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1956年の洋楽 ⑨「パリの可愛いそうな人々」レス・バクスター、ビング・クロスビー & ローズマリー・クルーニー

 

 

 レス・バクスター(Les Baxter楽団の”パリのな可愛いそうな人々(The Poor People of Paris)”です。もともとフランスのシャンソンで、原題は"La goualante du pauvre Jean"でエディット・ピアフ(Edith Piaf)の最大のヒット曲の一つです。1954年に米国の作詞家ジャック・ローレンスJ(ack Lawrence)が英語の歌詞を付けました。

 1956年にレス・バクスター楽団の演奏する”パリの可愛いそうな人々”がビルボードで4週間1位にランクされるヒットになりました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1956年年間チャートで30位台に選ばれています。

 レス・バクスターはスウィング・バンドの作曲・編曲の仕事後、自身のスタイルを持ったイージー・リスニングの楽団で多くのアルバムをリリース、エキゾチック・サウンドでも人気がありました。1950~70年代には数多くの映画のサウンド・トラックを作曲しました。

 

 

 

 ビング・クロスビー(Bing Crosby) と ローズマリー・クルーニー(Rosemary Cloony)のアルバム「 That Travelin' Two Boat)」(1965年)から”パリの可愛いそうな人々”です。この二人はアルバム「Fancy Meeting You Here」(1958年)でも共演していて、明るく楽しいヴォーカルで息がぴったりです。

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1954~58年の洋楽 ⑧「月光のセレナーデ(ムーンライト・セレナーデ)」グレン・ミラー楽団、エラ・フィッツジェラルド

 

 

 日米ともに1954年に公開された映画「グレン・ミラー物語(The Glenn Miller Story」から”月光のセレナーデ(ムーンライト・セレナーデ)”です。「グレン・ミラー物語」は1930年代後半から1940年代のスウィング・ビッグ・バンド時代に活躍した、トロンボーン奏者、作曲家、編曲家でバンド・リーダーのグレン・ミラーの一生を描いた音楽映画です。グレン・ミラー楽団は1939年からムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)” ”タキシード・ジャンクション(Tuxedo Junction” ”チャタヌガ・チューチュー(Chattanooga Choo Choo)”など数多くのヒット・ナンバーを放ち、ビッグ・バンド黄金時代を牽引していきました。

 主役のグレン・ミラーにジエームス・スチュアート(James Stewart)、妻役にジューン・アリソン(June Allyson)、ルイ・アームストロング(Loui Armstrong)、ジ-ン・クルーパー(Gene Krupa)がゲスト出演しています。私は映画館・テレビ・LDで3回観ていますが、ダニー・ケイ(Danny Kaye)の「五つの銅貨(Five Pennies)」と並ぶ音楽映画の傑作だと思います。

 映画のヒットに続いて 劇中で使われた”イン・ザ・ムード””月光のセレナーデ(ムーンライト・セレナーデ””真珠の首飾り(A Strings of Pearls)”などが日本で大ヒットしました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1954年「ベストヒット20」に”イン・ザ・ムード(In the Mood)”、”月光のセレナーデ(ムーンライト・セレナーデ”が選ばれています。月光のセレナーデ(ムーンライト・セレナーデ”はロング・セラーになり、1955年年間チャートでは5位、1956年年間チャートでは2位に選ばれています。

 

 

 

 エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)が歌う"ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)"で、アルバム「Sings Sweet Songs For Swingers」(1959年)に収録されています。作曲家、編曲家のフランク・デ・ヴォル(Frank De vol)のアレンジで、”マイ・オールド・フレイム(My Old Flame)"”イースト・オブ・ザ・サン(east of the Sun)”などのスタンド・ナンバーをスキャットなどを交えず、ソフトにエレガントに歌っています。

 

 

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1954~58年の洋楽 ⑦ コニー・フランシス「フーズ・ソーリー・ナウ」「キューピッド・キューピッド」

 

 コニー・フランシス(Connie Francis)(1937年~)の”フーズ・ソーリー・ナウ(Who's Sorry Now)”です。コニー・フランシスは10歳の頃より地元のテレビ局にレギュラー出演、1955年にMGMレコードより歌手デビューしました。10枚のシングルをリリースしたものの最高位97位でヒットに恵まれず、次のシングルでヒットしなければMGMは契約を打ち切るつもりでした。1957年11月にリリースした11枚目のシングル”フーズ・ソーリー・ナウ”が米国で3位、英国とカナダで1位になるヒットになり、この後人気歌手になるきっかけとなりました。この曲は1923年に書かれたポピュラー・ソングで、コニー・フランシスは古い曲なので最初は歌うのはいやでしたが、父親の勧めでレコーディングしたそうです。

 

 

 

