SOUND AVENUE 905 Motoharu Radio Show #20

2016年02月19日 | Motoharu Radio Show

2016/02/16 OnAir - 3rd. Week - 爆笑問題をゲストに迎えて
01.サザンオールスターズ:思い過ごしも恋のうち
02.佐野元春:シュガータイム
03.サザンオールスターズ:Ya Ya(あの時代を忘れない)
04.佐野元春:彼女はデリケート
05.サザンオールスターズ:ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)
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■内容の一部を抜粋
佐野元春 : こんばんは佐野元春です。この番組は東京赤坂TBSのスタジオからお届けしています。今週もやってきましたMotoharu Radio Show。待っていてくれたみなさん、どうもありがとう。さて今夜の放送、スタジオには素晴らしいゲストを迎えています。爆笑問題のお二人。Motoharu Radio Show、長くやってますけれども音楽とは違う分野の方をゲストにお迎えするというのははじめてのことです。今夜は僕もとっても楽しみにしています。火曜の夜はMotoharu Radio Show。DJ、佐野元春でお送りします。

佐野元春 : 今夜はスタジオに素晴らしいゲストを迎えています。爆笑問題。太田光さんと田中裕二さん、お二人によるお笑いコンビです。歴史や時事問題をネタにした漫才で日本ではどちらかといえば珍しいエンタテイナーですね。個人的には'50年代、米国のコメディアン、アボット & コステロ、そしてマルクス・ブラザーズ、そうしたスラップスティックなコメディのセンスと共通するものをお持ちのお二人なのかなと思っています。何よりの自分も東京育ちなので、爆笑問題のお二人は東京のコメディアンということで、とても親近感があります。今夜のMotoharu Radio Show、大変光栄に思います、爆笑問題の二人をゲストにお迎えしています。

●ラジオ
Motoharu Radio ShowはNHK-FMの月金のプログラム「サウンドストリート」として1981年にスタート。元春は月曜日のレギュラーDJを6年間担当していた。爆笑問題の二人は当時16,17歳の多感な頃だったという。ちょうどラジオで「SOMEDAY」を聴いて元春を知ったそうだ。
田中さんは子どもの頃からTBSラジオの熱心なリスナーだったので、大きくなったらアナウンサーになってラジオ番組をやりたいと思っていたとか。高校生の頃は放送部で、その当時の仲間とラジオ番組を真似て「ウーチャカ大放送」というものをカセットに録音して遊んでいたという。

●日本大学
田中さんと太田さんは日大で知り合い元春の話題を通して仲良くなったそうだ。太田さんはアルバム『Back To The Street』の「ビートでジャンプ」がいい曲だと田中さんに教えたという。男子校出身の太田さんはどちらかというと引きこもり気味で、不良が聴いていた横浜銀蝿、放送部など音楽に詳しい同級生が聴いていたナイアガラ、YMO、サザンなどを家でよく聴いていたとか。

●自分たちの世代
山下達郎、吉田拓郎、佐野元春といった世代が未だに音楽の最前線で活躍していることに太田さんは触れて「自分たちの世代ってすげぇなって思います? はっきりいって」と質問。

佐野元春 : あの僕もね、やはり、あの、この前ね、太田さんがたまたまTBS、このMotoharu Radio Showの収録のところ、お二人でいらっしゃって、で、桑田さんが自分の番組(「桑田佳祐のやさしい夜遊び」)でね、僕の曲(「君がいなくちゃ」)を推薦してくれた。これ素晴らしい話だねという話をしてくれた。僕も本当にジンとくることなんだけれども。今日はね、'80年代のサザンオールスターズと僕の曲をね、僕たちの話の合間にかけていこうかなと思ってます。
僕と桑田さんは同世代ですから、ただサザンオールスターズのほうが自分より3年早くデビューをしている。ですので僕は'80年ですけれども、'80年前にサザンオールスターズがもうすでにいい曲たくさん書いていて、その中から一曲僕も聴いてみたい曲があるんです。これ一緒に聴きたいですね。サザンオールスターズ、曲は「思い過ごしも恋のうち」。

・思い過ごしも恋のうち
1979年のアルバム『10ナンバーズ・からっと』の曲。「これを元春さんが選んだのはちょっと意外な感じがするんですけれど」と田中さん。「当時どういうふうに...」と太田さん。

佐野元春 : 当時はね、僕はあまり知らなかったです、サザンオールスターズは。ただ同時代に「いとしのエリー」というバラードがあって。とってもきれいなバラードなんだけれども。あの曲が街中に流れ出して「いい曲だな」と思って、そこから知りましたね。

田中裕二 : これがだから次の、「いとしのエリー」の次のシングルがこの曲だったかな?

