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てらまち・ねっと



 毎週70万部も売れているらしい「週刊ポスト」。
 たまに、置いてあるとき読むことはある。
 あるいは、どうしてもという記事があるときに買ったり。

 最近の号に、上野千鶴子さんのベストセラー『おひとりさまの老後』の著書について、やりとりがある。
 さいしょに、同誌の依頼で内田樹さんが「おひとりさま」に反論し、それに上野さんが寄稿したようにもとれる。
 それらの関連部分を紹介しよう。
    併せて、関連情報も。

 これらは、つれあいが詳しい ⇒ 上野千鶴子さんが内田樹氏を弁駁「家族と会社組織の復活など時代錯誤だ」/週刊ポスト「おひとりさま論争」

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  週刊ポスト 2010年5月14日号 
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← (※ 表紙の右下あたりに紹介されている)


●  週刊ポスト 5/14号

週刊ポスト (シュウカンポスト)
判型 B5
特別定価 400円(税込)
発売日 2010/04/26
ページ数 164

時代を先取りするビジネスマンの情報参謀
時代を切り取るスクープや、政治・経済・事件・芸能・スポーツ・健康・教育・金儲けほかの新鮮な情報を届けます。激動の時代をどう読むかの視点を読者に提供し、さらに次なる時代がどんなものかを予見する、ニュース週刊誌です。

1 表紙撮影/渡辺達生 モデル/優香(ゆうか)
2 いま沸き上がる「ツイッター亡国論」
3 トヨタリコール問題対応 副社長が「苦悩と再生」すべて語る
4 内田樹「おひとりさまでは生きられない」
5 人生を明るくする4大インタビュー“[ニッポン
・・・



 実際の記事↓
週刊ポスト2010/5/7、14合併号

(どの写真もクリックすると拡大。写真右下あたりのクリックでさらに拡大)




 実際の記事↓
『週刊ポスト2010/6/11号』
「おひとりさま」論争に新展開
東京大学大学院教授 上野千鶴子が内田樹 神戸女学院大学教授を弁駁

家族と会社組織の復活など時代錯誤だ


・・・・内田氏の発言に対し、上野氏から反論が寄せられた。以下に掲載する。
   *    *

    

 内田樹にけんかを売られた。けんかが好きなわけではないが、ふりかかった火の粉は払わねばならない。内田氏を批判したわけでもないわたしの著書(『おひとりさまの老後』)に氏が「反論」というのもおかしなものだが、批判されたからにはわたしのほうに氏に反論する理由がある。

 編集部が構成したインタビュー記事だからか、氏の著書にあるいつもの周到な論法は影をひそめ、その代わりワキの甘い議論のなかに、氏のホンネが漏れている。

 まず第一に、氏のわたしへの「反論」が、誤読にもとづく「わら人形叩き」だと指摘したい。相手の論を拙劣にまとめ、それを叩くのは批判の論法としては最低である。書いてもいないことをわたしの説として流布されては、わたしの著書を読んだことのない人たちに対して「風評被害」を被ることになる。

 編集部がつけたという見出しには「おひとりさまでは男も女も生きられない」と活字が踊っているが、わたしの著書にも同じことが書いてあるはず。「ひとり世帯」で暮らすことと、「孤立して暮らす」こととは同じではない。ひとり世帯なら、なおさらセイフティネットのために「人持ち」になりなさいと勧めているてんでは、内田氏の説とわたしの考えは変わらない。

 氏は「あの本の核心は『家族が嫌い』ということをカミングアウトした部分でしょう。......その心情は抑圧されていた。上野さんがそれを代弁したことが広く共感を呼んだのだと思います」という。批判するときにはどの本の何頁にどういう文章があると典拠を示すのがルールだが、それは述べられていない。

 わたしの本にはどこにも一行もそんなことは書かれていない。それどころか、読者の圧倒的な多数は、既婚者であることがわかっている。家族が好きだろうがそうでなかろうが、長生きすれば「おひとりさまになる」可能性が高くなる......ことに、読者の多くは共感したのである。・・・・(略)・・・・
 
「おひとりさま」のネットワーク
 第二に、氏が「これから必要なのは、弱者が自尊感情を保ったまま生きていける手触りの暖かい相互支援、相互扶助の親密なネットワークを構築することだと思います」ということには、わたしも100%賛成である。

