ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

恋重荷

2012年07月14日 | 文学

 蒸し暑い土曜日の午後、冷房を効かせた室内で、NHKで放送されていた能楽中継を鑑賞しました。
 曲は恋重荷(こいのおもに)」です。

 菊守の山科荘司は、いい年をして、ふと見かけた高貴な若い女御に懸想してしまいます。
 それを聞きつけた女御の臣下の者が山科荘司を呼び出し、目の前にある美しい錦の布で覆われた荷をかついで百回も千回も庭を廻れば、もったいなくも女御がお姿を現してくれるであろう、と告げます。
 喜び勇んで荷を持ち上げようとする山科荘司。
 しかし、どうしても持ち上がりません。
 女御は石を入れた箱をいかにも軽そうに見えるよう錦の布で包み、持ち上げられないことで老いらくの賎しい身分の男が高貴な若い女御に恋することが虚しいことだと悟らせようとしたのです。
 山科荘司は人前で恥をかかされたと憤り、ついには憤死してしまいます。
 あわれに思った女御はせめては死に顔でも見てやろうとします。
 そこに亡霊となった山科荘司が現われ、ひとしきり恨み言を述べつつ舞います。
 しかし、霜か雪か霰か、恨みは跡を消し、これからは女御の守り神となろうと宣言し、亡霊は去って行きます。

 単純なストリーリーですが、喜んで重荷を持ち上げようとする老人、そして恨みを抱きながら女御の守り神となろうと決意する亡霊、自分への思いを断ち切らせようとした計らいごとが思わぬ展開となって戸惑う女御、それぞれに熱演で飽きさせません。

 豪華絢爛たる衣装、それと正反対の極端に簡素な舞台、それらが相乗効果をなして表れる美的世界は、舞台芸術の極北にあるものです。
 世界に例をみないファッショナブルな舞踊もしくは演劇ですねぇ。
 エンターテイメントに徹し、時に猥雑な歌舞伎とは対極にありますね。

 私はどちらもそれぞれに好みます。

 そういえば橋下大阪市長、文楽や落語への補助金を大幅にカットするとほざいていますね。
 落語はともかく、文楽のごとき大人の鑑賞に耐えうる人形劇は、おそらく世界に類を見ない高度な舞台芸術です。
 しかも落語と違って文楽人形や衣装、人材の維持には金がかかります。
 一遍だけ文楽を観て、「もう二度と観ない」と言ったそうですが、無粋な男です。
 伝統芸能への補助金など箱物やインフラ整備などにかかる金から見たら微々たるもの。
 伝統芸能や芸術への支出を惜しんでいたら、独り日本人だけでなく、世界の遺産が消えてしまいますよ。

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葬儀所

2012年07月14日 | その他

 自宅のすぐ近く、元パチンコ屋だったところに、小規模な葬儀所が出来ました。
 今日はそのお披露目ということで、内覧会。
 駐車場には千葉の物産を売る店や的屋が店を並べ、多くの人で賑わい、縁日のようでした。

 葬儀所は外装も内部も落ち着いた雰囲気で、シティ・ホテルのようでした。
 家族や親族の控え室にはベッドルームや浴室が備えられ、それがホテルのような感じをさらに演出していたようです。

 最近の流行りなのでしょうか、営業は家族葬を中心に行われていました。
 小規模な葬儀所でもあり、大きな葬式は出せない以上、やむを得ない戦略とも言えます。
 せいぜい50人くらいの会葬者が精一杯でしょうねぇ。
 あれではたとえ下っ端でも現職死亡した場合、対応できないでしょうねぇ。
 長生きして付き合いが少なくなった人や元々人付き合いが少なかった人、もしくはあえての家族葬希望者向けです。

 駅のそばに葬儀所が出来るとその駅前が死ぬ、とか言う噂を耳にしたことがあります。
 私が住まいするマンションでも、隣接地に葬儀所が出来ることに反対する声が上がりました。
 しかし、たかが葬儀所一つで死ぬようなら駅前なら、死ねばよいのです。
 また、誰でも必ずお世話になる葬儀所が隣接地に出来ることは、むしろ喜ばしいことです。
 家族の葬式や自分の葬式が楽になるというものです。
 さらに、自分が誰かの葬式に出かけるとき、会場が駅に近いと知れば、ほっとするのではないでしょうか。
 葬儀所はすべからく便利な場所にあってほしいものです。
 一番がっかりするのは、田舎のお寺での葬式。
 お寺は山の中などの不便な場所に立地することが多いですからねぇ。

 私が亡くなったら、おそらく隣に出来た葬儀所で葬式を出すんでしょうねぇ。
 死んだ後までも、便利な町になったものです。

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若山牧水 流浪する魂の歌

2012年07月14日 | 文学

 亡父の蔵書から、大岡信「若山牧水 流浪する魂の歌」という評伝を読みました。
 明治以降の歌人では、私は若山牧水の歌をもっとも愛吟しています。
 このブログでも、過去何度も若山牧水の絶唱を紹介してきました。

 しかし、今まで私は若山牧水の歌しか知りませんでした。
 どのような人生をおくったのかはまるで興味がなく、ただ桁外れの大酒飲みだったらしい、ということだけ、知っていました。

 九州に生まれて早稲田を出、早稲田では北原白秋と同窓で、後輩の萩原朔太郎とも親交があったこと。
 人妻と五年に及ぶ不倫に苦しみ、後の奥様とはこの不倫愛が破れて間もなく若山牧水からの猛烈なアプローチによって成ったものであること。
 常に金に困っていたこと。
 結婚後は狂ったように乞食坊主のような格好で日本国中を旅したこと。
 朝昼晩必ず酒を飲み、常に酩酊状態にあるアルコール依存症であったこと。

 どれもこの評伝で知りました。

 私はあまり評伝を好みません。
 歌人であれ詩人であれ小説家であれ絵描きであれ、要はその作品がどのような物であるかが重要で、どんな生活をおくり、人柄はどうであったかなど、瑣末な問題だと思っているからです。
 それはこの評伝を読んでも変わりません。

 ただ、評伝というものが好まれるのには、理由があるのだなぁと思いました。
 ゴシップ記事を読むような面白さがあるのです。
 この歌が生まれるにはこういう経験があったのだなと、納得させられるのです。

 小品でしたが、土曜日の朝のひと時、楽しませてもらいました。

若山牧水―流浪する魂の歌 (中公文庫 M 100-2)
大岡 信
中央公論新社

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