哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

実用的な脳の錯覚機構

2007年09月03日 | x欲望はなぜあるのか

動物や人間の内部にあるように感じられる力や欲望や意思といわれるものは、視覚など感覚器官に入る信号から直接感知できるのではなく、感覚信号に励起されるいろいろな神経信号が脳の中を駆け巡って作られる合成された運動イメージに自分の身体の運動衝動が共鳴することで起こる複合的な知覚です。直接目に見えるものではないのに、目で見えるがごとき強い存在感を持つ。こういうものは、一種の錯覚というべきでしょう。

こういう力、あるいはああいう欲望が起こると、その物体ないし動物、はこういう運動を起こす。Aが起こるといつもBが起こる。物事がそう見える場合、AがBを起こす、と思いたくなります。Aを原因といいBを結果という。人間は、こういうふうに世界の法則を学習していきます。もっとも,昔の哲学者はこの素朴論法の危険を見抜いていて、西洋古典哲学でも、「ポストホック、エルゴ、プロプテルホック(それの後だからそれに因る、というラテン語)」という後付論法の誤謬が教えられていました。

カエルが鳴くと雨になる。カエルが鳴いた後で雨が降る。だからカエルの鳴き声に促されて空は、雨を降らしたい、という欲望を持つのだ。こう理解すると、これは覚えやすい。実際はカエルが雨を降らしているのではない、ということを現代人は知っている。実際の物理現象はもっとずっと複雑ですが、こういう法則にして学習しておけば、実用上便利です。A→B。これはこの世界のいろいろ重要な現象を実用的な法則として記憶しておくために便利な論法です。人類が生き抜いてきた世界ではだいたいそうだったから、この後付論法が、人類の脳の機能として発達した。これは、そういう実用的な脳の錯覚機構です。

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人間の内部に起こる何か

2007年09月02日 | x欲望はなぜあるのか

Bougereaunymphaea 石ころなど無生物が動く場合は、何かに押されるか引かれるかです。何かに接触している場合は、それに押されているらしいと分かる。地面に向かって加速しているときは、単に落ちている、あるいは、地球の重力に引かれている、と感じます。

私たちが、無生物ではなくて動物や人間が動く場面を見たとすると、それらが何かに押されたり引かれたりして動いている、とは感じずに、自発的に運動している、と感じる。人間の脳は、無生物に働く力を感じるのと同じように直感で、動物の内部に発生する力のような動きの原因、を感じます。自分の身体が動くときは、筋肉が緊張する内部感覚を感じる。運動を開始する動物や他人を見ると、運動の共鳴が起こって自分の筋肉が緊張するかのような運動感覚が感じられる。その運動の原因になっている、動物や人間の内部に起こっているらしい何かを感じて、人間はそれを欲望とか意思とか意図とか言うようになったのでしょう。

近代哲学の開祖といわれる哲学者は、さすがにこのことを見抜いていて、原因とか力とか意思とかいわれるものは、それがあると思われている物体や人物に備わっているのではなく観察者の中にある、と言いました(一七三九年 デイヴィッド・ヒューム人性論』既出)。その後、ニュートン力学や近代心理学などが広まったためと思われますが、近代から現代の哲学まで、この方向の考え方は忘れられたかのようにあまり発展しませんでした(現代哲学で取り上げている例としては、たとえば一九八七年 ダニエル・デネット意図的観点』)。

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拝読ブログ:異質性」や「多様性」って何だろう?

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速度を直接感じる

2007年09月01日 | x欲望はなぜあるのか

そして人間は、「心が動いて欲望や意思や意図を作り出し、それが筋肉を動かして力を出し、人体の運動が起こる」という人体のモデルを考え出した。このモデルを認めて、会話を進めていくことで、人間は、自分たち自身の身体と精神の活動や社会活動を言葉で語り合うことができるようになった。こうして、人間は、欲望→意思→意図→運動神経信号→筋肉収縮→人体運動、というものからなる人間行動の理論モデルを作ったのです。

