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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■古文書の終活-2「花畑邸大掃除に関する文書」

2025-02-18 17:02:32 | 展覧会
 
■二月十八日付け、花畑邸大掃除の号令

    寛永九年十二月に肥後に入国した忠利は、地震におびえている。城内の居住区の周辺には空き地がなく、地震屋を立てる空間もないと嘆いている。そんな中、老中稲葉正勝の居城・小田......
 

 私にとっては大金をはたいてヤフオクで入手したのがこの文書である。
この文書が現物と思われるから、多分永青文庫には「案文」は残っているかもしれないが、そういう意味では貴重な史料だと思っている。
これは、一度永青文庫にお尋ねをしてお納め先を確認しようと準備をしている。
つまるところ、熊本大学図書館が落ち着き先になるのだろう。

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■眉・耳・鼻のあれ?

2025-02-18 08:48:48 | 徒然

 大河「べらぼう」に出てくる、石坂浩二氏演じる老中・松平武元の育ちすぎの眉毛には驚かされるが、立派な眉毛の元総理の村山富市氏もこれでは勝負にはならないだろう。
                                                      

 私も時折鏡をのぞいて、眉毛の伸びに驚かされている。
先日散髪に行った折、「何で年を取ると眉毛・耳毛・鼻毛が伸びるんだろうね」というような話をしたら、「若いころは一定のサイクルで抜け落ちるものが、歳をとるとそのサイクルが長くなってしまうらしい」という話を聞いた。
なるほどと合点したが何ともさびしい話ではないか。

ただ、眉毛が白髪状態になると、精々眉毛くらいは白髪なしにしたいと思って、眉毛専用の白髪染めはないかとググってみた。
いわゆる「マスカラ」というやつだが、私同様悩み多い人のために結構な商品がある。奥方に内緒で近所のドラッグストアをのぞいてみようと思っている。
一方私の頭の方は、司馬遼太郎なみのほぼ100%に近い白髪なのだが、これは奥方の反対で染めることはまかりならない。
四か月入院していた奥方が、退院する頃には髪は延びすっかり白髪状態で驚いてしまったが、退院すると早々染めてしまった。
最近私は散髪に出かけるのも億劫で本当に司馬遼太郎風にしようかと思うのだが、私の髪は癖が悪く、外に跳ねまくってしまって何とも具合が悪い。
月一、史談会の例会前に髪を整えることになる。
数年前「爪を切り、鼻毛・耳毛・眉毛にも気を付けなきゃ駄目ですよ」とは、散髪屋さんの若い女性スタッフの言である。御尤もなご指摘で肝に銘じている。


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■制度化前の忠興・忠利の参勤

2025-02-18 07:01:30 | 史料

  一年前「我が家の二代目さん」で、「我が家の2代目さんが活躍したのは綱利公の時代である。参勤にも4~5度御供をしているし、代参を命じられたり中々頑張っている。」と書いた。

 細川家には忠興公の小倉時代から齊護公にいたる「御代々様御参勤御帰国」が残されていて、その日付などの詳細が一目瞭然である。二代目の記録と照らし合わせてみると、まさしく間違いない。

 但し、江戸幕府により参勤交代が制度化されたのは、忠利の肥後封襲の二年後の寛永11年の「武家諸法度」の第二条「大名小名、在江戸交替相定むるところなり、毎歳夏四月中、参勤致すべし」だから、それ以前の参勤の記録はそれぞれの個人の自由裁量もしくは幕府からの何らかの指示によるものである。
しかし、日帳等を見るとやはり「参勤」という言葉が記されてある。
とくに忠興の寛永11年前の参勤については、一つ/\その内容の詳細を辿ると、忠興の幕府に対する細やかな配慮が伺える。

参勤の要がない隠居(元和9年)後の参勤については、幕府もその必要がないことを再三諭している。

            御代々様御参勤御帰国 (1) 忠興公
            御代々様御参勤御帰国 (2) 忠利公

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