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ドゥルヴァル・フェレイラ ➄「E Nada Mais」オス・ガトス、クアルテート・エン・シー

 

 ドゥルヴァル・フェレイラ('Durval Ferreira)(1935~2007年)はブラジルのギタリスト、作曲家、編曲家で、1970年代からはプロデューサーとしても活躍しました。エウミール・デオダート(Eumir Deodato)やタンバ・トリオ(Tamba Trio)と関係が深く、タンバ・トリオの初期のアルバムに参加しています。”Chuba”, "E Nada Mais", "Estamos Ai" ."Tristeza de Nos Dois" ,"Balanco Zona Sul"などを作曲しています。

 

 

 ドゥルヴァル・フェレイラとエウミールデオダートの二人をリーダーとするオス・ガトス(Os Gatos)の2枚目のアルバム「Aquele Som Dos Gatos」(1966年)から”E Nada Mais”です。

 オス・ガトスは1964年に一枚目のアルバムをリリース、アルバム「Aquele Som Dos Gatos」はフルートやトロンボーンが強化され、ストリングスも加わるなど前作よりさらに洗練されています。”E Nada Mais”も数多くの録音の中で最高の出来だと思います。ヴォーカルとコーラス、管楽器の演奏、デオダートの編曲が素晴らしいです。

 

 

 

 ブラジルの女性コーラス・グループ最高峰、クアルテート・エン・シー(Quarteto Em Cy)のアルバム「The Girls From Bahia」(1968年)から”E Nada Mais”です。米国のワーナー・レコードから2枚目のアルバムで、制作はアロイジオ・ジ・オリヴェイラ、編曲はオスカー・カストロ・ネヴィスです。

 

 

 

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ルイス・ボンファ ④ 映画「黒いオルフェ」より「カーニヴァルの朝」バーデン・パウエル

 

 ルイス・ボンファ(Luiz Bonfa)のアルバム「o Violao de Luiz Bonfa(」1959年)から”カーニヴァルの朝(Manha de Carnaval)”です。

 このアルバムは「黒いオルフェ」の作曲者として一躍有名なったルイス・ボンファに目を付けた米国の旅行会社「Cook」が、ダイレクト録音のテープ・レコーダーをブラジルのリオに持ち込んで録音したものです。内容は完全なソロ・アルバムで、”ナイト・アンド・デイ(Night And Day)”など2曲を除きルイス・ボンファの作品です。バックがつかない分ボンファのギター、テクニックを充分に味わうことができます。

 2005年にスミソニアン博物館が、Cookが寄贈したマスターテープを基にして「o Violao de Luiz Bonfa」に別テイクを含めた未発表17曲を追加収録した、CD「Solo in Rio」をリリースしました。音質も良く、ボンファのギターの素晴らしさを知るために必携のアルバムです。

 

 

 

 ブラジルのギタリスト、バーデン・パウエル(Baden Powell)のアルバム「Tristeza on Guiter」(1968年)から”カーニヴァルの朝”です。

 1967年にヨアヒム・ベーレントがプロデュースするベルリン・ジャズ・フェスティバルで絶賛をあびたバーデン・パウエルが、11月にヨーロッパのジャズミュージシャンと録音したものです。

 

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ルイス・ボンファ ③ 映画「黒いオルフェ」より「カーニヴァルの朝」スティーヴ・ローレンス、イーディー・ゴーメ、Rio 65 Trio

 

 スティーヴ・ローレンス、イーディー・ゴーメ、ルイス・ボンファが共演したアルバム「Steve & Eadie Bonfa & Brasil」(1967年)から”カーニヴァルの朝(A Day in the Life of  Foo)l”です。”カーニヴァルの朝(”は英語詞が付けられ”A Day in the Life of  Foo”のタイトルで歌われています。スティーヴ・ローレンスの歌にルイス・ボンファがギター伴奏しています。

 スティーヴ・ローレンス、イーディー・ゴーメの温かいいヴォーカル、見事なエウミール・デオダートのアレンジとルイス・ボンファのギター、私は米国のボサノヴァ・アルバムの中で、この「Steve & Eadie Bonfa & Brasil」がベストだと思います。

 ただ1970年代に日本でLPで再発された後、CDになってからは1987年に日本で再発されただけで廃盤になっています。珍しい、希少盤といえるボサノヴァのアルバムまでCD化されているのに、このアルバムをCDで気軽に聴けないのは残念としか言いようがないです。

 

 

 

