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てらまち・ねっと



 「アンネの日記」は学校の教材で出てきた。
 背景なども含めて興味深かかった。
 当然、図書館にも通常におかれている。

 それが、ここにきて、書物が破られているという(都内図書館)。
 《アンネの日記や、ナチスの強制収容所アウシュビッツに関連する複数の書籍が破られている》 (共同)

 ヘンな類推、早計な予測はしてはいけないと思いつつ、ふむふむと思える今の時代。
 こういうことは、早めに対策しないと蔓延させる人たちがいる。

 だから、ネットの報道を見てみた。が、まだ、あまり扱われていなかった。 
 とりあえず幾つかを記録し、「日記」の周辺情報をウィキペディアで見てみた。

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●アンネの日記、都内で破損相次ぐ 各図書館で200冊超
         2014/02/20 21:44 【共同通信】
 東京都内の複数の図書館で「アンネの日記」や、その関連する書籍のページが破られる被害が相次いでいることが20日、分かった。日本図書館協会関係者によると、被害は200冊を超えるとみられる。誰が何の目的で行っているかは、分からないという。

 中野区立中央図書館によると、同書が破られているのが見つかり、警視庁中野署に被害届を提出した。

 また、東久留米市立図書館では、アンネの日記や、ナチスの強制収容所アウシュビッツに関連する複数の書籍が10ページほど破られているのが見つかった。このほか練馬区や杉並区などの図書館でも同様の被害があったという。

●「アンネの日記」が大量に引き裂かれる 杉並、中野、練馬、新宿など都内の図書館で250冊以上
       j-cast 2014/2/20
東京都西部地区の図書館で、「アンネの日記」やその関連図書が大量に切り取られる被害が相次いでいることが分かった。
杉並区立図書館では100冊以上にも上っているが、何者がどんな目的でしたのか。


複数ページをまとめて手で引き破る?
「いずれも、最初の20ページほどを手で引き裂いたような感じでした。意図的なものだと思いますが、背景は分かりかねますね」
新宿区立中央図書館の館長は、取材に対し、戸惑った様子でこう明かした。
ユダヤ系ドイツ人のアンネ・フランクが残した日記文学「アンネの日記」は、ナチス・ドイツのユダヤ人狩りが迫る中で少女の心の葛藤や恋人への思いなどをつづり、世界的なベストセラーになっている。日本でも、翻訳書のほか、アンネの伝記や彼女を描いた絵本なども多い。
東京23区の特別区図書館長会が各館に情報提供したメールなどによると、こうしたアンネ関連図書の被害が少なくとも、杉並区で113冊、中野区で46冊、練馬区で41冊、新宿区で39冊、豊島区で5冊、それぞれ見つかった。このほか、多摩地区の東京都市町村立図書館長協議会などによると、西東京市で10冊前後、東久留米市でも数冊が切り裂かれていた。合計すると、少なくとも250冊は被害に遭っていたことになる。
こうした被害が初めて見つかったのは、練馬区らしい。
練馬区立光が丘図書館によると、1月23日に初めて区内の図書館で見つかり、その後2月4日までに、12館中9館で次々に被害が報告された。また、周辺でも、杉並区立中央図書館で被害が分かり、これを受けて、図書館長会が6日、各館に情報提供のメールを送り、注意を呼びかけていた。

戸惑う各図書館長「なぜか分からない」
練馬区では、「アンネの日記」などのほか、一部の図書館では、ナチスによるユダヤ人大量虐殺「ホロコースト」の関連図書も被害に遭った。これを受けて、各図書館は7日、器物損壊の被害届を警視庁に出した。犯人の意図について、光が丘図書館の館長は、「なぜか分からないので、コメントしようがありません」と話す。過去にこんなことはなかったという。

新宿区立中央図書館によると、区内の10館中3館で「アンネの日記」関連図書の被害が見つかった。ただ、ホロコースト関連に被害はなかった。すでに警視庁には被害届を出している。新宿区でも、過去にこんなことはなかったそうで、聞いたこともないとしている。

ネット上では、図書館関係者がツイッターで2014年2月18日、都内の図書館で大量に切り取られる事件が起きているとの伝聞情報を報告して、波紋が広がっていた。この関係者は、「ネット検索をすると、『ホロコーストはなかった&『アンネの日記』はフィクション』というような主張がみられる。関係があるのか」とツイートしているが、今のところそれに結びつく情報はないようだ。

●アンネの日記、破損相次ぐ 都内図書館で200冊超
          産経 2014.2.20
 東京都内の複数の図書館で「アンネの日記」や、その関連する書籍のページが破られる被害が相次いでいることが20日、分かった。日本図書館協会関係者によると、被害は200冊を超えるとみられる。誰が何の目的で行っているかは、分からないという。

