

  

 バーデン・パウエルのアルバム「Baden Powell /Baden Powell with Swings Jimmy Platt」(1964年)から”ワン・ノート・サンバ”です。バーデン・パウエルの「ELENCO」レーベルから一作目のアルバムです。バーデン・パウエルと言えば超絶ギター・テクニックの演奏家というイメージが強いですが、ジャズ・ドラマー、ジミープラットと共演したこのアルバムでは、ほとんどの曲でフルートとバス・クラリネットが参加していて、他のアルバムに比べて寛いだ雰囲気に包まれています。

 

 

 

 バーデン・パウエルのアルバム「Ao Vivo No Teatro Santa Rosa」(1966年) から”ワン・ノート・サンバ”です。このアルバムは「サンタ・ローザ劇場」での1966年のライヴで、バーデン・パウエルの超絶ギター・ソロやオスカル・カストロ・ネヴィス(Oscar Castro neves))のピアノ・トリオに弦楽器、コ-ラスも加わった充実した演奏が楽しめます。

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ランバート・ヘンドリックス・アンド・ロス、ワーデル・グレイ「Twisted 」

 

 

 ランバート・ヘンドリックス・アンド・ロス(Lambert Henndricks and Ross)の”トゥイステッド(Twisted)”です。「ランバート・ヘンドリックス・アンド・ロス」は、女性ジャズ・ヴォーカリストのアニー・ロス(Annie Ross)と男性ジャズ・ヴォーカリストのデニス・ランバート(Dave Lambert)、ジョ・ンヘンドリックス(Jon Hendricks)スの3人で1957年に結成されたジャズ・コ-ラス・グループです。このグループはジャズの演奏をコーラスにアレンジし、ミュージシャンのアドリブ・ソロに歌詞を付けて歌うという独特のスタイルを創造しました。

 1957年のファースト・アルバム「Sing a Song of Basie」(ABC-Paramaunt)ではカウント・ベイシー(Count Basie)のスタンダード・ナンバーを歌い、成功を収め 翌年ベイシー楽団との共演アルバム「Sing Along with Basie」をリリースしました。1959年にColumbia レコードに移籍し、アルバム「Hottest New Group in Jazz」をリリース、「Down Beat」のベスト・ジャズ・ヴォーカル・グループ部門で1959年から1963年まで1位に輝きました。

 UPしたのはアルバム「Hottest New Group in Jazz」から”トゥイステッド(Twisted)”です。名テナー・サックス奏者ワーデル・グレイ(Wardel Grey)のアドリブ・ソロに歌詞を付けてアニー・ロスが歌っています。アニー・ロスはクールでスウィングしていて、ワーデル・グレイのソロを見事に歌いこなしています。

 

 

 

 ワーデル・グレイの演奏す”るトゥイステッド(Twisted)”です。1949年の録音で10吋レコードでリリースされました。ピアノがアル・ヘイグ(Al Haig) ベースがトミー・ポッター(Tommy Potter)、ドラムがロイ・ヘインズ(Roy Haynes)という素晴らしいメンバーです。 

 

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1966年の映画音楽 ⑮「唇からナイフ」ジョン・ダンクワース、エディー・パルミエリ & カル・ジェイダー

 

 

 映画「唇からナイフ(Modesty Blaise)」のテーマ曲です。「唇からナイフ」は漫画の映画化で、スパイ映画全盛時代の1966年に公開されました。、監督はジョゼフ・ロ-ジー(Joseph Losey)、主演はモニカ・ヴィッテイー(Monica Vitty))、テレンス・スタンプ(Terence Stamp)、ダーク・ボガード(Dirk Bogarde)とスパイ映画とは思えない本格的な配役です。

 ジョゼフ・ロ-ジーは娯楽映画からほど遠い「召使」(1963年)「できごと」(1967年)「恋」(1970年) などの芸術派の監督なので、他のスパイ」映画とは違うテイストがあり、クールで個性的な面白い映画になっています。

 音楽は英国の作曲家,、ジャズ・サックス奏者のジョン・ダンクワース(John Dankworth)です。ジョン・ダンクワースは「唇からナイフ」以外に、ジョゼフ・ロ-ジーの映画「コンクリート・ジャングル(Criminal)」(1960)「召使(The servant)」(1963年)「できごと(Accident)」(1967年)のサウンド・トラックを作曲しています。

 

 

 

 カル・ジェイダー(Cal Tjader)とエディー・パルミエリ(Eddie Palmieri)aのアルバム「El Sonido Nuevo」(1966年)から唇からナイフ”です。ニューヨーク・ラテン、サルサの第一人者エディー・パルミエリのピアノと、カル・ジェイダーのヴィヴラフォン・ソロが涼し気で気持ちの良いラテン・ジャズです。アレンジはエディー・パルミエリです。