 わたしの著書にも同じ趣旨のことが書いてあるはずなのに、それを読み落として自分が思いついた手柄であるかのように語るのはフェアとはいえないが、そこから先の処方箋が氏とわたしではまったく違う。ここから先は語るに落ちる氏のホンネがのぞけておもしろい。

 氏が「おひとりさま」に代わって提示する処方箋は「共同体」である。その典型は「家族」と「会社組織」だという。そもそも「おひとりさま」は、「家族」も「会社組織」も老後の選択肢にない人たちのために書かれたものだ。

 そこに「家族」と「会社組織」の復活を唱えるのは、時代錯誤以外のなにものでもない。「家族共同体」が、「子供、高齢者、病人、障害者を含んで健全に機能できるためにはどうしても15~20人くらいのサイズの集団である必要がある」と氏はいうが、日本の直系家族でさえ、最大規模で平均7~8人だった事実を考えれば、氏の説はまず歴史にもとづかない妄想であること、次に福祉の機能を家族におしもどす反動的なとんでも発言であることを指摘しなければならない。

・・・(略)・・・・
わたしの考えるネットワークはそれとはまったくちがっている。同じく「中間集団が必要」といっても、かつてのような家父長的な大家族や擬似家族的な会社組織は、氏がどんなにその「再構築」をのぞんだとしても、第一に歴史的に不可能であり、第二に社会的にものぞましくない。それに対して「おひとりさま」がつくりあげてきた(実例はわたしの著書をみてほしい)ネットワークは、個人を尊重した血縁によらない(擬似血縁もめざさない)共助けの支えあいである。氏は主従関係や師弟関係がよほどお好きなようだが、はからずも氏の権威主義的なホンネがあらわれているというべきだろう。・・・(略)・・・・

強者のシナリオではないか
 第三に、氏は「おひとりさまでは生きられない」実例として、ご自身の家族暦を進んで披瀝している。・・・・・・・・自分の家族がレアケースであることぐらい、データを見ればすぐにわかりそうなものだ。子どもの数が減ったのは日本人が個人主義になったからではない。子どもに対する親の関与が強まり、子育てのコストがかかりすぎるようになったから、である。

・・・・・・・・・・・
 高齢の離死別男性の再婚確立は低いし、そのなかでも再婚が可能な男性とは、社会的・経済的・身体的な資源を持った再婚市場における性的強者であることが知られている。実際には再婚願望を持っていてもそれがかなわない多くのおひとりさま高齢者がこれからぞくぞく増えるというのに、「ぼくのように再婚したら」というのは強者のシナリオにしかならないだろう。

そのうえ再婚しつづけて「妻に看取られるのが男の幸福」というイデオロギーを再生産してもらっては困る。これでは女にツケをまわすだけでなく、現実には妻を介護する高齢の夫もまた増えているというのに。・・・
・・・・(以下略)・・・・



内田樹氏が「おひとりさま」に言及したところを以下に引用

内田樹が上野千鶴子に大反論!
「おひとりさまでは男も女も生きられない」

今の時代は「家族」「会社組織」という共同体こそ人生にとって大切だ。
手触りの暖かさを見失うと、あと20年で取り返しがつかなくなる--


・・・(略)・・・・
-- ・・・上野氏の著書『おひとりさまの老後』がロングセラーと綯ってます。この現状をどう見ていますか。
内田 『おひとりさまの老後』には強い"違和感"を持ちました。

--違和感とは?
内田 あの本の核心は「家族が嫌い」ということをカミングアウトした部分でしょう。「家族に何の愛情も感じてないから、世話になる気もないし、世話をする気もない」と考えている人が現に大量に存在している。でも、その心情は抑圧されていた。上野さんがそれを代弁したことがひろく共感を呼んだのだと思います。でも、ぼくはそれは「それを言っちゃあ、おしまいだよ」と思います。

-- 「おひとりさま」は問題のある考え方だと?
内田 「ひとりで生きる」ことが可能だというのは、それだけ社会が豊かで安全だということです。その前提成立しないところでの「おひとりさま」はきわめてリスクの高い生き方だと思います。・・・・(略)・・・・

-- それが今でも「おひとりさま」がウケています。
内田 「誰にも干渉されないで、自分らしさを貫くことが正しい生き方だ」とアナウンスされてきたからです。ぼくはこれはある種の"洗脳" だと思っています。

-- 今はそれでは通らない。
内田 21世紀に入ってからは、「消費活動をどうやって活性化するか」だけを考えていればいいという状況ではなくなっています。ぼくたちは「貧しい資源をやりくりする」状況に適応しなければならない。

