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1964~6年の映画音楽 ⑧ 「黄金の男」

 
 
 
 ランス映画「黄金の男(Echappement Libre)」は、監督ジャンベッケル、主演ジャ・ンポール・ベルモンド、ジーン・セバーグのコミカルなアクション映画です。音楽はジャズ・ピアニストで,映画音楽の作曲もするマーシャルソラール(Martial Solal)です。スキャットの入ったスマートな洒落た音楽です。1960年代の音楽はこんなにセンスが良くて洗練されていたのだと感心してしまいました。
  文化放送の「ユア・ヒット・パレード」では5月10日に14位で初登場、6月14日、21日に最高位2位、7月26日に10位にランクされました.
 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、「1965年間ベスト100」で13位に選ばれています.。
 マーシャル・ソラールは1953年の初レコーディング以来、1950年代から2010年代まで60枚にもおよぶジャズ・ピアノのアルバムを録音しています。日本でもピアノ・トリオ好きのモダンジャズ・ファンに根強い人気があります。
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1964~66年の映画音楽 ⑦ 映画「いそしぎ」より ”Shadow of Your Smile"

 
 
 
 ジョニー・マンデル(Johnny Mandel)は、1940年代から活躍するジャズ・映画音楽の作曲家、編曲家です。1958年に映画「I Want to Live(私は死にたくない)」の音楽を担当し、全編ジャズの演奏を使い反響を呼び、グラミー賞にノミネートされました。ヘンリー・マンシーニと同じように、ジャズ・サイドからハリウッドの映画音楽に新しい風を吹き込みました。
 「いそしぎ(The Sandpiper)」はエリザベス・テイラーとリチャード・バードン結婚後の初の共演作で、監督は「パリのアメryカ人」「バンド・ワゴン」などの名作を撮ったヴィンセント・ミネリ。脚本は1950年代の赤狩りでハリウドを追放され、偽名で「ローマの休日」などのシナリオrを書き続けたダルトン・トランボ他数人の共作です。。
 
 いそしぎ(The Sandpiper)」のOSTから、”The Shadow of Your Smile"のコーラスヴァージョンです。
 映画はあまり話題になりませんでしたが、テーマ曲の”The Shadow of Your Smile"は世界中でヒットし、エラ・フィッツジェラルド、トニー・ベネットなど多くの歌手に、またジャズ・ナンバーとしてもオスカー・ピーターソン、ウェス・モンゴメリーなど多くの演奏者に取り上げられました。  
 
 
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1964~66年の映画音楽 ⑥ 「ある晴れた朝突然に」

 
 
 
 フランス映画「ある晴れた朝突然に(Par un Beau matin d'Ete)」は、ジェームス・ハドリー・チェイスの原作をジャック・ドレーが監督した、ハードボイルド・サスペンス映画です。ジャンポールベルモンド、ジェラルディンチャップリドなどが出演、音楽は「地下室のメロディー」「恋するガリア」「昼顔」などの名匠、ミッシェル・マーニュ(Michel Magne)です。
 文化放送「ユア・ヒット・パレード」では5月24日に14位で初登場、7月5日には1位を記録、9月20日まで15位にランクされました。
 
 
 
 
 
  
 モーリス・ルクレール楽団の演奏で。「ある晴れた朝突然に」です。
 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、モーリス・ルクレール楽団の演奏が、「1965年間ベスト100」で10位に選ばれています.。
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1967年のポップス ㉜ ジョン・ウォーカー 「アナベラ」 「あしたの誓い」

 
 
 
 ウォーカー・ブラザース解散後、ジョン・ウォーカー(John Walker)のソロ第作目、”アナベラ(Annabella)/(B面)分かってくれない貴女(You Don't Undersyand Me)”(フィリップスSFL-1120)です。
 日本ではスコット・ウォーカーの”いとしのマチルダ”と同じ、1967年10月にリリースされました。英国では最高位24位にランクされました。
 
 
 
 
 
