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藤永茂「人間を信じたい」

  イスラエルのガザ住民にたいする現代のホロコーストをこの年になって目の当たりにするとは、悲しくてつらくて激しく憤りを感じてしまいます。人間ってなんて残酷なんでしょう。

 尊敬する藤永先生は長きにわたりパレスチナ問題を取り上げてきましたし、筆舌に尽くし難い思いでこの出来事をとらえているのでしょう。

 それでも「人間を信じたい」というタイトルの藤永茂先生のgooブログ投稿。心が打ち震えるような記事に涙がでました。シェアさせていただきました。

     

 この日頃、しきりにアンネ・フランクとプリーモ・レーヴィの二つの名前を思っています。二人とも「人間」というものを信じたかったのだと思います。今の世界の動きを見ていると、この希求が虚しいものであるかも知れないという絶望が心を蝕んで行きます。

原爆を扱った映画には重要な作品が多数ありますが、その一つ、山田洋次監督の『母と暮らせば』の中に、長崎原爆被爆者の墓参りにやってきた老人が、原爆投下に対して、「これは人間のすることじゃない」と呟く場面があります。ここには、「本来、人間というものはもっとマシなものだ」という人間肯定の確固たる姿勢が顕示されています。私はこの映画が大好きです。

今、ガザで起こっていることは余りにも酷いものです。「これが人間か」と問わないわけには参りません。

1958年、私は渡米して、シカゴ大学の物理教室で研究生活を始めました。その頃、『アンネの日記』がベストセラーになっていました。早速買って読み出した英語訳原本は、Anne Frank : The Diary of a Young Girl というタイトルのペーパーバック版で、故ルーズベルト大統領の夫人エレノア・ルーズベルトの推薦文がついています。値段は25セント、ページもボロボロになって、今、目の前の卓上にあります。1958年発行の第4版、終わりの方はページもバラバラになってしまいました。以下に訳出するのは、1944年7月15日の日付で、友達のKitty 当てに書いた文章の締めくくりの部分です。

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「私が自分の理想を捨ててしまっていないのは本当に不思議に思えます。それらは余りにも馬鹿げていて実行不可能に見えるから。それでも、私は自分の理想を守り続けている。なぜなら、どんなことがあるにしても、つまる所、人々は善良な心を持っているのだと私は依然として信じているの。混乱、悲惨、死からなる土台の上に希望を築くことなんか、私には出来っこない。世界が徐々に荒野に変わっていくのが目に見える。  刻々と近づいてくる雷鳴が聞こえている、それは私たちを滅ぼすでしょう、何百万もの人々の悲しみが胸を締め付けるけれど、私は、それでも天を仰いで、思うの。すべてがうまくいく、この残酷さも終わり、平和と平穏が再び戻って来ると思うのよ。

 それまでの間、私は私の理想を堅持しなければならない。なぜなら、多分、いつの日か、私の理想をを実行に移せる時が来るから。    あなたのアン」

**********

 1968年、カナダのアルバータ州の州都エドモントンにあるアルバータ大学の化学部から教授職の提供を受けて、私はカナダに移住しました。そこでの生活のあれこれは、拙著『おいぼれ犬と新しい芸=在外研究者の生活と意見=』(岩波現代選書)に書きましたが、パレスチナの人々の苦難について、私の心に焼きついて、今も痛み続けている経験をしましたので、その部分を、少し長くなりますが、書き写したいと考えます。

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(『おいぼれ犬と新しい芸』p8の末尾から)

その頃日本で評判になっていた書物に、イザヤ・ベンダサン著の『日本人とユダヤ人』というのがあった。読んでみると、確かに面白く教えられることも多かったが、一方では、引っかかるところも少なくなかった。「少々、苦情を!」という章にそのよい例がある。

 「目には目を、歯には歯を この言葉はほとんどすべての日本人に知られ、そして知っている人はすべて「殴られたら殴り返せ」の意味にとる。ひどい人は、復讐の公認もしくは奨励とする。この点では、かの高名な『天声人語』氏も、造反闘士も、町のオニイチャンも差はない。しかしこの言葉は、そういう意味ではないのである。旧約聖書は日本語に訳されているのだから、ちょっとそこを開いてくれればだれにだってわかるのにと思うし、高名な知識人が、まさか原典にあたらず孫引きをやったとは思えないが、まことに不思議である・・・」。

旧約聖書でこの言葉が見える三つの箇所が訳出されていて、それから、この言葉のもとの意味を教えられ、私はおどろきもし感心もした。ここではレビ記二四章一七~二十一節を写す。

  「だれでも、人を撃ち殺した者は、必ず殺されなければならない。獣を撃ち殺

  した者は獣をもってその獣を償わなければならない。もし人が隣人に傷を負わ 

  せるなら、その人は自分がしたように自分にもされなければならない。すなわ

  ち、骨折には骨折、目には目、歯には歯をもって、人に傷を負わせたように、

  自分にもされなければならない。獣を撃ち殺した者はそれを償い、人を撃ち殺

  した者は殺されなければならない。・・・・」

この引用だけからは悪意のある解釈が可能かもしれないが、ベンダサンのいう通り、目には目を、歯には歯を、という言葉の本来の意味は、損害を与えたら正しく損害補償をせよ、ということであると思われる。

 しかし、私の知る限りでは、この言葉は、日本だけではなく、カナダでも、撲られたら撲りかえせ、という意味に使われている。いったい、カナダ人は原典の意味を知っているのだろうか、知らないのだろうか。

 私の好奇心は次第にふくらんで、ある日、CHEM100 のクラスの学生たちに聞いてみたのである。「目には目を、歯には歯を、という言葉を、君たち知っているか?」教室内には笑い声が流れ、一人の学生が、「やれやれ、この東洋人の教師はこんなによく知られた英語の表現も知らないのか」といった調子で、「それは、目をやられたら相手の目をつぶす、歯を折られたら折り返す、ということだ」と教えてくれた。

 私は待ってましたとばかりに「旧約聖書にある本来の意味は、それとは違うのを君たちは知っているか」とやり返した。すると、クラス全体が シーンと静まり返ってしまったのである。その無知をわらったつもりだった東洋人教師から、逆に、聖書の読み方が足らん、と切り返される始末になった。私は「旧約聖書の 出エジプト記二一章、レビ記二四章、申命記一九章を読んでみたまえ」と言い渡すと、スヌーピーのような涼しい顔をして化学の講義に戻ったが、内心では嗜虐的な快感を楽しんでいたことを白状しておこう。

 ところが、講義をすませて部屋にもどって一息ついたところに、ドアをノックして入ってきた一人の学生があった。ひきしまった美しい顔立ちは、鋭い知性と野生的な要素の奇妙な混合と見えた。

