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エルヴィス・プレスリー ” サンタが街にやってくる” ”聖夜” ”ホワイトクリスマス”

 

 

 
  メリークリスマス
 
 エルビスの”Here Comes Santa Claus(サンタが街にやってくる)”はエルビス節全開の楽しいクリスマスソングで、数多いクリスマスソングの中で一番好きな歌かもしれません。”ラスベガス万歳”にも似ています。
 年々クリスマスの賑わいが街から消えています。ハロウィンは盛り上がっていますが、クリスマスイヴは静かに過ごす様になったのでしょうか。街からジングルベルが流れなくなり、寂しい行事になってしまいました。コンビニ、スーパーの前でケーキを売っていてクリスマスらしい賑わいを見せていましたが、今年はそれも少なくなりました。
 商店街では23日から松飾りをしています。それはないだろうと思っています。暗黙の了解で25日まではクリスマスの飾り付けをして、26日から松飾りだったと思います。日本ではクリスマスがなくなったのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 今夜はクリスマスイヴ。聖夜です。今日と明日だけは誰も死なないように。事故や争いや、戦争で亡くなる人がいませんように。「マッチ売りの少女」のように飢えや寒さで震える子がいませんように。「小公女セーラ」のように両親を思って泣く子がいませんように。平和でありますように。
 
 この画像のコメント欄に感動しました。”私はイスラム教ですが、クリスマスの歌は大好きです。すべてのクリスチャンにメリークリスマス”。このコメントに対する多くの温かい返信に、”クリスマスはすべての人のためのものです”と答えていました。
 日本ではキリスト教でもないのにクリスマスを祝うのはおかしいという人もいますが宗教を越えて、クリスマスは穏かで安らぎに満ちた平和な行事だと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 エルビスの”ホワイトクリスマス”。暖かな画像ですね。
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ユン・シネ 1974年韓国映画「星たちの故郷」から ”私は19歳です”

 
 
    アングラ的な異彩を放つユン・シネから想像もできないくらいかわいい歌声です。ユン・シネがデビューする前に映画「星たちの故郷」のOSTに参加して、ヒロイン「ギョンエ」のテーマ”私は19歳です”を歌ったのですね。びっくりしました。
 この映画は1974年空前の観客動員数を記録した映画だそうです。http://yohnishi.at.webry.info/201208/article_16.html 
 ”私は19歳です”は70年代のフォークシンガー、イ・ジャンヒが 作詞作曲していて、彼の”あなたにすべてを捧げる”も『星たちの故郷』のOSTにテーマ曲として使われ、大ヒットしています。
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ユン・シネ ”飢渇の季節” ”古木”

 

   ユン・シネ ”飢渇の季節”は1987年のヒット曲です。

 
 ユン・シネは独特の雰囲気を持っています。日本の淺川マキのように黒い衣装が多かったのですが、今ではお金持ちも庶民も芸能人も政治家も、皆黒を着るようになって、さすがにトレンドマークのカラスファッションからは脱皮したようで、色の付いた衣装も着るようになりました。
 
    飢渇の季節
 
 街には早くも舞う落ち葉 季節は行きかうのに
 愛が去った私の胸は いつもさすらう風
 幾日もの夜を 独りで明かそうと 
 満たすすべのない寂しさ 忘れられない愛しき人よ あなた
 約束もない喫茶店で あなたの想いにふけると
 熱い涙が胸に流れ しみてくる愛しき想い
 窓の外には暗闇が訪れ 皆帰っていくのに
 私はまたどこへいけばいい 風に舞う落ち葉のように 悲しい愛
 独りで眠れない 暗闇の中の愛よ 
 凍りついたこの胸に名前だけを残していった あなた
 止まってしまった私の人生に 痛みとして残っているあなた
 
 
 
ユン・シネは1970年代の米軍キャンプ出身の歌手で、1975年にデビューしています。
 1979年 TBC世界歌謡祭 ”熱愛”で銀賞受賞。
 1980年 TBC放送歌謡祭大賞
 1982年 KBS歌謡大賞
 1983年 KBS歌謡大賞
 1980~1984年まで10大歌手連続5回受賞
 
 
 
 
 
   
”古木”は1980年の曲です。ブルージーな曲で雰囲気がありますね。KBSTV「コンサート7080」にはよく出演しています。司会のペ・チョルスは1970年代ユン・シネが大衆的に売れる前、クラブで歌っている頃からのファンなのだそうです。
 ペ・チョルスは”毎回衣装が独特で普通のかっこうをしたことがないですね”と言っていました。
 
   古木
 
 道が遠く憩う場所 雲のようにたたずむ場所
 山道をくねり 夜が訪れると 空の果て 恋しさが沸いた場所
*あの人 あの人は今 どこに どこにいるの
 どの空 どの空の下で 何を何をしているのでしょう
 幼い頃の古木はそのままなのに 私だけが独り ここに立っている
 
 
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イ・ボムハク ”別れではない別れ” ”この腕”

 
 1991年の大ヒット曲”別れではない別れ”。イ・ソニを抑えて堂々年間一位に輝いたイ・ボムハク。翌年2集アルバムを出しました。その後は映画やミュージカルに出演。2008年MBCドラマ「終着駅」のOSTに参加しています。
 2008年のKBS「コンサート7080」に出演したときは、1993年大ヒット曲を飛ばした”歩いて空まで”のチャン・ヒョンチョルとデュエットして”夢の会話”を歌いました。二人とも1991,1993年に超ヒットした曲を持ちながら、その後は泣かず飛ばずで、まだまだ歌手としての魅力があるので頑張ってほしいと思って観ていました
 
