無意識日記
宇多田光 word:i_
 



散々『Rule(君に夢中)』から

『The second guessing I do is not doing me any good』

の一節を引用してきたが、これは1番での歌詞。同じ箇所が2番では

『The second guessing you do is not doing you any good』

になっていてちょっと違う。『I/me』の所が『you/you』になっているのだ。従って1番の歌詞は

『くよくよしてたっていいことなんてないわ』

と自分自身に言い聞かせているのに対して2番の歌詞では

『くよくよしてたっていいことなんてないよ?』

と『you』=『君』に諭す口調になっている。youという単語はoneに置き換える事も出来て一般論を語らせる事も出来る。その場合でも諭す口調になるのは同じだ。

ヒカルの書く歌詞に於いては、素直に『you』=『君』と捉えていいかはわからない。というのも、1番と2番で視点が変わることがあるからだ。代表的なのが『Simple And Clean』で、1番は結婚に積極的な女の子、2番は結婚に及び腰な男の子の視点でそれぞれ綴られていたりする。

ではこの『Rule(君に夢中)』ではどうなのか。視点は入れ替わっているのかいないのか。

そのヒントになるのが2番のここの歌詞だ。

『It just takes time to see the truth』

1番ではここにあたる歌詞がない。そもそも何も歌っていないのよねヒカルさん。なので、この一文は『you/you』に固有の意味を持つメッセージだ。訳すと

「真実を知るには時間がかかる」

となる。justを強調するなら

「真実を知るには時間がかかるってだけさ。」

みたいになるかな。結構唐突なんだけど、でも、この後にこの歌詞が出てくるんだよね。

『知れば知るほど遠のく真実を
 追いかける最中に私が私を欺く』

ここの前半を取り出して

「真実は知れば知るほど遠のくものさ」

みたいな風に書き直せば、『It just takes time to see the truth』の対訳にかなり近いニュアンスになる。となると、そのあとに『私が私を欺く』とあるのだから、この段落は「君に夢中な私」の話だ。直前に『好きすぎてどうにかなる』とも歌っているしね。

てこたーだ。

『The second guessing you do is not doing you any good』

の『you』は『君に夢中』の『君』や『I let you rule』の『you』ではないのよ。私が夢中で好きすぎてどうにかなりそうな『君』は『you rule』、君しか勝たん、最高に輝いてるんだからくよくよなんてしてないんすわ。

なのでここの『you』は『私』の事を指していて。となるとその話者は『私』でも『君』でもない第三者で。

それに対して、くよくよあれやこれやと考えている『私』を肯定するために、『いや、私があれこれ考えてるのは真実を知るためなのよ。だからこんなに時間を掛けてるの。』と(と多分心の中だけで)言い返してるのが『It just takes time to see the truth』の一文、なのだろう。でも結局、自分でも「くよくよしててもいいことなんてない」とわかってはいるのだ、1番にある通り。そこを誤魔化してるだなんて確かに『私が私を欺』いているわね、真実を知ろうとする中で。実際歌は1番も2番も同じ『The constant texting ...』へと続いていく。結論は同じ「こっちに来て私を止めて」になるんですね…


……と、いう今回の解釈はひとつの可能性に過ぎない。どこの視点からの歌詞なのかは、歌を聴いたひとりひとりが感じたことを大切にしてほしい。その中で、どれがヒカルの意図した解釈なのだろうか? ──その本当の真実を知る為には、きっと時間が掛かるのさ。It just takes time to see the truth about Utada Hikaru、なんですよ。…… お後が宜しいようで?

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へぇ、「新堂本兄弟」出演から15年か。懐かしい。
https://twitter.com/hikkicom/status/1636122600412700672


この時期はヒカルが最も精神的に荒れ狂っていた時期で…というのはトークを聴いて貰えればわかるかな。端的に言って病んでいる。本人も自覚していたようで、自分のことを『行き先不明の暴走トレイン』と称していた。決まった線路の上しか走れない列車の行き先が不明って相当な暴走振りなんですよ。

ただ、5作目のアルバム『HEART STATION』の出来栄えを顧みると、いやこれ一人の人間がたった2年で作れるクォリティじゃないよね。人間性の大事な部分まで削り込んでしまったというのは逆に納得感がある。『テイク5』の最後の一節、『今日という日を素直に生きたい』が生まれたときにヒカルが「なんだ、私、生きたいんじゃん」と気づいたというのは有名な話だが(…そう?)、そうやって歌に教えて貰うまで自分の生物としての生への欲望を認識できないほど壊れていた、或いは厭世的だったというのを象徴するエピソードでもある。確かに、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のラストに通じるものがあるな。次にこの作品を映画化するときには是非『テイク5』を採用して欲しい。なんだったら「銀河鉄道999」にも『テイク5』が合う、という意見を伺って私も確かにリメイクするならこれエンディングで流されたら堪らんなとなったわ。

今は更に凄まじい8作目のアルバム『BADモード』を作り上げても壊れた風ではなかった。それだけ丈夫になった、或いは母親になったのだから『くよくよしてる場合じゃない』と開き直れてる、のか。例えばアルバム発売時のインスタライブをみても穏やかで優しく元気そうだった。

しかしそれで創造に関する心身への負担が軽くなっているのかというと恐らくそんなことは全くなくって。『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』収録時に直前まで声が出ず日常生活を筆談で送るまでになっていたのはメイキングを御覧になった皆さんなら御存知だろう。うらぶれていた15年前と、創造の負担は変わらない。どころか増している。歌手が声を失うだなんて、9歳の頃東京駅で迷子になった時以上の絶望を感じたのではなかろうか。(迷子エピソードはその「新堂本兄弟」で語られています)

こうやって、大人になるというのは、傷つかなくなる、鈍感になるというのとは違い、傷ついても立て直す術を、何事もなく日々のよしなしごとをこなせる方法を身につけることなのだなと納得させられると、17歳の時に歌った『タイム・リミット』の『傷つき易いままオトナになったっていいじゃないか』という一節が殊更しみじみと思い出される。目の輝きが失われていないどころか、若い頃より更に綺麗になっているのをみて、寧ろ自分を守る、立て直す術を身につけたことでこどもの頃以上に神経と精神をより繊細に研ぎ澄ますことに躊躇しなくなったかもしれない。そして今現在進行形で目の前にこども時代を送る人が居て毎日それをよくみることが出来ている。


なんだろうな、そういった現況を端的に表したのが昨日のエピソードだったんじゃないか。


『ミケランジェロ過ぎワロタ 
遅刻しそうでミゾレが降る中でもこんな写真撮る母親に付き合ってくれる息子…』
https://twitter.com/utadahikaru/status/1635594601829466115

『割とテイク8くらい』
https://twitter.com/utadahikaru/status/1635605797945380864


ミケランジェロの「アダムの創造」に擬えて道に落ちてる手袋を撮影する母ヒカル。どうやら動画の方は一旦戻ってきて撮影したらしい。道の濡れ具合から推察できると。特定班ますます磨きがかかってるな…。

「なにやってんの、こんなのどっがこどもかわからないじゃない」だなんて皆から思われてるのだろうけど、そうなのよ、ヒカルさんは「傷つき易いままオトナになった」ので、こどもの頃の感性とサヨナラした訳じゃない。局面々々でこどもの顔を見せてくれる。それでいて『BADモード』のようなとんでもない作品を8作目に作り上げるのだから見上げたもんどころの話じゃないよねぇ。総ては繋がってるんですな。テイク5からテイク8へ、5作目から8作目へと、ね。

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