 上野さんの「おひとりさま」コミュニティーはあくまで「強者連合」でしょう。お金があり、社会的地位があり、潤沢な文化資本のある人はそこに参加できて、快適に暮らせるでしょうけれど、その条件を満たす人は今はもうごく少数しかいない。それより、緊急の問題は大多数の「ひとりでは暮らせない」人たちがどうやって他者と共生するスキルを開発するかでしょう。

集団の中で「役割」を果たせ
-- 「おひとりさま」ではなく「共同体」ですか。
内田 競争ルールから共生ルールへのシフトです。これから必要なのは、弱者が自尊感情を保ったまま生きていける手触りの暖かい相互支援、相互扶助の親密なネットワークを構築することだと思います。

-- 内田さんが考える共同体とは?
内田 原型はもちろん「家族」です。家族は性別も年齢も社会的能力もバラバラな集団です。そのなかでは「自分にできること」「自分にはできないこと」をきちんと把握できなければならない。自分に与えられた役割を理解し、それを達成することが求められます。・・・・(略)・・・・

-- どのくらいのサイズがいいのでしょうか?
内田 子供、高齢者、病人、障害者を含んで健全に機能できるためにはどうしても15~20人くらいのサイズの集団である必要がある。成員の半数くらいが労働人口に含まれていれば、集団は保つでしょう。誰でもかつては子どもであり、いずれ老人になり、いつかは病気に罹り、高い確立で心身機能にトラブルを抱えるようになる。だから、弱者支援というのは「時間差をおいた自己支援」に他ならないのです。・・・・・・・・・・・・・・・

--親族以外では?
内田 家族は基本ですが、一番強いのはたぶん「主従関係」と「師弟関係」でしょうね。

--そうなんですか?
内田 主従・師弟関係は「時代を超えて継承しなければならない集団的資産」を軸に統合されている。このバインド(結束)は家族よりも強固です。

-- 具体的にはどういう組織のことでしょう。
内田 江戸時代までの大店を模した会社組織は擬似的な主従関係でしょう。「老舗の暖簾」という制度資本を継承するために一族郎党が結束して相互扶助組織を作っている。年功序列、終身雇用が廃され、成果主義・能力主義が導入されて、企業はもう擬似家族ではなくなった。・・・(略)・・・・

武道でも「共同体」は作れる
・・・・(以下略)・・・・



(関連情報)
   内田樹の研究室
 ある月刊誌から上野千鶴子と対談して、「おひとりさま」問題について議論してくださいというご依頼があった。
上野さんと対談してくれという依頼はこれまでも何度もあった。
どれもお断りした。

繰り返し書いているように、私は論争というものを好まないからである。

論争というのはそこに加わる人に論敵を「最低の鞍部」で超えることを戦術上要求する。
それは「脊髄反射的」な攻撃性を備えた人間にとってはそれほどむずかしいことではない。

あらゆる論件についてほれぼれするほどスマートに論敵を「超えて」しまう種類の知的能力というものを備えている人は現にいる(村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』でそのような人物の容貌を活写したことがある)。

それは速く走れるとか高く飛び上がれるとかいうのと同じように、例外的な才能である。

でも、そのような才能を評価する習慣を私はずいぶん前に捨てた。
そのような能力はその素質に恵まれた人自身も、周囲の人もそれほど幸福にしないことがわかったからである。

それだけの資質があれば、それをもっと違うことに使う方が「世の中のため」だろうと思う。



(関連)


【私の新聞活用法】 読解力培う生活習慣 

     上野千鶴子さん(東京大学教授)
 2010.6.26 読売新聞

 たくさんの文献や数値を元に理論を構築するには、読み解く能力が欠かせない。単なる要約や思いつきを口にする学生たちに向かって、こう喝破したものだ。
 「この分析能力の差は、何でつくか知っているかい? 教養の差や。新聞を読みなさい」(『サヨナラ、学校化社会』より)」。少女時代からの「活字中毒」で、包み紙に使われた新聞まで丹念に読んでいたから、当然のカウンターパンチなのだ。

・・・・(中略)・・・・「新聞が、ブランドの信頼に裏付けられた、信ぴょう性の高い報道を実現しているということです。地道な調査報道に多くの記者を投入して、社会に問いかける。これは新聞にしかできない」
 ジェンダー研究の先駆者。最近は高齢社会の福祉問題へも領域を広げるなど、時代の変化をいち早くかぎ取り、切り結んでいく。「どんな時代になっても、新聞だけはやめられない。身体化した生活習慣だから」(松本美奈)