佐野元春 : あぁ、そうだったんですね。僕はだからこのアルバムの翌年1980年にデビューするので、まだ仕事していた頃でしたね。

1988年に渋谷のライヴハウス、ラ・ママで開催された渡辺正行さんの主催する新人コント大会が初舞台。「進路指導室」というネタだった。

・シュガータイム
1982年のアルバム『SOMEDAY』から「シュガータイム」。

佐野元春 : 思い出しました。これ「シュガータイム」ね、最初、詩はこんなスィートな感じじゃなかったんですよ。少しね、反抗的な... うーん、ちょっとプロテストな内容の詩を書いて行ったんです。そしたら当時、レコード会社のディレクターが「ちょっとこれ詩書き直したほうがいいよ」って言われちゃったんですよ。それでね、僕は人からそういうふうに言われるのが大っ嫌いなんだけれども、アルバム『SOMEDAY』は、エピック・ソニーというレーベルだったんだけれども、次にアルバム『SOMEDAY』作ったらね、ソニー挙げてプッシュしたいからがんばっていいの作れって、みんなに言われてたんですね。ですので詩を書き直せなんて、ホント、カチンと来て僕はもう大っ嫌いなこと言われちゃったんだけれども、そこは折り合いつけなきゃいけないのかなと思って、ちょっとハードな詩を一度うちに持ち帰って、そして持って行ったのがこの曲なんです(笑)。ダンス ダンス ダンス 素敵さベイビー もうホントにスィートな詩...

太田光 : 途中、何かが間違ってるのさ...

佐野元春 : ええ、少しだけ名残が... あそこだけ譲れなかったんですけれどもね。バースはもうちょっとヘビーな言葉が並んでたんですよ。

●つまらない大人にはなりたくない
そんな具合にまわりにアドバイスをくれる、例えば伊藤銀次さんのようなお兄さんみたいな存在が元春にはいたという。爆笑問題にもそんな相談役やアドバイザーはいたんだけれど太田さんが聞き入れなかったのだとか。「つまらない大人にはなりたくない」という詩で育っちゃったから、と太田さん。「悪いこと言っちゃったかな」と元春。

「映画、小説、演劇などお笑いに囚われることなく、それを乗り越えた表現をしたいというのが最初からあったように思うんだけれども」と元春。太田さんは子どもの頃、チャップリンに憧れたという。

・Ya Ya(あの時代を忘れない)
サザンオールスターズの1982年のレコード。「詩も曲もいい」と元春。「(歌詞は)青学のキャンパスをイメージして」と田中さん。田中さんは立教を受けたけれど落ちたとか。

●森田芳光監督
1989年の映画『バカヤロー! 2 幸せになりたい』に出演した爆笑問題。1991年の『バカヤロー! 4 YOU! お前のことだよ』では太田さんがメガホンを取った。脚本と総指揮が森田芳光さんで森田組で撮られた。当時まだ25,26歳ぐらいで、現場では助監督のサードが年下、あとは全員年上のスタッフ。映画を撮りたくて映画の業界に入ってきた人たちの中で、「何だあいつ」みたいな声が聞こえてきて、針のむしろみたいな状態で撮影したのだそうだ。結局、自分のイメージをスタッフに伝えられず心残りの作品になったとか。森田芳光さんは上の世代のスタッフにも平気で怒鳴っていて、現場では相当嫌われていたというが、そのときに学んだのは映画監督というのは現場で嫌われるくらい独裁者じゃないと撮れないということだったそうだ。
元春がその話を聞いて思い出すのはナイアガラ・トライアングルのことだという。

