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ワルター・ワンダレイ ⑥「It Hurts to Say Goodbye(さよならを教えて)」フランソワーズ・アルディー

 

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 ブラジルから渡米後、クリード・テイラー(Creed Taylor)のプローデュスで傑作アルバム「Rain Forest」(1966年)を録音したワルター・ワンダレイの「Cheganca」に次ぐ、米国での3枚目のアルバム「BATACUDA」(1967年)から、”It Hurts to Say Goodbye”です。

 この曲のオリジナル」は米国のポピュラー歌手マーガレット・ホワイティング(Margaret Whiting)で、アルバム「The Wheel of Hurt」1966年 )に収録されました。英国の歌手ヴェラ・リン(Vera Lynn)が1967年に録音、ビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートで7位にランクされました。2人ともドラマチックに歌い上げるアレンジです。

 ワルター・ワンダレイはソフトで美しいロマンチックなアレンジにして、メロディーの良さを引き出し、新しい曲のように生まれ変わらせました。ヴェラ・リンの歌と聴きくらべると、同じ曲なのかと思ってしまうほどです。

 

 

 

 

 フランスの女性歌手フランソワーズ・アルディー( françoise hardy)は、”It Hurts to Say Goodbye”を、ワルター・ワンダレイとカラヴェリのアレンジをベースにフランス語の歌詞をつけ、”Comment dire adieus”のタイトルで録音、1968年にEPとシングルをリリースしました。

 日本では1973年に”さよならを教えて”の題名でシングルがリリースされ、「八木誠の洋楽ヒットチャート大事典」では1973年年間チャートで58位に選ばれています。

 

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ワルター・ワンダレイ ⑤ 「Samba De Bossa」「Samba Brasileiro」

 

 

  ブラジルのオルガン奏者ワルター・ワンダレイが渡米前に、1965年にブラジルでサンバと名のつく曲を集めて録音したアルバム「Walter Wanderley/Samba So!」から”Samba De Bossa”です。作曲はこのアルバムに参加しているギタリストのエラルド・ド・モンチ(Helard do monte)です。

 

 

 

 ワルター・ワンダレイのアルバム「Walter Wanderley/Samba So!」から”Samba Brasileiro"です。ワルター・ワンダレイほこの曲をアルバム「Samba E' Samba Com Walter Wanderley」(1961年)でも録音していますが、ボサノヴァ以前とボサノヴァ以降のサウンドの差が歴然としています。

 

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ドルヴァル・フェレイラ ④「Chuba」クラウデッチ・ソアレス、オス・ガトス、

 ドルヴァル・フェレイラ(Durval Ferrira) はブラジルの作曲家、編曲家、ギタリストで、タンバ・トリオ、エウミール・デオダートなどと演奏しています。作曲家としては、”Chuva” "Balanco Zona Sul" "Tristeza De Nos Dois" "E Nada Mais" "Estamos Ai"などの名曲を残しています。

 

 

 ブラジルの女性歌手クラウデッチ・ソアレス(Claudette Soares)の2枚目のアルバム「Claudette Soares」から、”Chuva”です。

 クラウデッチ・ソアレスは1950年代後半から、ルイス・エサ(Luiz Eca)のコンボと共にボサノヴァを歌い始め、デビュー・アルバム「E Dona Da Bossa 」(1964年)はボサノヴァ・アルバムとして高い評価を受けました。

 2枚目のアルバム「Claudette Soares」はジャズ・ピアニストのマンフレッド・フェスト(Manfred Fest)、ジョンゴ・トリオ(Jongo Trio)など7種類ものトリオ、オーケストラでレコーディングされ、女性歌手のボサノヴァ・アルバムとしては最高のものの一枚に数えられています。

 

 

 

 ドルヴァル・フェレイラ とエウミール・デオダート(Eumir Deodato)をリーダーとするバンド「オス・ガトス(Os Gatos)」(1964年)のファースト・アルバム「Os Gatos」から”Chuva”です。