「私はパレスチナ人です。私は、あの言葉の原典での意味を知っていました。クラスの中のユダヤ人たちも知っていたと思います。しかし、彼らは何も言えなかったのです。あなたは、イスラエル軍がレバノン国内のパレスチナ難民部落に対して行なっていることをどうお考えですか。その難民部落で生まれ育ったパレスチナ人の若者が、思い詰めた挙句に、決死の反撃をイスラエルにたびたびに、イスラエル軍が、どのような残忍さでパレスチナ難民部落に襲いかかるか、あなたはご存知ですか?」

 私は当惑した。この青年は、旧約に記されている意味に違反した目には目を、歯には歯を、を実行しているのは、まさにイスラエルではないか、と私に言わせたいのだ。しかし、パレスチナ問題について、はっきりした判断を下すだけの見識を私はもちあわせてはいない。それを口実にして、私は、とうとう言葉を濁してその青年の期待にそわなかった。しかし、彼は、失望の色も見せず、また話に来ると言って、立ち上がった。

 それからしばらくして、その青年はまた私の部屋にやってきた。エドモントンのパレスチナ人の集会で、日本人のパレスチナ問題観について話をしてくれ、という。私は、改めて自分の無知を述べ辞退しようとしたが、「イスラエル側は世界中に強力な情宣組織を持ち、多額の資金を費やして活動しているが、パレスチナ側はまるでみじめな状態にある。あなたがわれわれの会合に出席して、その存在を認めてくれるだけでもよい」ということであった。

 当日、会場に言ってみると、かなりの老人から小学校の子供までとりまぜて四〇人ほどが集まっていた。心にもない迎合的な話をするよりも、私自身のパレスチナ問題に対する無知をさらけ出した方がましであろうと考えて、およそ次のような話をした。

 「私は、終戦後アンネ・フランクの日記を読んで感激し、1964年に初めてアムステルダムを訪れる機会ができた時に、まずアンネ・フランクの家を訪れた。その後もう一度ひとりで訪れたが、三度目に家内も連れてアンネの家を見物した時、イスラエルはこの家を国家的な情宣活動の重要拠点として利用しているのではないか、という疑念が私の心を掠めた。アンネが生きていたら、イスラエルがパレスチナ難民に対して行なっていることに、おそらく、まゆをひそめるのでなあるまいか。・・・・」。

 私の話に対する貧しい拍手が終わるのも待たずに、一人の大柄の男が立ち上がって、声を荒立てて私に食ってかかった。「三度目になって、やっとアンネの家のカラクリに気がつくなんて、あんたの間抜けさ加減にはあいた口がふさがらない。イスラエル側の宣伝にまんまと載せられる、あんたのような人間ばかりだから、われわれわれの苦難が果てしもなく続くのだ。ミスター・フジナガ、あなたは、パレスチナ人が、これまでどんな苦しみを受けてきたか、具体的にどれだけ知っているか? 知っていることがあったら、今、われわれの前で言ってみてくれ!」 私は、その大男の剣幕の激しさに圧倒されて、言葉もつげずに立往生してしまった。

 その時、壁に近い後部席で、一人の女性が静かに立ち上がった。五〇歳前後の質素な身なりの女性であった。「自分たちだけが、ひどい苦難に遭ったかのように、他の人々に押しつけるのはやめようではありませんか。日本人が「われわれこそ原爆の火で一瞬に数万人を惨殺された唯一の民族だ」と言い返してきたら、私たちは何と答えたらよいのですか。失われたひとつひとつの命の尊さは、それが、アウシュヴィッツであっても、ヒロシマであっても、イスラエル空軍の銃爆撃を浴びるパレスチナ難民部落であっても同じです。われわれこそが一番苦しんできたのだ、とは決して言ってはならないのです」。その時の感動は今も、私の胸にあたらしい。

******************************(引用終わり)

 この経験から、もう、ほぼ半世紀の時が経ちました。この50年、パレスチナ人の苦難はいやますばかりです。こんなことがあっていいのでしょうか。これが人間、人間の世界、というものなのでしょうか。

 あの人たち、当然の怒りを私に投げつけた男性、私の蒙を開いてくれた青年、人間の命の尊さを私の胸に焼き付けてくれた壁際の女性、私には、三人ともパレスチナの土地に戻り、イスラエルの残酷非道と戦って果てたのであろうと思えてなりません。

藤永茂(2025年7月8日)

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明日の選挙は?

 参議院選挙の初め、有権者の70%以上が経済問題(消費税・コメ問題)に関心がありました。それが選挙期間中には日本が悪くなったのは外国人のせいにすり替ってしまいました。

 参政党は日本人が損して貧しくなっているのは外国人のせい・国民が主権を持ってはいけない・週末医療費をなくすなどなど・国民は天皇の臣民・徴兵制、治安維持法復活を掲げています。

 治安維持法は拷問を認める法律でした。21世紀のこの時代に拷問を認めるようなそんな国があるのでしょうか。

 後戻りしてしまうの?日本。日本が日中戦争、太平洋戦争で敗戦して80年経ちます。平和ボケ・戦後民主主義と言われ続けて結局80年前以前に戻るのでしょうか?。

 ありとあらゆる復古的で非人道主義な考えの政党に国民が親和性を持ち、投票してしまうこの現実が本当に恐ろしい。

 この国に暮らしていく人々はかわいそう。そう、なぜ国民が貧しくなったのか、日本のGDPがこれほど落ち込んでしまったのか。それは今までの自公維政権の政策にあるだけ。それを変えればよいだけです。

 消費税は5%に減税!インボイス廃止!国民が安心して暮らせる経済を優先!

 明日は選挙。私は戦争につながるすべてのことに反対し、国民主権の平和憲法を胸を張って訴えていきたいです。そういう政党及び個人に大切な1票を投じます。

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人が生きられない世の中사람이 살 수 없는 세상サラミサルスオッヌンセサン

 人が生きられない世の中

 税金は民のために使われない

 税金で街を壊してビルを建て資本に売り渡す

 税金は資本のためのもの

 年金を減らし、福祉を減らし、健康保険料を上げ、住民税を上げ

 民のことを一切鑑みない政治

 民への弊害ばかりを行う政治

 農の基本の米作りを止めさせていった減反政策

 ありとあらゆる手を尽くし増税を仕組む政治

 これでもか!と民を苦しめる政治

 政治に抗うのではなくヘイト、憎しみを煽るこの状況

 中抜き、汚職に勤しむ政治

 どこまでも!民を苦しめる政治

 老人と若者の対立を煽り

 体が悲鳴をあげているのに働かなければ食っていけない老人たち

 死ぬまで働け!を標語に

 こんな国に未来はあるのか 日本

 若者たちよ

 雰囲気、動勢に惑わされず

 真実を見極めて

 腐った政治に鉄槌を下し

 自分や国の未来を切り開け

 この国に生まれて育った人間として

 老いて行くばかりの人間としての託(ことづけ)です。

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韓国はどこへ向かうのか

 

