無意識日記
宇多田光 word:i_
 



よし! 前回予防線張りまくったから今回は好き勝手書いちゃうぞ!キーの違いについても語るし各バージョンを比較したりもしちゃうぞ!(…裏切り者め…)


普通、キーが下がった曲の雰囲気って元のより暗くなったり地味になったりするものだ。相対的に元のバージョンが明るく派手に感じられるってことなのだが、ことこの『First Love (Live 2023)』にはその一般論は当て嵌まらない。1999年のスタジオ・バージョンよりキーが2つ?下げられているにも拘わらず、派手にはなってはないけれど、ほんのり明るく感じられるのがとても味わい深く興味深い。

その要因は、既述の通りルース・オマホニー・ブレイディによる鍵盤演奏の妙味が主だった所を占めているのだが、それに伴ってヒカルの歌唱自体もアプローチがオリジナルのとは異なっている点も見逃せない。

15歳(の年末なのでまもなく16歳)のヒカルの歌声はよりシリアスだった。深刻というと少々言い過ぎなのだが、失恋という事態をより切実に捉えそれを乗り越えていこうという力強さを表現していたように思う。翻ってこの40歳(なりたて)の歌唱はもっと包容力が強く優しくて柔らかいものだ。勿論、いざという時の切ない節回しは健在な上で、だが。

ヒカルの歌声というのは元々母親譲りの暗さ…というと少し違うか、“翳り”のようなものが纏われていて、明るいメロディを歌っても切なく響くというのが特徴的だった。なので、低い音域を歌うときに創り出すムードのダークさは他の同年代の女性歌手たちとは一線を画していた。例えば『A.S.A.P.』のゴシックに片足突っ込んだダークさはこの歌声あったればこそだったのよ。

だが、この『First Love (Live 2023)』でのヒカルの歌声は1999年のバージョンより仄かに光を放って聞こえるように思う。より低い声を出している筈なのに歌声の肌触りが優しく柔らかい。これを安直に「母親になったから」と言うのは……いや、当たってるな。母親になったからってのはデカいなこれ。包容力というのは自らが守るべき者を見定めて初めて本当に身につくものだから。

そんななので歌詞のニュアンスも若干異なって響く。『明日の今頃には私はきっと泣いてる』というのはオリジナルでは未知の体験を予期したような不安含みの響きがあったのだが、今の歌い方だとまるでそうなることの自然さを理解した後であるかのような。もっと言えば自分のこどもの失恋について優しく受け止めてあげてるような雰囲気すらする。それはまぁ先入観の賜物なのだろうけど比喩としては妥当じゃなかろうか。

同じ歌詞、同じメロディを歌っていても、様々な事を証明せねばならなかった1998~1999年の頃の緊張感とは違い、一時代を築いた後のお疲れさま感が溢れるこの『First Love (Live 2023)』は、正直聴いてて受ける感動はまるで別の曲のようだ。24年前はその楽曲の完成度と歌唱の技巧に圧倒され「参った」と思ったものだが(「Utada Hikaru rules !」ですわね)、今はしみじみと人生の味わいを噛み締めるような感動を齎してくれている。ピーマンの天ぷらみたいな? あれからもう16年かよ。それはさておき。


こうなってくると興味が出るのは今後ライブ・コンサートでどちら寄りのアレンジで聴かせてくれるかだよねぇ。今までは『First Love』といえばコンサートではその重責振りに出来るだけオリジナルに忠実にという傾向がみてとれたが(ナチュラルな経年変化はあったけどね)、今回のアレンジはかなりドラスティックな変化だ。曲の捉え方、アーティストとして代表曲とどう向き合うかという点を根刮ぎ刷新したかなり進取的なアプローチとなっている。恐らくここらへんは、ライトリスナーがどこまでついてこれるかを見極めながら決めていくのではないかなと。シンプルに言えば、サブスクで『First Love (2022 Mix)』と『First Love (Live 2023)』がそれぞれどんな比率で聴かれていき、また、その比率が時間経過と共にどう変化していくかで決まっていくものなんじゃないだろうか。ヒカルは数字なんて見ないと思うがそこらへんは肌感覚で察せられてしまう人なので(何しろ写真で見知らぬ他人の性格を言い当てられる人なのだから)、我々としては力まずにそのとき聴きたい気分のものを素直に聴いてればいいんじゃないかなと。やっぱり1999年のバージョンの方がいいというなら素直にそう言えばいいしな。そういう傾向や願望が集積されてライブでの『First Love』の現れ方が決まっていく気がする。その主導権は作者の手を離れてしまってリスナーに委ねられる割合が大きくなってるのよね。「国民的名曲」ってつまり、もうこれは「宇多田ヒカルが失恋について個人的に綴った歌」から「みんなの歌」になってしまっているということなので、流行歌が定番曲になり永遠のスタンダード・ナンバーへと盤石の地位を固めていく過程を今リアルタイムで眺めれている最中ってことなんですよ今。楽しくて仕方がないわねっ(笑)。

