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ユン・ヒョンジュ&キム・セファン「フォークメドレー、貝殻をつないで」「Let's twi

 

 

 
 韓国フォークをたどっていると、ますます「全国のど自慢」から遠ざかります。「のど自慢」ではフォークソングを歌う人がいません。「7080世代」がギターを弾いて出場してほしいです。
 この画像は「開かれた音楽会」の”フォークメドレー”と”貝殻をつないで”です。
 ”フォークメドレー”1曲目はチェコスロバキアの歌、2曲目はハワイアンです。3曲目はアメリカのフォークグループ「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」が1963年に歌った”グリーン・グリーン”です。日本でもはやりましたね。それぞれ韓国語の歌詞をつけて歌われています。4曲目は”ユンヒョンジュの歌”貝殻をつないで”
 
   「貝殻をつないで」
 
 貝殻をつないで 彼女の首にかけ 
 焚き火の側で 夜通しささやきあう
 遥か月の影 涼しい波の音 
 夏の夜は深まるばかり 眠れない
 
 
 
 
 
  
 ”レッツ・ツィスト・アゲイン”(1961年・全米8位)は、当時「キング・オブ・ツィスト」と呼ばれたチェビー・チェッカーのヒット曲です。
 この画像は2008年の「コンサート7080」の画像です。”春の日差しのように温かな二人”として紹介されたユン・ヒョンジュとキム・セファン。
 
 司会「二人の出会いは?」
 キムセファン「学校内で知り合いました。5月になると学園祭があります。僕は学園祭に呼ばれて、ゲストとして歌を歌っていました。ユン先輩は医大生で、ツインフォリオもやっていましたし、そこで会いました」
 司会「格が違いますね」
 ユン・ヒョンジュ「当時はツインフォリオとして有名だったので、セファンはツインフォリオのようになりたかったそうです。あのように有名でテレビに出たかったんだそうです」
 司会「長い間一緒なのでエピソードも多いでしょうね」
 ユン・ヒョンジュ「セファンがテレビに出たいことを知っていました。僕は医大性で徹夜で勉強して朝は眠いんです。だから明け方4時ごろにいたずらの開始です。友達にセファンの家に電話させたんです。歌手たちがギャラのUPを求めるボイコットで出演しないので、君が来てくれと朝の4時20分ごろに電話して起こしたんです」
 キム・セファン「明け方に起こされ、テレビに出られると思い、家族みんなを起こして大慌て。朝から歌うのは大変なので生卵を割って飲み、練習して放送局に行きました。でも名前がない。隣の放送局かと急いで行くともう終わる時間。そこにも名前がない」 (起こされたキム・セファン一家はまるで韓国ホームドラマのようですね)
 
 ユンヒョンンジュ「その日に学校で会うと顔を真っ赤にして。誰であろうと殴ってやる、そんな感じでした。激怒していたので、5年間言えませんでした。」
 エピソードいっぱいの二人ですが、音楽喫茶『セシボン』時代のソン・チャンシク、チョ・ヨンナムが加わると楽しい話はもっとたくさんありそうですね。
 キム・セファンはポップスのヒット曲をよく歌っています。
 
 
 キム・セファンのオリジナル曲。明るいですね。
 
   「土曜の夜」
 
 長い髪に短いスカート 美しい彼女に会ったら 何の話をしようか
 おお土曜の夜に 土曜の夜 土曜の夜に 僕は君に会う
 世界は最も頼もしい 彼に出会ったら 何の話をしましょうか
 おお土曜の夜に 土曜の夜 土曜の夜に 僕は君に会うのさ
 美しい歌声 遠くへと響いていくとき 希望に満ちた明日のため
 おお歌を歌おう 土曜の夜 土曜の夜に 僕は君に会う
 土曜の夜 土曜の夜に僕は君に会うのさ
 
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ユン・ヒョンジュ 「僕たちの物語」「二つの小さな星」「昨日降った雨」

 
 
