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キム・ヒジン&チュ・ガヨル「ウエディングケーキ」

 
 
 1960年代の韓国男性フォークデュオ「ツインフォリオ」の”ウエディングケーキ”をきれいな声のキム・ヒジンとチュ・ガヨルのデュエットで。
 
 
   「ウエディングケーキ」
 
 静寂な夜更け 窓をたたく音 
 眠れず起き上がり 窓を開け見下ろすと
 人影はなく ぽつんと残されたウエディングケーキ
 誰が置いていったか私は分かる やるせないこの想い
 
 この夜が過ぎると 私は行く 願わない人の元へ 
 涙を流しながら 私は行く あなたではない人の元へ
 この夜が過ぎると 私は行く 愛していない人の元へ
 最後に一度だけあなたの姿を 見させてください
 
 つらい私の気持ちも知らず 遠く聞こえてくる 無情な夜明けの鐘
 もしや名残惜しさに あなたが現れるのではと 窓の外を見下ろしても
 すでに去ってしまったあなたの姿 どこにも見つけられない
*残されたウエディングケーキをただ眺め とめどなく涙を流す*
 *~*
 
 
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チャン ミファ 「西風が吹く日」

 

 

 

 「西風が吹く日」

 
 どの日か 西風が吹くならば
 誰であれ 私を起こして
 
 アイロンがかかった綿ズバンに 白い帽子を目深にかぶり
 ピーナッツをポケットに詰め込んで どこか遠くへと 旅立ちたくても
 僕が眠っているから行けない 見られない
 それでも西風は 西風は吹いてくる
 僕の心の奥深くに 西風は吹いてくる
 あーあー 西風よ 吹け 吹け
 
 メリークリスマス!!
 
 KBSTV「不朽の名曲」イム・ヒスクとチャン・ミファ編は、1970年代を風靡した全く違うタイプの女性歌手の登場でした。
 チャン・ミファは陽そのもの。明るくてイキのいい姉御です。女優でいうとパク・ウォンスクでしょうか。バタくさくて派手!かん高いハスキーな声。今でも元気な歌声を聴かせてくれています。
 下の画像の”黄色いシャツを着た男”は日本でも有名ですが、楽しく歌うチャン・ミヒの歌もいいですねぇ。
 この”西風吹く日”はKBSTV「コンサート708020080308」からの画像です。この歌は1988年の曲です。洋風なチャン・ミファがでると舞台もパッと明るくなります。くどいと思う人もいるかもしれませんが、いまだに現役のエンターテイメント、派手すぎるチャン・ミファが個人的には大好きです。
 チャン・ミファは1965年にKBSの「トップシンガー大会」で大賞をとり、シン・ジュンヒョンにスカウトされ”シン・ジュンヒョン・グループ第1号歌手”になります。1973年には”アニハセヨ”が大ヒットして有名になりました。
 2008年の「コンサート7080」でこのようにお話しています。
 
 ミファ「1960年代後半はまだ無名で、1973年の”アニハセヨ”で有名になりました。アイドルでトップスターだったのがソテジに崩壊されたんです。歌謡界が完全に崩壊したんです。ソテジさえいなければ安泰でした。」
 司会「え?」
 ミファ「ソテジの登場によってダンスも変わってしまったんです」
 司会「ソンゴルメも踊ってましたよ」
 ミファ「いいのソンゴルメは。ソテジは頭を地に足を天に向けてダンスするのよ。完全に崩壊されたわ」
 手厳しいブレイクダンスの批判に司会は唖然としていました。
 司会「1990年代にとっても苦しまれたそうですね」
 ミファ「そうです。すべて話すと夜が明けてしまいます。この世とお別れしようと歌だけでなく、命も断ちたかったんです。周りは皆良い人ばかりだと思っていたのに、自分というのがなかったために、何もかも信じてしまって思いもよらないことが起きてしまって、耐えられなかったんです。歌を続けられなくて生きていくのも苦痛で、、、。そんな時期もありました」
 司会「それほどの苦しみの中、何がミファさんを奮い立たせてくれたんですか?」
 ミファ「正直アパートから飛び降りようとした瞬間、”この世に私より苦しい人はいるのだろうか””つらい思いをしている人はいるのだろうか”そう思った瞬間、親のいない子供たちや独居老人や体の不自由な方たちが浮かんで、まだ私はいいほうだと心を入れ替えたんです。生きて私が力にならなければと」「話していると涙が出そうだわ」
 司会「最近ミファさんはボランティア事業にと活発ですね」
 ミファ「事業とは言えませんが頑張っているだけです」
 