 

 以前韓国をあきらめないと書きました。政治を変えて国を良くすることをあきらめないで進むということを韓国から教わったからです。

 1945年以前から反共時代が長く続いて、暴力による民主派への弾圧は当たり前でした。1987年6月「民主化宣言」で弾圧はなくなったかのようですが、悪政の記憶がだんだんと失ないかけているようです。それでも映画「ソウルの春」のヒットで再び人々の胸を揺り動かしています。韓国映画「ソウルの春」 - 毎日韓国ドラマと映画と音楽でヘンボケヨgooblog

「サランサヌンセサン」(人が生きる世の中)という旗があります。本当の民主とは国民が主人公ということ。胸を張ってその旗の元に集い国民が幸せになる道を進めば良いのだと思っています。

 反共保守派と民主派は五分五分で大衆はその時代の雰囲気でどちらかにつきます。そこが日本とは違うのだなあと、増税、首切りで苦しむ政治を続けている日本に希望はあるのでしょうか。

 あと数日で韓国の大統領選挙が行われます。韓国はどこに向かうのでしょうか。果たして「サランサヌンセサン」は来るのでしょうか。

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藤永茂”私の闇の奥”ブログより「イブラヒム・トラオーレを殺すな」

「イブラヒム・トラオーレを殺すな」
 
 尊敬する藤永茂先生のgooblog投稿で毎回感動して心揺さぶられて自身を奮い立たせています。
 暗黒大陸アフリカと呼ばれたアフリカ諸国。暗黒ではなく光り輝く資源の大陸。広大な面積を持つ大陸。1950年代の植民地からの解放に沸くどころか、ヨーロッパ諸国に傀儡されてすべてを生存権さえ奪われていたアフリカ。
 70年経ちブルキナファソ、ニジェール、マリで革命が起き真の独立国家を樹立しました。まだまだ始まったばかりで、テロリストが蠢く危険な情勢となっています。ブルキナファソの大統領もテロ、暗殺の脅威にさらされています。赤いベレー帽、黄土色原色軍服姿のイブラヒム・トラオーレ大統領。37歳の若き指導者です。
 
 藤永先生による、珠玉のイブラヒム・トラオーレ国連演説日本語翻訳の投稿がありましたのでシェアさせていただきました。
 
「イブラヒム・トラオーレを殺すな」by藤永茂 イブラヒム・トラオーレを殺すな - 私の闇の奥
 
 アフリカ大陸に特異の人物が現れました。私なりの奇矯な言葉使いを許していただくとすれば、この人物は、昔、親友に惨殺されたサンカラという素晴らしい男の生まれ変わり(resurrection, 復活)です。
 イブラヒム・トラオーレの暗殺はすでに試みられました。今からも続くでしょう。殺される前に一文を捧げておきたいと思います。
 以下に訳出するのは、トラオーレが国連で行った講演です。ユーチューブにたくさんの動画もあります。この37歳の若い兵士の国ブルキナファッソの国語はフランス語だと思いますが、以下の国連演説は英語で行われました。見事な英語です。これだけでも、トラオーレが只者ではないことがわかります。
 
**********
 
『アフリカは跪かない』:イブラヒム・トラオーレの国連演説
 
 尊敬すべき代表の皆さん、国家元首の皆さん、諸国の指導者の皆さん、そして大小さまざまな民族の代表の皆さん、私は、キャリア外交官として、あるいは宴席や握手のために育てられた人間として、皆さんにご挨拶を申し上げているわけではありません。洗練された政治用語を話すために、皆さんの前に来たのではありません。
 私は、我が民族の兵士として、傷ついた国の守護者として、世界の十字架を背負いながらも、冠を戴くことのなかった大陸の息子として、皆さんの前に来ました。
 私の名はイブラヒム・トラオーレ大尉、ブルキナファソ大統領です。そして今日、私は、ブルキナファソの2200万人の人々のために語るだけでなく、歴史が歪められ、痛みが無視され、尊厳が外国の利益のために繰り返し競売にかけられてきた大陸のためにも語ります。
 アフリカは、乞食ではありません。アフリカは戦場ではありません。アフリカは、皆さんの実験場でも、操り人形でも、原材料の倉庫でもありません。
 アフリカは、ひざまずくのではなくではなく、立ち上がっているのです。そして今日、この偉大な国々の集まりの前で私は言います。アフリカはひざまずきません。国際政治の偽りの寛大さに屈することはありません。
 
 何十年もの間、あなたは片手で 私たちの生き血を抜きながら、もう一方の手で私たちに援助を送ってくれました。あなた方の企業が私たちの川の水を流れなくする一方で、あなた方は私たちの村に井戸を建設しています。
 ワクチンを寄付しながら治療法の特許も取得します。あなたは気候変動対策について語りながら、私たちの森林を焼き、湖を干上がらせるまさにその勢力に資金を提供し続けています。これは何とした種類の寛大さでしょうか?
 口には食べ物を与えるが、発言は沈黙させるという種類の寛大さ、人間をあなた方に依存し続けさせるに十分なだけしか人間を生かして置かない種類の寛大さ、私たちはこの偽善に盲目なわけではありません。
 はっきり言っておきます。私たちは誠実な人道支援に感謝していないわけではありませんが、搾取をパートナーシップとして偽装する世界秩序を拒否します。
 私たちは、一方では融資し、もう一方では主権を盗む金融機関を拒否します。アフリカはもはや慈善活動を望んでいません。私たちは正義を望んでいます。
 
 二番目に、自分自身の運命をコントロールしたいのです。二番目に、植民地主義の鎖とその現代の末裔、私たちの傷は私たちから始まったものではありません。それらの傷は、私たちを人間としてではなく、船荷労働力の安い道具として見ていた帝国建設の狂気の遺産を受け継いだものでした。
 ベルリンで、定規とコンパスを使ってアフリカの地図が描かれた時、私の先祖たちは何の相談も受けませんでした。ブルキナファソの国境は、多くのアフリカ諸国の国境と同様、私たちの祖先によって刻まれたものではなく、私たちの土地を一度も踏んだことのない、私たちの言語、部族、精神について何も知らなかった人々によって刻まれました。今日、植民地主義は新たな様相を呈しています。それはスーツを着ています。フォーラムを主催しています。ジュネーブ、パリ、ワシントンで契約を締結しています。
 しかし、依然として、我々の同意なしです。それは依然として対話ではなく指図です。依然として、我々のいうことに耳を傾ける代わりに、沈黙があるだけです。平和について語りたいなら、平和は自分たちだけが教えるものだという傲慢さを捨てることから始めましょう。
 