  コニー・フランシスの”間抜けなキューピッド(stupid cupid)”です。米国では1958年6月にリリースされ、全米14位にランクされました。ニール・セダカ(Neil Sedaka)とハワード・グリーンフィールド(Howard Greenfield)の作品です。

 日本でもリリースされましたが、最初のシングルのタイトルが邦題”間抜けなキューピッド”ではなくて、”ステューピッド・キューピッド”のままで発売されました。

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1956年の洋楽 ⑥「懐かしのリスボン」ネルソン・リドル

 

 

 ネルソン・リドル(Nelson Riddle)のヒット曲”懐かしのリスボン”です。ネルソン・リドル(1921年~85年)は超一流のアメリカの編曲家、作曲家、バンド・リーダーです。1950年代からフランク・シナトラ(Frank Sinatre)、ナット・キング・コール(Nat King Cole)、エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)、ローズマリー・クルーニー(Rosemary Cloony)など多くの歌手のアルバムのアレンジャーを務めました。

 映画やテレビ音楽の作曲、編曲も多く、”懐かしのリスボン(Lisbon Antigua)”は映画「risbon」(1956年)の挿入歌で、ポルトガルのポピュラー・ソングをネルソン・リドルが編曲したものです。米国では1956年の2月~3月にかけて4週間ビルボードの1位にランクされました。日本でもヒットし、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1956年年間チャートで20位台に選ばれています。

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1958年の洋楽 ⑤ デビー・レイノルズ「タミー」「年頃ですもの」

 

 デビー・レイノルズ(Debbie Reynolds)(1932~2016年)の"タミー(Tammy)"です。映画「Tammy and the Bachelor」(1957年)のテーマ曲で、5週間全米チャート1位を飾りました。作詞・作曲はジェイ・リヴィングストン(Jay Livingston)とレイ・エヴァンス(Ray Evans)で、オスカーの楽曲賞にノミネートされました。日本では映画は未公開に終わりましたが、テーマ曲の"タミー"は1957年~58年にわたってヒットしました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1957年16位、1958年34位に選ばれています。

 デビー・レイノルズは米国の歌手、女優で1950年にワーナーからMGMに移籍し、「雨に唄えば」に出演、一躍スターになりました。「艦隊は踊る(Hit the Deck)」(1957年)、「結婚泥棒(The Pleasure of His Company)」(1961年)「西部開拓史(How the West Was Won)」(1962年)など数多くの作品に出演、「浮沈のモリー・ブラウン(UNnsinkable Moly Brown)」(1965年)ではアカデミー賞とグラミー賞の主演女優賞にノミネートされました。

 

 

 

 デビー・レイノルズの「年頃ですもの(This Happy Feeling)」です。映画「年頃ですもの」のテーマ曲で、作曲はフランク・スキナー(Frank Skiner)、監督はピンクパンサー・シリーズなどでお馴染みのブレイク・エドワーズ(Blake Edwards)です。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では、1958年34位に選ばれています。

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1955年の洋楽 ② ”愛のメロディー(Melody of Love)” ビリー・ヴォーン、デヴィッド・キャロル、The 1000Strings

 
 
   "愛のメロディー(Melody of Love)"は、1954~55年に多くの楽団・歌手にカヴァーされてヒットしました。ビリー・ヴォーン(Billy Vaughn)ではビルボードの最高位2位、フォアエーセス(Four Aces)で3位、デヴィッド・キャロル(David Carrol)で8位にランクされました。イギリスでは黒人のコーラスグループ、インクスポッツ(Ink Spots)の歌でヒットしました。
 
 ビリー・ヴォーン楽団は日本でも”浪路はるかに””峠の幌馬車”などのヒット曲で有名で、何回も来日コンサートを開いています。「真珠貝の歌(Pearly Shells)」は、NHKFMで日曜夕方6時から放送していた「リクエストアワー」のテーマ曲でした。
 
 
 
 
 
 
 デヴィッド・キャロルはアメリカの指揮・作曲・編曲者で、1950~60年代にはマーキュリーレコードのミュージカル・ディレクターも務めました。デヴィット・キャロル楽団(David Carrol Orchestra)として、多くのイージーリスニングアルバムを録音しています。
 
 
 
 
 
 
  The 1000 Stringsで”愛のメロディー(Melody of Love)です。ロマンティックでゆったりとした、心が暖かくなるような演奏です。   (Kann dorao)
 
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1955年の洋楽 ① 旅情 (Summertime in Venice) マントヴァーニ、ロッサノ・ブラッツィー

 
 