佐野元春 : まだ無名な頃、大瀧詠一さんが僕ともう一人杉真理くんですよね。ふたりをピックアップしてくれて好きにやってみろと。一枚のアルバムの中でひとり4曲ずつ担当するんだけれども。現場には来ませんし、好きにやれと。だから僕のコーナーは僕のレコーディング・スタッフと僕のバンドでやってました。出来上がったものを大瀧さんに持って行って「これでどうでしょか」という感じだったんですよ。で、4曲出して3曲OKだったんだけれど、1曲どうしても大瀧さんが納得しない曲があった。それが「彼女はデリケート」だったんですよ。僕はね、自分の自己流でしたけれど完璧な仕上げで、大瀧さんは本当にポップスについては詳しい方ですから、彼から一言イエスと言ってもらいたくて、完璧なものを持ってたんです。そしたらマルチテープ流して聴いて、大瀧さんが腕組んで聴いてるわけなんですね。「これ、違うよ」って。何が違うんだろう? 演奏がダメなのか? 詩がダメなのか? 何が? って僕が訊いたらば「歌だよ」って、こう言うんだよね。「これはすごく完璧に出来てるけれども何か感じないよ。佐野くんはバディ・ホリーやエディ・コクランが好きでしょ? あれで行くんだよ。スタジオに入って」と言われてスタジオへ。もうそこにマイクロフォンのセットアップがしてあって、それで「彼女はデリケート」バックトラック鳴って、それでトークバックで「何も気兼ねすることなくエディ・コクランで行きな! バディ・ホリーで行きな!」。もうその一言ですごく自由な気持ちになって。何か完璧を狙うんじゃなくて、ロックンロール音楽が持ってる自由な楽しさですよね。「「彼女はデリケート」という詩はそういう詩なんだから、もっとエディ・コクランで行くんだよ、佐野くん!」って。それで僕はエディ・コクランの真似をして(笑)。そしたらテイクワンで「佐野くん、それだよ!」って。

太田光 : かっこいい! すっげぇよ、大瀧詠一! 見直したな!

田中裕二 : 見直したってやめなさい。我々が知ってる「彼女はデリケート」は...

佐野元春 : 真面目の、ピシっとしたのがあるんです。ですけれども、後で聴いてみると、もう時が経って十年、二十年、三十年経って聴いてみると大瀧さんの言うとおり。

太田光 : すっげぇなぁ!

田中裕二 : 今夜はうまくハモれないぜ、とか、もうちょっとちゃんとまじめに歌ってたんですね(笑)

佐野元春 : そうなんです(笑)。

太田光 : 大瀧さんでもそんな... それほど別に年齢変わるわけないじゃないですか? やっぱ天才なんですね。

佐野元春 : やっぱり葉っぱを見るんじゃなくて森を見れる人なんですよね。だからプロデューサーなんです。

太田光 : そうかぁ。すごい話ですね。それはでも。かっこいいねぇ。

・彼女はデリケート
1982年のアルバム『Niagara Triangle Vol.2』から「彼女はデリケート」。田中さんはライヴで胸の高鳴りを覚え、間奏のところではどうにかなっちゃうくらい興奮してたのを思い出したとか。

佐野元春 : 間奏のところでは当時、東京ビーバップというね、ブラス・セクションがリードを取ってましたよね。あそこはやっぱり見せ場で、間奏のところに来たら全員が前に出てきて、オーディエンスたちを楽しい気持ちにさせてね。当時、ホントに僕たちハートランドはパーティ・バンドと言ってましたからね。

太田さんは田中さんとライヴを一緒に観に行ったことがあって、メンバー紹介を横で、元春のMCを全部覚えてる田中さんがやっていたので「なんでオマエに紹介されなきゃいけないんだ」と文句を言ってたそうだ。

●世代
太田さんからの質問で「今の若手で注目してる人はいますか?」

佐野元春 : いっぱいいます。むしろ僕のすぐ下よりも、ずっと下の世代の表現がおもしろくなってきました。だから二十代ですか。しかも女性のソングライターたち、おもしろい人がいっぱい出てきますし、バンドもね、おもしろい人たちたくさん出てきている。ただ寂しいのは同時代に仲間があんまりいないんですよね。桑田くんくらいですか。しかし僕より下はバンドやろうぜの世代ですから、同世代の仲間たちがいっぱいいて楽しそうなんですよ。