 ツインフォリオ(1968~69年)の頃のユン・ヒョンジュは医学生でした.。朝まで徹夜で勉強するのは当たり前なので、勉学と歌手の両立は大変だったようです。ツインフォリオの活動は1年10ヶ月でした。
 その後はソロになり、フォークシンガーとして今日まで活躍しています。外国のフォークソングに韓国の詞をつけて、皆で歌える曲を歌い続けているユン・ヒョンジュ。自作のヒット曲も多く、フォークソングのスタンダードとして人々に歌われ続けています。
 この画像は2013年4月のKBSTV「開かれた音楽会」からです。ユン・ヒョンジュは番組の中でこのようにお話しています。
 「”開かれた音楽会”のステージに立つたびに思うのは、この番組は1993年に始まり、今年20年になります。今では美しい女子アナウンサーが司会を務めていますが、僕は一番最初の司会でした。僕が司会を務めていたんです。この番組のテーマはジャンルの超越、伝統音楽でも歌謡曲でもクラシックやジャズでもいい、皆。そして一番大切なのは世代の超越、年寄りと若者が一緒に楽しもうというものでした」
 ”越える”!なんて素敵な言葉でしょう。音楽で民族・思想・宗教・年代を越えられたらどんなに良いかと思います。
 
 
    「僕たちの物語」
 
 笑みを浮かべた大きな瞳 長い髪に静かな笑みが
 ライラックの香りが漂っていた日 校庭で僕たちは出会った
*夜空の星と同じくらい たくさんの僕たちの物語
 風のように去るとしても いつまでも僕は忘れない*
 
 雨が好きで雨の中を歩き 雪が好きで 雪道を歩いた
 ガランとした喫茶店で向かい合い 夜遅くまで落書きもした
*~*
 
 

 

 

 

 

 
 
 ツインフォリオで活動してから45年経ちますが、今だ現役でステージに立つユン・ヒョンジュ。皆で歌える外国のフォークソングを歌っています。若いグループの歌手たちと歌うこともあり、この歌は以前「開かれた音楽会」でSGワナビーと一緒に歌っていました。
 
   「二つの小さな星」
 
*あの星は 僕の星 あの星は 君の星
 星影に染まった夜のように 真っ黒な瞳
 あの星は 僕の星 あの星は 君の星
 朝露が降りるまで*
 星が消えると夢も消え 悲しみだけが残る
 窓辺に消える星たちの微笑を忘れない
 *~*
 

 

 

 
 2008年の「コンサート7080」からです。ユン・ヒョンジュは”愛しい君””昨日降った雨”を歌いました。
 
   「昨日降った雨」
 
 昨日は雨が降った 背の低い木の葉の陰から 
 澄んだ雫が落ちるのに 雨が降った
 傘をさせば雨から この身を守れるけど 
 愛の雨からは逃れられない
 愛の雨が降る ぎゅっと目を閉じても 
 愛の雨は降ってくる 耳をふさいでも 
 絶え間なく雨は降ってくる 涙のような愛の雨が 
 疲れたこの身を濡らしておくれ
 小さな道端の花びらが 傘もささず雨に打たれては
 昨夜の深い愛の中 きれいに咲いた
 夜通し窓を叩いていた 切なる僕の声よ 
 愛の雨に濡らしておくれ   
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韓国フォーク ツインフォリオ 「ウエディングケーキ」「白いハンカチ」 「幸せの朝」

 

 

 

 韓国フォークの草分け的存在のツインフォリオは、ソン・チャンシクとユン・ヒョンジュのグループです。ソウル武橋洞の音楽鑑賞室(カフェ)『セシボン』で二人は出会い、1968年2月にツインフォリオを結成しました。多くの洋楽をカヴァーし、オリジナルの”白いハンカチ”はKBSTV「コンサート7080」で”7080世代が選ぶ30曲”の中で24位に輝いています。
 ソン・チャンシクについて http://contents.innolife.net/lista.php?ac_id=13&ai_id=2069
 
 ”ウエディングケーキ”(1969年・全米91位)はコニー・フランシスの歌です。フォークギターで歌ったツインフォリオの”ウエディングケーキ”は、韓国のフォーク・ソングとして多くの人に歌われています。
 私が観た「コンサート7080」では、ナムグン・オクプンとヤン・ハヨンがデュエットしましたが、素敵なハーモニーでとても感激しました。2008年の「コンサート7080」ではユン・ヒョンジュは親友のキム・セファンとデュエットし、初めてソン・チャンシク以外の人と歌いました。
 
