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1963年の洋楽 ㉝ リトル・ペギー・マーチ「プリンセスではないけれど」「さよなら初恋」

 

 

 ”アイ・ウィル・フォロー・ヒム(I will Follow Him)”のヒットに続いて1963年にリリースされた、リトル・ペギー・マーチ(Little Peggy March)の”プリンセスではないけれど(I Wish I Were Princess)”(ビクターSS-1355)です。米国では最高位32位にランクされました。日本でも発売されましたが(ビクターSS-1355)、小ヒットに終わりました。TBS「今週のベスト10」では1963年10月21日に18位にランクされています。

 

 

 

 リトル・ペギー・マーチの「さよなら初恋(Hellow Heartach Goodbye Love)」です。米国では1963年8月にリリースされ、最高位26位にランクされました。

 日本(ビクターSS-1378)では、TBS「今週のベスト10」では12月19日に20位で初登場、12月23日には8位にランクされました。文化放送「9500万人のポピュラーリクエスト」では12月19日に20位で初登場、1964年1月19日に最高位9位、3月5日まで21位にランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年54位、1964年74位に選ばれています。

 

 

 

 リトル・ペギー・マーチの「さよなら初恋」の日本語ヴァージョンです。リトル・ペギー・マーチは1964年8月に日劇ウェスタン・カーニバルに出演、その後数回来日し日本語でレコーディングしています。コニー・フランシス、ジリオラ・チンクエッティー、ジョニー・ティロットソなど外国の歌手が日本語で録音していますが、ペギー・マーチはイントネーションが自然で、もっとも日本語が上手いと思います。

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1963年の洋楽 ㊷ ニール・セダカ「Let's Go Steady Again(よりを戻そうよ)」「かわいいあの娘」

 

 

 ニール・セダカの「Let's Go  Steady Again(よりを戻そうよ)です。米国では1963年2枚目のシングルとしてリリースされ、全米26位にランクされました。ニール・セダカ(Niel Sedaka)とハワード・グリーンフィールド(Howard Greenfirld)の作品です。

 軽快で楽しいナンバーですが、日本では「よりを戻そうよ」というタイトルが悪かったのかそれほどヒットしませんでした。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年年間チャートで100位に選ばれています。

 

 

 

 ニール・セダカの「かわいいあの娘8Next Door to Angel)です。米国では1962年10月にリリースされ、全米5位にランクされました。ニール・セダカ(Niel Sedaka)とハワード・グリーンフィールド(Howard Greenfirld)の作品です・

 "ドゥワ・パーパー・ポディ・ウバンシ・ダッダ"というバック・コーラスが楽しい、ニール・セダカらしいポップ・ソングですが、日本ではヒットしませんでした。

 

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1963年の洋楽 ㊶ ジョニー・ソマーズ「ワン・ボーイ」アン・マーグレット、ボビー・ライデル

 

 ジョョニー・ソマーズ(Joanie Sommers)の日本での3枚目のシングル"ワン・ボーイ(One Boy)"(東芝7B-27)です。1960年公開のブロードウェイ・ミュージカル「バイ・バイ・バーディー(Bye Bye Birdy)」の挿入歌で、ジョニー・ソマーズは米国で1960年にシングルをリリース、全米54位にランクされました.

 1963年にアン・マーグレット主演で映画化され、ジョニー・ソマーズのシングルも米国で再発されましたがランクインしませんでした。日本では”内気なジョニー(Johny Get Angry)”や"すてきなメモリー(Memories,Memories)"のヒット後に発売されたため、前2曲以上にヒットしました。アレンジもジョョニー・ソマーズの歌も良くて、今聴いてもポップスの名曲だと思います。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年11位に選ばれています。

 

 

 

  映画「バイ・バイ・バーディー」から、アン・マーグレット(Ann Margret)とボビー・ライデルBobbu Rydel)の歌で"ワン・ボーイ(One Boy)"です。私はミュージカルが好きなので1990年代に米国版のLDで観ましたが、ロマンチックで豊かな楽しいストーリーと音楽で字幕なしでも面白かったです。

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1963年の洋楽 ㊵ ジョニー・ソマーズ 「すてきなメモリー(日本語版)」「Be My Love」

 

 ジョニー・ソマーズ(Joanie Sommers)の”さよならデート(Good Bye Joey)”に続く、日本で4枚目のシングル、"すてきなメモリー(Memories,Memories)"(東芝7Bー31)の日本語版です。原曲が日本でヒットしたので日本語でレコーディングしたのでしょうが、"すてきなメモリー"は英語版より日本語版のほうがヒットしました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年86位、1964年27位に選ばれています。

 1960年代はポップスが日本でヒットすると日本語ヴァージョンがよく録音されました。日本で人気のあったコニー・フランシス、ブレダン・リー、ペギー・マーチ、フラン・スギャル、シルビー・バルタン、ジリオラ・チンクエッティーまで日本語で歌っています。