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『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』のテイクはオリジナルのスタジオバージョンと比較するとキーが幾らか下げられているらしいが例によって絶対音感と無縁な私は自分の耳だけだと全く気づかず。幸せな耳だ。

キャリアを重ねた歌手がキーを下げると「高音が出なくなった」とか言われる。今まで出来てた事が出来なくなるのだからその点では「衰えた」と言われるのも仕方がないかもしれないが、声の状態というのは長いスパンで接してると実に奇々怪々摩訶不可思議なものでねぇ。

特にあたしは骨の髄までメタラーなので「ハイトーンボイス至上主義」にずっと接してきたと言っても過言ではなくてな。ライブで如何にフェイクせずに声を出し切るかがライブ全体の評価を左右するまでになることを沢山みてきた。ロブ・ハルフォードがキメのハイトーンにエネルギーを残すために他のパートを思い切り省エネで歌うのをみて「これが需要と供給ってやつか」と妙に納得したのも随分昔の話なのよさ。

そんな歌ばっかり聴いてきたんだが、高音って、確かに平均すると年齢と共に出なくなっていくものではあるものの、それはあクマで平均の話でしかなく、個々のシンガーの事情をみるとそんな単純な話でもない事がわかる。30代の頃はもう20代の頃の高音は出なくなってて「早くも衰えたな~」とか思ってた人が40代50代で復活したなんて例もある。長いスパンでみないとそれが本当に「加齢による衰え」かどうかなんてわからないのだ。

折悪しく、なのかどうかはわからないが、今回ヒカルは『40代はいろいろ♫』という年齢を前面に出したタイトルの企画でキーを下げた歌を披露した訳で、こうなると絶対音感を持つライトリスナーが聴いた場合、「え、宇多田ヒカルってもう40歳なの!? あら歌のキー下げてるわ。年齢には抗えないのね。」みたいなことを言われかねない。

まだ私そう言われるのを実際には見たことないから今のところ杞憂でしかないんだけれども、そう言われる可能性は結構高いように思われる。言いたいことを先に言ってしまうと、そういった発言を目にしても争わないようにしてほしい。ライトリスナーのその場限りの感想である。責任も何もない。実際にキーを下げて歌っているのだから事実は事実だ。そういうアレンジにした理由が本当は「声が出ないから」ではなく、例えばギターのチューニングの都合とか、そのキーでしか出ないトーンがあるとか、その他の音楽的な話だったりするかもしれない。ただ、そういう話をしたとしても「そんなものは体のいい言い訳だ」とかって言われたら結構どうしようもない。反論するだけ徒労だろうね。

長いスパンでみないとわからないし、キーを下げるのは声が出ないからではないかもわからない。声はわからないことだらけなのだ。どれだけ節制して毎日鍛錬を欠かさない人でも衰えるときは衰えるし、暴飲暴食を重ねるヘヴィスモーカーでも60代にして絶好調!みたいなこともある。個々の努力が足りないとかそういうことでもないんですよね。個人差が大きく、様々な事情が絡み合う。幾ら我々が熱心だからといって未来は結局わからないのだ。

キーを下げてるとか高音が出てないだとかいうのを気にしない為にすることはシンプルだ。くらべないことである。歌を聴いてる時に自分の記憶や知識を持ち出してそれを参照しながら耳を傾けるからややこしくなるのだ。オリジナルのスタジオバージョンの幻影を携えたままで今の歌を聴くだなんて、あなた今の恋人とデートしてる時にいちいち昔の恋人のことを思い出してあれやこれやと比較するタイプなの?? いやいや、ただ目の前の歌と向き合って今聞こえてきているのは何なのかという所に気を配っていればそれより外の何かと比較する機会も必要もないし、歌を楽しむというのはそういうことだと思うのよね。その時その場所その瞬間に夢中になれる歌とたった今接していれば、過去や未来や他の場所のことなど気にならないわ。

それに、そもそもヒカルさん、一昨年収録の『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』実施数日前に一切声を出せなくなっていたのよ。そのスタジオライブを乗り切ってそこから昨年はコーチェラに出演して南青山でシークレットライブを敢行、夏休みは立て続けにテレビで歌ってそしてこの『40代はいろいろ♫』まで来てくれたのだ。我々の誰が思うよりも入念に声のケアをしてくれてるよ。この丁寧極まりない歌い方には深く心が籠もっているように私は思うのだけど、歌を聴いてなにをどう感じるかはひとりひとりだから、そこの自由はいちばん大事にしなくちゃいけないわね。皆さんひとりひとりの感想を大切にしてね。

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