 三番目は、資源開発と開発神話についてです。彼らは、あたかも何世紀にもわたる盗難が私たちを後退させなかったかのように、私たちを発展させていると言います。あたかも、私たちの土地からの金、私たちの川からのダイヤモンド、私たちの足元の石油が、この集会が行われている高層ビルを建てたのではなかったかのように。はっきり言っておこう。アフリカは豊かです。鉱物も豊富です。そして文化も知恵も若さも。
 しかし、あなた達は私たちに豊かさをGDPと輸出額で測ることを教えてくれました。外国企業が我が国の土地の金鉱山の90%を所有することを開発と呼びます。
 治安部隊がコバルト鉱山を警備しているのに、私たちの子供たちの学校を警備していないことを、あなた達は進歩と呼んでいます。それは進歩ではありません。それは法的文書を用いた海賊行為です。これからは、我々は、開発を独自の言葉で定義していきます。
 貨物船に積み込まれた鉱物資源ではなく、子供たちを教室に通わせる開発、土地を尊重した開発、そして、主権と干渉について、国民と国家の魂の開発です。アフリカ諸国が自主的な選択をすると、なぜ不安定と言われるのでしょうか?植民地圏外で軍事協力を求めると、なぜ脅威というレッテルを貼られるのでしょうか?
 ブルキナファソは、平和を脅かさない主権の道を歩むことを選択しました。それは成人の宣言です。私たちはもうあなた達の保護下にありません。私たちはもはや外交におけるジュニアパートナーではありません。
 私たちは自由な民族です。一つの国家がそのパートナーを選ぶとすれば、 それを利用するのではなく尊重するパートナー、それは反逆ではありません。それが知恵というものです。外国勢力がブルキナファソの同盟に影響を与えることはないということを知っておいてください。
 私たちは歴史的な犯罪や現在の脅迫ではなく、相互尊重に基づいた関係を構築します。テロと、戦争を作り出すことに対する戦いです。あなた達はなぜサヘルで暴力が起こるのかと尋ねます。あなた達は、なぜ私たちの若者が武器を取るのかと尋ねます。しかし、私たちの村が脆弱なまま放置されている間、私たちの鉱山が民間の傭兵によって守られているとき、鉄を産出しない砂漠に、なぜ武器が到着するのかをあなた達は問いません。なぜ平和維持活動が戦争を終わらせることができないのか、あなた達は問いません。
 真実は、アフリカの安全保障問題に対するいわゆる解決策の多くは、単なるビジネスモデルに過ぎないということです。終わりのない紛争は市場となり、アフリカの苦しみは定期継続支払いのビジネスになりました。ブルキナファソはそのサイクルを断ち切ることを決意しました。私たちはテロとは闘いますが、外国依存で闘かうのではありません。私たちは外国の命令ではなく、私たちの国家の尊厳をもって国家を守ります。
 
 六番目。移民と人間の尊厳について。私たちは若者達が地中海で溺死することを望んでいません。私たちは、我々の最も聡明な人材が、かつて私たちを野蛮人と呼んだ国々に逃げてほしくないのです。私たちは送金をしようとは思っていません。私たちは若者たちがそのまま留まる理由を知りたいのです。なぜ私たちの若者たちは逃げるのでしょうか?私たちに美しさが欠けているからではなく、私たちが機会に恵まれないようにできているからです。私たちの土地が嫌いだからではなく、私たちの土地が他人の所有物として扱われているからです。移住は危機ではありません。それは私たちが始めたのではない戦争から生じた症状です。我々に必要のなかったローン、私たちの若者に、彼らの唯一の価値は、自分たちの家の外にあると伝える世界秩序の病状であります。
 解決策は国境フェンスではありません。解決策は、世界におけるアフリカの地位に貢献するための正義です。アフリカは訂正すべき間違いではない。アフリカは失敗した大陸ではありません。アフリカは世界の子宮、文明の揺りかご、明日の希望の守護者です。私たちに深く影響を与える世界的な決定において、私たちは目に見えないものになってきました。国連安全保障理事会において、54の主権国家を擁するアフリカには常任理事国が存在しません。
 これは何の正義ですか?あなた達はそれをバランスと呼びます。私たちはそれを裏切りと呼びます。あなたは民主主義について語りながら、少数の権力者が多数者の諸々の夢に対して拒否権を行使する世界構造を支持しています。私たちは、大声で話してよい部屋で小声でヒソヒソ話しをすることはもうありません。 また、信仰と霊的尊厳に関しては、私たちは霊的な民族です。大聖堂の前で、私たちの祖先は空に向かって歌いました。宣教師よりも先に、私たちは川の言語と神聖な森の法則を知っていました。キリスト教が来て、イスラム教が来て、私たちは彼らを奴隷としてではなく求道者として受け入れました。
 しかし今、私たちはこう尋ねます。 グローバリゼーションの仮面をかぶった貪欲によってすべての人々が居場所を失ったとき、教会とモスクは真に私たちと共に立ってくれているでしょうか?あなたの説教壇は私たちの叫びを反映しているでしょうか、それとも権力者の歌を繰り返すだけですか?信仰も非植民地化されなければなりません。特権階級と一緒にではなく、貧しい人々とともに歩まなければなりません。 
 
 第九番目に、アフリカ諸国間の団結について。これは一つの国からの演説ではありません。これは一つの大陸の舵取りの問題です。あなた達は、マリ、ニジェール、ブルキナファソが新たな絆を築いているのをみています。あなた達は私たちの団結を恐れています。何故か?それはアフリカがあなた達の監督指揮の下でのみ立ち上がることができるという神話を脅かすからです。
 私たちが団結しているのは、戦争をするためではなく、尊厳を築き、勇気を振り絞り、力を分かち合い、世界が我々に背を向けたときに、お互いを守るためです。汎アフリカ主義は夢ではありません。それは私たちの生命線です。そして、あなた達の承認があろうとなかろうと、私たちは、石を一つ、また、一つと積み上げ、心を一つ、また、一つと合わせて構築します。 
 
 第十番目、アフリカの若者へ、道端でオレンジを売っている少年へ。 10キロ歩いて学校に通う女の子へ。おもちゃは石だけだけど、星を夢見る子供へ。あなたは、私たちが戦う理由です。あなたの大陸は呪われているという嘘を信じないでください。あなたは祝福です。外国のパスポートを羨まないでください。自分の名前、土地、ルーツを誇りに思いましょう。今は世界があなたを称賛しないかもしれませんが、将来はあなたの名を讃えられるでしょう。 
 
