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中国ドラマ 「野鴨子2(イエヤーズ)おてんば娘2」 (CCTV 2014年 30話)②ねたばれ

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 この記事はねたばれです。
 
 ナ、ナ、ナンチュウ終わり方。「ザ・どんでん返し」の連続にあっけに取られてしまって、中国ドラマのパワーを見せつけられたような。
 結局二人は実の母娘ではなかったけれど、チンピラにからまれて金蹴りして、ツァオ・シーウェンと同じように品の良い母もおてんばになって終わったという、笑い話のような。でも二人の楽しそうな笑い声が空まで響いて、ある意味気持ちのいい終わり方かもしれないと思いました。イメージ 2
 
 主人公の曹曦文(ツァオ・シーウェン)は拾われた娘で、野生児のようにたくましく育ちました。母親は「死んだと思っていた娘」が生きていると聞いて、必死になって探していました。ツァオ・シーウェンと母親はいろいろな葛藤を乗り越えて仲の良い母娘として裕福に暮らします。ツァオ・シーウェンは身分違いの恋を母親に反対されたので、本当は娘じゃないと嘘をついて田舎へ帰ります。田舎には恋人のチャン・トンが待っていて、二人で鴨飼育場を始めました。母親は実の娘ではないと知って、失意の中で過ごしていましたが、ツァオ・シーウェンの親戚か”本当は実の娘なのよ”と知らされて、田舎へ会いに行ってめでたしめでたしで「野鴨子1」は終わりました。イメージ 3
 
 後で重要なキーポイントとなる母娘鑑定を受けなかったことが、「野鴨子2」のラストにつながりました。
 
 中国には戸籍の問題があるので、ツァオ・シーウェンの赤ちゃんを農村の戸籍より、都会や香港の戸籍にしたほうが将来的にもいいということで、母娘鑑定をしますが、「他人」と判定結果がでてしまいました。
 実の母娘だったり、そうではなかったり、また母娘だったり、結局血はつながっていなかったりと最後まで二転三転しました。
 赤ちゃんの育て方を廻って義父母と母親の確執もありましたが、義父母に孫の面倒をみてもらって、義父母は喜んでめでたしめでたし。
 父親のライバルがガン末期患者として登場して深刻な場面もありましたが、結局誤診でした。ライバルの再婚相手も見つかり、めでたしめでたし。
 ツァオ・シーウェンの夫チャン・トンは不動産会社の跡継ぎになってめでたしめでたし。イメージ 4
 
 「野鴨子」は野生児ツァオ・シーウェンが都会に出てきて巻き起こすヤンチャぶり、「野鴨子2」は結婚して妊娠して出産するツァオ・シーウェンのはちゃめちゃぶりが非常におもしろかったです。
 
  ただ中国ドラマ全般に言えるのは、カット割が早すぎて疲れてしまうことです。人間の生理に反してめまぐるし いいので、良い作品も心から楽しむことができません。CMのカット割もバシャバシャ早すぎて宣伝の意味がないと思います。カット割りが早くなければ、採点ももっと高くなったと思います。
 
 採点 6.5点
 
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1963年の洋楽 ⑯ エルヴィス・プレスリー 「ボサノヴァベイビー 」

 
 
  エルヴィス・プレスリーの "ボサノヴァベイビー(Bossa nova Baby) "です。1963年はボサノヴァが世界的なブームとなり、米国でもイーディーゴーメの”恋はボサノヴァ”や”ポールアンカのボサノヴァでキッス”などがヒットしました。エルヴィスもボサノヴァのリズムを取り入れた"ボサノヴァベイビー" をリリース、米国では最高位8位にランクされました。
 「TBS今週のベストテン」では11月19日に19位で初登場、12月9日に最高位6位、1964年2月24日まで20位以内にランクされました。洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1963年年間ベスト100」で50位に選ばれています。
 
 
 
 
 
 
 
   映画「アカプルコの海(Fun in Acapulco)」から"ボサノヴァベイビー"です。
 パーカッションをたくさん使ったアメリカ風ボサノヴァのアレンジがユニークで洒落ていて、今聴いても時代を感じさせません。
 歌だけでなく、エルヴィスの少しへんだけど、素晴らしすぎるダンスとパフォーマンスが最高です。   (Kann Dorao)
 