 

 

 

 

 ジョニー・ソマーズの"すてきなメモリー"の日本語版のB面"ビ・ーマイ・ラヴ(Be My Love)"です。米国では1960年に"ワン・ボーイ(One Boy)"の後にリリースされましたがチャート・インしませんでした。

 "Be My Love"はニコラス・ブロドスキー(Nicholas Brodszky)作曲、サミー・カーン(Sammy Cahn作詞で、1950年にマリオ・ランザ(Mario Ranza)の映画のために作られました。マリオ・ランザのレコードは200万枚以上売れ、ビルボードでは1位にランクされました。

 

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1963年の洋楽 ㊴ ジョニー・ソマーズ「すてきな・メモリー(英語版)」「When the Boys Get Together」

 ジョニー・ソマーズ(Joanie Sommers)の”さよならデートGood Bye Joey)”に続く、日本で3枚目のシングル、"すてきなメモリー(Memories,Memories)"(東芝7B-22)です。米国では”Since Randy Moved Away”(1963年)のB面でしたが、A面の”Since Randy~"が米国でヒットせず、東芝レコードがB面の"すてきなメモリー(Memories,Memories)"をA面にしてリリースしました。聴き比べると"すてきなメモリー”のほうがずっと良い曲で、東芝レコードの洋楽部の方達の慧眼に感心します。

 

 

 

 ジョニー・ソマーズの"When the Boys Get Together"です。米国では1962年に"内気なジョニー(Johnny Get Angry)"に続いてリリースされたセカンド・シングルで全米94位にランクされました。1960年代前半までの夢見るガール・ポップスで、メロディーも良く個人的に好きな曲です。

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1963年の洋楽 ㊳ ジョニー・ソマーズ「さよならデート」「I Don't Want To Walk Without You」

 

 ジョニー・ソマーズ(Joanie Sommers)の"内気なジョニー(Johnny Get Angry))"に続く、日本で2枚目のシングル”さよならデートGood Bye Joey)”(東芝7Bー19)です。米国ではチャート・インせず、日本でもヒットしませんでした。カントリー調でメロディーもそれほど良くなかったからでしょうか。

 

 

 

 ジョニー・ソマーズの"I Don't Want To Walk Without You"です。1961年にシングルがリリースされましたが、チャート・インはしませんでした。アルバム「Johnny Get Angry」(1962年 )に収録されています。

 "I Don't Want To Walk Without You"は作曲ジュール・スタイン(Jule Steine)、作詞フランク・レッサー(Frank Lessr)のポピュラーソングで、1942年にハリー・ジェームス(Harry James )楽団、ヘレン・フォレスト(Helen Forrest)の歌で全米1位にランクされるヒットになりました。

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1963年の洋楽 ㊲ ジョニー・ソマーズ「内気なジョニー」「避暑地の出来事」

 米国の女性歌手ジョニー・ソマーズ(Joanie Sommers))はポップスだけでなく、ジャズ・ヴォーカルのアルバムも数多くリリースしているため、このブログを始めたころに「POPS ROCK」のジャンルでいくつか記事を上げましたが、ポップス歌手の側面だけで紹介したいと思い、新しく記事をUPしていきます。以前の記事と曲や内容が重複するところがありますがご容赦頂ければ幸いです。

 

 

 ジョニーソマーズ(Joanie Sommers)の"内気なジョニー(Johnny Get Angry))"(東芝7B-5)です。

 米国でのデビュー・シングルは当時テレビドラマ「サンセット77」で人気のあったエド・バーンズ(Ed Burns)とのデュエット"Kookie's Love Song"(1959年)"で、2枚目のシングル"ワン・ボーイ(One Boy)"(1960年)は全米54位にランクされましたが、日本では発売れさませんでした。

 ”内気なジョニー(Johny Get Angry)”が1962年に全米7位にランクされ、日本でも1963年に発売され大ヒットになりました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年7位に選ばれています。

 

 

 

 ジョニー・ソマーズの”内気なジョニー”のB面(日・米とも同じ)、”避暑地の出来事((Theme from) a Summer Place)”です。ロマンチックな青春恋愛映画「避暑地の出来事(Summer Place)(1959年)のテーマ曲です。マックス・スタイナー(Max Steiner)の作曲で、パーシー・フェイス(Percy Faith)楽団の演奏が全米1位になりました。

 

 

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1963年の洋楽 ㊱ クリフ・リチャード「ネクスト・タイム」「ラッキー・リップス」

 

 映画「Summer Holliday」(1963年)から、クリフ・リチャード(Cliff Richard)の"ネクスト・タイム(The Next Time)"です。この映画はクリフ・リチャードとシャドウズ(Shadows)を主役にした青春音楽映画で、英国では1963年2月に公開されました。劇中音楽に"ネクスト・タイム"以外に”サマー・ホリデー”"バチェラー・ボーイ""ダンシング・シューズ"などのヒット曲が使われ、シャドウズの演奏する"フット・タッパー(Foot Tapper)"は全英1位にランクされました。