 中野区立中央図書館によると、同書が破られているのが見つかり、警視庁中野署に被害届を提出。同署によると、2月上旬に被害届を受理した。被害に遭った本は、手で一気に破ったような跡があったという。

 東久留米市立図書館では、アンネの日記や、ナチスの強制収容所アウシュビッツに関連する複数の書籍が10ページほど破られているのが見つかった。練馬区や杉並区などの図書館でも同様の被害があったという。

 「アンネの日記」は、ナチスの迫害から逃れ、ドイツ占領下のアムステルダムに家族と隠れ住んでいたユダヤ人の少女アンネ・フランクがつづった日記。2009年、世界記憶遺産に登録されている。

●「アンネの日記」 都内の公立図書館で250冊以上が破られる被害
             ハフィントンポスト  2014年02月20日 猪谷千香
「アンネの日記」やその関連図書のページが大量に破られるという被害が昨年から今年にかけ、東京都内の公立図書館で相次いでいる。被害は少なくとも250冊以上になるとみられ、範囲も23区だけでなく市部にも及ぶ。

「アンネの日記」は第二次世界大戦中にオランダでナチスのユダヤ人迫害から逃れるために屋根裏に住んだ少女、アンネ・フランク(1929~1945)がつづった日記。世界的なベストセラーとなっており、児童書コーナーに置かれているものもあることから、図書館側では警察に被害届を出すなど警戒を強めている。

ハフィントンポストが2月20日現在、確認できただけでも、新宿区、杉並区、豊島区、中野区、練馬区、東久留米市、西東京市の各図書館で、合計250冊以上の本が被害にあったとみられる。いずれも「アンネの日記」やその関連図書などで、本の内部が何十ページにわたって破られるという手口だった。書籍にある特定の記述を狙ったものではないようだ。

新宿区立図書館では、区内3館で合計39冊が被害にあった。新宿区立中央図書館によると、ハードカバーの書籍で表からは見えないように、内部を十数ページ、中には二十ページ以上を一気に手で破ったような跡があったという。貸出や返却時には本の状態を確認していることから、書架に並んでいる時に被害にあったと思われる。新宿区立図書館では、警察に被害届を出し、アンネ・フランクに関する書籍については、書架ではなく、カウンターに置くなどの措置をとっている。

練馬区立図書館でも、区内9館で合計41冊が被害にあっていることが1月から2月にかけて判明した。警察に被害届を出し、「こうしたことで本を撤去することがないようしたい」として、破損された本はあらためて購入、貸出や閲覧については通常通り行っている。

また、豊島区立図書館では、2013年2月と5月の2回にわたり、区内の図書館で合計8冊が被害にあった。やはり、何十ページにわたって下半分が破られるなど、貸出できない状態という。豊島区立図書館では直後に警察へ被害届を出したが、今年1月にも再び、5冊の被害があったことが判明。再度、警察に届け出るなど警戒を強めている。

ハフィントンポストの調査で最も被害が多かったのが杉並区立図書館で、少なくとも113冊が破損されたが、さらに被害が拡大している可能性があり、現在詳しい状況を調べているという。各地で被害が相次いで発覚したことから、都内23区の区立中央図書館長で構成する「特別区図書館長会」では2月6日に各区の図書館に対し注意を呼びかけた。

●アンネの日記  アンネの日記 / ウィキペディア  

ベルリンのアンネ・フランク・センターに展示されている『アンネの日記』
『アンネの日記』(アンネのにっき、オランダ語: Het Achterhuis)は、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクによる日記様の文学作品。

概要[編集]
第二次世界大戦の最中のナチス・ドイツ占領下のオランダ・アムステルダムが舞台となっている。ナチスのユダヤ人狩りを避けるために咳も出せないほど音に敏感だった隠れ家に潜んだ8人のユダヤ人達の生活を活写したもの。執筆は密告(密告者はいまだ不明)によりドイツ秘密警察に捕まるまでのおよそ2年間に及んだ。彼女の死後、父オットー・フランクの尽力によって出版され、世界的ベストセラーになった。
1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されている。

『アンネの日記』は、一少女の内的葛藤と成長を描き出した作品であるとされている。第三者(アンネはキティーと呼称)に宛てた手紙を模した独特な表現スタイルは、内面の吐露をより印象深いものにする。特に際立つのが、早熟さ、そして鋭い観察力と批判精神である。それは時に、他者に対して辛辣過ぎる程ですらある。

