無意識日記
宇多田光 word:i_
 



そういや『Time』ってそんなにヒットしなかったなー。同系統の『Prisoner Of Love』とかとそこまでクォリティに差は無い…どころかサウンドのビックリ箱ぶりは『Time』の方が甚だしいくらいでな…やっぱタイアップ相手の強さの違いだったんかな…と他所のせいにする前に曲自体で原因を考えてみると、そうね、「歌詞がハマり切らなかった」というのはあるかもしれないな。

『Wait & See ~リスク』なんかでも思ったが(また昔だなぁ)、メロディ自体はいいのに時折歌詞が野暮ったく響く事があるのよね。逆に最も歌詞がハマったのが『traveling』で、あのワンワード・リフレインの鮮烈さはまぁ世界史に残るよね。ビートルズも真っ青って言っていい数少ない例だわ。

『Time』は『Prisoner Of Love』に較べて歌詞が野暮ったく…ってわかりにくいかな、理屈っぽかったり説教臭くなったり(といってもほんの僅かに、だけどね)と、謂わばヒカルさんの頭の良さがそのまま出ちゃってるような感じになってる歌詞があったりするのよね。そうなると、メロディにフックがあってもキャッチーに響きにくい。『Time』にはタイトル連呼もないしね…いや、あるにはあるけどあれはキャッチーからは程遠いだろ!(笑)

『Prisoner Of Love』は英語のタイトルを連呼する場面と日本語歌詞の切なさがうまく噛み合ってるんだよね。そこのバランスってまたこれが難しい。わかりやすい極端な例としてここは『Be My Last』を出すか。あれのメロディはとてもよく出来ているのだが何故か歌詞が投げ遣りで…いや本人が言ってたけどね、最初の三行『かあさんどうしてそだてたものまでじぶんでこわさなきゃならないひがくるの』でもう言いたいこと言い切っちゃったから、って。そこから先は蛇足だったんだろうね、特にサビが投げっぱなしでなぁ。この曲はリフレインでタイトルを連呼するよりも丁寧に1番も2番も3番も違う日本語歌詞を当て嵌めていった方がずっと売れただろうな。メロディのキレという点では『SAKURAドロップス』を更に進化させたような情感に溢れてたんだけど、あの歌のような丁寧な構成の歌詞が『Be My Last』には無かった。それが痛かった。『SAKURAドロップス』なんて年間6位の大ヒット曲になったというのに『Be My Last』は…嗚呼、当時のiTunesチャートで年間2位獲ってたか。

多分『Time』と『Prisoner Of Love』、『Be My Last』と『SAKURAドロップス』の関係は似たようなものなのだろう。歌詞がハマり切らなかったせいで大ヒットを逃したというか。メロディ自体はどちらも遜色ない。あたしは歌詞にそこまで拘らないので自分で聴いて楽しむ分にはそんなに変わらない。ただ世間でヒットしたかどうかが違うだけでな。

それにしても、それがタイアップのヒットサイズと連動してるのはどういう訳か?? それについてツッコんで考えるのはかなり歯応えがあるのでまた別の機会に譲るか。

そんな事言ってるけど、結局法則性ないのよねぇ。『Be My Last』のサビがぶっきらぼうなタイトル名の繰り返しだから云々とか言っても、『One Last Kiss』なんてサビ『Oh-Oh-Oh-Oh』だからね。歌詞が無いのに特大ヒットじゃん! いや、英断だったと思うけども。

ヒットしたかどうかを気にせず楽しんでる分にはどうでもいい話なんだけど、ヒットがその後の音楽性に影響を与えるってのが今週触れてきた話なので、それはそれで気にしていくのもひとつ意味があるんだなと思い直してるとこなのでした。勿論、『Time』自体は大好物でがんす!

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うぉぉ、昨夜のインスタ投稿、なんという尊い写真か。母、子、猫。ロンドンの猫カフェでの1枚。もうこれは一幅の絵画よね。美しい。未来の美術の教科書に「21世紀当時の(猫カフェという)世俗的な背景と時代に依らない普遍的な親子の仲睦まじい姿を描いた1枚」とかって紹介されるヤツだ。

ヒカルさんのいつの間にか随分伸びた後ろ髪に隠れるように元気そうなダヌくんの近影が窺えるのがまたよき。我々にとってヒカルに「こどもができた!働かなきゃ!」とプロフェッショナルな音楽家としての復帰を決意させてくれた一生大恩ある人物だからね。尊い。どこまでも尊い。

そしてこの絶妙な顔面の隠し方、宇多田ヒカル的既視感、まるで終わらないデジャヴ、Never Ending De-javuを感じさせてくれるなと思ったら、あれですよ、ヒカルの好きなドガですよ!