 


ワードローブ:しなやかに、遊び心--社会学者・上野千鶴子さん
    毎日新聞 2010年7月1日 
  ノースリーブの赤のいトップスに、柿渋と墨で染めたジャケットを羽織って。
個性的で履きやすい革靴はスーパー内の靴店で購入。
東大の上野千鶴子教授=
東京都文京区の東京大学で2010年6月21日、手塚耕一郎撮影 

◇講演内容、聴衆にも気配り
 ジェンダー研究の権威、フェミニズムの論客として第一線で活躍。歯に衣(きぬ)着せぬ発言を続け、「脅し系」を自任していたが、最近は「癒やし系」に変身中という上野さん。ファッションの取材を受けるのは25年ぶりというが、実はおしゃれである。

 きゃしゃな体にノースリーブのトップスをまとい、大ぶりのアクセサリーをつけるのが、春夏の上野さんのスタイル。取材当日は、草木染めの渋いジャケットを合わせ、キャンパスの新緑に溶け込んでいた。おそろいに見えるイヤリングとペンダントヘッド、チョーカーは、別々に買ったものという。「洋服や小物を買うのは昔から好き。選ぶたびに、女に生まれてよかったと思いますね」と照れた。

 大学での仕事のかたわら、講演や会合で全国を飛び回っているだけに、洋服を一番よく買うのは「移動途中の駅ビル」。ぱっと選んでも、失敗は少ない。「このくらい生きてきたら自分に似合うものは分かってきます」と笑う。

   *
 30代ではケンゾーを愛用し、「イケイケねえちゃんだった」という。当時は女子大の教官で、「生徒と張り合ってた」とも。フェミニストは化粧をしない、という偏ったイメージも打破した。

 だが40歳を前に、着ていた服が似合わなくなったという。「自己イメージと実際の自分が乖離(かいり)したのでしょう。加齢だけでなく、仕事の変化だったり……自分が変わっていく時があると思う。次にどういう自分が登場するか、何を着ていいか、分からなかった」。節目はおおかた10年ごとに訪れ、その時期に買った服は大失敗するという。

 最近は素材感が良く、遊び心があり、着て楽なものに引かれる。講演会では、抜け感のあるソフトジャケットが多い。「聴衆にオヤジが多い時はフェミニンにまとめる。発言がきつめなので、服装は柔らかく、ね」。上野流の“甘辛ミックス”だろうか。

 上野さんを知るある女性は「話す場と内容まで考え、洋服を選ぶ気配りの人」と評した。

(左)愛用のバングル。エスニックな手工芸品を好む。「美しいものを作る人がいて、それを身につけられるなんて、ぜいたくなこと」。(中央)ストールは100本前後持つ。写真は東京の染色作家の手描きのもの。(右)友人にプレゼントされた「スタンプス」時計。かわいらしい時計をその日の服に合わせる
   *


 ファッションの変遷は、女性史と切り離せない。学生時代、ジーンズで登校すると「今日はデモの日?」と尋ねられたという。ジーンズは学生運動のシンボル。その後ブームとなるミニスカートは、性解放を象徴していた。

 初期の代表作「スカートの下の劇場」(89年)では、下着の変遷を通して性意識を分析した。本の中で予測した「男性の性の現場からの撤退」は20年後の今、「草食男子」の現象と重なる。「当たってますね、とはよく言われるが、社会の変化は予想より早かった」と話す一方、「想定外なのは、これだけ女性の雇用が崩壊したことね」と顔を曇らせた。

 ベストセラーになった「おひとりさまの老後」(07年)など、老いや介護の問題にも研究テーマを広げている。今年4月に出版されたエッセー集「ひとりの午後に」では、亡き母への思いなどが率直につづられ、身の回りの些事(さじ)への慈しみにあふれている。大胆で挑発的な批評の裏側にある、しなやかな感性は、装いにも表れているようだ。【田村佳子、写真・手塚耕一郎】

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 ■人物略歴

 ◇うえの・ちづこ
 社会学者、東大大学院教授。1948年、富山県生まれ。平安女学院短大助教授、京都精華大教授などを経て、95年から現職。「セクシィ・ギャルの大研究」「家父長制と資本制」「近代家族の成立と終焉」「男おひとりさま道」など著書多数。NPO法人「ウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)」の理事も務める。
【関連記事】
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