湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

心の闇?

2007-05-20 17:56:28 | Weblog
凶悪事件が起きますと
とりわけ猟奇的な凶悪事件が起きますと
マスコミは犯人の”心の闇”なる言葉を使いたがります

凶悪犯罪を犯す人は、他人に分からぬ
暗い心の奥底で、深い恨みつらみを積み重ね
ついに犯行に及んだと、マスコミや識者は考えたがるのです

私に言わせますと、凶悪犯罪、特に人間離れした凶悪犯罪を犯す人は
”心の闇”よりも”心の空白”をもつ人です
野獣のような行為を犯す人は、まさに野獣の心を持つ人であり
逆に言えば、人間の心が空白なのです

野獣が人間を襲い、服を食いちぎり、内臓を引き出し
食べにくい頭部を野ざらしにしても
彼らに、その行為の忌まわしさを感じる感性はありません
故人の生前の業績を考えることも
遺族の悲しみを想像することもありません
当たり前です、野獣に人の心は無いからです

自分の母親の首を持って警察に自首した少年は
相手は誰でも良かったという発言をしているようです
残虐な行為に興味があり、それをしてみたかったようです

これなどが、まさに野獣の心です
野獣にとって人間の区別は外敵か獲物か、ということです
それを識別するものは、自分との力関係です
自分より弱いものは獲物であり、自分より強いものが外敵です

人の心に、なぜ野獣の心が住み付いてしまったのでしょう
脳のどこか、人間らしさを司る部分に障害が発生し
人の心を失ってしまったのかもしれません
そうした病理学的可能性は排除できないと思います

しかし、また別の可能性も考えておく必要があります

人の心というものは後天的に形成されるものです
狼に育てられれば、狼のようになってしまうのが人間です
人の心は人間的環境の中で、はじめて育つのです

食事が”餌”と区別がつかなくなる時
情報が”感覚的刺激”以外の意味を持たなくなる時
日常生活が”生理的欲求”だけを満たし、文化的要素が欠落する時
はたして、人は人としての感性を育てることができるでしょうか
心にぽっかり”空白”ができてしまう危険はないでしょうか
コメント
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