 ブラジルのピア・ノトリオ「Rio 65TRio」のデビューアルバム「Rio 65TRio」(1965年)から”カーニヴァルの朝”です。Rio 65TRio はエヂソン・マシャード(Edison Machado)(ドラム)が結成、ドン・サルヴァドール(Don Sarvador)のピアノ、セルジョ・バローゾ(Sergio Barroso)のベースからなるジャズ・ピアノ・トリオです。ハード・バップ・ピアノ・トリオに多い、高速でアドリブをすることなく、メロディーの美しさを充分に活かした演奏です。

 

 

 

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ルイス・ボンファ ② 映画「黒いオルフェ」より「 カーニヴァルの朝」アストラッド・ジルベルト、ジョアン・ドナート

 

 アストラッド・ジルベルト(AStrad Gilbert)の2枚目アルバム「The Shadow of Your Smile」(1965年)から”カーニヴァルの朝(Manha de Carnaval)”です。淡く爽やかなアストラッド・ジルベルトの歌に、ルイス・ボンファのギターがやさしく寄り添っています。アストラッド・ジルベルトはルイス・ボンファの作品と相性が良く、カーニヴァルの朝”は”ジェントル・レイン(Gentle Rain)”と並ぶ名唱だと思います。

 アルバム「The Shadow of Your Smile」は、デビュー・アルバムの「AStrad Gilbert Album」(1965年)とほぼ同じ頃に録音され、プロデュースはクリード・テイラー(Cleed Taylor)、曲の特徴に応じてクラウス・オガーマン(Claus Ogerman、ドン・セベスキー(Don Sebesky)、ジョアン・ドナート(Joao Donato)がアレンジを提供しています。

 

 

 

 ブラジルのピアニスト、ジョアン・ドナート(Joao Donato)のアルバム「The New Sound of Brasil」(1965年)から”カーニヴァルの朝”です。「The New Sound of Brasil」はボサノヴァ作品集で、アレンジはクラウス・オガーマンです。ジョアン・ドナートのピアノ、トロンボーン・ソロ、管楽器のアレンジが繊細で美しい演奏です。

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ルイス・ボンファ ① 映画「黒いオルフェ」より「カーニバルの朝」「オルフェのサンバ」

 ボサノヴァの最重要アーティストの一人、ブラジルのギタリストで作曲家でもあるルイス・ボンファ(Luiz Bonfa)(1922~2001年)の紹介をしていきます。安岡孝一・安岡素子様のルイスボンファのディスコグラフィーを参考にさせて頂いています。ルイスボンファのディスコグラフィーとして世界最高のものだと思います。安岡孝一・安岡素子様には感謝の気持ちしかありません。ありがとうございます。

 ルイス・ボンファは11歳でクラッシック・ギタリスト、イサイアス・サビオに師事し、熱心にギターを学びました。ボンファが初めて広く知られるようになったのは、1947年にラジオ・ナショナルに取り上げられてからで、新進気鋭の才能豊かな音楽家として認められていきました。1940年代後半にはボーカル・グループ「Quitandinha Serenaders」のメンバーでした。

 ルイス・ボンファは1945年にSPをContinentalレコードで初レコーディング、1949年までに自身の楽団、「Quitandinha Serenaders」の録音も含めてSPを14枚リリース.1950~1952年にはオデオン・レコードからQuitandinha SerenadersのSPを12枚録音しました。

 1951年からは自身の楽団の他、ギタリストとして男性歌手ディック・ファルネイ(Dick Farney)、ルシオ・アルヴェス(Lucio Alves)などのブラジルの歌手の伴奏も務め、1957年2月まにでContinentalレコードから35枚のSP、1955年にはSinterレコードから2枚のSPをリリースしました。1957年にPolidorレコードからディック・ファルネイのバックで4枚のSPを録音。1957年8月から1962年までオデオン・レコードから10枚のSPをリリースしました。初LPは10吋レコード(8曲入り)「Luiz Bonfa」で、1955年にContinentalレコードからリリースされました。

  ブラジル・フランス・イタリア合作の映画「黒いオルフ(Black Orphues/Orpheu Nigro」(1959年)はマルセル・カミュの監督で、カンヌ国際映画祭でパルムドール、アカデミー外国映画賞、英国アカデミー賞などを受賞しました。ルイス・ボンファとアントニオ・カルロス・ジョビンが音楽を担当し、ルイス・ボンファが作曲した”カーニヴァルの朝(Manha de Carnaval)”と”オルフェのサンバ(Samba de Orfeu)”は世界中でヒットし、ルイス・ボンファの名は一躍有名になりました。