   別れではない別れ
 
 離れていく あなたの後姿に
 話せないままの 僕だけのストーリーは流れるけれど
 いつまでも 僕だけの未練で 愛してるとはほんとうに言いたくなかった
 **夜通し話した それぞれの道へと
 別れではない別れを迎え離れるけれど
 *愛しい人よ グッバイ グッバイ どこにいても
 幸せを願う僕の想いは*
 愛してるありふれたその言葉より 本気だとわかってくれ*
 *~*
 崩れた僕の心に愛が染み渡ったとき また取り戻せるだろう**
 **~**
 
 
 
 
 
 
 2013年久しぶりに出した新曲”この腕”はトロット調の曲ですね。80年代に流行った「ジンギスカン」のようでもあり、途中女性の掛け合いも入り、調子のいい曲なのでロングヒットになればと思います。伊達男イ・ボムハクの腕の振りに観客も歓声をあげて楽しそうです。
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1967年のポップス(24) シャドウズ/ベンチャーズ ”ボンベイ・ダック” Shadows/Ventures "Bombay Duck"

 
 
 シャドウズは1950年代後半から活躍するハンク・マーヴィン、ブルース・ウェルチを中心にしたイギリスのインストゥルメンタル・グループです。クリフリチャードのバックバンドとしても有名で、日本にも何回も一緒に来日しコンサートを開いています。
 UPした”ボンベイダック”は、音楽評論家の本多俊夫氏が作曲した曲をシャドウズが演奏したものです。
 文化放送「オールジャパンポップ20」では、1967年7月6日に20位で初登場、8月17日に最高位5位、8月31日まで20位以内にランクされました。
 
 
 
 
 
  ベンチャーズがシャドウズの”ボンベイダック”をカヴァーして、1968年6月にシングル盤をリリースしました。
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1967年のポップス(23) ニュー・ヴォードヴィル・バンド ”ウィンチェスターの鐘” ”ウィスパーリング(Wispering)”

 

 

 

 ニュー・ヴォードヴィル・バンド(New Vaudeville Band)は、イギリスの作曲家・プロデューサーのジェフ・ステファンが作ったグループです。1920年代のダンスバンドをイメージにした、自作の”ウィンチェスターの鐘(Winchester Cathedral)”を1966年にリリースしたところ、アメリカでは1位、イギリスでは4位になり、世界中で300万枚以上売れる大ヒットになりました。1967年のグラミー賞の「ベスト・コンテンポラリー・ソング」にも選ばれました。
 1967年には、1930年代のギャングを描いた映画「俺たちに明日ない」や、映画をテーマにしたジョージ・フェイムの”ボニー&クライド”がヒット、1920年代を舞台にしたジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画「モダンミリー」が公開されるなど
ノスタルジア・ブームがあったのも、”ウィンチェスターの鐘”が世界でヒットした一因でしょう。
 日本では文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」で、1967年1月19日に初登場19位、2月16日に最高位4位、3月16日に13位までランクされました。
 洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1967年年間ベスト100」で17位に選ばれています。
 
 
 
 
  
 
  ニュー・ヴォードヴィル・バンドのアルバムから、1920年代のポピュラー・ソング”ウィスパーリング(Whispering)”です。
 この曲は多くの音楽家に演奏されていますが、ニーノ・テンポとエイプリル・スティーヴンスが1964年にカヴァーして全米4位のヒットに、大瀧詠一とシリアポールもデュエットしています。    
 
 
 
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1967年のポップス(22) Harry Nilsson ニルソン "You Can't DoThat" "Without Her"

 
 
   ”ウィズアウト・ユー”の大ヒットで有名なニルソンのファースト・アルバム、「Pandemonium Shadow show」(1967年)から、ビートルズの”You Can't Do That" です。
 ニルソンは曲中に秀逸なアレンジで、”ペイパーバック・ライター”や”ハード・デイズ・ナイト””デイ・トリッパー””ストロベリー・フィールズ・フォーエバー”などを織り込んで歌っています。
 
 
 
 
 
 
 
 ニルソンのアルバム「Pandemonium shadow show」から”Without Her"です。アレンジが少し地味ですがメロディーがメランコリックで優しく、ニルソンらしさにあふれています。
 
 
 
 
 
 
 
  ブラッドスウェット&ティアーズのファーストアルバム、「子供は人類の父である」(1968年)より”Without Her"です。クールなブラスを効かせた都会的なアレンジが印象的です。
  (Kann Dorao)
 
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1967年のポップス (21) スパンキー&アワーギャング "Sunday Will Never Be the Same(思い出の日曜日)" "Bird Avenue)

 
 
  スパンキー&アワー・ギャング(Spanky & Our Gang)は、女性ヴォーカルのスパンキー・マクファーレイン(Spanky McFarlane)と、男性4人(後に5人)によるグループです。Wikiではフォーク・ロックと書かれていますが、コーラス・ハーモニーを存分に生かしたたポップ・グループといってよいでしょう。
 1967年にファースト・アルバム「Spanky & Our Gang」をリリースし、アルバムから3曲をシングル・カットしました。ファースト・シングル”Sunday Will Never Be the Same"は全米9位、サード・シングルの”Lazy Day"は最高位14位のヒットになり、2曲とも100万枚以上売れました。
 UPしたのは”想いでの日曜日(Sunday Will Never Be the Same)"(日本フィリッップスSM-1033)で、B面は日米同じ"ディスタンス(Distance)"です。日本ではヒットせず、「9500万人のポピュラーリクエスト」(文化放送)など、ラジオのポップス番組でチャートインしませんでした。
 
 
 
 
 
 米国での4枚目のシングル「Lazy Days」のB面、"(It Ain't Necessarily) Bird  Avenue”で、ファースト・アルバムに収録されています。ボサノヴァ調のアレンジが洒落ていて、コーラス・ハーモニーも素晴らしく大好きな曲です。  
    
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