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1963年の洋楽 ⑮ エルヴィス・プレスリー 「心のとどかぬラブレター」 「悲しき悪魔」

 
 
  エルヴィス・プレスリーの「心のとどかぬラブレター(Return to Sender)」です。エルヴィスが良かったのは1950年代のロックンロールを歌っていた時代で、兵役から除隊した1960年代以降、映画出演とポップスばかりになってダメになってしまったというロックファンの人がいますが大間違いです。
 1960年代のエルヴスは、歌の上手さと甘くソフトな声で、バラードからポップス、アップテンポの曲まで幅広く真価を発揮しました。バックもコーラスのジョーダネアーズや、スコット・ムーア、バーニーケッセル、フロイド・クレーマー、ハル・ブレインなど最高のメンバーがそろっています。良い曲もたくさんあって、ポップスファンとしてもっと評価されて聴かれるべきだと思っています。
 「心のとどかぬラブレター」は、米国では1962年にリリースされ、最高位2位にランクされました。「TBS今週のベストテン」では1月10日に8位で初登場、2月14日に最高位3位、3月28日まで20以内にランクされました。洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1963年年間ベスト100」で30位に選ばれています。 個人的には「好きなエルヴィスの曲ベスト5」に入ります。
 
 
  
 
 
  エルヴィスの”悲しき悪魔((You're The ) Devil in Disguise”、米国では最高位3位にランクされました。
 「TBS今週のベストテン」では8月12日に14位で初登場、9月9日・16日・30日、10月7日・14日に最高位2位、12月26日まで20以内にランクされました。洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1963年年間ベスト100」で9位に選ばれています。 
   (Kann Dorao)
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1963年の洋楽 ⑭ カスケーズ 「悲しき北風」 「内気なあの娘」

 
 
 カスケーズ(Cascades)の3枚目のシングル、”悲しき北風(The Last Leaf)”(東芝7B-24)です。カントリー風味の哀愁のポップスで、秋から冬になる頃の,すこしもの悲しさを感じる季節にぴったりです。”悲しき雨音”と同じくらいに好きな曲です。 
 米国では1963年4月にリリースされましたが、最高位60位に終わりました。日本でも、「TBS今週のベストテン」の20位以内に入りませんでした。
 1968年に日本では”悲しき雨音”に続いてリバイバル・ヒットし、「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では、「1968年年間ベスト100」で69位に選ばれています。 
 
 
 
 
 
 
   日本では”悲しき北風”のB面(米国ではA面)、”内気なあの娘(Shy Girl)”です。
 米国では最高位91位にランクされました。
 
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1963年の洋楽 ⑫ カスケーズ 「悲しいわけは」 「二度目のチャンス」

 
 
  カスケーズ(Cascades)はアメリカのヴォーカル・グループで、1962年にヴァリアント・レーベルからデビュー、セカンドシングル”悲しき雨音(Rythm of the Rain)”が全米3位にランクされるヒットとなりました。ヴァリアントから4枚のシングルをリリースした後、1963年にRCAに移りました。
 
 日本でシングル盤は、米国と同じリリース順とB面のカップリングで、東芝と日本ビクターから発売されました。
 
 ”There's a Reason"(悲しいわけは)/ "Second Chance"(二度目のチャンス)
 "Rythm of the Rain"(悲しき雨音)/ "Let Be Me"(レットビーミー)
 "Shy Girl"(内気なあの娘)/ "The Last Leaf"(悲しき北風)
 ”My First Day Alone”(一人ぼっち/の僕)/ "I Wanna Be Your Lover"(恋人になりたい)
 "A Little Like Lovin"(ちょっぴり愛して)/ "cinderella"(夢のシンデレラ)
 ”For Your Sweet Love"(恋の雨音)/ "Jeannie"(いとしのジェニー)
 
 "Those Were the Good Old Days"(愛のメモリー)/"Little Betty Falling Star(星影のベティー"
 "I Dare You to Try"(恋のモーション)"Awake"(アウェイク) この2曲だけ日本では米国と違い、”恋のモーション”が"愛のメモリー”より先に発売されました。
 