 

 

 

 「黒いオルフェ」のサウンド・トラックからアゴスティーニョ・ドス・サントス(Agostinho dos Santos)の歌で”カーニヴァルの朝”です。ルイス・ボンファの伴奏で録音しましたが、サントスはホベルト・メネスカル(Robert Menescal)のギター伴奏で録音をしてしまったため、ルイス・ボンファの演奏は前半部分のギターだけになってしまいました。

 

 

 ルイス・ボンファのギター伴奏、エリゼッチ・カルドーソ( Elizeth Cardoso)の歌で”カーニヴァルの朝”です。映画のために録音されましたが、映画では使われませんでした。

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ジョアン・ジルベルト ③「E Luxo So」「Rosa Morena」「Ho-Ba-La-La」

 

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)のファースト・アルバム「Chega de Saudade」(1959年)から"E Luxo So”です。ブラジルの国民的作曲家のアリ・パポーザ(Ary Barrosa)(1903~1964年)の”作品です。ジョアン・ジルベルトは昔のサンバやサンバ・カンソンでも自分の好きな曲をレパートリーにしていますが、この曲も気持ちよさそうに歌っています。

 

 

 

 ジョアン・ジルベルトのファースト・アルバム「Chega de Saudade」から"ホーザ・モレーナ(Rosa Morena)”です。ブラジル音楽の重鎮で、作曲家・作詞家・歌手のドリヴァル・カイミ((Dorival Caymm()1914~i2008年)の作品です。

 

 

 

 ジョアン・ジルベルトの2枚目のSP「デサフィナード(Desafinado)」のB面「オーバララ(Ho-Ba-La-La」です。ジョアン・ジルベルトの作詞、作曲でファースト・アルバム「Chega de Saudade」に収録されています。

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ジョアン・ジルベルト ②「Aos Pes Da Cruz」「Morene boca de ouro」

 「ボサノヴァの歴史」(ルイ・カストロ著)で”すべてを変えた1分59秒”と呼ばれた、ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)のSP”想いあふれて(Chegade Saudade)”と”ビンボン(Bimbom)”は1958年8月にリリースされました。続いてSP”デサフィナード"と”オバララ(Ho-Ba-La-La)”が1959年11月にリリースされました。

 アントニオ・カルロス・ジョビンはジョアン・ジルベルトのLPを制作するために、オデオン・レコードに働きかけ、1959年1月にファースト・アルバムの録音が始まりました。

 SPで発売された4曲以外にジョビン作曲の”喧嘩にさよなら(Brigas Nunca Mais)”、カルロス・リラの”Lobo Lobo”"Saudade Fez Um Samba""マリア・ニンゲン(Maria ninguem)”、アリ・パポーザの”Morene boca de ouro” "E Luxo Só"、 ドリヴァル・カイミの”ホーザ・モレーナ(Rosa Morana)”、マリーノ・ピントの"十字架の木の下で(Aos Pés da Cruz)"の録音が2月4日に終わり、ファースト・アルバム「Chega DE Saudade」は4月にリリースされました。

 「ボサノヴァの歴史」(ルイ・カストロ著)より

 

 

 ボサノヴァの歴史を作った、ジョアン・ジルベルトのファースト・アルバム「Chega DE Saudade」(1959年)から、マリーノ・ピント(Marino Pinto)の"十架の木の下で(Aos Pes Da Cruz"です。

 マリーノ・ピントは300曲以上作曲し、"十字架の木の下で(Aos Pes Da Cruz"はマリーノ・ピントの最初の大ヒット曲です。ジョビンとの共作も”数学の授業(Aula de matemadica””スセデウ・アシム(Sucedeu assim)”他全5曲あります。

 ジョアン・ジルベルトの小さな声でスムースに歌うヴォーカルは、それまでのブラジル音楽にはないものでした。若く瑞々しい歌声も素晴らしいです。 

 

 

 

 ジョア・ンジルベルトのファースト・アルバム「Chega DE Saudade」から、アリ・パポーザ(Ary Barrosa)(1903~1964年)の”Morene boca de ouro”です。アリ・パポーザはブラジルの国民的作曲家で、”ブラジルの水彩画(Aquarela Do Brasi)l”は1942年にディズニー映画に使われ、世界中で多くの歌手や演奏家に録音されました。