 十一番目、最後の言葉。我々はひざまずきません。私は宣戦布告に来たのではありません。意志を宣言しに来ました。ですから私たちは恐れのためにひざまずくことはしません。私たちは外国銀行にひざまずきません。私たちは、友達のふりをしている、時代遅れの諸々の帝国にひざまずきません。アフリカはあなた達のテーブルに座ることを求めていません。私たちは我々自身のテーブルを構築しているのです、子供が最後に食べものにありつくようなことのないテーブル。そこでは、核兵器を持っていなからといって沈黙させられることのないテーブル、そこでは正義が人種や歴史のレンズを通して見られるのではなく、みんな一緒に呼吸ができるのです。これが私たちのビジョンであり、私たちの誓いです。今日も、そしてこれからも、世界中の人々に聴いてもらいましょう。アフリカがひざまずくことはありますまい。ご清聴を感謝します。
 
 素晴らしい演説に涙する。アフリカの希望、星、未来。
 
 
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韓国の非常戒厳宣布

「燃える渇きで」光州事件の画像を含む

   

 昨夜の大統領非常戒厳宣布には心底驚きました。非常戒厳宣布=1980年のチョン・ドゥファン戒厳令を思い起こしました。

 1980年と今では状況は大きく違います。元々軍事独裁政権のパク・チョンヒ暗殺にとって代わっただけなので、チョン・ドゥファンがそれに乗じて軍事を掌握し独裁を受け継いで発令した戒厳令です。なので効力は絶大。

 MBCドラマ「第五共和国」(2005年)を観ると詳しい経緯がわかります。戒厳令によるあまたの悲劇。軍人が自国の無辜の民に発砲し殺していく。全羅南道の光州で行われた虐殺、逮捕後の拷問、不良を教育するという名目で作られたサムチョン教育隊には光州の逮捕者、民主的な思想を持つ逮捕者も入れられ自殺、過労死、激しすぎる拷問などが行われました。

 44年前のこと。しかし映画やドラマ、音楽、出版物でその時代の出来事は何度も取り上げられ、しかも光州虐殺の遺族や障害を持った人々がいて、毎年5月18日には慰霊祭が行われています。

 「実際に起きた出来事を無かったことにする」ということは出来ないのです。国民の胸に刻まれています。日本のように日中戦争、太平洋戦争で出した犠牲者を美しく美化したり、無かった、嘘だったということはありえません。

 昨夜の非常戒厳宣布はまさか!の出来事でしたが、1987年の六月抗争において軍事独裁政権下で犠牲を出しながらも、国民が勝ち取った韓国の民主化。その世の中では大統領による非常戒厳は実施されないことだったのかもしれません。

 なぜなら国会議員たちが即国会へと足を運びました。軍とのいざこざなどありましたが、皆さん国会に集まれたようです。軍はその後窓ガラスを割って国会に侵入していました。それでも大統領非常戒厳宣布の無効の可否を投じる投票が行われました。

 キム・デジュン、ノ・ムヒョン大統領時代に大統領発令の戒厳令を無効にする憲法を作ったのでしょう。国会で議員の半数以上が拒否権を行使すれば戒厳令は無効になる。という。

 国民が自らの手によって犠牲をだしながら、民主化した韓国は歴史をしっかりと受け止めて二度と悲劇を作らない、出さないと誓ったのかもしれません。

 民主化したその後の政治はどのようなものが望ましいでしょう。

   人が生きる世の中
 国民が主人公である世の中
 子供達に恥ずかしくない世の中
 普通の人の常識が正義になる世の中
 自分の選択に責任を負う世の中
 真実が偽りに勝つことができる世の中
 お金が人より大切でない世の中
 
  ノ・ムヒョンが掲げた人が生きる世の中作りをしてほしいです。

 そしてアメリカの言いなりにはならない本物の自治。北朝鮮との戦争を終わらせること。歴史的にも往来がある東アジアの端っこ半島の国として誇りを持って、本当の民が主人公の国として栄えてほしい。強く望みます。

 

 

「燃える渇きで」アン・チファン

 

「燃える渇きで」キム・グァンソク

 

 

 

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韓国は民主をあきらめない サランサヌンセサン(人が生きる世の中)

 

 

 桜も咲きようやく四月の温かさです。韓国の花チンダルレ(朝鮮つつじ)も咲
き出しました。

 10日に行われた韓国国政選挙で野党が圧倒的に議席を増やしたことに感動して
います。
 以前に韓国をあきらめない(期待する)と書きました。

 なぜなら38年前、民衆の団結と連帯の力で大統領を直接選挙で選ぶ民主化政治
を勝ち取った誇りの歴史があるからです。
 現政権は政治が人々の暮らしのための政策を取らずに、アメリカべったりの軍
事演習。北挑戦との平和的解決の方法はいくらでもあるのに。検察強権政治発令
中。
 
 

1987年に20歳の人は民主化の闘いをし、
 
2008年に20歳の人が”ふたたび光化門で”を歌い、ローソク集会
 
2017年のローソク集会は大統領の弾劾集会、20歳の人は再び民主主義を取り
戻しました。 
2024年には58歳(1987年の20歳)、36歳(2008年の20歳)、27歳(2017年の
20歳)です。

 政治を変える力のある人々がまだ60代以下という韓国です。希望しかありま
せん。

四月が昇る by/ノチャサ集より


あの川は流れているのに、  
どうして終わり
と言えるの
4月の香りはこんなに赤いのに、
ツツジの
香りはこんなに赤いのに、 
の叫びが蛇行する水の上に
立ち上り
昼の叫びが上がり、
 今日はツツジが波
となってやってくる
 川は流れて
どうして終わりと言えるの 前面に浮かび上がる光
 
純粋なモクレンはとてもまばゆいばかりで
 うねる水の上には4月に昼の叫び声が上がり、
今日はモクレンの花が波のように咲き、ツツジが波のように咲きます
 

 

 

 

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それでも韓国に期待する(サランサヌンセサン)

 

  切り株(歌 ノチャサ)

 

千年もの間太く美しい道に

もつれて絡まった我々の人々

ぐっすり眠って目を覚ましたとき

切り株の胸に後悔はありません

空に向かって開いた緑の枝に

きしんだ音と絡まった私たちの血

不幸な果実が赤く熟するならば

あなたがそれを知る前に

青い日はいつの間にか紅い葉に染まる

大地を突き刺した深い根

明日を迎える慌ただしい決断で

提灯火を照らすこの夜ここで

すべての心は愛に溢れている

 

 この歌「切り株」のように大木が切り株になっても、大地を突き刺した深い根は横からひこばえが生えてきます。さらにか弱い枝が太い幹になって時間をかけて大きくなり、花を咲かせるでしょう。

 

 韓国に絶望なんかしていません。大統領が右派になり、ウエルカム米国、ウエルカム原子力潜水艦ケンタッキーでも民主化を闘って勝ち取った人々は時間をかけて世の中を変えることでしょう。

 

 サランサヌンセサン(人が生きる世の中)のために、諦めない人々がいる限り

 