  「旅情」(Summertime in Venice)は、名匠デビッド・リーン(アラビアのロレンス、ドクトルジバゴなど)が監督した1954年のイギリス映画です。
 ヴェニスを舞台にしっとりと描いた大人のラブロマンスです。つかの間のヴァカンスを楽しむヘプバーンを包みこむ優雅な風景とともに、ヒロインの繊細な心の動きを巧みに描き出しています。美しい映像と美しい音楽が、「旅情」を1950年代を代表する名画として後世に残しました。
 
   旅情
 
 監督 デビッド・リーン
 主演 キャサリン・ヘプバーン、ロッサノ・ブラッツイ
 音楽 アレッサンドロ・チコニーニ
 
 1950~60年代の洋楽は映画音楽と密接に結びついています。『洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)』は、音楽評論家の八木誠がラジオ局のデータをベースに、年間のチャートを作成した書籍です。この本で「旅情」は1955年洋楽チャートベスト10で第1位に選ばれています。
 1955年の洋楽ベスト10のうち、映画音楽が「旅情」の他に「エデンの東」など5曲、”ムーンライトセレナーデ”など映画に使われた曲が3曲もランクしています。
 ベスト10のうち映画音楽が8曲という、映画と映画音楽の黄金時代だったと改めて思います。
 
 
 
 
  ヘップバーンがヴェニスで恋をした、俳優ロッサノ・ブラッツイの歌「旅情」です。映画の雰囲気が伝わってきます。
 
 
 
 
 
 
  映画俳優、西村晃の「旅情」解説。NHKテレビからの画像です。映画の魅力、素晴らしさを十分に解説しています。   (Kann Dorao)
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1956~58年の洋楽 ④ ヴィック・ダモン ”君住む街角で (マイ・フェアー・レディーより)” ”めぐり逢い”

 
 
  ミュージカル「マイ・フェア・レディー(MY Fair Lady)」は、ジュリー・アンドリュース主演で1956年にブロードウェイ公開され、ロングランヒットとなりました。
 劇中歌”君住む街角(On the Street Where You Live)”は、エディー・アーノルド、アンディー・ウィリアムス、ローレンス・ウェルクなどの歌手や楽団にカヴァーされ、ヴィック・ダモンの歌で、ビルボード最高位4位にランクされました。「洋楽ヒット・チャート大事典(八木誠著)」では1956年年間チャートで40位以内に選ばれています。
 ヴィックダモン(Vic Damone)(1928~)は、米国の男性ポピュラー歌手で、1940年代後半から活躍し、ビルボードのチャートで10位以内に入るヒット曲が12曲もあります。ポピュラー・ソングだけでなく、ジャズ、ポップスまで幅広く歌い、アルバムも数多く発売されています。
 UP した画像は、オードリー・ヘップバーン主演の映画「マイ・フェアー・レディー」(1964年)からです。映画ではヘップバーンに心を寄せる、やさしく誠実な青年フレッドが歌っていましたが、数年前にこの俳優がシャーロック・ホームズを演じたジェレミーブレッ(Jeremmy Brett)だと知ったときには本当に驚きました。
 画像の歌は映画からではなく、1956年のヴィックダモンの歌です。
 
 
 
 
 
  「めぐり逢い(An Affair to Remenber)」(1957年)はケーリー・グラント。デボラ・カー主演のメロドラマ映画です。
 テーマ曲”An Affair to Remenber”はハリー・ウォーレン(Harry Warrenの作曲で、ヴィック・ダモンの歌がオープニング・タイトルに使われました。ビルボードでは最高位16位、「洋楽ヒット・チャート大事典(八木誠著)」では年間チャートで40位以内に選ばれています。
    
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1955~58年の洋楽 ③ パーシー・フェイス ”シンシアのワルツ” ”エストレリータ”

 
 
 
パーシー・フェイス(PERCY FAITH)(1908~1976)はカナダ生まれの編曲・指揮者で1940年より、アメリカで活躍。パーシー・フェイス楽団として、1953年から1976年までベストアルバムも含めると90枚近くのアルバムをリリースしています。
 ヒット曲も数多く、”デリカード(Delicado)"(1952年)、”ムーランルージュの唄(Moullin Rouge Theme)"(1953年)、”夏の日の恋(Theme from Summer Place)”(1960年)の3曲が全米1位にランクされました
 ”シンシアのワルツ( A WALTZ FOR CYNTHIA)” は1956年に日本で発売されヒットしました。洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、1956年に40位内に入っています。せつなくなるようなロマンチックな名曲です。
 
 
 
 
 
 
 エストレリータ(ESTRELLITA)は、メキシコの大作曲家マヌエル・ポンセの曲で、アルバム「Viva the Music of Mexico」(1957年)に収録されています。
 美しいメロディーを、これ以上もなく美しいストリングス・アレンジで演奏するパーシーフェイス楽団が見事です。   (Kann Dorao)
 
 
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