背景に対して動いているものの位置の変化を速度、と感じ取る機能が人間の脳にはあります。向うの山裾を列車が走っていくのを見ると、人間はその速度を直感で感じる。コンピュータのように位置情報を時間微分して速度を算出しているのではない。人間の脳は、(オービスやスピードガンなど)ドップラー速度計のように速度そのものを感知する。橋の上から下の川の流れだけを見ていると、自分が流れとは逆の方向へ飛んでいるように感じる。速度を直接感じる脳の機構が働いているのです。海の波を見ていると、波が沖から走ってくるように感じる。脳が物質の運動を自動的に感知してそれに注目し、運動形成回路を同期させるのです。これで動いている物体に乗り移ったような気持ちになれる。それが速度を感じる脳の機構です。

波を構成している海水は、実は沖から岸へ移動しているわけではない。一箇所で上下運動をしているだけです。それでも人間には、波が岸へ向かって走るように見える。錯覚です。しかし、人間は、波が岸に向かって進む力を感じる。

拝読ブログ:赤紙

拝読ブログ:波源が波の進行速度より速い現象

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力のイメージ

2007年08月31日 | x欲望はなぜあるのか

Almatademaancientegypt 人間の脳は生まれつき、このような力を直感で感じ取る機能を備えている。物体の運動する様子を見ているだけで、自動的に、脳のどこかの神経回路がその物体に働く力のイメージを検知して、その存在感を感じる。物が運動を始めるとき、その原因になる現象が近くで起こっている、と感じる。目に見えなくても、その原因はある、存在する。それが力とか、欲望とか、意思です。コンピュータにやらせれば、位置の三次元ベクトルの時間変化を二階微分して、質量と力の大きさと方向を三次元ベクトルとして正確に算出できる。しかし人間の直感による推算のほうが速かったりします。

人間は、物が動くイメージを脳に浮かべると、それに対応して瞬時に筋肉が必要な速度で収縮を開始する。これを自分では衝動と感じる。考えたとおり動くのではなくて、動くことが考えることになっている。その仕組みで人間は瞬時に行動できる。力学法則を習っていない子供のほうが、運動方程式を使って計算するサッカー用ロボットよりも、サッカーが上手なのです。

物が動くイメージが現れれば、すぐに脳の運動形成回路は必要な筋肉収縮の信号を作り出す。直接筋肉にまで送り出されないでまだ脳の中に留まっている運動信号列を(拙稿の用語法では)仮想運動といいます。仮想運動は、もう一度シミュレーションで世界の反応を確認した後、筋肉に指令として送られる。これら一連の神経活動を思い出した人間は「自分が力を出した」と思うわけです。

拝読ブログ:衝動的な食欲のコントロール方法

拝読ブログ:まるでコメディのようなサッカーハプニング集

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ニュートンが感じた『力』

2007年08月30日 | x欲望はなぜあるのか

人間の脳は、物体の運動を感知すると、その運動を引き起こす力を直感的に感じ取るようにできている。脳には(たぶん大脳皮質の運動野あたりに)その働きをする神経回路があって、運動の視覚情報から自動的にその原因になる力を推算しています。リンゴが地面に向かって動き始める。それは何かがリンゴに力を加えるからに違いない、と直感で感じる。古典力学の『』概念はそこから出てきたのでしょう。頭の固い科学者は、力はニュートンの運動方程式で定義される物理量だと思っていますが、ニュートン自身が感じた感覚は違います。人間が「私は思いっきり力を出したので、とても疲れた」というときの力の意味にとても近い。ニュートン力学がなかった時代のニュートンは、物体を動かす原因となっているはずの何か、たとえば人間に働く意思とか欲望にあたるもの、それを、『力』と呼んだのです。今でも力学を知らないふつうの人ほど、ニュートンが感じた『力』に近い力の概念を持っている。

それは、物体を動かす原因になる何か、というものです。物体は、何もされないときは、静止している。物体が動き出したときは、何かが物体に働き始めたのです。その何かが、力、です。

拝読ブログ:『とべない蜂』と信じる力

拝読ブログ:静止摩擦係数、動摩擦係数、ばねにつながれた物体の運動

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