「おひとりさま」論争に新展開
東京大学大学院教授 上野千鶴子が内田樹 神戸女学院大学教授を弁駁
家族と会社組織の復活など時代錯誤だ
・・・・内田氏の発言に対し、上野氏から反論が寄せられた。以下に掲載する。
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内田樹にけんかを売られた。けんかが好きなわけではないが、ふりかかった火の粉は払わねばならない。内田氏を批判したわけでもないわたしの著書(『おひとりさまの老後』)に氏が「反論」というのもおかしなものだが、批判されたからにはわたしのほうに氏に反論する理由がある。
編集部が構成したインタビュー記事だからか、氏の著書にあるいつもの周到な論法は影をひそめ、その代わりワキの甘い議論のなかに、氏のホンネが漏れている。
まず第一に、氏のわたしへの「反論」が、誤読にもとづく「わら人形叩き」だと指摘したい。相手の論を拙劣にまとめ、それを叩くのは批判の論法としては最低である。書いてもいないことをわたしの説として流布されては、わたしの著書を読んだことのない人たちに対して「風評被害」を被ることになる。
編集部がつけたという見出しには「おひとりさまでは男も女も生きられない」と活字が踊っているが、わたしの著書にも同じことが書いてあるはず。「ひとり世帯」で暮らすことと、「孤立して暮らす」こととは同じではない。ひとり世帯なら、なおさらセイフティネットのために「人持ち」になりなさいと勧めているてんでは、内田氏の説とわたしの考えは変わらない。
氏は「あの本の核心は『家族が嫌い』ということをカミングアウトした部分でしょう。......その心情は抑圧されていた。上野さんがそれを代弁したことが広く共感を呼んだのだと思います」という。批判するときにはどの本の何頁にどういう文章があると典拠を示すのがルールだが、それは述べられていない。
わたしの本にはどこにも一行もそんなことは書かれていない。それどころか、読者の圧倒的な多数は、既婚者であることがわかっている。家族が好きだろうがそうでなかろうが、長生きすれば「おひとりさまになる」可能性が高くなる......ことに、読者の多くは共感したのである。・・・・(略)・・・・
「おひとりさま」のネットワーク
第二に、氏が「これから必要なのは、弱者が自尊感情を保ったまま生きていける手触りの暖かい相互支援、相互扶助の親密なネットワークを構築することだと思います」ということには、わたしも100%賛成である。
わたしの著書にも同じ趣旨のことが書いてあるはずなのに、それを読み落として自分が思いついた手柄であるかのように語るのはフェアとはいえないが、そこから先の処方箋が氏とわたしではまったく違う。ここから先は語るに落ちる氏のホンネがのぞけておもしろい。
氏が「おひとりさま」に代わって提示する処方箋は「共同体」である。その典型は「家族」と「会社組織」だという。そもそも「おひとりさま」は、「家族」も「会社組織」も老後の選択肢にない人たちのために書かれたものだ。
そこに「家族」と「会社組織」の復活を唱えるのは、時代錯誤以外のなにものでもない。「家族共同体」が、「子供、高齢者、病人、障害者を含んで健全に機能できるためにはどうしても15~20人くらいのサイズの集団である必要がある」と氏はいうが、日本の直系家族でさえ、最大規模で平均7~8人だった事実を考えれば、氏の説はまず歴史にもとづかない妄想であること、次に福祉の機能を家族におしもどす反動的なとんでも発言であることを指摘しなければならない。
・・・(略)・・・・
わたしの考えるネットワークはそれとはまったくちがっている。同じく「中間集団が必要」といっても、かつてのような家父長的な大家族や擬似家族的な会社組織は、氏がどんなにその「再構築」をのぞんだとしても、第一に歴史的に不可能であり、第二に社会的にものぞましくない。それに対して「おひとりさま」がつくりあげてきた(実例はわたしの著書をみてほしい)ネットワークは、個人を尊重した血縁によらない(擬似血縁もめざさない)共助けの支えあいである。氏は主従関係や師弟関係がよほどお好きなようだが、はからずも氏の権威主義的なホンネがあらわれているというべきだろう。・・・(略)・・・・
強者のシナリオではないか
第三に、氏は「おひとりさまでは生きられない」実例として、ご自身の家族暦を進んで披瀝している。・・・・・・・・自分の家族がレアケースであることぐらい、データを見ればすぐにわかりそうなものだ。子どもの数が減ったのは日本人が個人主義になったからではない。子どもに対する親の関与が強まり、子育てのコストがかかりすぎるようになったから、である。
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高齢の離死別男性の再婚確立は低いし、そのなかでも再婚が可能な男性とは、社会的・経済的・身体的な資源を持った再婚市場における性的強者であることが知られている。実際には再婚願望を持っていてもそれがかなわない多くのおひとりさま高齢者がこれからぞくぞく増えるというのに、「ぼくのように再婚したら」というのは強者のシナリオにしかならないだろう。
そのうえ再婚しつづけて「妻に看取られるのが男の幸福」というイデオロギーを再生産してもらっては困る。これでは女にツケをまわすだけでなく、現実には妻を介護する高齢の夫もまた増えているというのに。・・・
・・・・(以下略)・・・・ |