 オス・ガトスはドルヴァル・フェレイラ とエウミール・デオダートの他に、ハーモニカのマウリシオ・アインホルン(Mauricio Einhorn)、フルートのベベート(Bebeto)、ギターのネコ(Neco)、サックスのパウロ・モウラ(Paulo Moura)、ドラムのウィルソン・ダス・ネヴィス(Willson das Neves)など、当時最高クラスのスタジオ系アーティストが1964年に一時的に結集して作られたグループです。1966年にセカンド・アルバムをリリースしています。

 

 

 

 

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ジョアン・ジルベルト ①「想いあふれて」「ビンボン」

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)(1931年~2019年)はブラジル北東部ジュアゼイロに生まれ、1946年に父からギターを貰い夢中になり、音楽の道に進みました。リオデジャネイロで、1949年にヴォーカル・グループのガロートス・ダ・ルア(Garotos Da Rua)に参加、2枚のSPレコードを録音しました。1952年には独立し、SP「Quand El Sai」をリリースしますがヒットせず、その後数年間クラブでの演奏の仕事も殆どなく、友人のミュージシャンのアパートに居候するなど不遇な時代が続きました。

 1955年の初めには失意のどん底にあり、最後の友人であったキタンヂーニャ・セレナーデルのメンバーのルイス・テリスは、ジョアンをテリスの出身地のポルト・アレグレの高級ホテルで休養させます。ジョアンは街のクラブで歌手の伴奏をし、ギター・テクニックに多くの人が感嘆、地元の人気者になりますが、ルイス・テリスがグループを再編するためにリオへ戻らなければならず、ジョアンをミナス州のヂアマンテスに住んでいる彼の姉に預かってもらうようにします。ジョアンは1955年の9月から姉の家に住むようになり、1956年5月まで8ヵ月間ヂアマンテスで暮らしましたが、ほとんど外出もせず、とり憑かれたように一日中ギターを弾きはじめ、数年後にはすべてを変えてしまう音楽の創造に打ち込んでいきます。「ボサノヴァの歴史 ルイ・カストロ著 」(音楽之友社)より   

 

 

 

 ジョアン・ジルベルトのデビュー・シングル(SP)「想いあふれて(Chega de Saudade)」、作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)、作詞はヴィニシウス・ヂ・モラエス(Vinicius de Moraea)です。

 1957年にリオではジョアン・ジルベルトの革新的なギターとヴォーカルは、ミュージシャンの間では良く知られるようになっていました。アントニオ・カルロス・ジョビンは1958年の初めにはジョアン・ジルベルトが歌う”想いあふれて”をアセテート盤に録音し、レコーディングできるように奔走していました。ジョビンはオデオン・レコードのプロデューサーのアローイジオ・デ・オリヴェイラを納得させ、7月にジョアン・ジルベルトの”想いあふれて”と”ビンボン(Bim Bom”の録音が行われました。

 

 

 

 ジョアン・ジルベルトのデビュー・シングル(SP)、”ビンボン”です。作詞・作曲はジョアンジルベルトです。

 

 

 

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バーデン・パウエル ⑤「Apelo」クアルテート・エン・シー&タンバ・トリオ、エリゼッチ・カルドーソ&バーデンパウエル

 

 クアルテート・エン・シー(Quarteto Em Cy)が第2期タンバ・トリオ(Tamba Trio)と組んで作ったアルバム「Som Definivo 」(1966年)から”Apelo”です。

 クアルテート・エン・シーはブラジルの4人組女性コーラスグループで、フォルマレーベルからファースト・アルバム「Quarteto Em Cy」(1965年)をリリース、「Som Definivo 」は2枚目のアルバムです。タンバ・トリオはピアノのルイス・エサ(Luiz Eza)、ベース・フルート・ヴォーカルのペペート(Bebeto Castilho)、ドラムスは初代のエルシオ・ミリート(Helcio Milito)からルーベンス・オアーナ(Rubens Ohana)に交代しています。クアルテート・エン・シーはルイス・エサが編曲した、難易度が高い高度なコーラス・アレンジを見事に歌いこなしています。