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ニール・ヘフティー ⑫ 映画「裸足で散歩 (Barefoot in the Park)」(1967年)

 

 

 映画「裸足で散歩(Barefoot in the Park)」(1967年)からメイン・テーマです。「裸足で散歩」はロバート・レッドフォードRobert Redford)、ジェーン・フォンダ(Jane Fonda)主演のロマンチック・コメディーで、日本では1968年5月に公開されました。ニール‥サイモン(Neil Simon)の戯曲(1963年)を映画化したもので、映画の脚本も、ニール‥サイモンが書いています。私はこの映画を観ましたが、都会的で洒脱な温かいコメディーで皮肉もあって楽しかったです。

 監督はジーン・サックス(Gene Saks)です。.ジーン・サックスは舞台、映画・テレビドラマの監督、俳優で、特に舞台監督でトニー賞を」I Love My Wife」(1977~79)「Brighton Beach Memoirs」(1983~86年)「Biloxi Blues」(1985~86年)で3回受賞し、「アメリカの演劇殿堂」入りしています。1968年には「裸足で散歩」と同じ、ニール・サイモンの脚本、ニール・ヘフティーの音楽でコメディー映画「おかしな二人(Odd Couple)」を監督しています。

 ニール・ヘフティー(Neal Heafti)の音楽はスマートで洒落ていて都会的なコメディーにぴったりです。「裸足で散歩」はニール・ヘフティーのサウンド・トラックの中でも「おかしな二人」と並んで代表作の一つと言ってよいです。

 

 

 

 映画「裸足で散歩(Barefoot in the Park)」のテーマ曲のインストゥルメンタル・ヴァージョンです。「おかしな二人」と同じように、オルガンやチェンバロが効果的に使われています。

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アントニオ・カルロス・ジョビン (59)「デサフィナード」ジョアン・ジルベト、スタン・ゲッツ、ゲイリー・マクファランド

 

 

 ジョアン・ジルベト(Joao Gilbert)、スタン・ゲッツ(Stan Getz)のアルバム「GETZ/GIRBERT」(1963年)から”デサフィナード(Desafinado)”です。ドラムはブラジルの名手ミルトン・バナナ(Milton Banana)、,ベースはセバスチャン・ネット(Sebastião Neto) 、ピアノはアントニオ・カルロス・ジョビンという素晴らしいメンバーです。

 ジョアン・ジルベトの歌は良いのですが、スタン・ゲッツのサックスの音がやや大きすぎます。このアルバムの録音中ジョアン・ジルベトが、スタン・ゲッツがミキサー室でサックスの音を大きくしているのではないかと疑っていたというのも分かります。

 

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「inedito」(1995年)から”デサフィナード”です。「inedito」は1987年にジョビンが関係者や友人用に録音したアルバムを、生誕60周年を記念して一般向けにリリースしたものです。

 

 

 

  米国の編曲家、作曲家、プロデーサー、ヴィブラフォン奏者、歌手のゲイリー・マクファーランド(Gary McFalandのアルバム「Today」(1969年)から”デサフィナード”です。ゲイリー・マクファーランドは1960年代半ばよりボサノヴァの影響を受け、ソフト・ロック調のサウンドのアルバムをリリースしました。「Today」は「Skye」レーベルから4枚目、最後のアルバムになります。

 

 ”デサフィナード(Desafinado)はボサノヴァのスタンダード・ナンバーになり、数多くの歌手や演奏家がレコーデイングしています。以下に主なミュージシャンとそのアルバムを紹介します。

 (ブラジルの演奏家) ロベルト・メネスカル「Big Band Bossa」(1962年)、「A Bossanova De R.M」(1965年)   ミルトン・バナナ「O Ritomo E O Som DE Bossa Nova 」(1963年)  セルジオ・メンデス「voce Ainda Nao Quiviu Nada」(1964年) 「Quiet Nights」(1966年)  セザール・マリアーノ「Octeto Cesar Camariano Mariano」(1966年)  ジョアン・ジルベルト「Prada Pereira De Oliveira」(1980年) 

 (ブラジルの歌手)  レニータ・ブルーノ「L,B,Em Hollywood」(1968年)  ソニア・ローザ「Sensitive Sound of Sonia Rosa」(1970年)  ナラ・レオン「Dez Amos Depois」(1971年)  ガル・コスタ「Rio Revited」(1989年)  

 (米国の演奏家)   チャーリー・バード「Bossa Nova Pelos Passaros」(1962年)  ディジー・ガレスピー「Dizzy on the French River」(1962年)  ティト・プエンテ「Bossa Nova By Puente」(1962年)  ローリンド・アルメイダ & ボサノヴァ・オールスターズ「Viva Bossa Nova」(1962年)  クレア・フィシャー「So Danco Samba」(1965年)

