人が生きる世の中(サランサヌンセサン)
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「1968年のポップス 」 ⑰ ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ「I Can't Quit Her」「 You've Made Me So Very Happy 」
ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(Blood Sweat & Tears)のファースト・アルバム「Child Is Father To The Man(子供は人類の父である)」(1968年)から、アル・クーパー(Al Kooper)の作曲で「I Can't Quit Her」です。 ”I Can't Quit Her”はメロディーだけでなく、ピアノのイントロやオーケストレイション、ギター・ソロ、中間部からのブラス・セクションのアレンジがセンスが良く最高です。
アル・クーパーは1967年にブルース・プロジェクト(Blues Project)を脱退後、スティーブ・カッツ(Steve Katz)、ボビー・コロンビー(Bobby Colomby)、ジム・フィールダー(Jim Fielder)と音楽活動を始め、さらにホーン・セクションのロック・バンドを作るためにフレッド・リプシウス(Fred Ripsius)、ジェリー・ワイス(Jerry Weiss)、ディック・ハリガン(Dick Halligan)、ランディー・ブレッカー(Randy Brecker)のホーン奏者をメンバーにして、8人組のブラッド・スウェット・年アンド・ティアーズを結成しました。アルバムのプロデューサーは、ポップ・グループのサークル(Cyrkle)や後にザ・バンド(The Band)の1枚目、2枚目をプロデュースし有名になったジョン・サイモン(John Simon)です。
ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズはファースト・アルバム・リリース後ヴォーカルが弱いと言う理由で、バンド創設者のアル・クーパーが解雇され、デビッド・クレイトン・トーマスがヴォーカリストになりました。
セカンド・アルバム「Blood Sweat & Tears」はブラス・ロックのシカゴと同じジェームス・ウィリアムス・ガルシオによってプロデュースされ1968年12月にリリースされました。シングル”You've Made Me So Very Happy”は1969年3月にリリースされ、全米2位にランクされるヒットになりました。ベリ-・ゴーディー Jrとブレンダ・ホーロウェイの作品です。
1968年のポップス ⑯ サラ・ヴォーン「恋のコンチェルト(ラヴァーズ・コンチェルト)」
カーメン・マクレイ(Carmen McRae)と並ぶ黒人女性ジャズ・ヴォーカリスト、サラ・ヴォーン(Sarah Vaughan)の”恋のコンチェルト(ラヴァーズ・コンチェルト/A Lover's Concert)”です。米国では1966年にリリースされ、最高位63位にランクされました。日本では1968年に発売され、「TBS今週のベスト10」では9月1日に18位で初登場、10月27日に2位、12月1日に12位にランクされました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1968年年間チャートで23位に選ばれています。
クラシックのJ,S,バッハの曲をもとにして、1940年代にフレディー・マーティン楽団によって”A Lover's Concerto"のタイトルでポピュラー化されました。1965年に黒人女性コーラス・トリオのトーイズ(Toys)がシングルをリリース、米国、カナダで1位にランクされました。聴き比べてみると、サラ・ヴォーンのほうがさすがに実力派ジャズ・ヴォーカリストだけあって、声に深みがあり格の差を感じます。
1968年の洋楽 ⑮ スパンキー・アンド・アワー・ギャング「Give a Damn」「Anything You CHoose」
スパンキー・アンド・アワー・ギャング(Spanky and Our Gang)の”Give a Damn”です。3枚目のアルバム「Anything You Choose B/W Without Rhyme Or Reason」の収録曲で、B面はセカンドアルバム「Like to Get You Know」から”Swinging Gate”です。米国では8枚目のシングル.になります。1968年にリリースされ、全米43位にランクされました。 ボブ・ドロウ( Bob Dorough)とステュアート・シャーフ(Stuart Scharf)の作品です。
スパンキー・アンド・アワー・ギャングの3枚目のアルバムから"Anyting You Choose"です。米国では1969年初頭にシングルでリリースされ、全米86位にランクされました。