太田光 : でも桑田さんと佐野さんの関係ってホントにいい距離っていうか、桑田さんの番組で佐野さんの話、たまーに出ることがあるし、佐野さんが桑田さんの曲をというのも、それだけでジンとくるよねぇ。

太田さんは『VISITORS』が出たときの自身の思い出を語って、サザンオールスターズが当時、『VISITORS』をメンバーで何度も聴いたというエピソードを話した。田中さんはその話が大好きで、当時サザンオールスターズは『KAMAKURA』というアルバムを出す前で、自分たちも何か新しいことをしたいという刺激を受けたと話していたとか。元春はその話を初めて聴いたという。

・ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)
1984年のサザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」。田中さんは大学に入って太田さんと出会った夏にヒットしていたことを思い出したそうだ。

佐野元春 : 桑田さんというのは本当に優れたソングライターでね。同時代に生きてる僕も同業ですから、彼の詩や曲をよく聴きますけれども、本当に優れたソングライター。で、NHKで僕は以前、「佐野元春のザ・ソングライターズ」という番組をやっていてね、それはソングライターを招いて作詞作曲術を聞き出すという、そんな番組やってたんですね。その番組の企画は僕なんですけれども、企画したときに真っ先にスタジオに呼びたかったのは、実を言うと桑田さん。で僕はね、桑田さんに手紙を書いたんです、実をいうと。初めてです、このことを喋るのは。最終的には出なかったんだけれども、ちょうど彼が病気をしていた頃ですね。で、僕はそれを全然知らない。熱い思いを、桑田さん出てください、手紙を書いた。そしてしばらく経ったら桑田さんから本当に分厚い手紙が返ってきました。こんな分厚かったんですよ。何が書いてあるんだろうな? と思ってみたら、ひとつの便箋に文字がすごく大きかった(笑)。文章量はそんなに多くない。そんな分厚いものだった。まっ、うれしかったんですけれどもね。ちょっと今事情があって出られる状況じゃないというようなことが書いてあった。それからまもなく彼が病気と闘っているといことをニュースで聞いた、そうだったのかと思ったんですよね。そうこうしてるうちに番組は終わったんですけれども、またいつか機会を改めてね...

田中裕二 : この番組にゲストで桑田さん...

佐野元春 : でもいいですし、そうした番組とか、メディアでもなく、プライヴェートでもね、彼とソングライティングについてじっくり話してみたいなという気持ち、今でも僕はありますね。

太田光 : でもいずれ何か...

田中裕二 : 一緒に曲作るとかないんですか?

佐野元春 : あるんじゃないですか? この先一回は。それを発表する、しないというのはまた別として...

田中裕二 : それはしなきゃダメでしょ! そんな奇跡がもしあったら、それはもう日本のために発表しないとダメですね。

太田光 : どっちが詩で、どっちが曲... 両A面で2曲だね。

佐野元春 : ははは。そこまでプランしますか(笑)

太田光 : だってさ、どっちもメロディと詩... どっちもやってほしいですね。

田中裕二 : はい。ホーランド・ローズと、ちゃんとやってほしいですね。

佐野元春 : 同世代ががんばってるというのはすごい刺激になるし、とても励みになる、うれしいことですよね。ですのでいつか共演するんじゃないか、いつか新曲を書くんじゃないかという希望を残しつつ、今こう動いてるのでそれを考えるだけでも楽しい。

田中裕二 : それは我々ももっと楽しいですね。それを想像するだけでね。

太田光 : それができるまで生きていようね。

●立川談志
最後は元春からの質問。上岡龍太郎さんが立川談志さんとの対談で「今のお笑い、バラエティは教養がなくなった。でもひとつ救いなのが爆笑問題が談志師匠に会うと緊張する気持ちを持っていてくれるのが救いだ。その気持を忘れずに爆笑問題頼むよ」という発言を上岡さんは談志師匠にしている。それともうひとつ爆笑問題がデビューして間もない頃、談志師匠が太田さんに「天下取っちゃいなよ」と応援の言葉を送った。また談志師匠は田中さんについて「こんな出来た奴なかなかいないからできるだけコンビ続けていけ」と田中さんの相方としての重要性を力説していた。それから時が経って単行本の「最後の大独演会」で談志師匠とビートたけしさんと太田さんの三人の対談を読んで帰結した印象があったとか。爆笑問題の二人にとって談志師匠とはどういう存在なのかを訊いてみたいということ。下町生まれの元春からみれば談志師匠が亡くなったのは遠い親戚の伯父さんが亡くなったような感じがしたという。あんまり寂しくてバンドのメンバーに一言メールを送ったそうだ。「談志が死んだ」って。

