津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■枝が折れたり倒れたりしながら考える事

2022-07-28 16:48:01 | 熊本

 最近街路樹が倒れるというニュースがやたらと目を引く。
昨日は運転免許センターの駐車場でケヤキが倒れ車9台が下敷きになった。その前は大江の通称産業道路で桜の木が2本倒て通行中の車に被害が出た。
昨年は熊本城内で倒木があった。
10年ほど前には、我が母校・大江小学校の校庭の真ん中にあった樹齢100年を超す大榎木(大江の木)が倒れた。私はわざわざ出かけて無残な姿を眼にした事だった。
これは元気な枝を採取して苗木が作られ、「おおえのき」の横に植えられたらしい。
           倒壊したおおえのき

こんな事案が起ると、私が反対している自衛隊健軍駐屯地(西部方面総監部)周辺の桜やクスノキ、トウカエデの伐採などにも声が小さく成ってしまう。
今日の新聞は、熊本第一高校敷地内にある、マンスフェルト邸ゆかりの高さ18mのムクノキが倒木の恐れがあるとかで、文化財保護委員会が伐採を検討していると報じている。
これは由緒ばかりをいつては居られないだろう。「おおえのき」に倣ってまた若木を植えれば良かろうにと思う。

 もう30年ほど前に、坪井川沿いにあった木を伐採するというニュースが流れ、市民団体が反対してひと騒ぎがあった。
桐の木ではなかったかと思うが記憶が定かではない。
桐の木といえば新町に通称稱名寺通りと呼ばれる通りは江戸時代の「青桐」の並木が残っている。
一月ほど前C寺の和尚様から電話で、先代から熊本の町には沢山馬をつなぐために青桐が植えられていたと聞くが詳しい情報はないかとお尋ねをいただいた。
「馬をつなぐ」という話は初めて聞いて、あり得る話だと納得した。
その後気に成り調べてみたら、上通りには青桐が植えられていたらしい。

 桜町や熊本駅周辺の再開発が終わったが、これらのつながりが何とも寂しいのが現状だが、私は細工町筋や路面電車筋を並木にすることを願っている。
また、白川沿いは桜並木などがいいのではないかと考える。
夏目漱石に「森の都」といわしめた熊本だが、現状果たして漱石先生の賛辞に応え得ているのだろうか。
市長に手紙を書こうかとさえ考えて居る。

 

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■御侍帳・家紋から考える(36)

2022-07-28 06:24:58 | 先祖附

                   
            新・肥後細川藩侍帳【う】の部

浦上瀬兵衛は、(南東30-3)浦上瀬兵衛家の8代目栄八(瀬兵衛)、家紋は「扇紋」「毬挟みに■■」  

浦崎式平は、(南東30-7)浦崎政太郎家の7代目、家紋は「丸に三つ星紋」  

■鵜川伝左衛門は、(南東30-15)鵜川丈七家の7代目右学(傳左衛門)、家紋は「左一つ巴紋」  

植野新右衛門は、(南東30-22)植野新右衛門家、代々新右衛門を名乗り人物の特定不可能、家紋は「隅切り平角に小文字紋」  

内田伝蔵は、(南東65-74 *)内田彦左衛門家の初代傳助(傳蔵)か?、家紋は「隅立平角に五つ星」

            新・肥後細川藩侍帳【の】の部

野村庄蔵は、御馬方 (南東59-18 茶・鷹・馬)野村源之允家、2~6代までが庄蔵を名乗り人物の特定できず、家紋は「子持ち隅立角に三つ星」

野田弥三右衛門は、(南東32-1)野田弥三左衛門家、代々が弥三左衛門を名乗り人物の特定が不可能。家紋は「三つ蔦紋」  
野田左次兵衛は、(南東32-2)野田甚内の5代目安左衛門(左次兵衛・杢兵衛)。同上弥三左衛門家の分家筋で家紋は  「蔦紋」  
野田禎助は、(南東32-3)野田甚吉家の4代吉太郎、こちらも同上分家筋で家紋は「隅切り立角に蔦紋」  

野田三郎兵衛は、(南東32-6)野田三郎吉家、天草本渡城主天草伊豆守種綱三男 喜膳を初代とする家だが、代々三郎兵衛を名乗る。家紋は「丸に蔦紋」但し、弥三右衛門系とは別流だと思われる。

野田伊兵衛は、(南東32-4)野田小三郎家、忠利代奉行を務めた野田小左衛門の子孫だが、こちらも代々伊兵衛を名乗る。家紋は「丸に登り藤紋」

野田庄大夫は、(南東32-17)野田善之助家の6代目庄大夫(恒右衛門)。家紋は「  」

野々口金左衛門は、(南東32-11)野々口勘十郎家の5代目、弘化二年から万延元年迄各地の郡奉行を務めた。家紋は「三つ銅銭」?

野口直助は、(南東32-5)野口甚左衛門家の5代目。家紋は「子持ち隅立平角に■■」「丸に剣片喰紋」

野上文右衛門は、(南東32-13)野上文五家、代々文右衛門を名乗る。家紋は「  」

野村左一右衛門は、(南東32-14)野村傳一郎家、5・7・8代が左一右衛門を名乗り人物の特定が出来ない。家紋は「隅切り立角に抱え角紋」    

野入小十郎は、(南東32-9)野入弥三家の5代目。家紋は「  」「  」

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