 私は韓国に期待します。

 

 

 

 

 

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ラテンアメリカは燃えている「不屈の民」②コロンビア

 

 6月19日に行われたコロンビアの大統領選挙。左派のグスタボ・ぺトロが勝利したことで心が打ち震えた人々は私を含めて全世界に多く多くいることでしょう。

 暗殺が横行するコロンビアで。

 まさに「不屈の民」

 

 尊敬する藤永茂先生がブログ「私の闇の奥」でコロンビア大統領グスタボ・ぺトロが2022年9月20日に開催された第77回国連総会で演説した書き起こしを載せています。

 素晴らしいお仕事をありがとうございます。藤永先生に感謝してシェアしたいと思います。

 私の闇の奥ブログ 私の闇の奥 (goo.ne.jp)

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グスタボ・ぺトロの演説

私は、地球上で3つの最も美しい国の一つからやってきました。そこには、生命の爆発があります。何千もの多彩な生き物の種が海にも空にも陸にも。私はその地から、 黄色い蝶と魔法の土地からやって来ました。 そこでは、すべての緑の山々や谷に、豊かな水が流れ落ちるだけでなく、血の奔流も流れています。

私は血みどろの美しさを持つ国から来ました。私の国はただ美しいだけではありません。 暴力もあります。どうして、この生き物の多様性を、死と恐怖の踊りで侵食することが出来るのでしょうか?この魔法のような歓喜を恐怖で破壊することの責めを負うべきは誰なのでしょうか?誰が、何が、富と利権の日々お決まりの物事の決め方で生命を溺死させていることの責任を負うべきなのでしょうか。

国家として、民族として、我々を破滅に導くのは誰なのか。私の国が美しいのは、アマゾンのジャングル、チョコのジャングル、河や湖、アンデス山脈、そして大洋があるからです。そのジャングルでは、地球の大気に酸素が放出され、大気中のCO2が吸収されています。CO2を吸収する何百万種もの植物の中の一つの植物は、地球上で最も迫害されている種の一つです。彼等はそれを破壊しようとする。それは一つのアマゾンの植物です。それはコカ植物、インカ帝国の神聖な植物。 まるで十字の岐路に立つかのように。矛盾です。保護されている森林は、同時に、コカ植物を駆逐するために、破壊されているのです。彼等(訳注:北米権力を指す)は毒物やグリホサート(訳注:モンサント製の有毒除草剤)を森林に大量放出し、それが水域を駆け巡る。彼等は、コカの葉を破壊した廉で、所持していた廉でも、コカの生産者たちを逮捕し、投獄するのです。

この米国の「麻薬戦争(War on Drugs)」のために、北米では100万人のラテンアメリカ人が殺害され、200万人の黒人が投獄された。人間を殺す植物を破壊せよと、彼等は北から叫びます。しかし、その植物は、何百万種と現れてくる植物の一つに過ぎません。

世界の力関係を支える大きな風土的支柱の一つであるとしてジャングルに洗礼を授ける科学者の叫びなど放っておけばよろしい。ジャングルとそこの住人たちは、世界の力関係に災害をもたらす疫病だとして責められているが、北の彼等は、お金への中毒という疫病に悩まされている。現状を永続させることに、石油に、コカインより強力な薬物に。

コカの空間と、他に栽培するものがないコカ栽培農民の空間が、悪魔化されている。あなた方の関心は、あなた方のジャングルに毒を投げ込み、我が男性たちを刑務所に入れ、我が女性たちを排斥し追い出すことだけだ。あなた方は子供の教育には興味がなく、農民たちのジャングルを扼殺し、その内臓から石炭や石油を抽出することにしか興味がない。

諸々の毒を吸収するスポンジである森林には用はないのです。彼等は、より多くの毒を大気中に投げ込むことの方を選びます。我々は、社会の空虚さと孤独を許容する彼等に仕え、それは人々を薬物バブルの中で生活させる結果に導きます。我々は、彼等が改革を拒否している諸問題から手を引きます。彼等は、ジャングルに、そこに生きる植物に、人々に戦争を宣言する方がましだとして、森林が燃えるのを放置しながら、偽善的に、彼等自身の社会を襲っている大災害を隠すために、除草剤毒薬で植物を痛め付けています。

彼等は、我々に、もっともっと石炭を、もっともっと石油を、と要求する、他の中毒を、消費への中毒、権力への中毒、金銭への中毒を鎮めるために。人間にとって、どちらがより有害か?コカインか、それとも、石炭か石油か?

石炭と石油は保護されなければならない、そうすれば、それを使って、そっくり全人類を消滅させることができる。これらは、世界権力の所有物、不公正な所有物。世界権力は非合理的なものになってしまった。彼等は、ジャングルの潤沢の中に、所有し、所有し、そして消費するという深く底の知れない痙攣に埋め込まれた、貪欲さ、罪深さ、彼等の社会の悲嘆の罪の起源を見いだしているのです。

銀行口座は天井なしになってしまった。地球上の最強者達の金は、もはや数百年のうちに使い切ることさえできないでしょう。それが生み出す存在の悲哀は、人間が産み出したものです。競争が騒音と麻薬でその悲哀を埋め合わせる。お金への依存中毒、麻薬類への依存中毒。

孤独という病は、ジャングルに除草剤グリホサートを撒くことではでは治らない。ジャングルに罪はないのではないか?犯人は彼等の社会です。無限の消費で教育され、消費と幸福とを取り違える愚かな混乱で、権力のポケットはお金で一杯にすることが出来るのです。麻薬中毒の犯人はジャングルではなく、世界権力の非合理性です。

麻薬戦争は40年続いて来ました。もし我々が軌道修正しなければ、さらに40年は続くでしょう。米国では、ラテンアメリカで生産されたのではない合成麻薬フェンタニルの過剰摂取で280万人の若者が死亡することになるでしょう。何百万人ものアフリカ系アメリカ人が民営刑務所に収監されるのを見ることになるでしょう。

黒人の囚人は、刑務所会社のビジネスになるでしょう。さらに100万人のラテンアメリカ人が殺害され、彼等は、我々の河川と緑の野原を血で満たすでしょう。我々は、民主主義の夢が死ぬ場面に立ち会うことになるでしょう。我々のアメリカでも、アングロサクソンのアメリカでも。民主主義は、それが生まれた場所で死ぬでしょう。偉大なる西ヨーロッパのアテネでも。 真実は隠蔽される。我々は、我々のジャングルと民主主義国家の死を見ることになるでしょう。

麻薬との戦いは失敗しました。気候変動との戦いにも失敗しました。 ソフトドラッグの致命的な消費は増加し、人々はよりハードなものに走りました。私の大陸では大量殺戮が行われ、私の国は、社会的責任を隠すために、何百万人もの人々を刑務所に送り込みました。彼等はジャングルが悪いのだと声を上げ、ジャングルの植物たちは、理不尽にも、彼等のスピーチや政策を埋め尽くしたのです。