 "ネクスト・タイム"は英国では1962年11月にリリースされ、全英1位に3週間ランクされましたが、日本では"バチェラー・ボーイ(Bachelor Boy)"のB面で発売され、ラジオでもほとんどオン・エアーされませんでした。私は1980年代に初めて聴き、ロマンチックで美しいメロディーとアレンジに感激しました。個人的に"オール・マイ・ラブ(All My Love)"と並ぶクリフ・リチャードで最も好きな曲です。

 

 

 

 クリフ・リチャードの"ラッキーリップス(Lucku Lip)"(東芝CM-1020)です。英国では1963年3月にリリースされ、全英4位にランクされました。日本でも1963年に発売され、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1963年38位に選ばれています。作詞作曲はJerry Leiber and Mike Stollerで、オリジナルは1957年米国の黒人女性歌手ルース・ブラウン(Ruth Brown)です。

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1963年の洋楽 ㉕ ルーフトップ・シンガーズ「ウォーク・ライト・イン」「トム・キャット」

 

 ルーフトップ・シンガーズ(Rooftop Singers)は、1962年にフォークの名門グループ、ウィーヴァーズ(Weavers)のメンバーだったエリック・ダーリング(Eric Darling)と友人のビル・スヴァノー(Bill Svanoe)、女性ジャズ歌手のリン・テイラー(Lynne Taylor)によって結成されたフォーク・トリオです。1963年初頭に”ウォーク・ライト・イン((Walk Right In)”が全米1位に2週間ランクされ、100万枚以上の売り上げを記録、ゴールドディスクに輝きました。ルーフトップ・シンガーズは他のフォークグループと比べてラグタイム・ブルースなどのトラディショナル・ミュージックに影響を受けたグループでした。

 エリック・ダーリングは、1950年代中頃に結成され後に有名俳優となったアラン・アーキン(Alan Arkin)が在籍していたフォーク・グループ、タリアーズ(Tarriers)のメンバーで、1958年にピート・シーガーがウィーヴァーズを脱退することになり、ピート・シーガーの推薦でウィーヴァーズに参加しました。

 エリック・ダーリングは12弦ギターの名手として知られ、「Eric Darling」(Electra)(1958年)、「True Religion and Other Blues Ballads and Folksongs」(Vanguard)(1961年)、「Train Time」(Vanguard)(1963年)の3枚のアルバムをリリースしています。

  リン・テイラーは1958年にジャズ・ヴォーカルのアルバム「I See Your Face Before Me」(LP Time Rscord)をリリースしていますが、マイナー・レーベルのせいかオーケストラ・アレンジが凡庸で実力の割りにさえない出来になっています。

 

 

 

 ルーフトップ・シンガーズの2枚目のシングル、”トムキャット(Tom Cat)”は1963年全米最高位20位にランクされました。ルーフトップ・シンガーズは「Walk Right in」(1963年)「Good Time 」(1964年)「Rainy River」(1965)の3枚アルバムをリリースしました。リン・テイラーはセカンド・アルバム・リリース後グループを辞め、ミンディー・スチュアート(Mindy Stuart)が参加、1967年グループが解散する直前にシンディーに代わり、パトリシア・ストリアート(Patoricia Street)が加わりました。

 エリック・ダーリングとパトリシア・ストリアートは1970年代初頭からデュオ「Darling & Street」として活動、1972年にシングル"Your Own Song "をBell Recordから、1975年にはアルバム「Possible Dream」をVanguard からリリースしました。

 

 

 

 

 

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1963年の洋楽 ㉔ 「イチゴの片想い」 ナンシー・シナトラ、ペイシャンスとプルーデンス(1956年)

 

 ナンシー・シナトラ(Nancy Sinatra)の日本での4枚目のシングル”イチゴの片想い(Tonight You Belong to Me)”です。米国では5枚目のシングル”かわいいボーイキラー(You Have Any Boy)”のB面として1962年にリリースされました。米国では以前の4枚のシングルと同じように100位以内にもランクされませんでした。メロディーもアレンジもナンシー・シナトラの歌も良いのに、何故米国では初期のシングル4枚すべてヒットしなかったのか不思議で仕方ありません。

 日本では中尾ミエ、金井克子、ベニシスターズがカヴァーするヒットになりました。ナンシーの初期の4枚でも、特に”イチゴの片想い”は好きな曲です。「洋楽ヒットチャート大事典」(八木誠著)では1963年年チャートで68位に選ばれています。

 

 

 

 

 ”イチゴの片想い(Tonight You Belong to Me)”は、1926年に作曲されたアメリカのポピュラー・ソングです。1956年に14歳と11歳の姉妹ペイシャンスとプルーデン(Patience &Prudece)がレコーディング、全米4位にランクされるヒットになりました。

 

 

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