1968年のポップス ⑭ スパンキー・アンド・アワ・ギャング「Like to Get Know You」
スパンキー・アンド・アワ・ギャング(Spanky and Our Gang)の2枚目のアルバム「Like to Get Know You」から、タイトル曲の”Like to Get Know You”です。米国せは1968年3月にリリースされ、最高位17位、カナダでは5位にランクされました。プロデューサーのステュアート・シャーフ(Stuart Scharf)の作品です。アレンジが繊細で美しく、温かくソフトなスパンキーとメンバーのコーラスが素晴らしいナンバーです。
スパンキー・アンド・アワ・ギャングが1968年3月にテレビの音楽番組「エド・サリバン・ショー」に出演した時の映像です。"Like to Get Know You"を演奏している前で、カクテル・パーティーをしているメンバー達。スパンキーの明るい歌声、温かくソフトなコーラス、幻想的と言ってもよいくらいのアレンジの美しさが伝わってきます。
1968年のポップス ⑬ スパンキー・アンド・アワ・ギャング 「サンデイ・モーニン」「スターダスト」
スパンキー・アンド・アワ・ギャング(Spanky and Our Gang)の米国での4枚目のシングル、”サンデイ・モーニン(Sunday Moanon')”です。女性作曲家マーゴ・ガーヤン(Margo Guryan)の作品で、米国では1967年12月にリリースされ最高位30位にランクされました。2枚目のアルバム「Like to Get Know You」(1968年)に収録されています。日本ではシングル盤は発売されませんでした。
2枚目のアルバム「Like to Get Know You」(1968年)のプロデュースはジャズ・ピアニスト、歌手、作曲家、編曲家、プロデューサーのボブ・ドロー(Bob Dorough)とギタリストで作曲家のステュアート・シャーフ(Stuart Sharf)です。プロデュースが1作目のジェリー・ロス(Jerry Ross)からジャズ畑のボブ・ドローに変わったため、アレンジやコーラス・ハーモニーがさらに洗練され、スマートになっています。
スパンキー・アンド・アワ・ギャングのアルバム「Like to Get Know You」から、ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael)作曲のスタンダード・ナンバー、"スターダスト(Stardust)"です。コーラス・アレンジが緻密で繊細、洒落ていて素晴らしいです。ジャズ・ファンが聴いても感心すると思います。
1968年のポップス ⑫ ハプニングス「シー・ユー・イン・セプテンバー」「ゴー・アウェイ・リトルガール」」
ハプニングス(Happnings)の"シー・ユー・イン・セプテンバー(See You in September) "です。米国では1966年7月にリリース、全米位3位にランクされミリオン・セラーになりました。プロデュースは"ライオンは寝ている(The Lion Sleep Tonight)"で有名なトーケンズ(Tokens)で、トーケンズが設立した「BT Puppy」 レコードから発売されました。日本ではシングル盤は未発売に終わりましたが、1968年にベスト・アルバムが発売され、日本のポップス・ファンの耳にも届くようになりました。私もラジオで聴いて以来ずっと好きな曲です。
ハプニングスはボブ・ミランダ(Bob Miranda)を中心にした4人組コーラス・グループで1961年に結成され、1963年にフォー・グラデュエイツ(Four Graduates)名でデビューしましたが不成功、ハプニングスとグルー名を変えました。ハプニングスのコンセプトはポピュラーのヒット曲を、豊かなコーラス・ハーモニーと精緻なオーケストラ・アレンジでリメイクしてヒットさせるというものでした。
"シー・ユー・イン・セプテンバー"は白人4人組「テンポス」(1959年録音)がオリジナルですが、スロー・テンポで歌っていてアレンジも時代を感じさせます。ハプニングスのほうがスマートで爽快、新鮮です。
ハプニングスの"シー・ユー・イン・セプテンバー”に続くシングル、"ゴー・アウェイ・リトルガール(Go Away Little Girl"で、全米12位にランクされました。ゲリー・ゴフィン(Gerry Goffin)、キャロル・キング(Carol King)の作品で、スティーヴ・ローレンスSteve Lawrence)の歌で1963年1月に全米1位にランクされました。
1968年のポップス 11 ジョニー・リヴァース ”おい兄弟” ”サマー・レイン””
ジョニー・リヴァース(Johnny Rivers) は1964年の”マウンテン・オブ・ラブ”のヒットの後、1965年には5枚のシングルをリリースしました。