 
  ジョン・ウォーカーの1968年に発売された日本での2枚目のシングル、”あしたの誓い(If I Promise)/(B面)面影を抱いて(I See in Love You)”(フィリップスSFL-1141)です。英国では1967年にリリースされました。
 
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1966年のポップス ⑳ ウォーカー・ブラザース 「もう聞きたくない」 「シェルブールの雨傘」

 
 
  ブログに書くためにウォーカー・ブラザースの曲を聞き直して、最も感銘をうけたのはファーストアルバムに収録された、ランディーニューマンの作品” もう聞きたくない (I Don't Want to Hear It Anymore)”です。シングルは英国、日本ともに未発売です。
 スコットの透き通った美しい声が感情豊かに、”I Don't Want to Hear It Anymore”と歌うところは、美しいストリングス・アレンジと相まって、思わず一緒に口ずさんでしまうほどで、何回も繰り返して聴いてしまいました。
 ウォーカー・ブラザースの来日した時のことを書くために引用させていただいたブログ『スコットウォーカー Scoot 音楽のみなもと』に、「ウォーカー・ブラザースの  ファースト・アルバムのなかで一番好きな曲は何ですかと、ファンの方々にアンケートをとったところ、”もう聞きたくない (I Don't Want to Hear It Anymore)”が一位でした。」と記されていました。この曲を聞いて感動したのは私だけではないのだと知って、とても嬉しかったです。
 

 

 
 
  ウォーカー・ブラザースの英国でのサード・アルバム「Images」から、映画「シェルブールの雨傘」のテーマ曲、”IWill Wait for You”です。
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1967年のポップ ㉜ スコット・ウォーカー 「いとしのマチルダ」 「ジャッキー」

 
 
  1967年5月に解散したウォーカー・ブラザース。スコット・ジョン・ゲイリーの3人はそれぞれソロとして活動していきます。
 英国では1967年9月にスコット・ウォーカーのファースト・アルバム「Scott」がリリースされ、最高位3位にランクされました。
 
 スコット・ウォーカーの日本での初シングルは、アルバム「Scott」に収録された、フランスのシャンソン歌手ジャック・ブレルの作品”いとしのマチルダ(Mathilde)”(フィリップスSFL-1121)で、日本のみのシングル発売でした。、
 文化放送「オールジャパンポップ20」では10月22日に初登場、12月5日に最高位5位、1968年1月14日11位までランクされました。
 
 
 
 
 
 
 スコット・ウォーカー、ソロになってからは英国ではファースト・シングル、日本では2枚目のシングル”ジャッキー(Jackkie)"です。”いとしのマチルダ(Mathilde)”と同じ、ジャック・ブレルの作品です。
 スコット・ウォーカーはソロになってからは、ロック・ポップス・ソウルではなく、ジャック・ブレルのような歌詞を重視したヴォーカリストを目指していたのでしょう。ただその場合、良い意味での商業性に欠けてしまい、”いとしのマチルダ”も”ジャッキー"も、メロディーが希薄で難しい曲だなという印象をファンに与えてしまったと思います。
 ”ジャッキー”は英国では1967年12月にリリースされ、最高位22位にランクされました。日本では文化放送「オールジャパンポップ20」では、1968年2月11日に17位で初登場、4月4日に最高位1位、6月9日20位以内にランクされました。
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1966年のポップス ⑲ ジョン・ウォーカー、スコット・ウォーカー 「サニー」 「ジェントル・レイン」

 
 
 
 スコット・ウォーカー(Scott Walker)、ジョン・ウォーカー(John Warker)2人の歌を2曲ずつ収録したEP、「Solo John/ Solo Scott」は英国では1966年12月にリリースされ、EPのチャートで4位にランクされました。
 そのEPからジョン・ウォーカーで、ボビー・ヘブでヒットした”サニー(Sunny)”です。アレンジがジャージーで落ち着いていて、ややかすれぎみのジョン・ウォーカーの声も雰囲気があります。
 