 2008年の「コンサート7080」に出演したユン・ヒョンジュはツインフォリオについてこのようにお話しました。
 ”1967年の秋に今はもうない武橋洞の音楽鑑賞室セシボンで、仁川(インチョン)からきた、”表情が一つしかない人、悲しくても空腹でも眠くても、笑う人”ソン・チャンシクに出会い、1968年2月からはじめたツインフォリオが今年で40周年になります。その時からただ一途に活動してきました。ツインフォリオ以前の韓国の音楽界はほとんど、伝統音楽、トロットでした”
 ツインフォリオは韓国に洋楽を広め、韓国でフォークソングを定着させたグループなのですね。
 
 
   「ウエディングケーキ」
 
 静寂な夜更け 窓をたたく音 眠れず起き上がり 窓を開け見下ろすと
 人影はなく ぽつんと残されたウエディングケーキ
 誰が置いていったか私は分かる やるせないこの想い
 この夜が過ぎると 私は行く 願わない人の元へ 
 涙を流しながら 私は行く あなたではない人の元へ
 この夜が過ぎると 私は行く 愛していない人の元へ
 最後に一度だけあなたの姿を 見させてください
 つらい私の気持ちも知らず 遠く聞こえてくる 無情な夜明けの鐘
 もしや名残惜しさに あなたが現れるのではと 窓の外を見下ろしても
 すでに去ってしまったあなたの姿 どこにも見つけられない
*残されたウエディングケーキをただ眺め とめどなく涙を流す*
 *~*
 

 

 

 ”白いハンカチ” (ツィンフォリア)
 この曲は1970~80年代に青春を送った”7080世代が選ぶ30曲”に選ばれた曲です。多くの人たちに好まれた曲なのですね。
 
 

 

 

 

 クリフ・リチャード「幸せの朝」の翻案曲

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マイ・フェア・レディ

 

            画像が相当悪いです。


 
 オードリー・ヘップバーンの映画の中で一番好きな作品は”ローマの休日”と”マイ・フェア・レディ”です。
 ”マイ・フェア・レディ”はミュージカルなので音楽も充実し、馴染みのある歌が多いので何度も何度も観て、楽しんでいる映画です。
 UPした画像。花売り娘から美しく変身したオードリー・ヘップバーンが2階階段から優雅に降りてきます。息を呑むほど美しく、舞踏会での立ち居振る舞いは貴婦人以上に華やかでシンプルで、王族の気品さえ漂わせています。
 トランシルバニアの女王から「実にチャーミング」という賛辞を受けます。皇太子にエスコートされて蝶のように舞うオードリー・ヘップバーン。この映画の最大のハイライトシーンです。
 アスコット(貴族の競馬)での華やかな衣装のオードリー・ヘップバーンも美しい。観て楽しい、聴いて楽しい、大好きな映画です。イメージ 2
 
  監督 ジョージ・キューカー
  脚本 アラン・ジェイ・ラーナー
  原作 バーナード・ショー
  作曲 フレデリック・ロー
  作詞 アラン・ジェイ・ラーナー
  主演 オードリー・ヘップバーン レックス・ハリソン
 
 マイ・フェア・レディ”(My Fair Lady)は1964年制作のアメリカミュージカル映画です。1956年にブロードウェイ・ミュージカルで大ヒットした”マイ・フェア・レディ”を映画化した作品です。
 
 ロンドンの下町で花売りをするオードリー・ヘップバーンの下品な言葉を聞き取った言語学者のレックス・ハリソンは同じ言語学者の大佐に「花売り娘を一流の販売員として仕込める」といいます。それを聞いたヘップバーンは販売員になりたいとレックス・ハリソンを訪ねます。レックス・ハリソンは「私が仕込めば6ヶ月で社交界にデビューできる」と大佐と賭けをします。
 スラム特有の訛りがひどく、「ei」や「h」が上手く発音できなくて、汚い言葉使いが身についたヘップバーンの発音の特訓が始まります。
 ヘップバーンの遊び人の父親が教授を訪ねて5シリングせびります。父親の「金持ちほどお金を多く持っていても使わない、少しのお金を使い果たすほうがお金が回りまわっていいのさ」を聞いて、教授の代イメージ 1わりにに父親を各地で講演をさせ、父親はお金持ちになります。
 特訓の成果が現れて貴族の社交場アスコット(競馬)にデビューしたヘップバーンでしたが、発音は直ったものの、中身は下品なまま。恥をかいた教授は本物のレディとして上流のマナーを特訓します。
 いよいよ王室主催の舞踏会へ臨むヘップバーン。教授や大佐はドキドキです。そこへ若い言語学者がヘップバーンの言葉を聞き取り、出身を調べようとしますが、きれいな英語を話すのでどこかの王室の出身ということになり、レックス・ハリソンは大笑いをします。舞踏会での大成功で気をよくした教授。教授に惹かれていたのに大佐との賭けだったということがわかり、ヘップバーンは家を出て行きます。教授もヘップバーンがいなくなり、女性嫌いだった自分が恋をしていると気がつくのでした。
 