作中に、何か決定的なドラマがあるわけではない。むしろ逮捕以後の悲惨さとは対照的に、幾つかのエピソードを除いて、他愛のない日常が記録されているに過ぎない。戦争、そしてゲシュタポの影に怯えながらも、作品全体を貫く印象は明るく、時に絶望することがあってもそれに押し潰されることはない。隠れ家という閉塞された空間の中でも、将来への希望を失うことはないのである。
しかし、その将来が無残に断ち切られることによって悲劇性が加速する。作品は、人類が戦争、人種差別、ホロコーストなどについて考える一助となっている。

日記の成立[編集]
1944年8月4日の午前10時から10時半頃、隠れ家に潜んでいた8人のユダヤ人は、何者かからの密告を受けて出動したアムステルダム駐留の保安警察(SD)の職員たち(カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー親衛隊曹長と数名のオランダ人ナチ党員)によって逮捕された。彼らを匿っていたヴィクトール・クーフレルとヨハンネス・クレイマンの2人も連行された。しかし女性だったミープ・ヒースとベップ・フォスキュイルは逮捕を免れた。

逮捕されたユダヤ人8人の中で戦後を迎えることができたのは、オットー・フランクのみである。アンネを始めとした他のユダヤ人7名はそれぞれの移送先の強制収容所で死亡した。

保安警察が去ると、ミープ・ヒースとベップ・フォスキュイルは床の上に散乱した文書をすぐに回収した。それらのテキストは、戦後アムステルダムに戻ったオットーに渡された。彼はこの文書を編集してまとめ、アンネやフランク一家をよく知る人のために私家版として配った。やがてこの文書の存在は広く社会に知られるようになり、周囲の声に推され、本格的な出版に踏み切ることになる。初版は1947年にオランダのコンタクト社から発売された。

アンネは隠れ家のことを、その形から『ヘット・アハターハウス(オランダ語: Het Achterhuis=直訳すると「後ろの家」)』と名づけていたが、これはオランダ語版の『日記』のタイトルとなった。

日本語訳[編集]
日本では1952年に文藝春秋から皆藤幸蔵による訳書が『光ほのかに - アンネの日記』のタイトルで出版された。その後『光ほのかに』という訳書が他に存在することが判明し、副題だった『アンネの日記』が日本語版の正題となった。2010年現在、同じく文藝春秋からは1994年に深町眞理子訳出のものが発売されている。

邦訳の初版が出版された当初のオランダでは、日本がこの本を発行することに対する抵抗が強かった。原因はかつて日本がナチスドイツの同盟国であり、アムステルダム市民らは「アンネを殺したナチスと日本は同罪だ」とする考えが一般的に持っていたからである。訳者の1人がアムステルダムの本屋でアンネについての文献を探していたところ、市民らから「お前たち日本人に、アンネのことが分かってたまるか!」と店から追いだされたり、本屋によっては「日本人にはアンネの本は売れない」と拒否されたという。(訳者の一人の「解説」より)

日記のオリジナル性[編集]
作家志望だったアンネ・フランクは、手始めに自分の『日記』を出版することを考えており、書き溜めたものを推敲する作業を自ら進めていた。よって、日記にはオリジナル原稿と、彼女自身の清書による改訂稿の2つが存在する。これらはどちらも完全な形では残っておらず、アンネの死後、オットー・フランクによって、オリジナル原稿と改訂稿を相互補完する形で縮約編集された。いわば復元版である。

出版に当たっては、編集の過程で第三者によってさらに本文の削除や修正がほどこされた。削除箇所の多くは母親への辛辣な批判である。その他に第三者に関する批判(ファン・ペルス夫妻など)、若干の退屈なエピソード、性の目覚めに関する記述の削除、ならびに存命中の者のプライバシーを保護するための配慮があった。以上のような編集が加えられたため、書店に並んだ日記はアンネ・フランクが書いたものと一字一句おなじとはいえない。

しかし、内容は概ねアンネ・フランク自身のものと一致しており、1960年及び1981年の文書鑑定では、「これらの編集作業は日記のオリジナリティーを損なうものではない」と結論づけられた。オットー・フランクの死後、原本はオランダ国立戦時資料研究所に寄付され、そこで科学的調査が行われた。その結果、原本に使われている紙・インク・糊は当時のオランダで入手可能なものであり、原本自体はアンネ自身によって書かれたものであると最終報告された。また1990年、ハンブルク地方裁判所は原本の筆跡がアンネ本人のものであると結論づけた。

なお、削除箇所については後の版で増補されており、2010年現在、原テキストに近い形で刊行されている。また、原本を保管しているオランダ国立戦時資料研究所による「アンネの日記 研究版」では、3種のバージョンの比較、日記の信憑性に対する攻撃の経緯、筆跡鑑定、インクや紙に関する科学的調査などについて研究結果が詳述されている。


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