芥川龍之介。けつかう現代的な文章ですね。昭和のはじめころ、書き言葉としての現代日本語がかういふふうに完成してゐたのか、と読むこともできる。またこれは、なにか、現代のトヰツタアのやうでもある。しかしこの文章は、よく見ると周到に推敲されている。その文学的技巧はすばらしい。作家が私たちの感性に乗り移ってくる。読者としては、まさに自分自身が今体験していることのように感じられる。
一人の人間があるときに経験したエピソードを言葉で書き連ねる。それを読むと、それはそのときのその人が感じ取った経験のすべてのように感じられる。優れた小説家が書くと、それが可能なのでしょう。しかし、言葉によるこういう記述が人生そのものだ、といえるのか?
『或阿呆の一生』という文章が或阿呆の一生であるのか? あるいは、このような記述の羅列がA君の人生であるといえるのか?
拝読ブログ:散策事始め7 わが源委指向
拝読ブログ:「一九三四年冬―乱歩」 読了