 
 
 
 
 特訓していた”ei-n”の発音”The Rain In Spain Stays Mainly In The Plain(スペインの雨は主に平地に降る)がとうとう言えるようになり、”h”の発音もできるようになった喜びのシーン。無邪気にはしゃぐヘップバーンが可愛いです。 
 
 

 

 
 ”スペインの雨~”がいえるようになって、天にも昇るような幸せな気持ちで”踊り明かそう”を歌うヘップバーン。このころには教授に恋をしていたのでしょう。観ている観客に喜びと幸せを分け与える素敵なシーンです。
 映画では吹き替えでしたが、”踊り明かそう”ではヘップバーン自身の歌もアップされています。ヘップバーンの歌はうまくはないですが、愛くるしくて、彼女だけがもっている特別な魅力があります。
 
 他にも父親スタンリー・ホロウェイが歌う”運が良けりゃ”、アスコットでヘップバーンに恋をしたジェレミー・ブレットの”君住む街角”など良い曲が揃っています。
 
 採点(10点満点中10点)

 

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5つの銅貨 1959年 アメリカ映画

 
 「5つの銅貨」は幸せな映画と音楽です。楽しくて豊かなJAZZの音楽を、十二分に満喫することのできる映画です。
 
 「5つの銅貨」(原題:The Five Pennies)は、1959年のアメリカ映画で、実在のコルネット奏者レッド・ニコルスの半生を描いた作品です。
 実在のコルネット奏者レッド・ニコルスの奇跡のカムバックを軸としながら、彼と妻ボビー、娘ドロシーとの家族愛を描いた映画です。タイトルの「5つの銅貨」はレッド・ニコルスのバンド名。主演のダニー・ケイの実際の妻が同名の歌を作詞作曲してダニー・ケイが劇中で披露しています。
 ルイ・アームストロングが本人役で登場してトランペットを演奏したり、ボブ・ホープが客役でゲスト出演しています。レッド・ニコルズ本人も画面には登場しませんが、トランペットのソロ演奏の吹き替えを行っています。(wikiより)
 
 監督 メルヴィル・シェイヴルソン
 
 出演 ダニー・ケイ 妻バーバラ・ベル・ゲデス 娘(子役)スーザン・ゴードン チューズデイ・ウエルド
 
 物語は1924年、田舎から上京したコルネット(トランペット)奏者のダニー・ケイは歌手の女性と一緒にクラブへ行き、飛び入りで演奏。二人は恋をして結婚。娘も生まれます。自分で楽団を持ち、大人気を博し全米中巡業の旅をします。幼い娘をクラブへ連れて行き、それが妻に知られてしまい、娘の教育のために娘を寄宿舎へ入れます。
 忙しくて娘にあう約束までも忘れるダニー・ケイ。寄宿舎のブランコで父を待つ娘は小児マヒになり、足が不自由になってしまいます。後悔したダニー・ケイは音楽を捨て楽団をやめ、普通の父として娘のために生きていきます。
 数年後音楽をやめたダニー・ケイはコルネットの音もだせなくなります。娘に励まされ、再びコルネットの練習を始め、忘れ去られた彼の音楽を聴く観客もいない場末のクラブで演奏します。そこへ長年の朋友ルイ・アームストロングやバンド仲間たちが、観客をも連れてかけつけてきました。足の不自由な娘もリハビリに励みコルネットを演奏する父にゆっくりと歩く姿を見せるのでした。
 
