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萩尾望都原画展

2009-12-18 23:18:45 | マンガ
デビュー40周年記念・萩尾望都原画展@西武池袋本店・別館2階・西武ギャラリー(12月16日~23日、10:00~20:00、一般700円)
福岡県大牟田市出身の萩尾望都(はぎおもと)。1969年に「ルルとミミ」でデビューし、『ポーの一族』や『トーマの心臓』『11人いる!』といった作品で少女マンガの枠を超えた存在として熱い注目を集め、後続にも大きな影響を与えた。このほどデビュー40周年を迎え、その舞台裏をかいまみせる原画展を初めて開催することになった。これまでに描かれた多くの作品の原画や、単行本表紙やポスターのために描かれたカラー・イラストの展示のほか、グッズや版画の販売も行われる。



↑父・萩尾浩と写る、若き日の萩尾望都

先日の伊藤理佐さんの『やっちまったよ一戸建て!!』の扉ページには、一戸建ての新築風景の写真が何枚か収められているが、その中に理佐ちぇんちぇーの蔵書が写った一枚があり、手塚治虫先生の『ブッダ』や内田春菊の単行本などとともに、『ポーの一族』と『トーマの心臓』の、それも最初のコミックス版が全巻並んでいたのを見逃すオラではない。彼女の中にも萩尾望都さんの世界観が生きている、というか現在30代から40代の人びとにとって萩尾望都という存在は、たとえ少女マンガなど見ない男性からしても、少女の内界をのぞかせる神聖な響きを帯びていたといえましょう。
1970年代の萩尾望都は、1970年代のデビッド・ボウイに劣らぬくらいすごい存在だったと思うし、よりよく生きたい、自分を輝かせたい、あるいは創作の道へ進もうかという者にとって避けては通れない先行者でもあった。描く作品のほぼすべてが傑作。傑作であるとともに、未知の世界を切り開く。
雲行きが変わってきたのは1980年代か。今にして思えば『ポーの一族』にも「生殖の忌避」が表れており、ドラマとしては優れてポップな『トーマの心臓』も時として観念的な方向へ向かう。
宗教やらジェンダーが重苦しくまつわりつき始め、むしろ『11人いる!』や『スター・レッド』といった硬派のSFではそうしたテーマがうまく活かされていたように思うが、80年代に入っての「半神」や「イグアナの娘」といった心理ものは言われるほど傑作とは思わない。さらにどうにもならなかったのが90年代の『残酷な神が支配する』でしたか。その頃までには、輝かしい業績を残した“花の24年組”ら先達のみなさんもほとんどが衰えてしまい、われわれにとって少女マンガは再び霧の向こうへ去ってしまった。今の若い男子たちとかですと、どうしても見ておかなければいけない同時代の少女マンガって、あるのかなあ。あるとすれば、どんなのかなあ。かつての萩尾望都さんは、男子からしても畏怖を起こさせる存在だったんですが、もはやそれは遠い過去のことで、きょうの展覧会でもお客さんは98%女性。身の置き場がないわん。やはりポーやトーマの一角には人だかりができているが、『残酷な~』や『バルバラ異界』で知ったとおぼしき若い世代もちらほら。
若いのもおばはんも、女のタイプが辛酸なめ子言うところの「本命女」で、ほとんどが黒髪、染めてるとしても明るい色は皆無。会場には恋月姫の下品なビスクドールも置かれて八方美人な媚びを放ってたが、客層はぜんぜんエロいオーラを発散してない。だいたい『トーマの心臓』の最後にユーリが神学校へ行って坊主になっちゃうってのがよくないよな、長く読み返してなくて細部覚えてないんだけど、抹香臭い、後に村上春樹に汚染される気配がすでに漂う。
たぶん小学館の少女マンガがいちばんそっち系統で、集英社とか講談社とかですともっと一般的な女性の読者層なんでしょけど。いずれにせよ過去作の現在の出版状況など見ても、熱心なファンがいたり影響力の大きさからすると、とうてい正当に遇されているとは言いがたい。萩尾望都さんに限った話じゃなく。少女マンガがらみのムック本とか、以前はもっと丁寧に編まれてたと思うんだけど、今回の図録もちょっとがっかりする出来ばえ。



↑『ポーの一族』1972~76年。必ずしも物語上の時系列には沿わない形で描き継がれた連作長編。年をとらない吸血鬼の少年を主人公として18世紀から現代にまでいたる荘重なロマンとして熱狂的なフォロワーを生んだ。



↑フラワーコミックス版『ポーの一族』。萩尾望都の初めての単行本で、小学館としても初めての少女マンガ単行本だったという。



↑『トーマの心臓』1974年。少年たちの内向きな心理ドラマのため雑誌のアンケートは最下位でスタートしたが、上掲の『ポーの一族』単行本化が大きな反響を呼び、この作品の人気もぐんぐん上がった。



↑『百億の昼と千億の夜』1977~78年。光瀬龍の原作でも、このマンガ化でも、永い時を戦う「あしゅらおう」のイメージは興福寺の阿修羅像に基づく。飛ぶ鳥を落とす勢いだった当時の少年チャンピオンに連載されたというのも、今となっては信じられない。



↑「小夜の縫うゆかた」1971年。この年から小学館で作品を発表するようになり、爆発的にさまざまな作品を生んでゆく。



↑「ビアンカ」1970年。ビアンカが森で踊っている様子を主人公が見る場面は、ほかにも角度の異なる習作が残されている。「それを描かずにはいられなくて、わたしは画家になったのです」。

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