UPしたのはカスケーズのデビュー曲”悲しいわけは(There's a Reason)”(東芝7B-9)です。米国では1962年5月にヴァリアント・レーベルよりリリースされましたが、チャートインしませんでした。
 ヒットはしていませんが、カスケーズらしいやさしいヴォーカルとサウンドで、アメリカンポップスらしいナンバーです。
 
 
 
 
 
  ”悲しいわけは”のB面、”二度目のチャンスです。ドゥーワップが、ソフトでさわやかなカスケーズ・サウンドにアレンジされています。  (Kann Dorao)
 
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1963年の洋楽 ⑬ カスケーズ 「悲しき雨音」

 
 
   洋楽ファンでなくても一度は聴いたことのある、アメリカンポップス名曲中の名曲、 カスケーズ(Cascades)の"悲しき雨音(Rythm of the Rain)"(東芝7B-14)です。
 米国では1963年1月にヴァリアント(Valiant)レーベルからリリースされ、最高位3位にランクされました。
 「TBS今週のベストテン」では4月1日に20位で初登場、5月6・13・20・27日、,6月10日の5週にわたり、ベスト1になる大ヒットになり、6月26日まで10以内にランクされました。洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1963年年間ベスト100」で2位に選ばれています。
 また1968年には日本でリバイバルヒットを記録、洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1968年年間ベスト100」で18位に選ばれています。 
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1963年の洋楽 ⑪ ナット・キング・コール 「That Sunday That Summer」

 
  ナット・キング・コールの”That Sunday That Summer"です。”ランブリンローズ”と同じ、Joe Shermanの作曲で米国では1963年8月にリリースされ、最高位12位にランクされました。日本ではヒットしていませんが、個人的に大好きな曲です。
 
 
 
 
    1963年イギリスのBBCテレビに出演した時の映像です。
 歌もコーラスもオーケストラの演奏も、夢見るようになんとロマンチックで美しいのでしょうか。この映像から5年後には、長髪とひげとヒッピーと麻薬文化の「ロックの時代」になってしまうのですから、感慨深いものがあります。   (Kann Dorao)
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1963年の洋楽 ⑩ ナット・キング・コール 「暑い夏をぶっとばせ」 「ランブリンローズ」

 
 
  ナット・キング・コール(Nat King Cole))は、アメリカのジャズ・ピアニスト、歌手です。1939年自らのピアノトリオを編成しますが、1943年からは歌手として独立。キャピタルレコードから多くのヒット曲を送り出しています。ジャズからポピュラー・映画音楽・ラテンまで幅広いレパートリーを持っています。
 UPしたのは”暑い夏をぶっとばせ(Those Lazy-Hazy-Crazy Days of Summer)で、米国では1963年5月にリリースされ、最高位6位にランクされるヒットになりました。
 「TBS今週のベストテン」では7月15日に19位で初登場、8月5日に最高位10位、8月16日まで20以内にランクされました。洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1963年年間ベスト100」で64位に選ばれています。 
 
 
 
 
 
 
 
  ナット・キング・コールの”ランブリン・ローズ(Ramblin' Rose)”です。米国では1962年8月にリリースされ、最高位2位にランクされるヒットになりました。
 「TBS今週のベストテン」では1月10日に16位で初登場、1月17日に最高位9位、3月21日まで20以内にランクされました。洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)では、「1963年年間ベスト100」で55位に選ばれています。   (Kann Dorao) 
 
 
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パク・ヨンホ作詞 「4大門を開けろ」

 

 ”4大門を開けろ”は1945年に日本が敗戦して、朝鮮が日本の植民地支配から開放された1週間後に作られた曲です。
 KBSの音楽番組「歌謡舞台」の「光復節70周年記念特集」と、「作詞家パク・ヨンホ特集」で歌われました。愛国心を鼓舞するようなマーチですが、内容はだいぶ違います。歌詞を見ると、植民地からの解放で、朝鮮の人々が「自由と自治」の精神に喜びあふれています。
 労働者・農民・青年学生、理想・自由と平等、そして「新しい世の中」はこれまでの権力者や地主や大金持ではなく、無辜(むこ)の民や大衆のものと表現されていると思います。
 この歌を聴くと、1945年8月15日以降の朝鮮は希望や理想に燃えて、新国家を築こうととしていたのだなあと、深く感じるものがあります。
 