 贅沢なくらい音楽のシーンがあります。喜劇俳優ダニー・ケイの超一流の歌や芸を楽しめます。上のUPした画像では、ダニー・ケイはなかなか寝てくれない娘を連れてクラブへいきます。ルイ・アームストロングのステージが始まっています。
 
 ダニー 「難しいことやってみるかい?」
      「ルイとパパが他の歌を歌うから一緒に”5つの銅貨”を歌える?」
  娘  「うん!おじさんより声はいいから!」
 ルイ  「まいった」
 
 ルイ・アームストロングが”ぐっすりおやすみ”を歌うと、ダニー・ケイが”ラグタイムの子守唄”を重唱、そして娘が”5つの銅貨”で三重唱に。心に残る名場面です。
 
 
 
 
 
 
 三重唱した後、娘にリクエストされて、ルイ・アームストロングのステージに飛び入りで参加し”聖者の行進”を歌うダニー・ケイ。
 クラシックの作曲家や指揮者(ショパン・ラヴェル・マーラー、パガニーニ・ロッシーニ・トスカニーニ)の言葉遊びをするところや、ダニー・ケイのサッチモの物まね、二人のアドリブの歌のやりとりなど、スウィングするジャズの喜びに満ちています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 雰囲気が変わって巡業のバスのなかで子守唄を二重唱するシーンです。ダニー・ケイの”ラグタイムの子守唄”に妻のバーバラ・ベル・ゲデスがやさしく”ぐっすりおやすみ”を重ねます。
 
 
 採点(10点満点中8点)
 
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アニタ・カー Anita Kerr ⑥ (1971年~) 「I'm Getting Sentimental Over You」 「Everything Must Change」

 
 
 アニタ・カーは1970年に夫の母国スイスへ移住し、音楽活動の中心をヨーロッパに移し、ロンドンでイギリス人のメンバーを集め、アニタ・カー・シンガーズを再結成しました。アメリカの音楽シーンは1970年代から、「ポップス・ポピュラー音楽」から「ロック」に変わっていきました。アニタ・カーがコーラス・作曲・編曲・プロデュースをし、創り上げてきた音楽とは違った音楽が主流になっていったのです。
 UPした曲は、1972年にリリースされたアルバム「Sentimental Journey」(Philips)より、"I'm Getting Sentimental over You(センチになって)"です。このアルバムはタイトル曲や”I'll Never smile Again""A列車で行こう"などの1920~40年代に流行ったスタンダード・ナンバーを集めたものです。
 この曲はトミー・ドーシー楽団の演奏で1935年に録音され、トミー・ドーシーの柔らかく美しいトロンボーンの音色が心に残る名演として、楽団のテーマ曲になるほどの人気を博しました。アニタ・カーの歌とコーラスはトミー・ドーシーの原曲のイメージ、雰囲気にぴったりあっています。
 
 
 
 
 アニタ・カーは敬虔なキリスト教徒なので、音楽シーンの変化もあったのでしょうが、1975年からクリスチャン・ミュージックのアルバムを録音していき、1979年に久しぶりのポップス・アルバム「Together」(Philips)をリリースしました。
 UPしたのは「Together」より"Everything Must Change"です。アニタ・カーの声は艶やかで由紀さおりに似ています。
 ”全てのものは変わっていく”という歌詞は、アメリカに生まれ、ナッシュビルとロサンゼルスでポップス・ポピュラー・カントリー音楽の第一線で活躍をしていたアニタ・カーが、スイスに移住し、ロックの時代とともにクリスチャン・ミュージックに移っていった姿と重なってしまいます。この後アニタ・カーは、クリスチャン・ミュージックのアルバムしか録音していませんので、「Together」が最後のポップスアルバムになってしまいました。
 このブログを書くので、あらためてアニタ・カーの歌とコーラスを聴いたのですが、アニタ・カーの良さ、素晴らしさを再認識しました。   (Kann Dorao)
 
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パク ナムジョン 「君を想いながら」不朽の名曲

 
 