 

 

 

 エリゼッチ・カルドーソ(Elizeth Cardoso)(1920~1990年))が、1986年に「TV Globo」の音楽番組に出演した際のヴィデオから、バーデン・パウエル(Baden Bowell)のギター伴奏で「Apelo」です。

 エリゼッチ・カルドーソは1940年代後半から活躍するブラジルの名歌手で、日本でも評価が高くアルバムも数多く紹介されてきました。ただ個人的には歌が上手いためか押しつけがまさを感じてしまう時があり、今まではアントニオ・カルロス・ジョビンの曲でもUPしてきませんでした。しかし66歳になってからのこのライヴでは、エリゼッチの真摯な歌そのものがストレートに心に伝わりました。伴奏のバーデン・パウエルのギターも素晴らしく、舞台袖で真剣に見つめるシコ・ブアルキ(Chico Buarqui)の表情が印象的です。

 

 

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ドルヴァル・フェレイラ ③「Chuva」バーデン・パウエル、サンサ・トリオ

 

 バーデン・パウエル(Baden Powell)のアルバム「Tempo Feliz」(1966年)から、ドゥルヴァル・フェレイラ(Druval Ferreira)作曲の"Chuva"です。ハーモニカはマウリシオ・アインホルン(Mauricio Einhorn)で、しっとりとした美しさは格別です。

 

 

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 サンサ・トリオ(Sansa Trio)のセカンド・アルバム「Vol.2」(1966年)から”Chuva”です。サンサ・トリオはピアニスト・編曲家・作曲家のジョゼ・ブリアモンチ(Jose Briamonte)が1960年代半ばに率いていたボサ・ピアノ・トリオで、1965年にファースト・アルバム「Sansa Trio」をリリース。セカンド・アルバムのメンバーはジョゼ・オルドニェス(Jose Ordonez)(b)、アイルト・モレイラ(Airto Moreira)((ds)です。

 

 

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ドゥルヴァル・フェレイラ ②「Chuva」シルヴィア・テリス、クアルテート・エン・シー、

 ドゥルヴァル・フェレイラ作曲、ペドロ・カマルゴ(Pedro Camargo)作詞の”Chuva”は、英語詞で”The Day It Rained”、”Rain”のタイトルがつけられています。

 

 

 シルヴィア・テリス(Sylvia Telles)のブラジル録音のアルバム「It Might as Well Be Spring」(1966年)から”Rain(Chuva)”です。このアルバムは米国ではKAPPレコードから「The Face I Love」のタイトルでリリースされました。12曲中10曲を母国のポルトガル語ではなく英語で歌っていますが、シルヴィア・テリスは英語のイントネーションが良いので違和感は全くありません。品格と爽やかさを持った声質で、"Chuva(Rain)"のヴォーカル・ヴァージョンではベストだと思います。

 

 

 

 ブラジルの女性コーラス・グループ、クアルテート・エン・シー(Quarteto Em Cy)が渡米後に、米ワーナーからリリースした2枚目のアルバム「Revolution con Brasillia(The Girl from Bahia)」(1968年)から、"Chuva(The Day It Rained)"です。編曲はオスカー・カストロ・ネヴェス(Oscar Castro Neves)です。

 

 

 

 

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バーデン・パウエル ④「Apelo」バーデン・パウエル

 

 バーデンパウエルがブラジルのFormaレーベルに録音したアルバム「Tempo Feliz」(1966年)から名曲の”Apelo”です。作曲はバーデン・パウエル(Baden Powell)、作詞はヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius De Moraesです。バーデン・パウエルの寛いだ美しい演奏が聴けます。

 「Tempo eFliz」はギター、ベース(Edison Lobo)、ドラム(Chico Batera)のトリオに。曲によってハーモニカの名手マウリシオ・アインホルン(Mauricio Einhorn)が加わる編成になっています。

 