太田さんにとって談志師匠と古今亭志ん朝師匠は元春と桑田さんのような存在。志ん朝師匠はキートンみたいでポップな落語、江戸っ子の立て板に水のような色気のある落語で、談志師匠は古典を解体して分析して今の客に向かって落語を作り直すみたいなことをやっていた。太田さんにとってはチャップリンとキートンという感じ。談志師匠の前で初めてネタをやったときに「天下取っちゃえよ」と言われたことがものすごくうれしかったという。今もこうしてやっていて大きな励みになってるとか。志ん朝師匠とは談志師匠の前でネタをやった数カ月後に舞台で共演した。楽屋で「お先に勉強させていただきました」と言うと、鏡の前で正座しながら、ピシっと背筋を伸ばしたまま、ちょっと振り返って「お疲れ様でした」と一言だけ。「あぁ、やっぱり志ん朝なんだ」と思って「あぁ、かっこいい」と思ったとか。その一度きり。未だに自分は志ん朝になりたいのか談志になりたいのかという存在の二人なんだそうだ。どっちのよさもわかるので、いつもそこでブレてしまうという。

佐野元春 : 僕ら東京人にとってみればね、立川談志師匠、それから志ん朝ですよね。もうふたつの宇宙ですよね。一つ一つが違った宇宙。話芸というもので意識を飛び越えさしてくれる。そのような偉大な芸術家といってもいいと思うんですよね。だから今太田さんが言ってることはよくわかります。

田中さんは談志師匠をあれだけ怖いと思った人はいないし、あれだけやさしいと思った人はいないと。爆笑問題は結構かわいがってもらって一度も怒られたことがないとか。談志師匠の主催するひとり会や一緒に番組もやったけれど、毎回いつ怒られるのかと緊張していたという。でもいつもやさしくて、最後までやさしい人だったとか。

佐野元春 : 尊敬できる先人を見て思うのは、スタイルというものはそれぞれ確立してるものだから、それを超えることはできないけれど、その芸に対する思いとか、音楽に対する愛情とかね、そうしたスピリットみたいなものは受け継ぐことができるんですよね。受け継いで、また時代に合わせて応用することができる。僕にとってみれば大瀧さんは先輩だし、音楽に対する知識や愛情は僕以上に深い方で、学ぶことも多かったんですけれども、彼のスタイルを僕はそのまま受け継ぐことはできないけれど、彼のスピリットは受け継いで、それを自分なりのかたちでファンにまた披露することはできるんじゃないかな、そんなこと思いますね。音楽よりもむしろ芸の場のほうがそうしたことを感じられるんじゃないかなと、今お話伺いながら感じてました。

佐野元春 : 今夜のMotoharu Radio Show、楽しんでいただけましたか? 爆笑問題のお二人をゲストにお迎えしました。爆笑問題といえばこのTBSの看板番組といっていい「JUNK 爆笑問題 カーボーイ」ですね。この後深夜1時からの放送になります。今回はさまぁ~ずの三村さんが登場ということ。爆笑問題にさまぁ~ずといえば東京のお笑いを代表するお二人ですよね。どんな番組になるのか楽しみです。そしてもうひとつ爆笑問題の番組といえば「爆笑問題の日曜サンデー」ですね。2月21日の日曜日、このときの放送はミレニアムからの16年。この16年に起こったことをいろいろな音で振り返ってみようという、そういう企画だそうです。爆笑問題がそこにどう切り込んでいくのか、期待したいですね。是非、放送を楽しみにしていてください。TBSからのインフォメーションでした。DJ、佐野元春、ではまた次回に。
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