 1989年の映像を交えた”君を想いながら”。いい曲ですね。振り付けも楽しい。パク・ナムジョンの独特な顔と手の動きはカナダンスというそうです。
 
   「君を想いながら」
 
 星が煌くあの空の下 都会の街路灯が微笑むとき
*僕は何を想うのだろう
 静かに独り道を行く 孤独な夜ふらっと どこか行ってしまいたい
 流れる雲のように あてどないこの足取り
 侘しい想いあなたは知るだろう
 耳元でこだまするあなたの囁き
 なぜこの胸は濡れているのか
 もどかしい想いを 君は知るだろう*
**なぜこうも君を想うのだろう なぜ君の姿が見えないのだろう
 君は僕の想いを知ってるだろう
 僕らは愛しあっているから**
 
 暗闇がかった夜空の下 どこからか聞こえる口笛の音
*~**
**~**
 
 2006年ごろからKBSTVの「コンサート7080」「開かれた音楽会」を観ていますが、パク・ナムジョンは常に進化し続けています。
 最近のアレンジは打ち込みが強くテクノに近くなっています。バージョンアップしたダンスは若いバックダンサーに負けず切れがあって凄いです。努力しているのねとつくづく想います。私はこの画像のような歌謡曲のほうが、メロディが分かりやすくて一緒に口ずさめるので好きです。打ち込みが強いアレンジでは一緒に歌うことはできないですね。
 
 KBSTVの「不朽の名曲」にパク・ナムジョンが登場しました。
 
 ”1980年代を代表するダンス歌手。韓国のマイケル・ジャクソンと呼ばれるほど完璧なダンス。グループダンスの元祖。ダンスの歴史を書き換えたダンス歌手の基本。手の動きだけで国中を湧かせた歌手。世代を超えた国民的ヒット曲を持ち、小さな体から湧き出るパワーで少女を熱狂させた元祖アイドル”
 
 このような賛辞でパク・ナムジョンを紹介しました。
 
 パク・ナムジョンは1988年、第2集のアルバムから”愛の不時着””君を想い”の2曲の大ヒット曲をリリースしました。
 ”君を想いながら”は、アイドルグループの「TEENTOP」&「100%」がアレンジしました。ナムジョンは”見ていて本当に楽しかった。アレンジも振り付けも新鮮だった。遠くでみると昔の僕が4人踊ってるようだった。本当に良かった”と評しました。
 ”愛の不時着”はTOP10で5週連続1位、時代を風刺した歌詞で人気を博しました。
 ”雨に濡れた日々”は1992年に1年の空白の後の復帰曲です。当時、企画から作詞作曲録音まですべてをナムジョンが手がけました。番組では「HOT」「GOD」「NRG」の旧アイドルグループのメンバーでダンスを披露しました。
 
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ペク・ヨンギュ 「スニへの想い」

 

 

 
 1曲目の”君 胸で眠ったら”は良い曲ですね。司会とのおしゃべりのあと、5分35秒から始まる”スニへの想い”、1970年代のシンガー・ソングライター、カントリー音楽のようでペク・ヨンギュの作詞作曲です。発売年など詳しくは知りませんが「コンサート7080」で聴いて好きになった曲です。
 “悲しい季節で会いましょう” でペク・ヨンギュが地味だと書きましたが、女性コーラスやアコーディオン、複数ギターを配したバンドと一緒に活動しており音楽的にはレベルが高いです。
 ペク・ヨンギュは1978年にグループデビューし翌79年にソロになった歌手です。81年の4集アルバムを聴きましたが、その頃に比べると「コンサート7080」に出演しているペク・ヨンギュは随分洗練されたと思います。。
 同じ曲をこぶしの強い女性歌手イ・チュングンも歌っています。

 

 
   「スニへの想い」 
 小川が流れる僕の側を 
 水辺で向かい合い 愛を描きながら 
 ささやいた僕らの夢を 
 *明日には訪れる 再会の日が 
 どれだけ変わっただろうスニは 
 待ちきれない僕の心は 
 すでに故郷へと向かっている スニへの想いに 
 みんなが迎えてくれる 懐かしいスニも 
 鳥のさえずり 川のせせらぎ 僕のスニも
 美しい故郷*
 *~*  
 
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韓国ドラマ 「パリの恋人」 (SBS 2004年)

 
  