 

 

 バーデン・パウエルのアルバム「L'Alt De Baden Powell」(1973年)から”Apelo”です。

 1972年12月にバーデン…パウエルは夫人の歌手マルシア(Marcia)とパリで休暇を楽しんでいましたが、Festivalレーベルからレコーディングの依頼があり、パリに滞在してアルバム「L'Alt De Baden Powell」を録音しました。ミュージシャンは、Guy Pedersen(b)、Joaquim Pass Hennings(dr)、Luiz Agudo(perc)、Jaininedo Waleyne(voc)です。

 

 

 

 

 

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バーデン・パウエル ③「プレリュードのサンバ」マリア・クレウーザ、オルネラ・ヴァローニ、パティ・プラヴォー

 

 女性歌手マリア・クレウーザ(Maria Creuza)、ヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius De Moraes)、トッキニーョ(Toquinho)のアルバム「La Fusa」(1970年)から、”プレリュードのサンバSamba em (Preludio)”です。トッキニーョの哀切なギター、マリア・クレウーザの透明感のあるヴォーカル、数あるカヴァーのなかで、ベスト・ヴァージョンだと思います。作詞家ヴィニシウス・デ・モラエスは1970年頃より、ギタリストで歌手、作曲家のトッキニーョとパートナーを組み、多くのアルバムをリリース、1980年にヴィニシウスが逝去するまで続きました。

 ヴィニシウスとトッキニーョはマリア・クレウーザだけではなく、女性歌手のマリリア・メダーリャ(Marilia Medarha)とアルバム「Como Diza O Poeta...Musica Nova」(1971年)、マリア・ベターニャとアルバム「Vinicius+Bethania+Toquinho En La Fusa」(1971年)を録音しています。

 

 

 

 ヴィニシウスとトッキニーョがイタリアの女性歌手オルネラ・ヴァローニ(Ornella Varoni)と共演したアルバム「La Voglia La Pazzia L'incoscienza L'allegrid」(1976年)から”プレリュードのサンバSamba em (Preludio)”です。オルネラ・ヴァローニ(1934年~)は1950年代後半から歌手、女優として活躍、1960年代にはサンレモ音楽祭に連続出場し、多くの歌がヒットしました。ミルバ(Milva)、ミーナ(Mina)と並ぶイタリアを代表する歌手です。

 

 

 

 イタリアの女性歌手パティー・プラヴォー(Patty Pravo)がヴィニシウス・デ・モラエスと歌う”プレリュードのサンバ”です。パティー・プラヴォーのアルバム「Di Vero in Fond」(1971年)からです。

 パティー・プラヴォー(1948~)は1966年にファースト・シングルをリリース、1968年には”LaBambola”がミリオン・セラーになり、年間チャートで2位にランクされる大ヒットになりました。。1970~80年代においてイタリアで最も人気のある女性歌手の一人でした。

 

 

 

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バーデン・パウエル ②「プレリュードのサンバ」ヴィニシウス&オデッチ・ララ

 

 バーデン・パウエル(Baden Powell)が、1964年にフランスのBarclay レコードにレコーディングしたアルバム「LeMonde Musical de Baden Powell」から”プレリュードのサンバ(Preluide em Samba)”です。ブラジルでは1973年に「O Melhor de Baden Powell 」のタイトルでリリースされました。バーデン・パウエルのギターにオーケストラ、チェロの伴奏女性のスキャットがフィーチャーされたとても美しい演奏です。

 

 

 

 作詞のヴィニシウス・デ・モラエス(Vinicius de Moraes)と女優のオデッチ・ララ(Odette Lala)のアルバム「Vinicius&Odette Lala」(1963年)から「プレリュードのサンバ」です。このアルバムはバーデン・パウエルの作品を集めたもので、モアシール・サントス(Moacir Santos)がアレンジを担当、エレンコレーベルの記念すべきリリース1作目です。オデッチ・ララが女優とは思えない本格的なヴォーカルを聴かせます.。

 

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