”ミッドナイト・スペシャル(Midnight Specja)l” (原曲は米国のトラディショナル・フォーク) 全米20位
”キューピッド(Cupid"(オリジナルはサム・クック)全米76位
”セブンス・サン(Seventh Son“ (オリジナルは1955年、リズム・アンド・ブルース歌手 Willi Dixon) 全米7位
”花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone)” (フォーク歌手ピート・シーガー1955年の作品) 全米7位
"Under Your Spell Again (オリジナルは1959年、C&W歌手バック・オウエンス)" 全米35位
日本ではビクター・レコードから「キューピッド/ミッドナイト・スペシャル」のカップリング、「セブンス・サン」、「花はどこへ行った」のシングルがリリースされました。
1966年には”秘密諜報員(Secret Agent Man )" (作曲 P,F,Sloan/Steve Barri) がヒットし、全米3位を記録、この曲まで日本ではビクター・レコードから発売されました。
"マディー・ウォーター(I Washed My Hands in Muddy Water)"(オリジナルはC&W歌手のStonewall Jackson)
"マディー・ウォーター"から、日本での発売は東芝に移りました。
"僕らの街 (Poor Side of Town)" (作曲 ジョニー・リヴァース) 全米1位
1967年には3枚のシングルがリリースされました。
"恋を求めて(Baby I Need Your Lovin) (オリジナルはFour Topsの1964年のヒット曲) 全米3位
”ひとすじの涙(The Tracksof My Tears)" (オリジナルはThe Miraclesの1965年のヒット曲) 全米10位
”サマー・レイン(Summer Rain)" (作曲 James Hendricks) 全米14位
日本では”サマー・レイン(Summer Rain)"が1968年初頭にリリースされ、「TBS 今週のベスト10」で、2月4日に19位にランクされました。「TBS東芝ヒット・パレード」では1月12日に18位で 初登場、2月16位に最高位3位、3月22日まで18位にランクされました。
”おい兄弟 (Brother Where Are You)" (作曲Oscar Brown Jr,)は、1968年のアルバム「Realization」収録のナンバーで、米国ではシングル・カットされず、日本のみのシングル発売です
文化放送「オールジャパン・ポップ20」では10月13日に20位で初登場、11月3日には15位にランクされました。「TBS 今週のベスト10」では9月8日に19位で 初登場、10月6日には10位にランクされました。「TBS東芝ヒットパレード」では9月20日に18位で 初登場、11月15位に最高位2位、1969年1月24日まで18位にランク・インしました。「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では年間46位に選ばれています。
1968年のポップス ⑩ ハード 「二人だけの世界」
ハード(Herd)は1965年に英国で結成された4人組のポップ・ロック・グループで、1966年に当時16才だったピーター・フ.ランプトン(Peter Frampton)がリード・シンガー,ギタリストとして加入。Fontana レコードより1967年4月に”I Can Fly"、8月に"夜明けを求めて(From the Underworld)"、12月に "Paradise Lost"をリリース。"夜明けを求めて”は英国で最高位6位にランクされました。
1968年のポップス ⑨ ゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップ 「ヤング・ガール」「レディー・ウィル・パワー」
ゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップ(Gary Puckett & The Union Gap)のセカンド・シングル、"ヤングガール(Young Girl)”(ジェリー・フラー作曲)です。
1968年のポップス ⑧ ゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップ 「ウーマン・・ウーマン」 「「オーヴァー・ユー」
ゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップ(Gary Puckett & The Union Gap)は、歌手のゲイリー・パケットを中心にした5人組のポップ・ロックグループです。
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