人が生きる世の中(サランサヌンセサン)
毎日韓国ドラマと映画と音楽でヘンボケヨgooblog
1958年の洋楽 ➉ トニー・パーキンス「月影の渚(ムーンライト・スウィム)」「ハウ・アバウト・ユー」
映画俳優トニー・パーキンス(アンソニー・パーキンス)の1957年のヒット曲”月影の渚(Moonlight Swim)”です。米国ではRCAレコードからリリースされ、最高位43位にランクされました。オーケストラはフランク・デ・ヴォル(Frank De Vol)です。のちには映画「ブルー・ハワイ(Blue Hawai)」でエルヴィス・プレスリーによって歌われました。
日本では米国以上にヒットし、「洋楽ヒットチャート大事典」(八木誠著)では1958年年間チャートで5位に選ばれています。
アンソニー・パーキンス(Anthony Perkins)はウィリアム・ワイラー監督の映画「友情ある説得(Friendly Pesuation)」(1956年)でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、一躍人気俳優になりました。1950年代後半には青春スターとして多くの映画に出演しました。またトニー・パーキンス名で、3枚のアルバムとアルバム未収録のシングルをリリースしています。。
””
トニー・パーキンスで”How About You”です。アルバム「Orchestra Under the Direction Martin Paich」(1957年)からで、名アレンジャー、マーティー・ペイチのアレンジとオーケストラをバックに、トニー・パーキンスはさらっと軽くスウィングして歌っています。
”How About You”はジャズのスタンダード・ナンバーで ”私は~が好き、あなたはどう”という歌詞で、歌手によって好きなものを変えて歌います。以前アニー・ロスの歌を紹介しましたが、アニ・ーロスは歌手のフランク・シナトラとビリー・エクスタインが好き("GIve Me a Thrill")と歌っていましたが、トニー・パーキンスはソフィア・ローレンが好きと歌っています。
1956年の洋楽 ⑨「パリの可愛いそうな人々」レス・バクスター、ビング・クロスビー & ローズマリー・クルーニー
レス・バクスター(Les Baxter楽団の”パリのな可愛いそうな人々(The Poor People of Paris)”です。もともとフランスのシャンソンで、原題は"La goualante du pauvre Jean"でエディット・ピアフ(Edith Piaf)の最大のヒット曲の一つです。1954年に米国の作詞家ジャック・ローレンスJ(ack Lawrence)が英語の歌詞を付けました。
1956年にレス・バクスター楽団の演奏する”パリの可愛いそうな人々”がビルボードで4週間1位にランクされるヒットになりました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1956年年間チャートで30位台に選ばれています。
レス・バクスターはスウィング・バンドの作曲・編曲の仕事後、自身のスタイルを持ったイージー・リスニングの楽団で多くのアルバムをリリース、エキゾチック・サウンドでも人気がありました。1950~70年代には数多くの映画のサウンド・トラックを作曲しました。
ビング・クロスビー(Bing Crosby) と ローズマリー・クルーニー(Rosemary Cloony)のアルバム「 That Travelin' Two Boat)」(1965年)から”パリの可愛いそうな人々”です。この二人はアルバム「Fancy Meeting You Here」(1958年)でも共演していて、明るく楽しいヴォーカルで息がぴったりです。
1954~58年の洋楽 ⑧「月光のセレナーデ(ムーンライト・セレナーデ)」グレン・ミラー楽団、エラ・フィッツジェラルド
日米ともに1954年に公開された映画「グレン・ミラー物語(The Glenn Miller Story」から”月光のセレナーデ(ムーンライト・セレナーデ)”です。「グレン・ミラー物語」は1930年代後半から1940年代のスウィング・ビッグ・バンド時代に活躍した、トロンボーン奏者、作曲家、編曲家でバンド・リーダーのグレン・ミラーの一生を描いた音楽映画です。グレン・ミラー楽団は1939年からムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)” ”タキシード・ジャンクション(Tuxedo Junction” ”チャタヌガ・チューチュー(Chattanooga Choo Choo)”など数多くのヒット・ナンバーを放ち、ビッグ・バンド黄金時代を牽引していきました。
主役のグレン・ミラーにジエームス・スチュアート(James Stewart)、妻役にジューン・アリソン(June Allyson)、ルイ・アームストロング(Loui Armstrong)、ジ-ン・クルーパー(Gene Krupa)がゲスト出演しています。私は映画館・テレビ・LDで3回観ていますが、ダニー・ケイ(Danny Kaye)の「五つの銅貨(Five Pennies)」と並ぶ音楽映画の傑作だと思います。
映画のヒットに続いて 劇中で使われた”イン・ザ・ムード””月光のセレナーデ(ムーンライト・セレナーデ””真珠の首飾り(A Strings of Pearls)”などが日本で大ヒットしました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1954年「ベストヒット20」に”イン・ザ・ムード(In the Mood)”、”月光のセレナーデ(ムーンライト・セレナーデ”が選ばれています。月光のセレナーデ(ムーンライト・セレナーデ”はロング・セラーになり、1955年年間チャートでは5位、1956年年間チャートでは2位に選ばれています。
エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)が歌う"ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)"で、アルバム「Sings Sweet Songs For Swingers」(1959年)に収録されています。作曲家、編曲家のフランク・デ・ヴォル(Frank De vol)のアレンジで、”マイ・オールド・フレイム(My Old Flame)"”イースト・オブ・ザ・サン(east of the Sun)”などのスタンド・ナンバーをスキャットなどを交えず、ソフトにエレガントに歌っています。
1954~58年の洋楽 ⑦ コニー・フランシス「フーズ・ソーリー・ナウ」「キューピッド・キューピッド」
コニー・フランシス(Connie Francis)(1937年~)の”フーズ・ソーリー・ナウ(Who's Sorry Now)”です。コニー・フランシスは10歳の頃より地元のテレビ局にレギュラー出演、1955年にMGMレコードより歌手デビューしました。10枚のシングルをリリースしたものの最高位97位でヒットに恵まれず、次のシングルでヒットしなければMGMは契約を打ち切るつもりでした。1957年11月にリリースした11枚目のシングル”フーズ・ソーリー・ナウ”が米国で3位、英国とカナダで1位になるヒットになり、この後人気歌手になるきっかけとなりました。この曲は1923年に書かれたポピュラー・ソングで、コニー・フランシスは古い曲なので最初は歌うのはいやでしたが、父親の勧めでレコーディングしたそうです。
コニー・フランシスの”間抜けなキューピッド(stupid cupid)”です。米国では1958年6月にリリースされ、全米14位にランクされました。ニール・セダカ(Neil Sedaka)とハワード・グリーンフィールド(Howard Greenfield)の作品です。
日本でもリリースされましたが、最初のシングルのタイトルが邦題”間抜けなキューピッド”ではなくて、”ステューピッド・キューピッド”のままで発売されました。
1956年の洋楽 ⑥「懐かしのリスボン」ネルソン・リドル
ネルソン・リドル(Nelson Riddle)のヒット曲”懐かしのリスボン”です。ネルソン・リドル(1921年~85年)は超一流のアメリカの編曲家、作曲家、バンド・リーダーです。1950年代からフランク・シナトラ(Frank Sinatre)、ナット・キング・コール(Nat King Cole)、エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)、ローズマリー・クルーニー(Rosemary Cloony)など多くの歌手のアルバムのアレンジャーを務めました。
映画やテレビ音楽の作曲、編曲も多く、”懐かしのリスボン(Lisbon Antigua)”は映画「risbon」(1956年)の挿入歌で、ポルトガルのポピュラー・ソングをネルソン・リドルが編曲したものです。米国では1956年の2月~3月にかけて4週間ビルボードの1位にランクされました。日本でもヒットし、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1956年年間チャートで20位台に選ばれています。
1958年の洋楽 ⑤ デビー・レイノルズ「タミー」「年頃ですもの」
デビー・レイノルズ(Debbie Reynolds)(1932~2016年)の"タミー(Tammy)"です。映画「Tammy and the Bachelor」(1957年)のテーマ曲で、5週間全米チャート1位を飾りました。作詞・作曲はジェイ・リヴィングストン(Jay Livingston)とレイ・エヴァンス(Ray Evans)で、オスカーの楽曲賞にノミネートされました。日本では映画は未公開に終わりましたが、テーマ曲の"タミー"は1957年~58年にわたってヒットしました。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1957年16位、1958年34位に選ばれています。
デビー・レイノルズは米国の歌手、女優で1950年にワーナーからMGMに移籍し、「雨に唄えば」に出演、一躍スターになりました。「艦隊は踊る(Hit the Deck)」(1957年)、「結婚泥棒(The Pleasure of His Company)」(1961年)「西部開拓史(How the West Was Won)」(1962年)など数多くの作品に出演、「浮沈のモリー・ブラウン(UNnsinkable Moly Brown)」(1965年)ではアカデミー賞とグラミー賞の主演女優賞にノミネートされました。
デビー・レイノルズの「年頃ですもの(This Happy Feeling)」です。映画「年頃ですもの」のテーマ曲で、作曲はフランク・スキナー(Frank Skiner)、監督はピンクパンサー・シリーズなどでお馴染みのブレイク・エドワーズ(Blake Edwards)です。「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では、1958年34位に選ばれています。