 
 
 
 
 
  
 EP「Solo John/ Solo Scott」から、スコット・ウォーカーで”ジェントル・レイン(Gentle Rain)”です。ブラジルのギタリストで、”黒いオルフェ”などボサノヴァの名曲を数多く作曲したルイス・ボンファ(Luiz Bonfa)の作品です。
 個人的に大好きな曲ですが、カヴァーされることが少ないので、スコット・ウォーカーの歌で聴けるのはうれしいです。
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1967年のポップス ㉜ ウォーカー・ブラザース 「ラヴマイナスゼロ」 「ロンリーウィンズ」

 
 
 
 
  ”二人の太陽”(フィリップスSFL-1100)と同時期、1967年5月に”発売されたシングル”ラヴ・マイナス・ゼロ(Love Minus Zero)/(B面)ロンリー・ウィンズ(Lonely Winds)”(フィリップスSFL-1101)です。
 2曲共ウォーカー・ブラザースの英国でのファーストアルバム「Take It Easy on Yourself」に収録されていたナンバーで、日本のみのシングルリリースです。”ラヴ・マイナス・ゼロ”はボブ・ディランの作品です。
 ”二人の太陽”と一緒に、こんなシングル盤が日本で発売されていたとは正直言って知りませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 B面の”ロンリー・ウィンズ”は、モート・シューマ(Mort Shuman)ン、ドック・ポーマス(Doc Pomus)コンビの作品で、オリジナルはドリフターズ(1960年)です。
 ウォーカー・ブラザースのファーストアルバム「Take It Easy on Yourself」は12曲中6曲が、オリジナルが黒人音楽(ソウルミュージック)です。
 スコット・ウォーカーの重厚で透き通ったノーブルなヴォーカルは、ソウルミュージックを歌っても黒人とは違った魅力があります。
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1967年のポップス ㉛ ウォーカーブラザース 「ふたりの太陽」 「Another Tear Falls」

 
 
 
 1967年2月に来日したウォーカー・ブラザースは、10代の女性ファンを中心に大人気となり、3月にリリースしたングシングル「ダンス天国」は、ラジオのポップス・チャートで4月から5月まで1位を続けるほどのヒットになりました、
 ところが来日してわずか3か月後、5月になってウォーカー・ブラザースは突然の解散を表明してしまい、スコット・ジョン・ゲイリーの3人はソロとして活動していきます。
 日本では解散後も絶大の人気があったのので、3人のソロとともに、ウォーカー・ブラザースのシングルがリリースされていきました。
 「二人の太陽/(B面)君知りたいを」は、日本のみのシングル発売で、英国でのウォーカー・ブラザースのサードアルバム「Images」のA面1曲目に収録されています。作曲はシェリーなどフォー・シーズンズの代表曲や、アンディー・ウィリアムスの”恋はリズムにのせて”を書いたボブ・クリュー(Bob Crew)です。
 ボブ・クリューだけあってスマートなメロディーで、スコットのヴォーカルとダイナミックなアレンジとコーラスが相まって4分20秒が短く感じられます。
 文化放送「9500万人のリクエスト」では、6月1日に15位で初登場、7月30日に1位を記録、9月26日に13位にランクされました。
 「TBS今週のベスト10」では6月11日に18位で初登場、6月25日に最高位9位、7月16日に16位までランクされました。
 「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、「1967年間ベスト100」で68位に選ばれています、  
 
 
 
 

 

 
 英国で1966年iに、ウォーカー・ブラザース3枚目のシングルとしてリリースされた"Another Tear Falls"です、作曲はバートバカラックで、英国では最高位12位にランクされました。   (Kann Dorao)
 
 
 
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二十四の瞳 (松竹 1954年)