 パリの恋人
 2004年 SBS 24話
 
 演出 シン・ウチョル
 脚本 キム・ウンスク
 
 主演 キム・ジョンウン パク・シニャン イ・ドンゴン
 
 
  パリを舞台にしたコメディアスなロマンティック・ラブストーリー。女性なら一度だけでも白馬の王子様に出会ってみたいと思う、そんな夢のようなシンデレラの主人公になれるとしたら?
 裕福ではないけれど父の意思を継いで、パリへ映画制作の夢を抱いて勉強のために留学したキム・ジョンウン。学費稼ぎのアルバイトに、パク・シニャンのハウス・キーパーをしたことから、夢のような出来事がおきるシンデレラストーリー。
 お金持ちの二人の男性に愛されるキム・ジョンウンは”オモ、オモ”とコミカルな演技を演じ、恋愛下手な自動車会社の御曹司パク・シニャンとの恋愛が軽く素敵に展開されていきます。
 キム・ジョンウンはおしゃれなどしない普通の女の子なのに、夜会のディナーやパーティーで見せるドレス姿が美しくまるでに華麗に変身したシンデレラのようです。前半のハイライト、”ムーンリバー”の曲に乗ってゆったりと踊るパク・シニャンとキム・ジョンウン。心に残る美しくて夢のようなシーンでした。
 イ・ドンゴンも二人に絡みもつれ合い、三画関係になります。身分違いの二人の恋愛を邪魔するオ・ジュウンも登場し、企業ものにもなり、出生の秘密あり、明るくてシリアスな部分もあってとても楽しめるドラマでした。
 このドラマはテーブルの上に、外国映画のDVDが何気なく置いてあったり、ラストの大どんでん返しなど、脚本家の”映画”への愛情が感じられるドラマでした。
 OSTはチョ・ソンモ”君一人だけ” ”君のそばへ”
 チョ・ドクペ”あなたが僕の心に入ってくると” チョ ドクペ 「あなたが僕の心に入ってくると」
 キム・ジョンウンが歌った”私に残された愛をあげるわ” チャン ヘリ 「私に残された愛をあげるわ」
 パク・シニャンが歌った”愛してもいいの?” ユリサンジャ 「愛してもいいの」(愛してもいいですか)  
 イ・ドンゴン”美しき始まり”など音楽もとても楽しめたドラマでした。
 何と言ってもコメディやシリアスな演技をしたキム・ジョンウンの熱演、ハンサムでもない普通の男性パク・シニャンの滑稽な恋のアプローチをする御曹司役の好演、イ・ドンゴンの悲しくなるくらい一途な愛が光っていました。
 「冬のソナタ」を始めに、2004年から「パリの恋人」など視聴率の高い面白い作品が続々日本でも放送されました。毎日テレビやスカパーで面白いドラマが観られて幸せな日々を過ごすことができました。テレビだけでは飽き足らず、レンタルDVDで韓国ドラマ三昧な日々が始まった年でもありました。
 
 採点(10点満点/8点)
 
 
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アニタ カー Anita Kerr ⑤ (1969~70年) "You and I (Will Travel Far Together) "Happy Cat""

 

 

 アニタ・カーは1969年に、レコード会社をWarner BrothersからDot Recordに移り、「Reflect on the Hits of Bacharach and  David」(1969年)「Yestergroovin'」(1969年)「Velvet Voices and Bald Brass」(1969年)「Spend This Holliday with Me」(1970年)「Touch Love」(1970年)「It's Anita Kerr Country」(1970年)の6枚のアルバムをリリースしました。
 「Warner Brothers」はアメリカのメジャー・レーベルのなかで、Columbiaと並び、ロックへ移行したのがもっとも早い会社でした。アニタ・カーが「Warner」から、ポピューラー音楽のレコード会社「Dot」へ移ったのは時代の流れだったのでしょう。
 UPしたのは「Velvet Voices~」から、ピーター・オトゥール主演の音楽映画「チップス先生さようなら」(1969年)の挿入歌"You and I (Will Travel Far Together)”です。監督はハーバート・ロス、音楽はジョン・ウィリアムスで、作詞・作曲はレスリー・ブリッカスです。映画ではペトゥラ・クラークが歌っていました。
 
 
 
 
 
 
 アルバム「Touch Love」はアニタ・カーの作曲・アレンジ・プロデュースによる、インストゥルメンタル作品集です。UPした曲は「Happy Cat」です。
 
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