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あと、これはちょっと反則気味(笑)だけど、実は、この絵の、この女の人が、ドガの絵の中で私が一番好きなとこ。なんかマニアックでごめんなさい。

あの有名な画家のマネ(Manet)と彼の奥さんを描いたもので、ドガがマネにプレゼントしようとしたんだけど、どうもマネが激怒して絵を破いちゃったんだって。それであの女の人の顔が切れてるの。

最初からこういう絵だったらよかったのに、って思うくらいあの顔の切れっぷりが好き。なんでだろう。あの切れてる位置が、とってもいいの!!!顔の見え具合、というか、見えなさ具合が。いいよね!

https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_35.html


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そう、ヒカルさんは「顔の切れてる絵」が好きなのだ! この際、マネが破いたとかいう経緯は関係ない。『最初からこういう絵だったらよかったのに』と言っている通りだ。まさかその理由が、未来に自分が息子と顔の切れた幸せな1枚を撮るからだとは当時のヒカルは知る由もなかった…というのは言い方が変だとしても、今回のインスタは、単にヒカルが息子のプライバシーに配慮したのみならず、1枚の写真として、1枚の絵として好ましい作品をアップロードしたのだと言うことが出来る。

……その渾身の1枚を撮影したのが誰なのかはさっぱりわからないのだけど!!(笑)
猫カフェの店員さんなのかなぁ? ヒカルが猫を撮影しようとしている所をシャッターチャンスだと見定められるって相当センスいいよね。ってか、ヒカルの好みの1枚を撮影できる誰かってそうそう居ないよね。もしやダヌパパ?? いや、ロンドンで会うかなぁ…?

まぁそこ勘繰るのは野暮ってことで置いといて。

インスタとツイッターに書かれたコメントもいいわね。キラッキラのパリコレから帰ってきてほっと一息。こういうのを「庶民派をアピールして好感度アップ」とかいう意図もなくサラリと公表出来るセンスよな。もう今のヒカルは、昔みたいに「ファンに疎遠感や疎外感を感じさせないように」とかの特段の配慮無しに受け手にそういった安心感や満足感を自動的に(Automaticに!)与えられる存在になっている。敢えて思い遣りや気遣いを心掛けなくても、自然と振る舞うだけでそうなる人間になった。若い頃に「笑顔が素敵な人でありたい」とか「人に優しく」とか「いい世界にしてあげたい」とか願っていたのが、40代を迎えた今結実している。いい世界にするにはまだまだ道半ばだけど、こういうのを「大人になった」「夢を叶えた」と言うのかもしれないなぁ。

なので、結果として庶民派アピールと受け取られようがそれによっ好感度が上がろうが、この真の自然体の姿勢には敵わない。パリコレの華やかな世界で特一級のセレブ達からレジェンドに会えたと感激されるのもヒカルさんなら、ヨレヨレの普段着で近所のカフェで寛いでるのもヒカルさんだ。だからどうというのはないのだ。今こうやって生活してますってだけでね。構えんなぁ。

というインスタ投稿をしているのは猫カフェじゃなくてその寛いでる近所のカフェの方であって、いや1回の投稿でカフェ2つ出てきてんの、意識してないと後年絶対勘違いしちゃうヤツだね…だなんてことを気をつけたがるのは、日記をこうやって十何年も書いてるが故の私の感覚の所為ですけどね。

しかし、前回の『猫の手も借りたいくらい忙しいはずなのに』の一言が猫カフェへの前フリだったとはね! …そんなこと誰も言ってませんかそうですか。猫の手を借りて電話番をしてもらっても、こんな風に、電話に出て貰う事もかないません。せいぜい、客になってのんびりするくらいが関の山。こっちが余計に忙しくなるヤツ。パリで感激と感動を浴びまくってきた後の猫の無関心って、堪らなく心地好いだろうな。猫って、いいよね…。

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