私は、ここから、傷を負ったラテンアメリカから、要求します。非合理な麻薬戦争を終わらせよう。麻薬の使用を減らすには、銃で戦争する必要はない。我々の全てが、より良い社会を構築することが必要なのです。もっとお互いに助け合う、もっと愛情に満ちた社会、そこでは、充実して日々を生きることが、麻薬中毒や新しい形の奴隷制から我々を救い出してくれるのです。

麻薬を減らしたい?それなら、あなた方は、自分の利益を減らし、もっと愛を増すことを考えなさい。理に適った権力の行使を考えなさい。あなた方の毒で私の国の美しさに触れないで欲しい。アマゾンのジャングルを救うために、この地球上の人類の生命を救うために、偽善抜きで、我々を助けて欲しい。あなた方は科学者を結集し、 科学者達は、 数学と気候学的モデルを使って、理性的に語りました。 彼等は、人類の種の終わりが近いと語り、 我々の持ち時間はもはや数千年ではなく、数百年でさえないないと語ったのです。

科学は警鐘を鳴らしたが、我々はそれに耳を傾けることをやめた。戦争は、必要な諸々の措置を取らないための言い訳として機能した。今は、その行動が最も必要とされる時、演説がもはや目的を果たさなくなっている時、人類を救うために必要なお金を支払うことが不可欠な時、石炭や石油から一刻も早く離れることが必要な時、です。ところが、ここに来て、彼等は戦争というものを発明した。

一つ、また、一つ、と。彼等はウクライナだけでなく イラクやリビア、シリアにも侵攻した。彼等は石油とガスのために侵略した。彼等は、21世紀になって、お金と石油への依存中毒という最悪の中毒を見出した。戦争は、気候の危機に対して行動しないための言い訳として今まで機能してきている。これらの戦争は、人類という種を終わらせるものに対して、自分たちがどんなに依存しているかを示しているのです。

人々は飢えと渇きに埋没し、渇きを満たす水のある北の方へ何百万人も移動して行きます。すると、彼等を閉じ込め、障壁を作り、機関銃を配備し、銃撃し、まるで彼等が人間でないかのように追い出す。ガス室や強制収容所を政治的に作り出した連中のメンタリティーを、この地球全域で、5倍ほどにも膨らませて再生産しています。

1933年。 理性に対する攻撃の大勝利。(訳注:1933年はヒトラーが政権を掌握した年)北半球に向けて放たれた大移動に対する解決策は、我々の河川を満たす水の回復であり、畑を栄養で満たすことであることが、あなた方には分からないのか。気候災害は、我々を、群がり、あふれ、荒廃をもたらすウィルスで満たしている。しかも、あなた方はその医療を商売と心得て、ワクチンを商品化してしまう。

市場は市場自身が作り出してしまったものから我々を救ってくれる、と彼等は言う。人類のフランケンシュタインは、市場と欲望に無計画に行動させ、脳と理性を放棄し、人間の理性を欲望の祭壇に跪かせることにある。人類という種を救うために、なぜ戦争が必要なのでしょうか。もし、迫り来るものが知的生命の終焉であるならば、NATOや帝国に何の意味があるでしょうか。

気候災害で何億人もの人が死ぬことになるでしょう。よく聞いていただきたい、この危機は地球が生み出したのではなく、資本が生み出したものです。気候災害の原因は資本であり、資本の論理は、我々をうまく丸め込んで、より多く消費し、より多く生産し、その結果、少数の者がより多くの儲けを懐に入れることになるというものです。

彼等は、資本、エネルギー、石炭、石油の蓄積を拡大し、ハリケーンを解き放った。大気中の化学変化は、より深く、より死滅的になりつつある。資本の蓄積の拡大は、ジャングルと美の国で起こっている死の蓄積の拡大だ。

アマゾンのジャングル植物を敵に回すことにしたのだ。それらを栽培する者達をひき捕らえて、投獄する。私は、あなた方に、戦争を止め、アマゾンのジャングルの気候災害を止めることを呼びかける。毒を撒いた後でそれを燃やす焚き火の背後には、人類の失敗がある。このコカインや麻薬への依存中毒の背後には、人類の文明の全面的な失敗があるのです。

石油と石炭への依存中毒症の背後にあるのは、人類の歴史のこの段階における真の中毒症です。非合理な権力、利益、金銭への中毒症。ここに、人類を消滅させる巨大な死の機械装置があります。私は、地球上で最も美しい国の一つであり、そしてまた、最も血にまみれた暴力的な国の一つでもある国の大統領として、あなた方に提案します:麻薬戦争と、そして、すべての戦争を終わらせ、我が人民たちが平和に暮らせるようにしよう。

この目的のために、私は、ラテンアメリカの全ての国に呼び掛ける。我々の身体に拷問を課す非合理を打ち破るために団結するようにラテンアメリカの声を結集しよう。アマゾンの熱帯雨林をまるごと救うために、私は呼びかける:もし、彼等が、森林再生基金を調達する能力がないと言うのなら、生命よりも武器にお金を割り当てる方が簡単だと言うのなら、我々の対外債務を減らして、我々の国家予算への負担を軽減し、我々がこの惑星上の人類と生命を救う任務を遂行できるようにしなさい、と。

戦争はこの世の終末を近づける罠にほかなりません。この大いなる非合理の乱痴気騒ぎの中で、ラテンアメリカは、ウクライナとロシアに和平を呼びかけます。平和であってこそ、我々は、この共通の大地で生命を守ることができる。社会的、経済的、環境的な正義なくして、平和はありえないのです。

地球と平和に付き合っていなければ、国家間の平和もありません。正義がなければ、社会的な平和もありません。ご清聴ありがとうございました。

**********(ペトロ大統領の国連での講演終わり)

 グスタボ・ペトロは、ウクライナでの戦争を”the great orgy of irrationality ”と呼びます。orgyとは刺激的な言葉です。無数のただの人間たちを日々殺し続けているこのorgy は、過去500年間、世界を支配してきた権力システムが生み出したものです。問題は、どちら側につくかではありません。人間が、人間らしく、喜んだり、悲しんだりしながら、笑ったり、泣いたりしながら、普通に暮らせることの出来る社会を、みんなで力を合わせて作ることです。それが、明らかに、グスタボ・ペトロの掲げる目標です。

 このブログの2022年7月26日付の記事『コロンビアの歴史的選挙 夜は必ず明ける』:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/6762ae8ddbe7a335d5c5f012823d971a

で、Vivir Sabrosoというスペイン語の標語を紹介しました。英語では”Living joyfully”と訳されています。以前に紹介した Vivir Buen という標語とほぼ同じ政治的標語だと思います。

