津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

田中左兵衛封事 - 5

2009-07-12 19:00:39 | 歴史
    四半切紙
一、当御跡目不立内、諸人色付申ニ付、色々申なため御跡立申後に、御家老衆之心根如何
   と色立申候付、能々合点させ申候へ者、皆々安堵仕相ミ、夫より物静に成申候
一、拓植源右衛門と町人出入之事
一、有吉市郎兵衛御死骸ニ付、下り候時分、道中ニ而之様子悪敷とて沙汰仕、迷惑ニよく
   物語仕、悪敷時分申なため申候事
一、不破十之允と茂見三郎兵衛と公事有之を申なため、無時ニ成候事
一、木戸与五右衛門も無事ニ候事
一、朝山斎養子の事ニ付御暇申上候、差留無事ニ仕候事
一、野田源四郎書物を御目附衆へ上候を、色々異見いたし留、御家老衆へ内証申、籠者ニ
   申付候事
一、丹後殿借金之事ニ付大事ニ成候、其後御家老中と間を能様仕候事
一、老中を(と)長岡勘解由事ニ付、肝煎無事ニ仕候事
一、左京殿両度迄公事有之を、肝煎・老中之間無事に仕候事
一、都甲太兵衛へ使仕、異見いたし無事ニ仕候事
一、志水久馬息九郎・丹羽三郎右衛門公事有之、無事に仕候事
     寛文六年
   右祖父田中左兵衛氏久
   綱利公二十五之御年指上申候、控之本書同姓家ニ在り

                    (了)
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