湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

東京の恋人チャフラフスカ

2020-10-04 18:26:16 | Weblog
先程、

「桜色の魂」(長田渚左・著)

を読み終わり、大変感銘を受けております

チャスラフスカは「東京の恋人」「東京の名花」と呼ばれ
東京オリンピックのスターでした
女子体操総合優勝を含む3つの金メダルを獲得した女子体操のスター選手でした
競技の技量も素晴らしかったですけれど
その美しい容貌によっても、人々の注目を浴びました
私より年長の世代でしたら、わざわざ説明の要もないでしょう

日本中を魅了したと言ってもいいスター選手でした
しかし、その生涯は波乱に富んだものでした
壮絶な人生と言っていいでしょう

東京オリンピックの次はメキシコオリンピックでした
当然、彼女はディフェンディングチャンピオンとして出場します
ところが、その直前、チェコスロバキアはソ連軍の戦車に蹂躙されしまうのです

その頃、チェコで民主化運動が起き、チャフラフスカも賛同者として

「2000語宣言」

に署名します

ところが、その動きを弾圧するために、ソ連軍はチェコに侵入したのでした
彼女は、しばらく身を隠し、練習も出来ませんでした

紆余曲折を経て、オリンピックには参加できましたが
やつれた彼女を見て、旧知の日本人体操選手は驚きました
チャスラフスカは、以前から日本人選手と仲が良く
よく、一緒に練習することもありました

チャスラフスカは、遠藤幸雄を特別に尊敬していました
遠藤は、東京オリンピック男子体操個人総合金メダリストです
二人は、その前の世界選手権で、ともに2位であり
東京オリンピックで1位になることを
互いに暗黙の合意(!)をしていたそうです

大きなハンディーを背負いながら
チャフラフスカは、メキシコでも、女子個人総合優勝を果たしました
しかも相手はソ連選手、満員の会場はチャフラフスカを熱狂的に応援しました

チャフラフスカは、競技終了後、メキシコで引退を表明し
その地で、チェコの陸上選手と結婚しました
帰国後には、子供も生まれたのですが
その結婚生活は、甘いものにはなり得なかったのです

オリンピック2連覇の体操の女王を待っていたのは
国民的英雄としての栄光の人生ではなく
ソ連の傀儡となった共産党政権による徹底的な弾圧でした
全ての公的地位を追われただけではなく
普通の職業に就くことすら出来ませんでした
名前を偽り、変装し、低給の掃除婦の仕事をして生活を支えたのでした





コメント
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