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 まだ観ていない名画に出会えた幸せを、心から感じた木下恵介監督作品「二十四の瞳」。一言”美しい” 映画でした。人間が美しい、映像が美しい、音楽(唱歌)が美しい。春の日の桜の木の下は白黒ではありますが、満開桜の色が見えるように感じられました。映画は考えぬかれた構図の上に成り立っているのだと、映画の基本を改めて教えてくれた「二十四の瞳」です。
 出演者も素晴らしく、高峰秀子と子役たちの交流が生き生きと描かれて、「美しい魂」という形容詞がぴったりの演出でした。
 
 1954年当時キネマ旬報で1位に輝いたという「二十四の瞳」。鑑賞した後全身が感動に包まれ、とめどもなく涙が溢れ、しばらく呆然自失でした。
 
 誰もが知っている、「仰げば尊し」「七つの子」「ふるさと」「ちょうちょ」「みなと」など16曲もの唱歌が場面で流れます。60数年生きてきてこれほど唱歌が美しくて、胸に響いたことはありませんでした。
 風景も古今東西、人間が心地よく感じられる黄金比率、3分割、5分割の割合で撮影されています。遠くの大きな山々を背景に小さな人間が場面の端から端へと歩いて行く、自転車で学校へ向かうシーン。船の櫓を漕ぎながら岬へと。雄大です。
 分教場の1年生の楽しい受業、大石先生のお見舞い、6年生の修学旅行、貧しさ、字幕による時代の説明、教え子たちの出征、進路、同窓会。
 
 「二十四の瞳」は1928年から1946年までの小豆島が舞台で、戦前の地方、農漁村には貧しさが根強く残っています。満州事変から次第に戦争へと向かう世の中で、大石先生扮する高峰秀子は”死んではいけない、兵隊にならなくてもいい”と、反戦の考えをはっきりと子供たちに伝えています。
  2018年の今、軍備拡張に日本が進む中、「二十四の瞳」を観ると1954年は”戦争反対”で国がまとまっていたのだなあと感慨深いものがあります。だって戦争で300万人もの犠牲者が出て、国土は焦土になってから十年も経っていなくて、人々は”もう戦争はこりごり”だったのですから。この映画が文部省特選ということに時代を感じました。
 
 「二十四の瞳」 松竹 1954年
 
 原作 壷井栄
 監督 木下恵介
 脚本 木下恵介
 音楽 木下忠司
 撮影 楠田浩之
 出演 高峰秀子 天本英世 笠智衆 浦部粂子 清川虹子 浪花千恵子 田村高廣 月岡夢二
 
 あらすじ(ウイキより)
 
 1928年(昭和3年)、大石先生(高峰秀子)は新任の女教師として小豆島の岬の分教場のに赴任する。一年生12人の子供たちの受け持ちとなり、田舎の古い慣習に苦労しながらも、良い先生になろうとする大石先生。
 ある日、大石先生は子供のいたずらによる落とし穴に落ちてアキレス腱を断裂、長期間学校を休んでしまうが、先生に会いたい一心の子供たちは遠い道のりを泣きながら見舞いに来てくれる。
 しばらくして、大石先生は本校に転勤する。その頃から、軍国主義の色濃くなり、不況も厳しくなって、登校を続けられない子供も出てくる。やがて、結婚した先生は軍国教育はいやだと退職してしまう。
 戦争が始まり、男の子の半数は戦死し、大石先生の夫も戦死してしまう。また、母親と末娘も相次いで世を去る。
 長かった苦しい戦争も終わり、大石先生はまた分教場に戻り教鞭を取ることになる。教え子の中にはかつての教え子の子供もいた。その名前を読み上げるだけで泣いてしまう先生に、子供たちは「泣きミソ先生」とあだ名をつけた。
 そんな時、かつての教え子たちの同窓会が開かれる。その席で、戦争で失明した磯吉は一年生のときの記念写真を指差しながら(オリジナル版では指差す位置がずれ、涙を誘う)全員の位置を示す。真新しい自転車を贈られ、大石先生は胸が一杯になり、涙が溢れてきた。その自転車に乗って大石先生は分教場に向かう。
 
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