 (米国の歌手)   ハイ・ローズ「Happen to Bossa Nova」(1963年)  パット・トーマス「Desafinado」(1962年)  イーディー・ゴーメ「Blame It on Bossa Nova」()1963年  エラ・フィッツジェラルド「Ella Sings Antonio Calros Jobim」(1981年)   

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1962年の洋楽 ⑨ 弘田三枝子「カモン・ダンス」「恋のエアー・メイル」

 

 

 パンチがあってリズム感抜群のミコちゃん最高!”カモン・ダンスCome on Dance)”(東芝JP-5108)は弘田三枝子の三枚目のシングルです。1962年4月に発売されました。オリジナルは米国の女性歌手モーリン・グレイ(Maureen Gray)ですが、聴き比べると弘田三枝子のほうが断然よいです。

 

 

 

 弘田三枝子の”カモン・ダンスCome on Dance)”のB面、”恋のエアー・メイル(Air Mail Special Delivery)”です。オリジナルはジーン・ピットニー(Gene Pitney)ですが、弘田三枝子はパンチがあって負けていません。天性の歌唱力素晴らしいです。

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1964年のポップス ㉗ ダイアン・リネイ「ネイビー・ブルー」「キス・ミー・セイラー」

 

 

 米国の女性ポップス歌手、ダイアン・リネイ(Diane Renay)の"ネイビー・ブルー(Navy Blue)"です。ダイアン・リネイ(1945年~)は1962~63年にAtco レーベルから2枚のシングルをリリース。ヒットしませんでしたが、2枚目のレコードを作曲しプロデュースしたボブ・クリュー(Bob Crew)は、自作曲を自分のプロデュースでレコーディングするという契約をダイアン・リネイと結びました。ボブ・クリューはフォー・シーズン(Four Seasons)のプロデューなどで有名でした。

 ダイアン・リネイは20世紀FOXレコードから、ボブ・クリューの作曲とプロデュースで"ネイビー・ブルー(Navy Blue)を1963年12月にリリース、1964年にビルボードで最高位6位にランクされました。

 文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」では4月9日に14位で初登場、6月11日、18日、25日、7月2日に1位、8月13日17位までランクされました。TBS「今週のベスト10」では4月26日に15位で初登場、6月21日、28日に2位にランクされ、日本では米国以上のヒットになりました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1964年年間チャートで15位に選ばれています。

 日本でのシングル盤は「ネイビー・ブルー/(B面)彼はスーパー・ボーイ'Unbelievable Guy)」(ビクターJET-1372)で米国とAB面同じです。

 

 

 

 ダイアン・リネイの"ネイビー・ブルー"に続くシングル"キス・ミー・セイラー-(Kiss Me Sailor)"です。ボブ・クリューのプロデュースで作曲はEddie Rambeauです。米国では1964年4月にリリースされ、5月に最高位29位にランクされました。日本ではヒットしませんでしたが、メロディーも良く、フィル・スペクター・サウンドを意識したようなアレンジも面白いです。

 日本でのシングル盤は「キス・ミー・セイラー/(B面)彼はソフト・タッチ(Soft Spoken Guy)」(ビクターJET-1404)で、AB面米国と同じです。

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1967年のポップス ㊹ ナンシー・シナトラ「シュガータウンは恋の街」「サマー・ワイン」

 

 

 ナンシー・シナトラの”シュガータウンは恋の街(Suger Town”(ビクターJET-1737)です。リー・ヘイゼルウッド(Lee Hazelwood)の作詞作曲、プロデュースで、ナンシー・シナトラにとって初めてのリー・ヘイゼルウッドの作品です。米国では1966年10月にリリース、1966年12月に最高位5位にランクされゴールド・ディスクに輝きました。米国でのB面は日本で大ヒットした”サマー・ワイン(Summer Wine)"で、日本でのB面は"悲惨な戦争(Cruel War)"でした。

 文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」では1967年2月9日に18位で初登場、3月30日に最高位2位、4月27日11位までランクされました。TBS「今週のベスト10」では2月17日に17位で初登場 4月2日に3位、6月18日に19位までランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで5位に選ばれています。

 

 

 

 ナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッドの”サマ・ーワイン(Summer Wine)”(ビクターJET-1781))です。リー・ヘイゼルウッドの作品で、米国では”シュガータウンは恋の街(Suger Town”のB面でリリースされ、1967年4月に最高位49位にランクされました。

 日本ではA面で1967年7月に発売され、洋楽ファンでなくても知っている大ヒットになりました。TBS「今週のベスト10」では8月6日に18位で初登場、11月12日、26日、12月10日、17日、,24日に1位、1968年2月25日に18位までランクされるロング・セラーになりました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1967年年間チャートで2位、1968年年間チャートで38位に選ばれています。

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