 ジョア・ンジルベルトはボサノヴァやモダンなナンバーにこだわらず、自分が好きな昔のサンバやサンバ・カンソンの曲をレパートリーにしていました。

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ワルター・ワンダレイ ⑥「It Hurts to Say Goodbye(さよならを教えて)」フランソワーズ・アルディー

 

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 ブラジルから渡米後、クリード・テイラー(Creed Taylor)のプローデュスで傑作アルバム「Rain Forest」(1966年)を録音したワルター・ワンダレイの「Cheganca」に次ぐ、米国での3枚目のアルバム「BATACUDA」(1967年)から、”It Hurts to Say Goodbye”です。

 この曲のオリジナル」は米国のポピュラー歌手マーガレット・ホワイティング(Margaret Whiting)で、アルバム「The Wheel of Hurt」1966年 )に収録されました。英国の歌手ヴェラ・リン(Vera Lynn)が1967年に録音、ビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートで7位にランクされました。2人ともドラマチックに歌い上げるアレンジです。

 ワルター・ワンダレイはソフトで美しいロマンチックなアレンジにして、メロディーの良さを引き出し、新しい曲のように生まれ変わらせました。ヴェラ・リンの歌と聴きくらべると、同じ曲なのかと思ってしまうほどです。

 

 

 

 

 フランスの女性歌手フランソワーズ・アルディー( françoise hardy)は、”It Hurts to Say Goodbye”を、ワルター・ワンダレイとカラヴェリのアレンジをベースにフランス語の歌詞をつけ、”Comment dire adieus”のタイトルで録音、1968年にEPとシングルをリリースしました。

 日本では1973年に”さよならを教えて”の題名でシングルがリリースされ、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1973年年間チャートで58位に選ばれています。

 

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ワルター・ワンダレイ ⑤ 「Samba De Bossa」「Samba Brasileiro」

 

 

  ブラジルのオルガン奏者ワルター・ワンダレイが渡米前に、1965年にブラジルでサンバと名のつく曲を集めて録音したアルバム「Walter Wanderley/Samba So!」から”Samba De Bossa”です。作曲はこのアルバムに参加しているギタリストのエラルド・ド・モンチ(Helard do monte)です。

 

 

 

 ワルター・ワンダレイのアルバム「Walter Wanderley/Samba So!」から”Samba Brasileiro"です。ワルター・ワンダレイほこの曲をアルバム「Samba E' Samba Com Walter Wanderley」(1961年)でも録音していますが、ボサノヴァ以前とボサノヴァ以降のサウンドの差が歴然としています。

 

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ドルヴァル・フェレイラ ④「Chuba」クラウデッチ・ソアレス、オス・ガトス、

 ドルヴァル・フェレイラ(Durval Ferrira) はブラジルの作曲家、編曲家、ギタリストで、タンバ・トリオ、エウミール・デオダートなどと演奏しています。作曲家としては、”Chuva” "Balanco Zona Sul" "Tristeza De Nos Dois" "E Nada Mais" "Estamos Ai"などの名曲を残しています。

 

 

 ブラジルの女性歌手クラウデッチ・ソアレス(Claudette Soares)の2枚目のアルバム「Claudette Soares」から、”Chuva”です。

 クラウデッチ・ソアレスは1950年代後半から、ルイス・エサ(Luiz Eca)のコンボと共にボサノヴァを歌い始め、デビュー・アルバム「E Dona Da Bossa 」(1964年)はボサノヴァ・アルバムとして高い評価を受けました。

 2枚目のアルバム「Claudette Soares」はジャズ・ピアニストのマンフレッド・フェスト(Manfred Fest)、ジョンゴ・トリオ(Jongo Trio)など7種類ものトリオ、オーケストラでレコーディングされ、女性歌手のボサノヴァ・アルバムとしては最高のものの一枚に数えられています。

 

 

 

 ドルヴァル・フェレイラ とエウミール・デオダート(Eumir Deodato)をリーダーとするバンド「オス・ガトス(Os Gatos)」(1964年)のファースト・アルバム「Os Gatos」から”Chuva”です。

 オス・ガトスはドルヴァル・フェレイラ とエウミール・デオダートの他に、ハーモニカのマウリシオ・アインホルン(Mauricio Einhorn)、フルートのベベート(Bebeto)、ギターのネコ(Neco)、サックスのパウロ・モウラ(Paulo Moura)、ドラムのウィルソン・ダス・ネヴィス(Willson das Neves)など、当時最高クラスのスタジオ系アーティストが1964年に一時的に結集して作られたグループです。1966年にセカンド・アルバムをリリースしています。

 

 

 

 

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