 

 

 

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ラテンアメリカは燃えている「不屈の民」

  

 権力を振りかざす右翼政権に反対し抗議するデモ・集会でラテンアメリカが燃えています。チリのビクトル・ハラ・シンフォニックによる「不屈の民」の演奏と観衆の歌声。このような抗議集会があるのかと、映像を見て 激しい感動に突き動かされています。

 今ラテンアメリカで起きていることを欧米・日本のマスコミは伝えてくれません。日本では民主派という名のもとに行われた香港のデモ・暴動を、香港警察の弾圧と決めつけて連日好意的に報道しています。ラテンアメリカで行われている真の民主的な抗議行動にはふれません。

 チリでは、ごく普通の人々が反新自由主義を訴えた平和的デモ隊に、軍や警察が発砲し市民が死亡、負傷、失明する事態がおきています。

 ボリビアでは軍事クーデターで追放されたモラレス大統領を支持するデモを行っていたコチャバンバで、市民の群衆にボリビアの治安部隊が攻撃し、9人の先住民族の人々が殺されました。

 コロンビアでは反新自由主義の抗議活動の中で、10月29日の5人の先住民活動家の殺害されました。先住民や労働組合員、左派系の国会議員・政治家に対する多くの虐殺を政府は行っています。毎年100人以上の人達が殺されているのです。政府は税制改革や公共サービス料金の値上げに反対するデモ隊を「過激派」扱いして、戒厳令で弾圧しようとしています。

 チリ・ボリビア。コロンビアいずれも政府による、死者まで出る弾圧です。

 チリでは2018年、右派のセバスティアン・ピニェーラが4年ぶりに大統領に返り咲きました。第二次ピニェーラ政権ではより右傾化色を強めたことで、国民の反発を招き、2019年にはピノチェト軍事独裁政権時以来最大となる大規模な100万人の反政府デモが起きています。軍隊や警察は平和的なデモに発砲しデモ隊の目を狙って、200人が失明、2,009人が怪我を負い、少なくとも5.629人が逮捕されて、政府の公式の死亡者リストでは23人が死亡しています。国立人権研究所は拷問、権力の乱用、暴行および軍人による市民の拘束に関する沢山の報告を受けているとのことです。

  

 【1973年チリの軍事クーデター】以下ウイキより

 画像の曲「不屈の民」は、初めてチリの普通選挙で選ばれた民主派のアジェンデ政権下で、1973年6月に作曲され、録音された曲です。(原題 El pueblo unido jamás será vencido 団結した人々は決して負けないだろう エル プェブロ ウニド ハマス セラ ベンシド)

 「不屈の民」録音して3か月後、1973年9月11日にアメリカCIAをバックにしたピノチェト将軍の軍事クーデターによって、アジェンデ政権(1970年11月4日アジェンデ大統領就任)は倒されました。クーデター直後に戒厳令が敷かれ、ビクトル・ハラ(チリの歌手・詩人「平和に生きる権利」https://youtu.be/S6JUAxBoa-8))を初めとする人民連合系の市民が多数サンティアゴ・スタジアムに集められ、ひどい拷問を受け容赦なく虐殺されました。クーデター後一日で確認された遺体は2,700体に上っています。

 ピノチェト政権はアメリカ政府、CIA、政財界、チリ国内の右翼保守層や軍部の支援を受けながら、その後1990年3月までの16年間に亘って軍事政権を率いて強権政治を行い、「独裁者」と呼ばれました。ピノチェト政権下では、多くの左派系の人々が誘拐され行方不明になりました。2004年のチリ政府公式報告書では、1973年9月24日には2000人から1万人の死者と報告されています。また、誘拐・投獄に伴う拷問も広く行われ、新たに建設された強制収容所に送られたりと何らかの形で、人権侵害を受けた人々は10万人とも推定され、政治的、経済的な理由での亡命者は当時のチリ総人口の約10%の100万人に達しました。最も有名なのは死のキャラバンと呼ばれるヘリコプターを使った処刑部隊であり、何人もの囚人や民間人がチリの海・湖・川・アンデスの山頂にヘリコプターから突き落とされました。

 

  以下の文章は安藤慶一著「アメリカのチリクーデター」より抜粋しました。

 著名な音楽家のビクトル・ハラも犠牲者のひとりだった。チリ・スタジアムで処刑された後、彼の妻が遺体を見たときには、両手を打ち砕かれ、顔はずたずたに切り裂かれており、銃弾による傷が44か所も見つかったという。生前に彼が録音していたマスターテープも破棄された。言わば文化的抹殺である。こうすることで、アジェンデが最後の演説で言った「種」を絶やすことができるとピノチェトは考えたのだろう。 

 おびただしい数(約20万と言われている)の国外避難者はこの中に含まれていない。幸運にも死を逃れた者たちも、拷問を逃れる幸運には恵まれなかった。チリ政治投獄拷問委員会の報告によると、少なくとも2万8千名が肉体的および精神的拷問を受けた。これら拷問犠牲者の大多数は、20才から30才までの若い男性だった。主として、社会党員、共産党員、労働組合員の他、非合法化された諸組織のメンバーである。

 犠牲者は男性ばかりではなかった。女性には、精神的にも肉体的にもこたえる特殊な屈辱が与えられた。何年も経過してから、3,000名を超える女性が自身の強姦体験について証言した。性的暴力に伴う屈辱を考慮すると、まだまだ多くの女性が沈黙を守っていると考えらられる。

 ちなみにクーデター勃発当時のチリの総人口は1000万ほどである。(抜粋終わり)

  

 長い恐怖のピノチェト軍事独裁政権が続きました。

 現在のピニェーラ大統領は国民に向けて「もうチリ・クーデターを清算し(忘れて)、新しい未来へ向かって行こう」と声明を出しましたが、犠牲者の家族やいまだに拷問・強姦の傷跡が癒えない人々はその残虐非道な行為を許せるわけがないと思います。

 

 

 

 

 チリのフォルクローレ・グループ、「インティ・イリマニ」の”不屈の民”です。インティ・イリマニは歌を通じて社会変革を目指した「ヌエバ・カンシオン運動」を代表するグループで、1973年の軍事クーデターの際にはヨーロッパ巡業中で逮捕は免れたものの、1988年まで祖国には帰ることができず、イタリアでの亡命生活を余儀なくされました。

  

 掛け合いの エル プェブロ ウニド ハマス セラ ベンシド       

          エル プェブロ ウニド ハマス セラ ベンシド

      エル プェブロ ウニド ハマス セラ ベンシド

を一緒に歌っています。

 

  民主主義とは、国民の福祉、教育、医療、住宅を国が保証すること。不正義に対する抵抗が可能であり、成就の機会があることです。

 

 

 

 

 

 

 

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