   ”4大門を開けろ”
 
 4大門を開けろ 鐘を鳴らせ 半万年の地に 夜が明ける
 労働者よ 農民よ 青年学生よ 新しい世は我々のもの 前へ前へ
 
 鎖を切れ 翼を広げ 半世紀の涙は 気にするな
 自由民よ 同志よ 海外同胞よ 新しい世は我々のもの 前へ前へ
 
 太陽の下を歩け 我々の理想 自由と平等の ドラを打て
 溶鉱炉よ 鍬(くわ)よ 金槌(かなづち)よ 新しい世は我々のもの 前へ前へ
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ソン・ソヒ 「私が去ったら」「彷徨」「アリラン」

 
 
 2008年にKBS「全国のど自慢」で優勝して11才でデビューしたソン・ソヒは今年10月で19才になります。国楽少女として奇跡の歌声を聴かせて、多くの人々に感動を与え続けています。
 だんだん成長するにしたがって、ソン・ソヒ独自のクロスオーバーした音楽性を模索しているようです。その一環として「不朽の名曲」「ユ・ヒョルのスケッチブック」などの音楽番組に出演しています。少女から大人の女性へと成長するに従い、声帯の変化もあり、声が太くなったような気がします。ピンと張った糸に力強さを足したようなこれまでの声に艶やかさが増したようです。
 デビューの頃、大人になったら何になりたいかと聞かれ、「無形文化財になること」と答えたそうです。
 ”私が去ったら”は「不朽の名曲チョ・スミ編」で一番手として登場。この番組には歌の上手な歌手達が出場しますので、ソン・ソヒは国楽風なアレンジで歌いました。でも私は少し不満です。もっと国楽に近づけてほしかった。ソン・ソヒからはパンソリや民謡の節まわしを聴きたいと思っています。
 
   私が去ったら
 
 寂しげな月明りの下 私の影が見えたら
 話してみようか この思いを聴いてほしいと
 夜明けを告げる風が吹いたら 
 ため息をつくように尋ねてみよう 
 私はなぜ生きているのか
*悲しくても私は生きる 悲しいから私は生きる
 この命がつきればわかるだろう 私が生きた理由を*
 私が逝った後覚えてくれる人に
 悲しみまでも愛していたと言ってほしい
*~*
 私が逝って悲しむ人に
 悲しみの中でも私は幸せだったと
 信じてほしい 信じてほしい
 
 
 
 
 
 
 
 
  2015年放送の「不朽の名曲ク・チャンモ編」から”彷徨”。
 ”私が去ったら”よりこちらの”彷徨”のほうがいいかなと思います。それにしてもソン・ソヒは観ているだけでうれしくなります。ますます美人になるし、衣装がとっても美しい。母親がマネジメントしているのでソン・ソヒのイメージを壊さないフワっと優しいコーディネートは本当に素敵です。センスがよいのでしょうね。
 
  彷徨
 
*私が歩く道に暗闇が迫ると 空には小さな星がひとつ
 その道をたった一人で歩く むなしい足取りだけ*
*~*
**紫色の街灯の下で口笛を吹く 
 灯りの消える窓を見ると悲しくなるだけ
 風よ吹け 私の頬に 悲しみを消すように
 風よ吹け 私の心に 虚しさを消すように**
 風に吹かれて落ちる落ち葉のように寂しくなる
**~**
 
 
 
 
 
 
 
  KBS「開かれた音楽会」より”アリラン”。韓国を代表する曲をソン・ソヒ節で。歌いなれていて余裕さえ感じます。本当にきれいなソン・ソヒ。
 トークをするソン・ソヒは天然っぽくて、純粋培養な気がします。思ったことを正直に答えるので笑いをさそったりしていました。
 
 
 
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