 KBSTV「不朽の名曲」ではキルミが”私の人生風に乗せて”を、チョ・ジャンヒョクが”どう言おうか”を、”アニハセヨ”を明るいホン・ジニョンとアウトサイダーのコラボが1970年代のディスコ風にアレンジしました。

 

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イ・ギュソク 「松の木と汽車」

 
 1964年生まれで全羅南道架光郡出身です。イ・ギュソクは2008年の「コンサート7080」でこのようにお話しています。
 ”田舎の学校から中学2年生のときソウルに転校し、ソウルで一番驚いたことは田舎にはFMラジオがなくて、ソウルには歌専用の番組があったことです。それがすごくうれしいし、驚きました。当時はポップスが主流だったので、ポップスにはまってほぼ24時間ラジオを聴いていました。当時の思い出の曲で、ソウルのラジオで初めて聴いた曲はエルトン・ジョンの”悲しみのバラード”です。”松の木と汽車”は1988年の曲なので今年20年になります。もう数十万回歌ってきました”
 ”松の木と汽車”を歌ったあと、電子ピアノの弾き語りで”悲しみのバラード”を歌いました。
 イ・ギュソクはMBC大学歌謡祭出身です。1987年に「ブルードラゴン」のメンバーとして、”客席”で銅賞を受賞しています。
 その後KBSの人気番組「若さの行進」でトングクナイの一員として活動してから人気を博し、作詞作曲した”松の木と汽車”で歌謡界にデビューしました。
 ドラマにも数本出演していて、イビョンホン主演の「生き残った悲しみ」(KBS 1993年)で、ヒロインにしつこくつきまとう男を演じていて雰囲気が違ったのでびっくりしました。
 ”松の木と汽車”は60年代ポップスのようなメロディーとサウンドで、ポップス大好き少年だったイギュソクらしい名曲だと思います。
 
   「松の木と汽車」
 
*汽車が止まらない無人駅に 背の低い松の木が1本
 汽車が通るたび そっと目を閉じる*
 残された話だけが 散らばる駅に背の低い松の木が1本 
 低い耳を開いて 静かにほおづえをつく
**人々に忘れられた 話は山となり
 僕たちに捨てられた 思い出たちは木となり
 汽笛の鳴らない朝には 向き合い歌を歌う
 向かい合い歌を歌おう**
 *~*
**~**
 
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キム ミヌ 「愛だけだ」

 

 1990年の韓国歌謡界はキム・ミヌの”愛だけだ”がTOP100で1位に、”入営列車の中で”が2位に輝いた年でした。1位と2位を独占したキム・ミヌの超人気ぶり。その年の各テレビ局の新人賞を総なめにしたほどでした。
 ミリオンセラー歌手キム・ミヌは人気絶頂の中、3ヶ月だけ活動して入隊してしまいます。3年後の除隊後には人気を失い、歌手活動を続けるかどうか真剣に悩み、現在では一般社会人として仕事を続けています。画面からも誠実な人柄が伝わってきます。
 最近でもテレビの音楽番組で「B1A4」がアレンジを変えて歌っていました。
 
      「愛だけだ」
 
 私をどう思うのかと 君は聞くけれど 答えづらい
 君にこんな話をしたら 君はどんな顔をするだろう
 いつだったか君の家の前を照らしてた
 路地裏の街灯見つめながら
 長すぎた僕の孤独の終わりを感じたんだ
 君に出会うため たくさんの別れを経験したのかもしれない
 君は僕の全力でぶつかり感じる愛であるだけ
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